goo blog サービス終了のお知らせ 

アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

龍樹の末路

2025-05-18 21:34:51 | 究極というものの可能性neo
◎乱行三昧の末路
(2021-07-14 )

龍樹(ナーガールジュナ)は、バラモン出身で、家は裕福で秀才の誉れ高く、若くして各地を遊学し、天文、地理、星宿などを学びほとんどの道術を体得していた。

彼には道友が三人いて、皆優秀で眉目秀麗だったが、揃って好色を追求するために隠身の術を、さる術者について学んだ。この術はさる薬物を瞼に塗ることで身を隠すことができるものだった。四人は、この薬でもって自由に遊び回り、終には王の後宮に入り、宮中の美女を手当たり次第犯して回った。

強姦から百日経つと宮中では懐妊する婦人が多く、王に告白して処罰を求める者が多かった。


王は、これは方術によるものと見て、細かな砂を宮廷内にまき、足跡を追えるようにした。果たして、龍樹以外の三名は、足跡によって待ちかまえていた勇者たちに首を切り落とされた。龍樹は王の周り七尺は、刀を持ってはいけないことになっていたため、王のそばに居て難を逃れたが、この場を生きて逃れられるなら出家して法を求めようと誓いを立てた。

以後の努力により、龍樹は高名な僧となり、各地を伝法、行脚し、最後は一室に閉じこもり、何日も出てこなかった。弟子が部屋に入ってみると蝉の脱け殻のようになって世を去っていた。

これは、チベット密教風の屍解。王の後宮で乱行三昧を行った大悪人の末路としては、平穏すぎやしないかとも思う。


だが、キリスト教徒取り締まりの最右翼だった、サウロ(パウロ)のダマスカスでの改心の例もあり、おいそれと真相について想像をたくましくすることはできない。


ただ大聖者は大悪人のこともよく知っているものだということはあると思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十字架 全体性としての四位一体

2025-05-06 06:33:55 | 究極というものの可能性neo
 ◎死の世界は水
(2011-01-03)


三位一体こそが、キリスト教のシンボルみたいに思われているが、キリスト教も含めて宗派の枠を超えて四位一体は、全体性のシンボルであり、十字架としても現れ、大本教の十曜の神紋とも、卍マークとしても現れる。

まず古代エジプトでは、死者の書において、四つの顔を持つメンデスの牡羊として登場し、
冥界の神オシリスの霊魂、
太陽の神ラーの生命、
大気の神シューの生命、
大地の神ゲブの生命と、
四位一体を表現する。

これは、やがてホルスの四人の息子達へと変化し、
ハピは北、
トゥアムテフは東、
イムセティは南、
ケベフセヌエは西、
となる。

旧約聖書エゼキエルのビジョンでは、人の姿をとった四つの生き物ケルビムが出てきて、各人が四つの顔を持っていた(ダブルの四重性)。その顔は、それぞれ人、ライオン、牛、鷲。彼らはそれぞれ一つの車輪と二つの翼を持つ。

人の他に3つの動物という組み合わせは、プラトンの見た四つの徳の中で正義を最上位に置いたことを彷彿とさせる。

四人のケルビムの頭上には、水晶のように輝く大空みたいな堅固な板がありそれを透かして、その上にサファイアの王座が見える。よって四ケルビムは全体性を支える守護の役割もあるとする。
(参考:哲学の木/C.G.ユング/創元社)

メンデスの牡羊の四つの顔を四元素に当てると、
地:大地の神ゲブの生命と
水:冥界の神オシリスの霊魂、
火:太陽の神ラーの生命、
風:大気の神シューの生命、
となり、死の世界は水に当たる。

死の世界あるいは、生の世界も死の世界も含む世界全体が、水に見えたりというのは、旧約聖書創世記の「世界がまだ水でしかなく」や、古事記の「水に浮いた脂のようなもの」や、三途の川と見えたり、というのが定番な見え方となるのだと思う。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボディ間移動の所要時間

2025-05-02 06:46:51 | 究極というものの可能性neo
◎刹那
(2019-01-27)


人間の意識の連続の間には隙間があるという。


七つの身体のうち、時間のあるボディは、第一身体肉体から第五身体コーザル体まで。一方時間のない身体は、第六身体アートマンから第七身体ニルヴァーナである。


この最初の五身体が同時並行に存在するものと仮定して、クンダリーニ上昇にみるように次々にボディ間を移転する場合、例えば、肉体からアストラル体に行く所要時間は何秒なのだろうか。


