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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

地下鉄サリン事件から15年

2025-03-21 12:49:43 | 密教neo

◎同床異夢

(2010-05-03)

 

一連のオウム事件で感じたのは、若者のまともなスピリチュアリズムへの渇望であった。事件の総括もあるのだろうが、当時盛んに論じられた「どうして若者がまともでない新興宗教(カルト)に惹きつけられるのか」という点の総括については、必ずしも結論めいたものが社会の共通認識としてできたとは思えない。若者をとりまくその状況は、悪化しこそすれ、ほとんど変わっていないのではないか。

『オウムを生きて「元信者たちの地下鉄サリン事件から15年」/青木由美子編/サイゾー』では、松本死刑囚の娘や信者たちの体験談など盛られている。一連のオウム事件が起きて、宗教界からの反省もあって、もっと情報公開しなければならないということで特にチベット密教関係の書籍が沢山出版された一方で、真言密教や天台密教で著作が増えたという様子でもなかったように思う。

おかげでチベット死者の書は何種類が出版された上に、観想法を中心としたチベット密教の冥想テクストが多数出版されて、チベット密教の様子が大分わかったのはありがたかった。問題となったポアについては、いわゆるターミナル・ケアの延長線で行われている死に行く人への誘導をポアと呼ぶ場合と、本当に修行の延長で死の世界を覗きにいく場合があるのがわかったが、後者については、頭頂に物理的に穴があくみたいな妙な話しか残っておらず、そのものズバリの真相は、ヒントはあるものの、文書にはほとんど書かれていないようだ。

また印象に残っているのは、ダライ・ラマの悟境であって、見神・見性の体験は間違いなくある人であると確信している。彼の著作は多いが、妙なことは書いていないし、真理や善などの観点からぶれることがないし、チベット密教の教理や修行の実際についてもかなり迫真のことまで説明してくれているからである。

その後日本にもリンポチェと呼ばれる高僧も来るようになったし、チベット密教が観想法を中心とする修行体系のまともな伝統宗教であって、中国により祖国を追われたことも多くの人に知られるようになって、チベット密教の本当の姿が知られるようになったのは大きかった。

 

『オウムを生きて』については、サリン事件被害者5千人の影が全体として重く差しているのは隠れようもないが、クンダリーニ・ヨーガを修行の中心としてやっているとしているところは気になった。いまだに超能力志向のようだし、現世利益を否定しないようだし、それでは人間の哀しみとどう向き合っていくのか疑問に思った。人間はどうしようもなく、結局救われることのないものだと思い知るから、サハスラーラ・チャクラから脱身するのではないだろうか。人間は救われることがないという立場では、現世利益はもう通用しない。

クンダリーニ・ヨーガという言葉は、本来チベット密教でも真言密教でも天台密教でも(クンダリーニは軍荼利)共通語彙である。当然冥想メソッドも観想法を中心とするもので、肉体チャクラからエーテル体チャクラ、アストラル体チャクラへと進む順路があるはずなのだが、妙な指導者の手によって進路が曲げられることはあるのだろう。それはチベットでもあったこと。

肉体チャクラのことしか知らない人は、クンダリーニ・ヨーガ指導の看板を出してはいけないと思う。悟った人だけが法を説く資格があるからである。クンダリーニ・ヨーガで窮極を極めた人は、いま日本に一人でもいるのだろうか。

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革命か戦争か

2025-03-21 12:39:59 | 密教neo

◎価値観の転換の効用

(2010-06-06)

 

『革命か戦争か』(野田成人/サイゾー)の著者は、元オウムの幹部だった人で、またも東大物理の人。

この方は資本主義ではないなんらかの価値観への転換で、時代がなんとかなるといまだに思っていらっしゃる。価値観もイデオロギーも思想も、本当にぎりぎりのところでは誰も救済できやしない。でもこの方は思想や価値観以外の何かがあるとは気づいていないようである。思想や価値観以外の何かとは、もちろん霊能力や超能力や霊言や終末予言でもない。

『では麻原が真剣に仏教等の実践に励みながら、そこからなぜ道を踏み外してしまったのでしょうか?私は、麻原が「空」についての理解をしそこなったからではないか、と考えています。麻原自体、大乗仏教の「空」について研究していたことは間違いありません。しかし「空」とはつかみ所のない難解な教えです。麻原はその難解な「空」について、「完全に理解した」と誤解したところから転げ落ちたのではないか、と考えます。』(『革命か戦争か』(野田成人/サイゾー)P132から引用)

