◎好相行とは
高川慈照師の好相行の続き。
好相行を行うために、浄土院の拝殿脇に広さ十二畳で白幕を四方に張って、正面に釈迦文殊弥勒の三尊掛け軸を懸けた。戸は締め切られ、明かりは蝋燭2本と経本を読むための手燭のみ。幕の内は行者だけしか入れない。
ここで午前零時より、五体投地で、一日に三千仏への礼拝を繰り返す。一仏に一五体投地であるから、あの尺取り虫スタイルを一日に三千繰り返すのであるが、相当な重労働であり、五体投地を三千回するには、相当な筋力と気力が必要となる。10分間繰り返すのですら結構な運動であり、三千回など若くなくてはとてもできるものではない。
高川師は、元気な時に一分間に三、四仏の礼拝ができたそうで、これでいくと三千回クリアするには15時間弱かかる。そして三千の礼拝が終了すると、縄床に坐っての仮眠だけが許され、本格的に眠ることはできない。
最初は、ふらふらしながら寝込んでしまったり、錯乱状態で白幕内をうろうろしたりして、経本の文字を縦でなく横に読むようなこともあった。
こうして声も出ず、気合も入らず、集中力も失せてきた10日目くらいから、背後からフワーっと姿の見えない大男が攻撃してきた。これは10~15日くらい出てきたが、独鈷杵を投げることで退散させた。
次は姿の見えない犬が周囲を走り回り、懐の中に飛び込んでずっしりと重くなる。この時は、衣を脱いで衣をバタバタと払うことで、退散させた。
犬がいなくなってからは、姿の見えない猫が周囲を走り回り、懐の中に飛び込んでずっしりと重くなる。この時も、衣を脱いで衣をバタバタと払うことで、退散させた。
こうして一ヶ月が過ぎた。
二ヶ月目からは、身体が軽くなり、集中力も戻り、声も出るようになった。出て来るビジョンも轟音を轟かす瀧が眼前に現れたり、漆黒の天空から様々な原色の花びらが降ってきたり、良いビジョンになってきた。
二ヶ月目の終るには、身体の贅肉はとれ、声が透き通るようになった。このころ、良いビジョン(きれいな魔)も出てこなくなった。
そしてある日眠気がなくなり、頭もすかっとして雑念もわいて来ず、集中力があり、仏をクリアにイメージできるようになった。この調子なら仏(好相)を見てやろうではないかと毎日毎日期待に胸を膨らませて行にいそしんだが、毎日その期待は裏切られ続けた。
こうして三ヶ月目も終りに近づいた時、高川師は、仏は見ようと思って見れるものではないと、仏に出会うことをあきらめ、一年でも行を続ける覚悟をした。
そうしたある朝、仏を見ることができたのである。
(出典:行とは何か/藤田庄市/新潮選書)
人は若くなくとも死ぬが、これは、若くないとできない行である。マントラ・ヨーガも似たところがあるのではないか。
肉体を運動と発声で2カ月かけて調整していって、その過程の中で想念も整理されていって、クリアなビジョンが出るようになって、仏を見たいという雑念さえ捨てたところで初めて向こう側からの観世音菩薩が出現した。
このビジョンは、プラトンでいえばイデア界所属の時間のない世界のもの、本物なのだと思う。
これは、比叡山流の好相行がどのように本物のビジョンに到達するかが明快に察せられる事例であった。
それにしてもこうした修行環境は恵まれたものであり、万人が日常生活の中でできる修行ではないと思う。あの生活がシンプルなチベットにおいてすら、観想法修行者は何ヶ月も人里離れた山の洞窟に食料を持ち込んで修行しないと、こうまでビジョンが研ぎ澄まされはしない。いわんやこの情報操作天国・洗脳ラッシュの近代国家日本においてをや。
この後、高川師は先代侍真の堀沢師に出た時のことをこまごまと聞かれ、堀沢師が好相と認めたので好相行は打切りとなった。
高川師のビジョンには観世音菩薩が大勢登場したが、合掌した観世音菩薩一体の場合などいろいろな出方があるらしいとは、偽ビジョンを語る者を排除するには必要なことと思う。何を見たかではなく、本物のビジョンだったかどうかがクリティカルなのである。