アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

終わりの印と時を選ぶこと

2024-07-19 07:35:51 | 究極というものの可能性neo

◎霊照女からモンゴル

(2017-10-27)

 

10月後半になってからの超大型台風など終わりの印には事欠かない。

 

唐代の禅僧ホウ居士の娘霊照は、臨終間近のホウ居士に「日の高さを見ていてくれ。正午になったら、知らせてくれ」と言いつけられた。

 

さて正午に霊照は、「正午になりました。しかも日蝕です。」と父ホウ居士に知らせてきた。

 

ホウ居士が、入り口を出て空を見ている隙に、霊照は、父の座に坐り込んで合掌し坐亡した。

 

父は、彼女の遺骸を見るや「すばしこい奴だ」と云い、自分の命日を7日後と決めた。

 

7日間で、月は90度動く。死は時を選ぶタイプの技なのだろう。

 

兆しを見て時を知れば、心得た者は、そこで覚醒に動く。

 

第二次大本事件前夜、笹目秀和が大本教のご神体を崑崙山中に奉還する旅の出発に際して、日本が、将来モンゴルに移ることが大本幹部から暗示されている。

 

時を感じた人は、坐り始める。

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苦行、タンキーからダヴィンチ・コード

2024-05-18 05:31:42 | 究極というものの可能性neo

◎ゾイゼの徹底した苦行ぶり

(2018-10-14)

 

東南アジアでは、タンキー(童乩)とよばれる自分の肉体を針や釘などで刺す苦行者に出くわすことがある。そういうのが祭礼などで行われ、わざわざ人込みでやらなければいけないものなのかと奇妙に思う。

またそういう映像が、グロ画像としてネットに出回り検閲者の目に止まり削除されることがある。テレビでフィリピンのキリスト教の祭礼で、十字架に生きた男性を載せ、両掌のひらを釘で打ち付け、苦痛に顔をゆがめながら十字架が立てられるシーンをやっていたが、その番組ではネットから削除されるグロ画像の一つとしての扱いだったが、その残酷さは最初はタンギーかと思ったくらいだった。東南アジアにはなぜか苦行の伝統がある。

映画「ダヴィンチ・コード」で、カトリック系の一会派オップス・デイの暗殺僧が苦行を繰り返すシーン(鞭で背中を打ち、釘付き鎖で太ももを締め付け続ける)が出てきて衝撃を受けた人もいたかも知れないが、かのドイツのゾイゼは、あの苦行の10倍以上と言っても差し支えないほどのものだった。

 

ゾイゼは、イエスの苦しみをわが身の体験とし、自らの罪をあがなうためにあらゆる苦行を24時間やった。

釘30本付きの小さな木の十字架で背中を叩く(8年間)、150本の釘付き腹ベルトを巻く(16年間)。寒中の暖房のある部屋に入らず、暖房に近づきもしない(25年間)。沐浴をしない(25年間)。食事は日に一度だけ。布施ではお金は受け取らない。

このようにゾイゼは身体にくつろぎを与えるあらゆることを避けてきた。

こうしたある日、ゾイゼは、さらに食事の飲み物さえ少量しかとらないようにした。するとある夜、天の婦人から天の飲み物を心行くまでたっぷり与えられ、口の中に小さな柔らかいマナのようなものが残った。

 

苦行をやるというのは、能動的に痛みを受けるということで、相当な自覚がないと何年も継続できることではない。

生きていること自体が公案である現成公案の現代とは、生きていること自体が苦行に近いというべきか。ただ食うために生きるだけでも全力を傾注せざるを得ない上に、それだけでは魂のかわきは癒されないので、寸暇を惜しんで冥想をしないと正気で生き抜けない時代となって久しく、大物覚者は世を去って久しい。

自分がある限りこの苦行は続く。

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無意識を薬物で表面化させる

2024-04-19 03:40:16 | 究極というものの可能性neo

◎個人的な秘密のくずかご

(2017-12-21)

 

1950年代アメリカでは、効果的な自白剤の開発に余念がなかった。

『真実を吐かせるドラッグという概念自体が、最初から少々荒唐無稽ではあった。これにはまず、精神のほうが自己検閲をする傾向を、化学薬品でバイパスし、精神を裏返してしまい、かくしていた秘密をどっと吐きださせる方法があるはずだという考えが前提になっている。