空って理解する対象なのだろうか。学者さんならそうかもしれないが、今やフツーに職場でメンタルヘルス健康診断を義務づけられるほど精神的に病んだ現代社会の住人にあっては、ラスト・リゾートというか最後の一線みたいなものなのではないか。つまり理解するのではなく、それを生きるもの。

チベット密教もクンダリーニ・ヨーガの一つ。世の中のクンダリーニ・ヨーガを教えると称する人や団体には、せいぜいエーテル体チャクラ止まりのクンダリーニ上昇を教えるものが大半のようである。それらの、中心太陽への突入に至らないクンダリーニ・ヨーガの「教え」は、人間の苦悩を本質的に救済できるものなのだろうか。それがただの気分転換や健康法止まりのものであっても良しとするのだろうか。

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チベットの託宣僧制度

2024-10-09 03:57:50 | 密教neo

◎観想法からトランス

(2010-07-14)

 

ダライ・ラマのインド亡命以前は、チベットに全国的な託宣僧(ネーチュン)制度というのがあった。

 

託宣僧(ネーチュン)の根拠地は、ラサのネーチュン僧院である。そこでチベットの護法神ペハル・ギャルポとその最も重要なチベットへの使者ドルジェ・タクデンとの霊的コンタクトを、一日4回、毎日8時間にわたる観想法を中心とした儀式を通じて行っていた。

 

熟達した託宣僧(ネーチュン)は、この儀式によらず、平素の祈りのなかでもドルジェ・タクデンを見ることができる。国王の要請により託宣を行う時は、託宣僧(ネーチュン)がトランスに入り、ドルジェ・タクデンがその託宣僧に憑依した状態で予言を告げる。

 

よってその予言がはずれることはない。超長期予言ははずれることもあろうが、短期的な予言については、はずれることはありえない。この点でネーチュンの託宣は、日本の中国占術の大家佐藤六龍氏の「占いは当たらないものだ」という世界とは全く異なる世界にある。

 

だから託宣僧(ネーチュン)は、先代ダライ・ラマ13世の逝去も、ダライ・ラマ14世になってからの中国軍の侵攻もきちんと予言してきている。

 

ドルジェ・タクデンは、ダライ・ラマ以外のすべての人間の上位に位置し、ダライ・ラマに対しては従順である。つまりダライ・ラマだけの託宣の要望を受け託宣を行う。

 

ネーチュン僧院は、全国何千もの神降ろしと神を抱える全国組織の頂点に立ち、年に一度ネーチュンのトップである神託官の10回にわたるトランスをメイン・イベントとする3週間にわたる祭典が執り行われ、首都ラサに全国から数千人の巡礼者を集める。

 

このチベットの護法神ペハル・ギャルポを中心とした組織は、チベットへの仏教の伝来者パドマサンバヴァが整備したものとされ、当時、先住のボン教などと新来の仏教系の僧と神霊の棲み分けの必要があったが、宗教界の人間も神霊界も合わせて体系づけたものであった。具体的には、各僧院の中に、護法神ペハル・ギャルポの神座を設けた。このように護法神ペハル・ギャルポを中心とするネーチュン制度はその根幹であり、20世紀まではしっかりと機能していた。

(以上参考:雪の国からの亡命/ジョン・F・アベドン/地湧社)

 

トランスにより神託をうかがうのは、古神道の帰神である。審神者がいたかどうかわからないが、神託官に対しては、ダライ・ラマが上位となることから、ダライ・ラマが審神者の立場になるのであろう。

 

日本でも文字の歴史が残る奈良時代より前の時代は、こうした帰神者が組織的に領内に配置されている神託国家というべきものがあったのではないかと想像される。それが今記録として残るのは、神功皇后の神がかりの一文程度というさみしい状況にあり、出口王仁三郎などの実力ある古神道家がそれをして、「伝統」と呼ぶが、衰微してもあり、出口王仁三郎が大正時代に見切りをつけたように、価値観多様化、情報過多の今の時代にはマッチしないやり方になったのだと思う。

 

ただ古神道の帰神の原型を知るヒントにはなるように思う。

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六条御息所と世界の見方

2024-03-31 16:04:04 | 密教neo

◎霊のある世界、神仏のある世界

(2021-08-28)

