◎十万枚大護摩供
(2006-07-21)
天台の筒井叡観師(1948年生れ)は、十万枚大護摩供の中で、不動明王に出会った。
十万枚大護摩供とは、百日間の穀断ち、塩断ちの前行を経て、まる七日七夜の断食、断水、不眠をしながら、10万枚の護摩を焚くものである。断食七日はよくあることだが、断水は3日で死ぬとも言われるので、これを7晩行うのは死の危険を伴う。何もしないで、単純に7日断水を行うだけでも危険だが、人々の願文の書かれた10万枚の護摩木を焚くという重労働を行うのである。
『5日目からは、一人では立てないし、瞳孔も開きっぱなしになるという。
日を追って肉体はやせ衰えていくのは当り前だが、5日目くらいから、筒井師の魂の輝きが護摩木を焚いているようになり、そのバイブレーションに、観客、後援者、協力している僧たちが撃たれたような真剣な雰囲気があったという。
筒井師によると、「5日目に人生観が変わったその瞬間があった。」「これまで生きてきて、うれしくて涙を流し、悲しくて涙を流す。でもそれは、まだ自分が何かをやっているという考えの段階です。それを超えて、自分はやらされているんだと気づいた時、口から出る言葉は、ただありがたいです。」
更に奥深い体験があったのではないかと筒井師に問うと
「気づくと,いいようのない快感につつまれてました。本当にこれだけはいい気持」になって、5日目に「信ずるのではなく、身を任せきる」ということに気づくと、不動明王が眼前に姿を現したという。不動明王は、「逃げてはいけない」と語りかけもしたという。』
(行とは何か/藤田庄一/新潮選書から引用)
これは不動明王という高級神霊が立ち現れて、願文を寄せてくれた人々のために、我が身を捨てて、十万枚大護摩供を行じている筒井師に、バクティ=献身の本義というインスピレーションを与えてくれたものと見たい。
不動明王やら、紅蓮の炎やら、断食、断水という派手な道具立てに、目を誤魔化されそうになるが、十万枚大護摩供の本質は、意外にもバクティ(利他行)だったのだ。