そして吐きだされた個人的な秘密のくずかごから、求める「真実」に近いものを手にいれられるという前提があった。

この点で、CIAが求めていたものは、鉛を金に変えるとされた「賢者の石」とか、デソトら探検家がさがし求めた「不老の泉」など、おなじみの神話の歪曲版といったおもむきがあった。

つまりなにかにふれたり、摂取したりすれば、たちどころに知恵、不死、永遠の安らぎがえられるといったたぐいの幼稚さが見られたのだ。』

(アシッド・ドリームズ CIA、LSD、ヒッピー革命 マーティン・A・リー/共著 第三書館 P18から引用)

 

この開発がうまくいったかどうかわからないが、現場では、あまりにも膨大な個人的な秘密のゴミ情報に当惑し、目指す価値ある情報にたどり着くのは大変な労力が必要になったのではないかと思う。

こういった、個人的な秘密のゴミ情報は、冥想シーンでは、雑念、妄想であり、相手にしない、棄てることを励行されるものである。

個人的な秘密のゴミ情報は、個人的無意識とも呼ばれ、その情報群は多重であり、複雑にからみあっており、想像や嘘や思い込みや推測や真実もがんがん入り混じっている。

これに不安、恐怖、喜び、爽快さ、生きづらさなどの情動も加えられて、そんなゴミためを覗いても労多くして益少なしではないかと思う。

だが無意識の世界は、死の世界でもあり、無意識の心理現象は、その奥底で、現実そのものの形成力となり、現在と過去と未来をも構成している。

忙しい現代人にゴミ箱のゴミをチェックしている余裕はなく、ただ確かなもの、本当にしっくりくるものを求めるというのが、まともな情熱というものではないかと思う。

 

ヨハネによる福音書8-32

『真理はあなたたちを自由にする』

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メスナーの直観的な認識

2024-04-18 03:02:09 | 究極というものの可能性neo

◎禅的悟りの展開

(2010-08-12)

 

『先鋭登山家は生き残るためにきわめて直観的な認識を必要とする。彼は論理も能力も通じないところをくぐり抜けるために、一種の本能を働かせなければならない。

そういうとき彼はまたさまざまな感覚を極度に受け入れやすくなっている』

(死の地帯/ラインホルト・メスナー/山と渓谷社P169から引用)

 

これは、登山家メスナー自身の言葉だが、ここで働かせた「一種の本能」こそが、禅者の求めるところのもの。禅的悟りが展開したのだと思う。

 

この極めて「直観的な認識」を求めて、山に登らない人は、坐るのである。

 

さらに

『先鋭登山家はしばしば生に非常に貪欲であって、死を受け入れるにいたるまで非常に長い時間を要する。むしろ場合によっては、他人を犠牲にしても自分を犠牲にしないくらいのバイタ リティがあるのである。

しかし瀕死の体験によって、自分と無とが同じであることを理解した者は、死に対する姿勢が変わる。死を憧れたり、死んでいたほうがよかったものをということでなく、死ぬことをそれまでほど恐れなくなるのである。

登山家が、しばしば格好いい言い方で「命を賭ける」のも、自殺とは何の関係もない。彼らは登攀ルートの「計算された狂気」によって死へ赴こうとしているのではなく、実は生へ、自分自身へ到達しようとしているのである。

このことをすでにランマーがその著『ユングボルン』の中で明確に述べている――

「このころは私は山に入ると、以前よりずっと生命のぎりぎりまで肉迫した。しかし断わっておくが、死んでもいいというような気分でではない。逆に、まさにそこでこそ、私は私の中の一番奥底から、あくまで生き抜こうとする建設的な力がわき上がってくるのを感じたのであ る。」』

(上掲書P178から引用)

 

まず、『自分と無とが同じであることを理解した者』とは、最低でも見仏見神した人のこと。死をそれほど恐れないということだが、瞑想家で言えば、素直に自分自身に向き合えているということ。自分自身に向き合うことほど恐ろしいものはない。

歴戦の先鋭登山家が皆このようであったなら、とても素晴らしいことである。武道のような“登山”道を半ば極めている。

航空機パイロットの訓練や宇宙飛行士の訓練メニューは、最後の最後までどんな意外なインシデントであっても生き残る方法を求める方向であるらしいが、死に向き合っていることに関しては、先鋭登山家と変わりはない。

航空機パイロットや宇宙飛行士で瀕死のピンチから生還した人はどう思っているのだろうか。

なお登山でも飛行でも、その道で悟れば、クンダリーニとか言わないので、それは禅的悟りである。

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想念が不活発になり感情だけが駆けめぐる

2024-04-17 03:48:44 | 究極というものの可能性neo

◎想念微弱と想念停止の相違

(2010-08-11)

