アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

田中陽希GreatTraverse-3

2023-05-17 10:55:32 | 修験道neo

◎登ってはいけない山-1 

(2021-05-27)

 

山には聖山もあるが、人間が登るのを戒められている山もある。それが、丹波大江山と筑波山。

 

田中陽希は、大江山は、登っていないようだが、筑波山は登ってしまっていた。

 

筑波山神社由緒によれば、山下の南面中腹(270m)に拝殿があり、これより山上の境内地「筑波山」を御神体として拝する由。

 

出口王仁三郎は、

『筑波山は兇党界の大将山本五郎右衛門が本拠である事は度々話した通りである。平太郎によつて封じ込まれて柔順しくなつては居るのであるが、それでもあの山に登ると憑依されて狂態を演ずるやうになる。丹波の大江山も悪霊の本拠であるから登つてはいけない。押して登れば憑依される。』

(玉鏡/筑波山の悪霊/出口王仁三郎から引用)

※平太郎:稲生物怪録の稲生平太郎か。

 

ところが筑波山には、今ではロープウェーもケーブルカーもあり、登ってはいけない山どころではないのだろう。筑波山山頂近くには、弁慶の七戻り(ギロチン型の巨石であって、今にも頭上に落ちてきそうなもの)や、他にもガマ石など奇岩巨石が多い。

 

GreatTraverseの番組では、田中陽希が筑波山頂で、筑波山に5千回登ったと称する人物に出会い、ぎょっとさせられた。

 

こうして見ると、山岳などの結界あるいは、女人禁制というのは、ジェンダー差別に由来するものではないのだろうが、重要な因縁を有するものであろうことが想像される。山であれば、何でもよいというものでもあるまい。

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田中陽希GreatTraverse-2

2023-05-17 10:51:26 | 修験道neo

◎修験道との関わり、大峯山など

(2021-05-24)

 

日本三百名山で選定しているのは、必ずしも修験道の山ではない。だが、山頂には、亡くなった人を供養する積み石や、祠などが置かれており、時に蠅の飛ぶ音が聞こえて、山頂巡錫のリアリズムを感じることができる。

 

大峯山では、田中陽希は、快適に森林地帯を進んでいたかに見えたが、山上ヶ岳の「西の覗き」という行場で、命綱を肩にたすき掛けして岩壁の上から身を乗り出す行をやった。彼も終わった直後は放心状態だったが、久しぶりに腹の底から声を出していたそうだ。

 

バンジージャンプとは異なり、スリルを味わったり、好奇心でやったりするものではないが、いわゆる「本気でやる」ということの重要さを知る行である。禅語録で、よく弟子が生半可な解釈を師家に咎められ、棒で殴られたりして、本気を求められるが、本気には実は何層もあり、最深の本気を求めるというのも、宗教修行ではメイン・テーマの一つである。

 

大峯山では、例の大峯千日回峰行のルートとは別のルートを進んだ。持っている杖の長さも全く異なる。

 

伊吹山は、これが白隠が大岩に乗って坐っていたところ、山の主か何かに脅かされた山かと、目を見張って見ていた。織田信長が中腹に広大な薬草園を作っていたとは知らなかったし、山頂付近は荒涼としていて、修験道とは、苛酷な自然環境でやるものだと感じさせられた。出口王仁三郎も伊吹山は、伊吹は【息を吹く所】の義で、地球上に伊吹戸は無数あるが、伊吹戸中の伊吹戸ともいうべきは近江の伊吹山であるとする。(霊界物語第39巻大祓祝詞解)

 

両神山は、鉄道で近くまで行けるので大したことはないのかと思っていたが、あれほど峻険な山とは知らなかった。

 

富士山は、山頂に近づくにつれて、登山路にうずくまったり横になったりして高山病になる人が続出していたのには驚いた。富士登山ブームとは言うが、4千メートルに近いところは甘くは見れない。

 

水も食料も携行しなくてはならず、なおかつ全身運動となる修験道。大峯千日回峰行では、ポイント、ポイントで礼拝の連続だが、足でこれだけ山頂を巡るのでは、感得するところもあるのではないか。だが、山には聖山ばかりでなく、そうでない山もある。

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田中陽希GreatTraverse-1

2023-05-17 10:46:44 | 修験道neo

◎日本のピラミッド説など

(2021-05-23)

 

これは、田中陽希が、日本3百名山をひと筆書きで、下界の道路も徒歩で行き、三百名山も登ろうというプロジェクト。

こうしたツーリズムものは、せいぜい火野正平の自転車ツーリング番組をたまに見る程度だった。私は登山はしないが、2か月ほど前からこの最初のシリーズの百名山のダイジェスト番組(NHK)を見始めた。田中陽希は、常人の2倍以上のスピードで山に登り山を降りるのだが、これで感じ入ることがいくつかあった。

 

まず日本のピラミッド説に関して。これは昭和の初めに酒井勝軍が広島県の葦嶽山はピラミッドである説を唱え、出口王仁三郎もこれを否定はしていない。だが酒井勝軍の著書「太古日本のピラミッド」という著書はおよそ科学的とは言えない本であって、日本のピラミッドのある山頂の多くを巡るには、アストラル・トリップで見に行くしかないと思って、半ば真相に迫るのをあきらめていた。