 

光源氏という懲りないプレイボーイに捨てられた女は数多いが、彼女らがすべて彼を怨みに思い、執念深く付け狙ったわけではない。六条御息所だけが執念深い女であり、その他の振られた女は都合の良い女だったという構成は、現代から見ればいかがなものか。

六条御息所は、物語の最初の方で光源氏に振られ、生霊が妊娠中の葵の上を悩ませ、葵の上は出産後急死。六条御息所は、死後も紫の上に死霊として出現し、光源氏に捨てられた恨み言を言い、紫の上を一旦危篤に陥らせる。

また光源氏と柏木との三角関係に苦慮した女三宮は、実は六条御息所の死霊が憑依しており、女三宮が出家する原因となった。

この世界観は、individualな個人霊というのが生前も死後も存続し、病気になるのも、死の原因になるのも、男女関係に影響を与えるのも霊だというもの。

もっとも同時代人の空海も病気の原因は霊のせいだという世界観を否定していないので、源氏物語は、まさにそういう世界観の産物である。

出口王仁三郎も、『本年(昭和九年)も大分流行性感冒がはやるやうであるが、戦争と流行性感冒とはつきものである。あれは霊の仕業である。』(玉鏡/流行性感冒)と述べ、同様の世界観に生きている。

今、われわれは、新型コロナはワクチンで重症化を防ぐことができるなどという霊とは無縁の世界観に生きている。

ひと口で世界観の相違というが、我々は飛行機に乗って海外に降り立てば、そこに全く異なる世界観の人物が全く異なる世界観で生きていることを感じるものだ。

霊の有無の世界観の相違だが、今本当に問題なのは、神仏があるとする世界観、神仏がないとする世界観のことである。時代はまさに神仏がないとする世界観の底の時代にあり、きちんと神仏があるとする世界観に反転できるかどうかが問われている。

それは他人のひとごとではなく、自分が反転できるかどうかということなのだ。

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虚空蔵菩薩求聞持法もいろいろ

2023-10-21 11:43:11 | 密教neo

◎洗脳に無防備な状態

(2009-11-24)

 

あの覚鑁(かくばん)ですら、虚空蔵菩薩求聞持法を9度も満行しないと、ものにならなかった。

この行法にチャレンジしていると、いろいろなことでダメになることがある。以下は、渓嵐拾葉集にある記事。

1.ある行者が虚空蔵菩薩求聞持法に打ち込んでいる時、まず大海の塩水が道場の外にひたひたと満ちてきた。そのうちに潮水は、道場の中に波打って入り込んできて、行者と本尊の他にはことごとく大波が打ち寄せてきた。

驚いた行者は、行をやめてこの場を去って逃げ去った。それから程なくして、帰ってみると水もなく波もなかったそうだ云々。

 

2.ある行者が虚空蔵菩薩求聞持法に打ち込んでいる時、金星を拝見する窓の間から死人の首が突然現れてきて、だんだん巨大化して道場の中に一杯に充満するほどになった。杖を振り回して追い払おうにも振るだけのスペースがない。

しょうがないので行者はこの場を引き払って逃げ去った。

 

3.ある行者が虚空蔵菩薩求聞持法の行を積んで、結願の時に当たって露地の儀式を執り行っていたところ、乳器の上に肉のついた馬の足が突然出現し、その臭いことは卒倒するほどだった。行者はやむなく立って、これを取って遠くに捨てたが、このために行を妨げられることになった。

 

4.ある行者が虚空蔵菩薩求聞持法の行を行っている時、壇上に乾糞の雨が降ってきた。これを取り去るために仏壇を西に寄せたり、北に寄せたりしたが、とても行法の邪魔になった。

 

5.またある行者が虚空蔵菩薩求聞持法の行を積んで、ようやく結願の時になった。すると、金星を拝見する窓から、突然鳶が飛び込んできた。鳶は壇上でバタバタ羽を打ちつけまくり、肝心の乳(この行で用いるもの)をこぼして、行の邪魔をしてくれた。

 

6.またある行者が虚空蔵菩薩求聞持法の行をしていたことろ、黒犬がにわかに走り込んで、乳を食ってしまった。

 