 

想念が不活発になるところで、感情だけが生き生きと駆けめぐるのは、登山ばかりでなく、冥想の深まった状態で起きる。

牧師の長谷川正昭さんは、本業の他に密教冥想や仙道、禅などにもチャレンジしていらっしゃる方。彼は空海の断言する『三密加持すれば速疾に顕わる』がわからないという。要するに密教修業すれば悟れる(即身成仏)ということに疑いを持つ。

 

『しかし私は自分の経験に照らして、不可解である。私だけではない。密教僧はすべてこのような方法(三密加持)で瞑想し行を積んでいるわけであるが、悟っている人が本当にいるだろうか。即身成仏を本当に実現できているだろうか。

 

試みに密教のお坊さんたちに次のように問うてみればよい。「あなたは悟っていますか。解脱できていますか。心身脱落(ママ)を経験しましたか。」自信をもって「然り」と答えることができる人はどの位か。百人中、一人か二人というところだろう。それくらい悟りというのは難しい。皆一生懸命行に励んで、ことごとく失敗する。このことは『密教とイスラーム』という、目茶苦茶面白い「高野山修業記」をものした小滝透という人が言っている。

 

多年の行をいくら積もうが、仏教書を山と読もうが、たいがいの場合は見るも無残に失敗する。突出した意識は、とうてい意志の力で制御できず、かえって猛威をふるう自我意識が心の中を荒れ狂うことになる。『密教とイスラーム』(東方出版)

 

これは禅宗の坊さんでも同じことであろう。密教の方法、即ち手に印契を結び、口に真言を誦し、心を信仰の対象に向けることは意識の集中法として優れている。しかし空海が言うように「速疾に顕わる」のであれば、密教の修業をする人はすべて即身成仏していなければならないはずである。しかし現実は全くそうではない。』

(瞑想とキリスト教/長谷川正昭/新教出版社から引用) 

 

この中では、密教僧で百人に1~2人でも即身成仏するというのは多すぎるように思う。万人に一人いたら良い位のものではないだろうか。クンダリーニ覚醒での脱身(中心太陽突入)とはそれほど簡単ではないように思う。

 

文章全体の趣旨である、だれでも密教修業すればすぐに悟れるというのは誤りというのは、意味が違うように思う。覚者である空海から見れば、即身成仏していない僧も悟りの展開のひとつであるから、あるいは時間のない世界が真実の世界であるから、その世界では修業を一度始めたら(いつかは)必ず悟るのでそれを見て、「誰でも密教修業すればすぐに悟れる」と言っているように思う。

 

小滝透さんの見解の部分が、「想念が不活発になるところで、感情だけが生き生きと駆けめぐる」という、登山の話とからむ。

修業でもトランスになるが、小滝透さんの言う猛威を振るう自我意識とは、この感情の部分を言うのではないか。想念とは意志のことなのだろうから、トランスでは、意志・想念のコントロールは弱まり、感情だけが残る。その暴虐な感情をして猛威を振るう自我意識とみるのではないだろうか。

そうは言っても想念の弱まった状態と想念停止した状態とではまったく違う状態なのだろうから、登山で現れるこうした状態がピークであると速断することはできない。想念停止こそ時間を止めるということなのだろうから。

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8000メートル級の死の地帯

2024-04-16 03:26:36 | 究極というものの可能性neo

◎意識をはっきり持つ

(2010-08-10)

 

酸素マスクなしで、標高8000メートル級の死の地帯にいる場合には、ある特殊な心理状態となる。

ドイツの登山家トーニ・キンスホーファーが、ナンガ・パルバートを下っている時、片方のアイゼンがはずれてもそれに気づかずタバコ畑の中を歩いていると思い込んで、びっこをひきながら歩き続けたほど、朦朧状態にあった。

エヴェレストでフランク・スマイスは、単独行であったが、見えない同行者のいることを感じ、信頼と力を得ていた。また幻覚であることは知っていたが、空に龍のような動物を見た。

メスナーもナンガ・パルバート単独行の時、それが少女と感じられる、見えない同行者と一緒だった。その他にも見えない子供や男女がかわるがわるいて、かれらとメスナーは語り合った。