 

ところが、田中陽希がグレイト・トラバースで実際に登っているところを見ると、音に聞く山頂のピラミッドと呼んでもよいような巨石は、意外にあるものだということを知った。

 

だが、巨石であれば何でもよいかということではなくて、修験で古くから霊場とされているところがそうなのだろう。

 

それと火山。島村英紀氏によれば、火山学会では、さる火山予知の失敗をきっかけに日本では活火山、休火山、死火山という分類をやめたそうだが、田中陽希のグレイト・トラバースでは、山頂周辺で活発に噴煙を上げている山は少なくない。磐梯山、吾妻山などでは、火山性ガスで生命の危険があるのではないかとはらはらして見ていた。

 

要するにその山頂がパワースポットであったとしても、火山の大噴火でパワースポット自体が存続しなくなったり、新たに発生することもあるのだろうと思った。

 

野口英世の伝記で、明治時代の磐梯山の大噴火が出てくる。これは、1888年の大噴火で山頂がまるごと吹き飛んで消失したもの。そういう事象が日本では、1792年の島原半島眉山など時に見られる。

 

日本は火山国家であり、民心の動向がセンシティブに地震と火山活動に出る。民心が悪に振れれば地震と火山活動は活発化し、逆に民心が善に振れれば、地震と火山活動も収まり異常気象も起こらない。古来そういう操作は、修験者や超能力者だけがやっていたが、今や民衆の心的パワーはそういう少数人のコントロールを超えているところがあるのではないか。

 

富士鳴戸の仕組みも富士山大噴火と連動していないとも限らぬ、地球のマニピュラ・チャクラの覚醒、爆発。

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役行者が己の骸骨に出会う

2023-03-19 06:53:40 | 修験道neo

◎トラウマを超えて

(2006-11-15)

 

修験のパイオニア役行者の出現以前も以後も、奥駆けを中心とした山岳での修練が盛んに行われた形跡はないようだ。それほど当時の山の生活は厳しいものであって、まして何十日も山を縦走しながら修行するというのは命懸けであったに相違ない。

 

大峯山は古くは金峯山(きんぷせん)と呼ばれ、吉野川の川岸から山上ケ岳あたりまでの山系の総称である。役行者でさえ未踏の新山に踏み込むには慎重であり、初めて大峯山上ケ岳に登ったのは37歳の時(役行者本紀)。

 

667年役小角は大峯の奥駆けをスタートし、吉野から熊野へ旅立った。役行者が山上ケ岳山頂付近の洞窟で孔雀明王と不動明王を一心に祈念していると一体の骸骨を見つけた。

 

その骸骨は右手に利剣、左手に独鈷杵を持っていた。すると御告げがあり、「役行者は、この山で生を受け生を終わること7回で、この骸骨は3回目のものである。」そこで千手陀羅尼と般若心経を唱えると骸骨は利剣と独鈷杵を小角に渡した。また釈迦ケ岳には第五生、小笹にはすでに眼窩から若木が生えた第六生の骸骨が残っているとされる。

 

役行者は、この独鈷杵を鋳直して孔雀明王像を作り、また利剣は八経ケ岳に埋めたがこれが八剣山とも呼ばれる由縁。

 

役行者は大峯の洞窟で己の前世についてのアカシック・レコードを見たのだろう。

 

人は、前世やら過去世やらで潜在意識に蓄積された傾向によって、その行動や思考を縛られている。それは、最後には必ず自分を振ってくれる人を恋人に選んだり、美少女ゲームにはまってしまうことや、オンライン・ゲーム中毒になったり、果ては、○○愛者であることや、下着フェチや○○倒錯や色情狂であることの原因でもある。

 

人がこうしたことを繰り返すのは、基本的には自分の潜在意識の奥深くにあるトラウマ(外傷体験の記憶)により行動や思考の悪循環を起こしているためである。ところが本来の自分というものは、その悪循環を超えた本当の自由闊達さを生きることができるものなのだ。

 

役行者は過去世の骸骨を見たことをきっかけに、本当の自分に出会ったかも知れないが、平素からの真摯な冥想訓練により本来の自分に出会う練習がないと、きっかけがあったとしても、なかなかそうなるものではあるまい。

 

大峯と髑髏と言えば、陰陽師、安倍晴明が花山天皇の頭痛の原因を探ると、天皇の前世の髑髏が大峯の岩にはさまって、雨の日は膨張した岩でしめつけられるため、頭痛がするのだと奏上して快癒に導いた事件もある(古事談)。

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田中陽希GreatTraverse-10

2022-11-28 10:18:55 | 修験道neo
◎道なき道

田中陽希GreatTraverseの二百名山では、何回か登山道のない道を進む。道のない山道では、それも獣道すらない所では、藪がルートらしきところにびっしりと生い茂り、その藪をかき分けて進んだり、藪の木の枝を足場に藪の上方を慎重に進んだり、ひどく根気と注意力と筋力を必要とする登山となる。