意識レベルが落ちているといろいろなことがある。行者の方も、そんなのには慣れているはずだが、まましてやられる。首尾よくこれに引っかからなくて、満行成就しても何も起こらないかもしれないということもある。

テレビや映画を見るのも、それに入り込めば結構意識レベルが落ちていることがあるように思う。それに気がついていないというのは、洗脳されやすいということに自覚がないことでもあり、怖いものがある。日本人は、つい先だって素直に現人神洗脳でやられたばかりではなかったか。

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ヨーグルトと明星

2023-10-21 11:39:07 | 密教neo

◎虚空蔵菩薩求聞持法の周辺

(2009-11-28)

 

釈迦は6年間の苦行を捨てて、ヨーグルト(乳糜)を食べて体力を回復し、菩提樹下でメディテーションに入った。

そして、中国に伝わった最古の仏伝とされる修行本起経では、釈迦の覚醒時、『明星が出た時、釈迦は廓然として大悟し、無上の正真道を得た。』とする。

キーワードはヨーグルトと明星。ヨーグルトを食し、然る後に明星が出た途端に大悟したという二つにアクセントを置いた修行法、それが虚空蔵菩薩求聞持法のステップの中にある。

空海が虚空蔵菩薩求聞持法の典拠としたものは、善無畏訳「虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法」とされ、今残っている最古の求聞持法テキストは、覚禅鈔(求聞持同異説)か阿娑縛抄(第百四)(承澄作)とされる。

このテキストに、蝕とヨーグルトのことやら、虚空蔵菩薩のイメージ・トレーニング(観想)をしながら、マントラ百万遍を唱えることが書かれてある由。

またその中に毎日早朝(後夜)、明星を拝む手順があるが、朝に金星を拝めるのは一年のうち半分だけなので、蝕日を満行の日とし、また金星が朝出ている時期を修行期間に当てるという当時ではかなり高度な天文知識がないと修行期間の設定すらできなかったのではないだろうか。

空海はあらゆる経法の文義を暗記する力を得るために、高知県室戸崎で虚空蔵菩薩求聞持法を修した。すると谷響を惜しまず、明星来影した。ごうごうたる阿吽(オーム)の響きたる谷響のうちに、明星がやってきたということだろうか。(空海はヨーグルトにはこだわっていないようだ。)

中心太陽は、クリシュナムルティには星と見えたことがあり、ダンティス・ダイジでは紛れもなく太陽と見えていることから、空海がだんだんと中心太陽に接近する様子を「明星来影す」と表現している可能性がないわけではない。

いずれにしても明星とヨーグルトで、求聞持法の修行者は自分を釈迦に擬する。

明星来影について、空海はそれ以上明かにしなかったし、覚鑁(かくばん)も何が起きたかについて多くは語らなかった。

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ダライ・ラマとアメリカ

2023-08-27 06:37:09 | 密教neo

◎弱腰な対応に終始

(2010-09-14)

 

中国がチベット侵略の意図を明白に見せたのは、1950年7月の昌都の北東200キロにある小さな国境の町を中国人民解放軍が制圧したのが始めとされる。

以後正規戦、ゲリラ戦を織りまぜて、特にアメリカ・CIAの支援を受けながら、チベット全土で、中国に対する抵抗が行われていた。既にチベットからは外交主権が奪われていたが、ダライラマは中国との直接交渉によって事態を打開できると信じ,北京まで交渉に行ったが、結局その交渉は失敗に終り、ダライ・ラマ自身が1959年インドに亡命するまでチベット領内での散発的な軍事的抵抗は続いていたのであった。

チベット側の全土を挙げての組織的な軍事的抵抗計画に対して、終始拒否権を発動し続けたのはダライ・ラマであって、彼の側近達ではなかったようである。これは、いままでの坊さんが書いたものばかり読んできた私にとっては意外だった。

1959年のダライ・ラマ脱出の直前に、中国によるダライ・ラマ誘拐計画が実施されようとしていることにチベット側が気がついて、それを阻止しようとしてラサの夏宮ノルブリンカに集まった三万群衆と人民解放軍との間の騒乱が発生した。その最中に、ダライ・ラマのラサ脱出が敢行されたものだった。これも知らなかった。この脱出行にもCIAの支援があった。