メスナーによると、8000メートル級の死の地帯に、酸素マスクしで長くいると、反応が緩慢になり、思考力が鈍くなる。また一つのことしか考えられないような具合になる。

ところが感情の方は、こうした中でも絶望と歓喜というかたちで残る。つまりこの高所で予定外の野宿をさせられることになったという絶望や、頂上征服時の歓喜である。

(以上出典:死の地帯/ラインホルト・メスナー/山と渓谷社)

 

これは登山の話だが、冥想での呼吸が落ちていってトランスに入っていった時の状態に似ているところがある。

そしてしばしばこうした状態と狂気・発狂とが隣り合わせであることもメスナーは知っている。

滑落、雪崩、凍死など肉体死のチャンスはいくらでもある環境で、想念が不活発になるところで、感情だけが生き生きと駆けめぐるというのは、自分の意識ですらコントロールできないという点で非常に恐怖を覚える状況である。冥想でもこういうステージはあるのだと思う。

こうした中で正気を保っていられるのは、それまでのいろいろな、例えば善を行う悪をしないという平素の努力の他に、ある種の運・巡り合わせみたいなものが必要なのではないかと思う。

 

旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

芭蕉

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登山家メスナーの自我の死

2024-04-14 03:19:45 | 究極というものの可能性neo

◎安心と自由

(2010-08-09)

 

死には肉体死と自我の死がある。登山家メスナーも生き残っているからには肉体死ではなく、自我の死の方を問題にする。しかし登山においては、肉体死が間近に迫ったときに自我の死を強く意識することになる。

この日、メスナーは、弟ギュンターと共にヒマラヤ8千メートル峰の一つナンガパルバートの高低差4500メートルを超えるルパール壁ルートの登頂に成功したものの、高山病によりギュンターは、ルパール壁を下山したが遭難。メスナーはやむなく反対側のディアミール壁ルートで下山したが、足指を凍傷で失うなど死を覚悟し、意識喪失したりしながらも山麓の村人に救われた。

『1970年7月1日、私が完全にばてて、凍傷の足を引きずりながらナンガ・パルバート山麓のディアミール谷の上部を下山しているとき、私は一度意識を失って倒れていたことがあった。

再び意識を取り戻したとき、私はもう何の不安もなかった。意気消沈もしていなかったし、何も望まなかった。

無の中での解放を経験して初めて自由になったかのようであった。

こういう体験を論理や弁証法で分析する人は、《理解し難いこと》が非常に多いことに首を振るだろう。しかし、私の確信するところでは、この種のものは悟性を越えているのだ。

私はディアミール谷で意識を失っただけではない、私は主観的には自分の死を自覚し、体験したのである。山頂から谷底までのあらゆる段階を、たぶん私は通り抜けてきたのだろう。

 

ある時以来、私の意識では私は一度《死んだ》のだった。

 

しかし《死ぬこと》を体験するために、必ずしも具体的な死の危険に直面する必要はない。ただし次の例からもわかるとおり、死の危険は非常に示唆に富み、刺激的なのである。』

(死の地帯/ラインホルト・メスナー/山と渓谷社P163から引用)

 

無酸素山岳登山では、8000メートル以上は死の地帯と呼ばれる。メスナーの著作を読むと、幽体離脱(自分がアストラル・トリップ)、守護神霊のサポート・会話、強烈な万有の一体感(上掲書P18)、一生の瞬間的回顧(パノラマ現象)が、よく発生することがわかる。

8000メートル級の山岳の登山では、至るところ死の危険の連続だから、メスナーがここで『必ずしも具体的な死の危険に直面する必要はない』と語っているのは、面はゆい感じがする。

彼は、むしろ登山以外の場面で、そうした《死ぬこと》が起こり得ることを指摘しているのだ。

この部分では、自我の死とそれに伴う、不安のないことと自由の感じを短く語っているのが印象に残る。・・・・おそらく、言葉では語り得ない部分があるのだ。

ラインホルト・メスナーは、文字通り大死一番を経た悟った人である。

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苦しみですらまんざらでもないのさ

2024-02-26 17:51:32 | 究極というものの可能性neo

◎アンナプルナ南壁 7,400mの男たち

(2015-10-23)

 

2012年のスペイン映画「アンナプルナ南壁 7,400mの男たち」は、標高7400メートルのヒマラヤのアンアプルナ山頂目前のキャンプで高山病で意識が錯乱した登山家を世界中から友人たちが集まって救出に向かう話。アンナプルナ南壁は、高峰が連なり、7キロに及ぶ長い稜線を踏破しなければならないヒマラヤ山脈屈指の難ルートであり、10人のうち4人が命を落とすといわれる。