それと食事と水。登山では、夜間は危険なので進まないので、ルート上に有人の山小屋がなければ、食事は全日数分を自分で運ぶ。水も水場に指定された場所は限られており、そこから先に進む場合は、水場で必要な量を確保してそこから運ぶ。

よって、自分で運べる食事の量と水の量を越える深山幽谷には進めないものだとわかる。

装備が充実し、磁石と登山マップのある現在の登山でも、道なき道を進むのはこのような苦労であるから、昔の修験者の苦労はいかばかりだったか。そういうのに気づかせてくれる田中陽希GreatTraverseはありがたい。

『峯の尾根を進もうとしても、篠が茂り、大きな風倒木が横たわって、これらの密林を通り抜けることは非常に困難で、ときには方向を見失い、あるいは水も絶えるなど、不安な行程であった。

まだ未開の状況で、僅かな同行者だけで奥深く分け人るのは、途方もないことだっただろう。その頃のことと思われる不思議な禅師の記録がある。

熊野村に永興という禅師がいた。一人の禅師が山に居たいと願うので、彼は干飯の粉を一斗と優婆塞二人を副えたという。干飯の粉というのは、糯(もちごめ)を炊いた飯を干してから粉にして携帯食料にしたもので、水瓶一口も必需の持ち物であった。

こうして山に入って修行していたが、ついに命絶えた。しかし、なおも読経の声はつづいていたという(『日本霊異記』)。』
(大峯縁起 銭谷 武平/著 東方出版P126-127から引用)
※優婆塞(うばそく):民間の修行者

最澄は、比叡山に最初に修行した頃は、建物もない場所で冥想修行したそうだが、衣もぼろぼろ、食も乏しく、吹けば飛ぶような竹で編んだ円房に雨露をしのいで修行を継続したのだろうか。強い修行継続の意志力なしでは成らなかったと思う。だが最澄なくして、道元も親鸞も日蓮も出なかったのだ。
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一言主の神の由緒

2022-10-18 20:28:40 | 修験道neo

◎善事も一言、悪事も一言

 

役行者を伊豆大島に島流しにした勢力は、一言主の神であるが、一言主の神の出自も実に不思議である。これは古事記に出ている話。

 

雄略天皇が葛城山に登った時、お供は紅い紐をつけた青摺り染めの衣服を賜って着ていた。そのときその向かいの山の尾根伝いに山に登る人たちがあり、天皇の行幸と同じ隊列、装束で登ってきた。

 

それで雄略天皇は、「この大和の国に私をおいてほかに大王はないのに、今誰が私と同じ様子で行くんですか」と問うた。すると先方の行列も「この大和の国に私をおいてほかに大王はないのに、今誰が私と同じ様子で行くんですか」と同じ言葉で問い返してきた。

 

それで雄略天皇は、怒って矢を弓につがえ、お供も矢をつがえた。すると向こうの人たちもみんな矢をつがえた。

雄略天皇は、「それでは、まずそちらの名を名乗れ。そしてそれぞれが自分の名を名乗って矢を放ちましょう。」と言った。

 

向こうは答えて「私が先に問われた。だから私が先に名乗ろう。私は悪いことも一言、善いことも一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神である。」と言った。

 

雄略はこれを聞いておそれかしこまって、「おそれおおいことです。わが大神よ。この世の方であろうとは存じませんでした。」と言って、自分の太刀や弓矢を始めとしてお供の者が着ている衣服も脱がせて、拝んで献上した。

 

このときその一言主の大神は、手を打ってその献上されたものを受け取った。そして雄略が帰る時、山の麓に一言主の大神一行が集まって、長谷の入口まで送ってくれた。

この一言主の大神はその時に初めて顕れたのである。

 

『善事も一言、悪事も一言、言い離つ神』とは何か。天皇の行列に、わざわざ贈り物欲しさだけで登場してくる高級神霊はまずいない。

 

これは死者の書や臨死体験でよく出てくる、自分の人生が鏡に一連のドラマとして見せられて、次に一瞬で、その人の行く先を地獄、極楽に振り分ける閻魔大王のことではないのだろうか。あなたの一生で為した数々の善事を一言で、また数々の悪事を一言で、計量、評価してみせられるのは閻魔大王しかいないだろう。

 

だから、これは単に奈良の葛城山のローカル神仙のことではあるまい。

 

従って雄略天皇は、葛城山中で神事を行ったところ、閻魔大王のビジョンを見て、恐れ畏しこみ、太刀、弓矢など献上したというのが真相に近いのではないだろうか。

 

これは、大燈国師が花園上皇に召された時に、上皇が「仏法不思議、王法と対座す」と問うたのに対して,大燈国師が即座に「王法不思議、仏法と対座す」と切り返した様子とシンクロしている。

 

後世に一言主の相対的地位は、日本書紀や日本霊異記などで、徐々に天皇より低いものにされていくが、天皇が民間勢力にへりくだるのはまずいという理由があったのだろうが、そもそもはこのようなことだったのではなかろうか。

 

なお、全国の一言主神社は、一言だけ願いを叶えてくれる、人気の神社だそうです。

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