チベットがここまでジリ貧になったのも、1959年までの10年間、ダライ・ラマが正面切った中国との軍事的対決姿勢を打ち出してこなかったことに原因があるように見える。しかしその姿勢は宗教者としては当然のものであるから、その是非は言えない。

 

1955年、毛沢東が北京を離れるダライ・ラマに別れの言葉を述べた。

『「宗教は毒だ。ひとつには僧侶や尼僧は独身でいなければならないから、人口が減る。ふたつ、宗教は物質的な進歩を拒絶する。」

この言葉で、ダライ・ラマの目からうろこが落ちたらしく、ダライ・ラマはのちに毛沢東のことをこう記している。

「結局のところ、あなたは法(ダルマ)を破壊する人なのです」』

(謀略と紛争の世紀/ピーター・ハークレロード/原書房P394から引用)

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立川武蔵のシャクティ・パット

2023-07-05 12:46:39 | 密教neo

◎不用意にチャクラを開かぬようよくよく用心すること

(2013-07-29)

 

密教学者の立川武蔵氏は、1994年12月のある日、ある女性にチャクラを開けてもらった(マンダラ瞑想法/立川武蔵/角川選書P157-163に記事あり)。その女性が言うには、チャクラが開けば次の世に輪廻することはないのだそうだ。

彼は素直にそれを受け入れて、輪廻したくないとも思わなかったが、彼女に開いてもらった。それは印堂と頭頂であって、アジナー・チャクラとサハスラーラ・チャクラである。

そうしたら、以後立川武蔵氏の印堂が非常に敏感になって、それまで手で感じていた-感じていたと思っていた-のを、そのスポットで感じるようになった。更に何か物体が眉間(印堂)の近くにくると痛みに似た感触を覚えて眼を開けていることが難しくなってシャックリのような声を出すようになった。

 

シャクティ・パットとは、一般には、チャクラを開けるだけのことである。分析的に見るならば、開いたというチャクラは、エーテル体のそれか、アストラル体のそのれか、メンタル体のそれかということがある。

この行為がいわゆる霊道を開けたということなるかも知れないが、それに伴うリスクは高い。

チベット密教の学識経験者であるクショグ・ワンチェンが、霊的なものへのコンタクトを適切な指導なくして行うことの危険を指摘しているが、知らぬが仏の部分はある。霊的なものを語るのはクンダリーニ・ヨーガであって、只管打坐では、一切そういうものを相手にしない。

立川武蔵氏は、1996年までには、密教法具などには、手に取ると平衡感覚を失い言葉が離せなくなるなどの「念」のある不吉なものもあるということを感得したと言っているが、その程度だったのだろう。

人には受け入れる準備ができたイベントしか起こらないということがあると思う。しかしシャクティ・パットでチャクラを開けるみたいな、ともすれば生命に危険が及ぶことを気軽にやってはいけないと思った。

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女性チベット密教修行者ナンサ・ウーブムの復活

2023-01-13 11:23:35 | 密教neo

◎グルなしでポア

 

ナンサ・ウーブムは、一児を生んだ主婦であったが、気立てと器量、品行の良さを見込まれて族長の息子の嫁になった。しかし、チベット密教僧の托鉢に応じたことを理由に義妹に殴打され、夫の暴力で肋骨を3本折った。さらに義父にも暴力を振るわれ、ついに亡くなった。

 

族長は彼女の葬儀を挙げようとして占星術師にお伺いを立てたところ、彼女はまだ亡くなっていないということなので、この僧の指図に従い、丘の上に置いた彼女の身体を布と毛布で包み、七日七晩にわたって火を焚き、お茶を沸かして、遺体が犬や鳥や野獣に食われないようにした。

 

さて閻魔大王が彼女のカルマの小石を見ると2個だけが黒石で残りすべてが白石だったので、閻魔大王が「彼女はまだ肉身を持ちながらこの世で仏法修行すべきだ」ということで、彼女を肉体に戻した。

 

出家しようとした彼女は避難先の僧院ごと族長の軍団に襲撃されるのだが、奇瑞を示してこれを説得した。

 

彼女は、その後出家し、本格的なチベット密教修行に取り組み仏法を成就することになる。

(出典:智慧の女たち チベット女性覚者の評伝 ツルティム・アリオーネ著 春秋社)

 

それにしても、チベットは僧院を丸ごと領主が略奪、殺戮しようと思うほどに、「荒くれ」な世界なのですね。チベットのように物の乏しい社会で暴君が出現すると、あっというまに社会全体が貧困に落ち荒廃する。