その救出に参加した登山家達が言う。高い山では、筋肉がきりきり痛むことがあるし、呼吸は苦しいし、飢えにさらされるし、渇きも常である(一杯の飲み水を作るのに携帯ストーブで氷を溶かして小一時間もかかるらしい)、疲労困憊で、意識をしゃんとするのにも骨が折れる、などと。

映画ではそれでも登山するのは、登山すると日常に取り紛れてわからなかった大切なことが何かということがわかるから、なんて説明をするがそうではあるまい。

真相は、「苦しみですらまんざらでもない」からである。

「苦しみですらまんざらでもないのさ」と云うのは、ダンテス・ダイジ。若い時分にこの言葉を知った私は大いに驚いたものだ。苦は悪であり、とにかく避けるべきものではないかと。要するに私には人生経験が欠けていたわけだが、釈迦の生老病死が苦であり、苦を避けるにはどうすればいいのかという仏教のスタート地点を頭から否定するようなこの発言には、ぎょっとさせられたものだ。

登山は苦しい。それでも登山をするのは「苦しみですらまんざらでもない」からである。
苦を超克するには、苦を堪えるある程度の胚胎期間がいる。悟りには、苦が要るのである。苦が窮まるには、苦の時期が要るが、「苦しみですらまんざらでもない」ことが無自覚であるうちは、悟りなどあるまいと思う。

「苦しみですらまんざらでもない」ことを自覚したダンテス・ダイジの凄みがここにもある。

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リンカーンは三度死ぬ

2023-12-22 19:48:11 | 究極というものの可能性neo

◎リンカーンの二度の臨死と業績

(2018-02-17)

 

臨死体験のほとんどは、ハズレ体験と思われるが,まれに精神変容の機会となるケースがある。

 

アメリカ大統領リンカーンは5歳の時に雨で増水した小川で溺れたが、年上の友達が岸に引っ張り上げて、一生懸命背中を叩いてくれたので、水を吐いてのたうちまわって意識を取り戻した。

リンカーンは、これ以後知識を渇望し、あらゆる本を手当たり次第に読むようになったという。

その5年後、リンカーンは荷馬車に乗っていて、馬に急げと命令した時に頭を蹴られ、一晩中生死の境をさまよった。後年自らその時のことについて振り返って、その時自分は馬に蹴られて死んでいたとコメントした。

(出所:臨死体験未来の記憶 精神世界への新たなる光 フィリス・アトウォーター/[著] 原書房P288-289)

 

リンカーンの最大の業績は奴隷解放宣言。それからわずか150年でアメリカには黒人大統領が誕生するまでになった。

移民の心理として一旗揚げたいというのは、移民国家アメリカでは抜きがたいものであり、そのポジティブな理想がアメリカン・ドリームである。

逆にそれを基盤にネガティブな制度も起こるが、それが黒人奴隷制度。

一旗揚げるというのは社会的に他に優越したいということであり、社会的弱者の権益を制限して、ある種族や階級階層が制度的にメリットを享受する例は枚挙に暇がない。インドのカースト制度、現代中国の都市と農村住民の厳しい戸籍移転制限や少数民族圧迫、日本の江戸時代の士農工商などなど。

こうした広汎な既得権益を逆転させるのは、一つの革命であるが、一人の風変わりな人間が独力で成し遂げるのは容易ではない。

それは、チベット密教の開祖パドマサンバヴァがチベット土着の宗教勢力を駆逐したり、空海が密教を天皇家に入れたり、役行者が、日本のスピリチュアル・シーンに修験道を開いたりした事績と似ている。

米国大統領といえども、こうした大事業を成し遂げるには、神仏の主導がないとできるものではないが、リンカーンは2度の臨死体験で、そのサポートを得ていたのだろうと思われる。

 

人は臨死体験によって大悟することは稀だが、大悟できる人間は、ある程度準備ができていないとそういうことは起きない。

その準備こそが日々の冥想である。

リンカーンの冥想習慣の有無はわからないが、二度の臨死体験をきっかけに彼が大善行である奴隷解放に進んだことは事実であり、そのモウメンタムを与えてくれたのが臨死体験であったろうことは想像できる。