だからこそ、成就者、覚醒者が、空中に浮いて超能力を見せなければ、当時の人は信服しなかったのでしょう。

 

それを乗り越えて何世紀ものチベット仏教王国があったわけですね。

 

標高4千メートルか何かの丘の上で仮死状態7日はいかにも長すぎで、特に脳の機能損傷がなかったのは奇跡であるとも言える。

 

これは、グルなしでポアしたのだが、臨死体験の中で彼女が悟りを得たという位置づけではなく、あくまで復活後の仏道修行で成道したもの。

 

また彼女は最初の死のところで、すでに世俗生活のカルマが尽きた。そこで厭世したという点も見逃せない。死からの復活はチベット密教の定番ではある。

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フィリポによる福音書の復活

2023-01-13 11:20:24 | 密教neo

◎永遠のアイオーンへと昇る

 

以下は、グノーシスの文書であるが、濃厚にエジプトの密教的思想を受け継いでおり、悟りを自我の死と復活として、いわば自明のものとして位置付けており、生前での冥想修行による死からの甦りを推奨している。

 

『断章72 フィリポによる福音書 §63a(第二巻81頁)

 

われわれがこの世の中にいる限り、われわれにとって益となるのは、われわれ自らに復活を生み出すことである。それはわれわれが肉を脱ぎ去るときに、安息の中に見出されることとなり、中間(=死)の中をさまようことにならないためである。

 

 

断章73 フィリポによる福音書 §90a(第二巻94頁)

「人はまず死に、それから甦るであろう」と言う者たちは間違っている。もし、初めに、生きている間に復活を受けなければ、死んだときに何も受けないだろう。

 

断章74 復活に関する数え§14-16(第三巻301-302頁)

それだから、わが子レギノスよ、復活に関して決して疑うことがないように、もしあなたがかつて肉を備えて先在していたのではないとすれば、あなたはこの世界に到来したときに肉を受け取ったのである。

 

とすれば、どうしてあなたはあの永遠のアイオーンへと昇ってゆくときにも、肉を受け取らないであろうか。肉よりも優れたものが、肉にとっての生命の原因となっているのである。

 

あなたのために生じたものはあなたのものではないのか。あなたのものであるものは、現にあなたとともに在るのではないのか。

 

(以下略)』

(グノーシスの神話/大貫隆/岩波書店P162から引用)

 

アイオーンとは万物を指すとすれば、アイオーンに昇っていくとは、アートマンとの合一を指し、密教において典型的な「体験とはいえない体験」のことを指し、

正統的教説であると思う。

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最澄の籠山

2023-01-13 11:18:03 | 密教neo

◎十二年籠山行の起こり

 

延暦4年4月、最澄は、国家の俊秀として近江の国分寺から奈良の都に行き、東大寺で具足戒を受けた。ところが、彼はこのエリート・コースを自ら打ち捨て、孤独な比叡山での山の修行に入る。

 

延暦4年7月中旬、最澄は山に入った。今の比叡山延暦寺根本中堂付近とされる、蝉の声と梵音の争う松の下の巌の上に草庵を結んだ。これは小さい竹で編んだ円房であって、藁を寝具として、求めずして与えられたものを食し、修行を続けた、

 

今でも比叡山には、蚊はいるは、猪、猿、狐、狸も歩き回るはで、大変なところ。その一方で、冬はほとんど雪に埋もれる。寒い暑いを厭わず、飢えを恐れず、約束されたエリート僧としての将来を捨て、餓死、犬死をも厭わず、最澄は山中修行に入った。

 

山では、冥想の他に、法華経、金光明経、般若経などを読誦していたという。師匠はいないようだったが、トランスのコントロールはどうしたのだろうか。

 

こうした修行の末、どの程度まで行ったかどうかはわからない。

それでも12年間籠山し、これが後の12年籠山行の起こりとなる。

 

最澄は、延暦十年、俗の六位にあたる修行入位に進み、延暦13年桓武天皇が最澄を比叡山に訪問。延暦16年最澄は内供奉(宮中で天皇の安穏を祈ることを職務)に列せられたとあるが、これは俗界のことで、本人の境涯のことではない。

 

最澄は世俗的にはビッグになったが、その実老境に至るまで謙虚さを失わなかったのだろう。

 

だから在世中の境涯は、空海に及ばなかったかもしれないが、比叡山延暦寺は、日本仏教界の柱石である、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍らを次々に輩出することになった。

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あがきすぎる、何も手を打たない、完全にあるがままにある

2022-11-26 06:50:18 | 密教neo
◎自分自身を成長させる意志

ソギャム・リンポチェの問答から。
『Q
非常な混乱を感じ、その混乱から脱け出そうとすることはあがきすぎのように思われます。しかし、何も手を打とうとしないことは自分を騙しているだけだといつかは気づくのではないでしょうか?

A
そうだ。しかしあがきすぎるか何も手を打たないかの、両極端の生き方しかないわけではない。

完全に〈あるがままにある〉という〈中道〉的な生き方を見いだすべきだ。これを説明する言葉にはこと欠かないが、実際に自分でやるほかはない。本当に中道を生きはじめたとき、あなたはそれを理解し見いだすだろう。

自分自身を信頼し、自分の知性を信頼することを自分に許さなければならない。私たちは本来豊かな人間であり、豊かなものを内にもっている。ただ自分がありのままの自分であることを許すべきだ。

外的な救いは役に立たない。自分自身を成長させる意志がなければ、混乱して自己破壊のプロセスに陥るだけだ。それは外部からの破壊ではなく自己破壊であり、だからこそ効力があるのだ。』
(タントラへの道/チョギャム・トゥルンパ・リンポチェ/メルクマール社P35から引用)

さすがにリンポチェだけあって、本当にわかっている人物であることがわかる。混乱を感じることは誰にでもできるが、その混乱から抜け出すことは誰にでもできるというわけにはいかない。「自分自身を成長させる意志」というある種の生きる熱源、パワーを必要とする。それなくしてあがくだけであれば、スピードや程度の違いはあれ、自己破壊が進行していくだけである。

ところが「自分自身を成長させる意志」とは、実は生得的、先天的なものであって、いわば自分ではどうにもならないところのものであるように思う。

この質問者が、その意志をどの程度有していたのかはわからないが、そのことに言及すべき質問者だったのだろう。
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チベット密教の近道

2022-11-19 20:56:13 | 密教neo
◎ナーローパの修行

近代の錬金術師フルカネリは、黄金変成というか、人間の進化には、本道と近道があることを示唆している。チベット密教でも2つの道があることを認識している。

昔のチベットでは、密教の道を進むためには、過去世から師事し続けてきた真のツァワイ・ラマと呼ばれる霊的マスターに出会わなければならないとする。つまり転生も含めて複数回の人生をかけて師匠に付いて密教修行をする。これが本道。

クンダリーニ・ヨーガなのだから、ゆっくり漸進的に進むのだから、何転生もかかるのは当然といえば当然。

ハタ・ヨーガでは、一生あるいは何生かかけて完璧な体調の完璧な肉体を調整して、その後ようやく瞑想修行に入るので、ハタ・ヨーガにも複数生かけるという流れはある。

これに対して近道がある。

さて10世紀の大物密教者のナーローパが、修行中に仕えていた王子にひどく侮辱され、呪術でもってその王子を殺そうと、秘密の場所にこもり、曼陀羅(魔方陣)を仕立て、儀式を始めた。

すると曼陀羅(魔方陣)の隅に精霊が現れ、ナーローパに「あなたは、王子の霊魂を極楽に移せる能力があるのか、肉体に戻す力があるのか」と質問してきた。

ナーローパは、「いや、自分にはここまでの力はない」と答えると、

『すると精霊は急に険しい表情になり、彼の行っている忌まわしき儀式を強く咎めた。
自分が破壊しようとするものを立て直し、あるいはよりよい状態に変える能力を持たないのであれば、破壊する権利は誰も持たない、と精霊は言った。
そのようなことをすれば地獄に行くだけであると。

恐怖に駆られたナーローパは、どうすればこの運命から逃れられるのかと質問する。するとティローパという名の聖人を探し出し、「ツィチルチサンギャイ」の密教を伝授してもらうよう願え、といわれた。これが「近道」の教えである。

行為の結末から人を救い、「一つの生涯で」菩提を得させる道である。その教えの真意を把握し、実現できれば、二度とこの世に再生することはなくなり、従って、地獄の苦しみを経ることもない。』
(チベット魔法の書/A.デビッドニール/徳間書店P186-187から引用)