臨死からの生還は困難であり、生還しても肉体的に問題をかかえることが多い。それらをひっくるめて生還し、無私なる大業を成し遂げたところに、リンカーンが一人の人間としても偉大とされる理由がある。

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無我は人間にはない

2023-09-01 06:47:49 | 究極というものの可能性neo

◎出口王仁三郎の無我

(2006-10-04)

 

『真の無我の境というのは、人間としてあるものではない。

無我のような感じを起こすことはある。それはある事業に没頭して、それに一生懸命になっておれば、他の仕事に対しては、無我の境に入ることになる。しかし夢中になっておるその仕事に対しては、決して無我ではない。

精神統一というが、これもまたいうべくして出来得べきことではない。祝詞を奏上しながらもいろいろなことを思い浮かべるものであるが、鎮魂というのは、「離遊の運魂を招いて身体の中府に鎮める」ことであるから、いろいろの雑念が集まり来るが当然である」

その雑念は、罪障に対する回想や希望となって現れてくるもので、それを思うのは、別に悪いことではない。』(玉鏡/出口王仁三郎/天声社から引用)

 

この文の中で、無我の境についての説明は、「真の無我の境というのは、人間としてあるものではない。」だけである。これによって、出口王仁三郎は、人間を超えた無我の世界を知っていることがわかる。人間を超えるのは、七つの身体論で言えば、第六身体以上のこと。それは人間としての見方の中で語ることはできないから、以降の説明をすっぱりとやめて、別の話題に移っている。

真に問題となるのは、人間を超えることの方だが、そのノウハウについては、出口王仁三郎については、断片的に拾うことができるだけという印象がある。

 

別のところで、『佛(ほとけ)という字は「人に弗(あら)ず」と書いてあって、凡人にすぐれた覚者の意である。また佛(ほとけ)の意味は解ける、すなわち解脱したことをいうのである。

今日の佛は、全く人偏(にんべん)に弗(ドル)となってしまった。』とあり、全く同じことを表現している。

 

無我は、人間的体験の中にはないのだ。

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OSHOが毒を盛られた事件

2023-08-23 11:57:10 | 究極というものの可能性neo

◎OSHO流というもの

(2010-07-10)

 

1985年OSHOバグワンは、オクラホマシティで毒を盛られた。OSHO自身の証言や様々な報道によると、連邦検察局主導で、11月4日から11月5日の2日間にオクラホマ郡拘置所に、OSHOは収監された。

彼は、そこで汚れたマットレスだけを渡されて、毛布も枕も与えられなかった。OSHO周辺は、そのマットレスの中に中レベルの放射線源が仕込まれていて、その放射線によって、彼の言語能力や免疫系を破壊しようとしたと見ている。この結果、右を下にして寝るOSHOは、後年右耳に重度の感染症を起こし、右下顎の骨の痛みで歯を9本抜き、右手首の骨、右ひじ、右肩に痛みを抱えることになったと見る説がある。

更に拘置所内で、素性の知れない男が、味も香りもない二切れのパンを持ってきて、急いで食べるように勧めた。OSHOはこれを食べた直後に吐き気を催した。OSHOと彼の主治医はこのパンに殺鼠剤として用いられるタリウムと多量の鎮静剤が含まれていたと見ており、その証拠にOSHOは、その2日間に起きたことをほとんど覚えていないという。

OSHOには、この事件の後、骨の痛み、動作障害、脱毛、体重の減少や健康の全般的な不調が始まる。食欲もなくなり、味も感じなくなった。そして講話などで、毒を盛られて、体調が戻らないことを繰り返し語って、1990年1月病死した。

(参考:OSHOアメリカへの道/マックス・ブレッカー/メルクマール)

 

まず熟達したクンダリーニ・ヨーギならば、強い放射線を発する物質があれば、何か異常を感じるものだろうし、また毒入りパンを差し入れられても、毒のあることを見るものなのだろうと思う。

ここは、OSHOは、運命に従順に、放射性物質入りマットレスで眠り、毒入りパンも食らったと見たい。つまりソクラテスが毒杯を拒まず従容と飲みほしたように、自分の運命への従順さという視点もあるのだろうと思う。

釈迦は、その死因となる腐ったきのこを差し入れた金属細工職人の子チュンダをかばった。OSHOはどうか。

OSHOが覚者であることは間違いない。

しかしながら、OSHOは毒を食らったことでその寿命が20年短くなったことを嘆く一方で、ロールス・ロイスを乗り回し、数千人の前で、自分の脇に肉感的な数人の女性を踊らせるそのスタイルは、宗教というものについての既成概念を破壊するという名目ではあるものの、首尾一貫して純粋と言えるものだったのだろうか。

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セザールへの手紙

2023-07-30 06:51:28 | 究極というものの可能性neo

◎実現しつつある未来

(2008-06-03)

 

ノストラダムスは、息子セザールへの手紙を公開し、不可解な迷宮の如き予言集全体への理解を図っている。

ところが、その内容たるや、この時代の終りについて言及しているとしか思えない記述が続く。

 

1.まず大洪水や高水位の大浸水が起こる。これによって、ほとんどの土地が水で覆われる。

(地球温暖化で、既にこれは現実のものとなりつつある。)

2.この水位上昇により、文芸(文明の諸記録全体を指すのだろう)がほとんど失われる。

3.同時期に、雨が非常に少ない国がいくつかあり、空から多量の火や白熱した石が降ってきて、文明を跡形もなく焼き尽くす。

(火の雨が降るってやつですね。)

4.こうした事件は短期的に発生して、次に最後の大動乱、過去と隔絶した変革が起こる。

5.これらの結果、世界は衰え、人影はほとんどなくなり、耕す者のない広大な田畑が残る。

 

ノストラダムスは、こうした大きな流れに沿って、本文中の予言が次々と実現することも断言している。最後の大動乱、大変革については、予言詩本文に散りばめられているということ。

 

これを見るとほんわか気分で集団アセンションとか、フォトンベルトでゆっくり覚醒というような悠長なことが起こるわけではないことを見ていたのがよくわかる。

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覚者が他人の自殺に付きあうこと

2023-06-26 10:52:40 | 究極というものの可能性neo

◎西郷隆盛が僧月照の入水にお付き合いなど

(2012-01-08)

 

幕末物ドラマでは、薩摩錦江湾の船から、西郷隆盛が僧月照と海に飛び込み、西郷だけが助け上げられたエピソードが必ずと言って出てくる。僧月照は男性。

 

しかし僧月照は、薩摩藩のために京都で、将軍継嗣問題や斉彬の上京計画などにおいて、薩摩藩と朝廷との橋渡し役を務めていた人物で、清水寺成就院の住職。月照は、藩の機密を扱う立場であり、西郷とも既知の間柄だった。

 

そこで、月照は、西郷に一緒に死んでくれと持ちかけ、覚者はこうした本心からの求めに対しては決してことわることができないものだから、覚者である西郷は、本当に一緒に死んで上げたのだった。

 

西郷のような高位の人物が、気軽に主君でもなくさして重要とも思えない人物と心中することに多くの人は違和感を抱くもの。

 

私は、覚者であればこうした本気の求めがあれば、覚者は自分がどうなろうとそんなことは自分が知ったことではないという立場に立つものであるから、決してそうした求めを断るものでないものだと考えている。というのは、そうした立場以外に慈悲、大慈大悲、本当の愛を生きる立場はないと考えるからである。

 

類似例がもう一つある。

ダンテス・ダイジは、沖縄の竹富島にいた。半年前にさる青年が難病の筋ジストロフィーにかかって前途を悲観して、真夜中の便所で首をつった。

ある日ダンテス・ダイジが南無阿弥陀仏の念仏を繰り返していると、右斜め前にその青年の死霊が出現し、「一緒に死んでくれ」とせがんだ。

ダンテス・ダイジは、直ちに彼の求めに応じ、真夜中の竹富島に飛んで、家の外にある石造りの便所の換気用の隙間に棒を通して、その棒にひもを結び、首をくくり、死んだ。

(ダンテス・ダイジは、この時「その友人の人間の果てにある孤独感を理解した」と書いている。)

 

30年ほど前に、彼の著書「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」で、これを読んだ時には、生死を超越した覚者ともあろう人物が、親友でもない他人のために気軽に死ねることに違和感を覚えたものだった。

今なら、他人の求めに応じてフランクに自分を死ねる人だけが、本当の教祖であると断言できる。本当のグル、本当の救世主、本当のマスターとは、それができる人だけだ。

世の中には自分の金や自分の身の安全のために他人をさいなむ教祖、グル、先生があふれているが、どれも本物とは言えない。

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道を行う者:西郷隆盛

2023-06-26 10:47:47 | 究極というものの可能性neo

◎意の誠否は、須らく夢寐(むび)中の事に於いて之を験すべし。

(2018-02-26)

 