たまたまクンダリーニ・ヨーガが満行で、その人生で悟るタイミングであれば、近道とは言えない。
フルカネリの記事では、近道については、只管打坐の道と見たが、クンダリーニ・ヨーギである天台智ギの摩訶止観には、只管打坐とおぼしき坐法もあり、チベット密教での近道も、只管打坐でないということもないのではないか。

ティローパは、寺院で魚を食べ、呪文で骨だけになったその魚に、肉を戻し跳ねさせ再生させるという技を見せたが、これこそ『自分が破壊しようとするものを立て直し、あるいはよりよい状態に変える能力』である。

一つの生涯で菩提を得るとは、今生で悟ること。今生とは今悟ることであって、今生で死ぬ間際に、チベット死者の書マニュアルどおりにタイミングよく悟ることを言っているのではないのではないだろうか。
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空海の死

2022-11-09 15:45:28 | 密教neo

◎肉体を残す

 

空海は、亡くなる三年前から、五穀断ちをしている。832年12月12日に「深く世味を厭ひて、常に坐禅を務む」となり、五穀を食べないで、メディシーションだけをやる状態となって、残り2年ほどを過ごすのである。

 

こうして冥想三昧の2年が経過し、835年の正月に水や飲み物も受け付けなくなった。困惑した弟子たちは、なおも水や飲み物を勧めるが、空海は、「やめなさい、やめなさい、人間の味を使わないで下さい」と峻拒する。

 

十万枚大護摩供でも、断水七日が限度であるが、空海は3月21日に亡くなるまで、凡そ2か月、これを続けるのである。

 

熟達したクンダリーニ・ヨーギは、肉体を変成して「霞を食べて」も生きられるものだというが、水分をとらなくなる正月の時期には、既にそういう肉体に変成し終えていたのだろう。

 

あれだけ超能力を使いこなせる空海のことだから、肉体の変成などはお茶の子だったのだろう。最後の数年を冥想に生きたのは、一流の神秘家として当然の生き方だったのだろう。列仙伝などの仙人を思わせる行状ではある。既に肉体に執着なく、アストラルな生き方が中心になっていたのだろうか。

 

3月21日に右を下にして亡くなるのだが、空海としては、肉体を残す死に方を選んだということになろう。水分も取らずに生きられるのだから、やろうと思えば屍解もできただろうが、殊更に肉体を残して死んで見せたところに、空海の意図を感じる。

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覚鑁(かくばん)の虚空蔵菩薩求聞持法

2022-11-02 19:00:26 | 密教neo

◎メソッドとその結果の不定性

 

真言宗中興の覚鑁(かくばん)。彼ほど、メソッドとその結果の不定性を身をもって体現している者も少ない。

 

まず彼は虚空蔵菩薩求聞持法を8度修したこと。虚空蔵菩薩求聞持法とは

ノウボーアーカーシャギャラバヤ オンアリカマリボリソハカ

という虚空蔵菩薩の真言を日に一万遍、百日間唱え続け、同時に印契を結び、虚空蔵菩薩を観想し、牛酥を加持するもので、成就すれば牛酥が霊気を発したり、光を放ったり、煙が立つなどの奇瑞があり、その牛酥を食すると超人的な記憶力を得て、一度聞いたことはその言葉も意味も決して忘れないというもの。

 

一節によれば、それまでの八回とは異なり、導師を賢覚法眼に変えて、虚空蔵求聞持法の9回目のチャレンジを行ったところ、漸く成就した。

要するに虚空蔵菩薩求聞持法といえども一回やっておけば大丈夫などということはなく、ダメな場合のほうがむしろ多いらしいということ。メソッドの効果に絶対はない。

 

おもしろいことに、覚鑁は、22歳から27歳までの間に伝法潅頂だけでも8度受けている。伝法潅頂は修行ではないが、重要な微細身の操作なのだろうから、これまた評判の高いとされるメソッドであっても、メソッドの効果の確実でないことを、彼が感じて、何度も請うて伝法潅頂をやったということになるだろう。

 

※現代女性の虚空蔵菩薩求聞持法の行例

虚空蔵菩薩求聞持法について - 真言寺 生活改善の会 (sldn.net)

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