西郷隆盛は、西郷南洲遺訓の中で自分のことを「道を行う者」と見ている。

彼は、天に直接相対する姿勢のことを誠と呼び、あらゆる発想、行動の根本に置く。

 

西郷南洲遺訓の中に江戸時代の儒者佐藤一斎の言志四録から抜き書きした部分がある。

「意の誠否は、須らく夢寐(むび)中の事に於いて之を験すべし。」

【大意】やろうとしていること思っていることが誠か否かは、夢の中、寝入りばな、あるいは寝起きに浮かんでくるもので、これをチェックすべきである。

 

西郷隆盛は、若い時に盛んに禅をやったが、沖永良部島の流刑時代のように狭い獄舎で冥想するしかない時期もあったろうけれども、実務の忙しい時期には、毎日ある程度冥想する習慣があったかかどうかはわからない。

よって、このように誰でもわかる表現である、「夢でチェックせよ」と書いているが、実は意識と無意識の境目に、それが「誠」つまり天意・神意に適っているものかどうかわかるコツがあると言っているように思う。

儒家の言は、荘子が盛んに揶揄したりネタにしたりするところではあるが、易経繋辞伝のように時間のない世界から書かれたものもあり、全部が全部おろそかにしてよいわけではなく、このように採るべきものもある。中庸の未発の中などもその一つ。

 

※西郷南洲遺訓は、国会図書館デジタルアーカイブからダウンロードしました。ありがたい時代です。

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世界は核戦争をしなければならない、という見方とは

2023-06-26 10:44:52 | 究極というものの可能性neo

◎西郷隆盛の予感、ダンテス・ダイジの予感

(2021-06-05)

 

渋沢栄一の実験論語処世談の中に西郷隆盛の人物月旦がある。これに、日本は維新後戦争をしなければならないという見方がある。

 

明治になってからの1871年の高官の会議で、西郷不在のままさる案件を決議して、西郷が到着して後、諸公から判子だけ押してくれと頼んだが、西郷は納得せず結局押さなかった。

 

西郷はその理由について説明しなかったが、

『日本は維新後まだ戦をする事が足らぬ。もう少し戦を為(せ)ぬと可(い)かぬ。そんな事は己れは如何でも可(よ)い』とだけ述べ、結局その議案はお流れになった。

渋沢栄一は、同年廃藩置県があったので、その時になってようやく西郷の言っている意味がわかったとしている。

 

1868年:明治維新、戊辰戦争

1871年:廃藩置県

1876年:廃刀令、秩禄処分により、士族の乱が相次ぐ

1877年:西南戦争

 

戊辰戦争以来戦争をやるやらないは、実質的に西郷の胸先三寸にあったと言えるだろう。ここで着目すべきは、戦争をやらないと民心が落ち着かない、あるいは修羅を求める気持ちを現実化せしめないと次の段階に進まないと見ていたであろう部分である。士農工商から四民平等に進むには、最大の被害者である旧士族の不満、叫びを消化する必要があった。

 

次の時代は、何でも金、経済的メリットと便利優先の人類を、100%逆方向の神仏が第一でその次に自分という行動規範と価値観に持っていくのだから、その衝撃を昇華するには、国家間の核戦争の発生は必至と見ているのではないか。

 

翻って、西郷隆盛もダンテス・ダイジも戦争の予感というのをそういう文脈で見ていたのではないか。戦争の予感は、現状の人心を自分の机上の風景をきっかけに感じることもできるし、道路を過ぎ行く自動車を見て気づくこともできるし、飛び去る烏の声で知ることもできる。

 

核戦争の発生が確実と見ていたのはダンテス・ダイジ。出口王仁三郎は、その辺は、あまりにも悲惨なので書いていない(あまり悲惨でよう言われんわい。)。

 

戦争をしないと気が済まない人類の大多数を、マスコミなどによるマインド・コントロールでなく、本気で戦争なしで済ませることで納得させることができるかどうかが、この中距離核ミサイル何千発を構える虎狼の如き隣国やら西側勢力で核戦争が起きないために必要な条件だと思う。

 

ところで最近のスピリチュアルSNSでは、地震の予感は一生懸命やっているが、外国からの日本侵略の予感を上げていないのは奇妙で片手落ちなことである。既に相当に侵略されちゃっている?抱き込まれている?そもそもそういうSNSなら大三災(風水火)、小三災(飢病戦)すべてビジョンに乗ってくるはずなのだが。

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