仏教には刹那という概念がある。指を弾く時間の1/65を刹那とする説や1/75を刹那とする説がある。この刹那の間に発生と消滅があるという考え方もあり、なんとなれば消滅とは(時)が過ぎ去っていくことだとする。


各ボディ間の移動に時間がかかるとすれば、意識が入っていない場合のボディとは何か?本当に並行して存在しているのか?などの疑問がわき起こる。


ルドルフ・シュタイナーを読むと、夢を見る時、体外離脱するというが、肉体から離脱しきるまで何秒なのか。


アストラル・トリップでは、瞬時に思った場所に行けるなどと言う。


また第五以下の時間のある身体から時間のない身体に移動するには時間がかかるのかという疑問も出る。


ボディと別次元のボディ間の移動時間も重要な疑問だが、その一方で意識の連続と連続の間の隙間が何秒かという疑問も重要ではある。


意識は生であり、隙間を無意識とみれば隙間は死である。こういうのをもって刹那の間に意識も生滅ありと見たのかもしれない。


また時計などで、デジタル計測できない時間をどう図るのか。エーテル体という半物質は半物質だから物質による計測の手段はあるかもしれない。


だが、アストラル体以上の非物質を物質で計時することはできない。


そうするとアストラル体以上を計時する手段は、非物質である精神か意識に万人に共通のものがあって初めて計時できるのだろう思う。


だが、連続的な予言の当たり外れとか、実現の順序から推察するに、順序が前後して入れ替わったり、起きる事象そのものが微妙に変わったりということはあるものなので、
計時そのものの必要性とか意義自体が問われるということはある。


しかしながら、次の時代の科学は、この辺をも突破口にしないと物質のくびきを逃れることはできない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神の子カッサパが釈迦に質問しながら自分で回答する

2025-04-29 06:51:50 | 究極というものの可能性neo
◎想念停止、空、善行、えり好みをしない
(2022-08-30)


修行僧カッサパは、「釈迦が修行者として実行するための教えを説いてくれなかった」と釈迦にぼやきながら、「それは一人で暮らし瞑想し、心を静めることだ」と自分で回答し、これを釈迦に誉められた。


『第二節 カッサパ(その二)


一 〔あるとき尊師は、サーヴァッティー市のジェータ林・〈孤独な人々に食を給する長者〉の 園に住しておられた。
そのとき、カッサパという〈神の子〉は、夜が更けてから、容色うるわしく、ジェータ林を 遍く照らして、尊師のもとにおもむいた。近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに立った。
二 傍らに立ったカッサパなる〈神の子〉は、尊師のもとで次の詩をとなえた。
「修行僧が瞑想に入り、心が解脱し、
心の思いの起こらぬことを望み、
世の興亡盛衰をさとって、
善い心で、こだわることがないならば、
すぐれた境地が得られる。」』
(ブッダ 神々との対話/中村元訳/岩波文庫P108から引用)
※尊師:釈迦


この園は、祇園精舎のこと。
これは、釈迦がどう反応したかが書いていないが、この見解が正しいことを認めたのだろう。
心が解脱とは心理のようだが、心の思いが起こらぬということで心理を超える。
世の興亡盛衰を悟るとは、空を悟ること。
善い心とは、善いことをして、悪いことをしないということ。
こだわることがないとは、えり好みをしないということ。


述べていることは四点だけだが、後代の仏教マスター達が眼目に置いたことを述べている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活の安定

2025-04-24 20:57:11 | 究極というものの可能性neo
◎大乗の大般涅槃経-5
(2006-03-10)

ある時釈迦のところに、修行僧がやってきて、「私は、いつも仏道を修行しているが、阿羅漢(修行者としての最高の境地)に達することができません」と言った。
釈迦は、弟子の阿難に、この修行僧のために、生活必需品を用意するように指示した。


阿難は、この修行僧を叢林に連れて行き、精舎の一室を与えた。すると件の修行僧は、さらに、ここを掃除して、調度品を整え、いろいろな宝石で装飾するように頼んできた。阿難は、その要求を怪訝に思い、お金がないのでできないとことわった。


するとその修行僧は納得せず、自分で釈迦に頼みに行くと言い出したので、阿難は、修行僧より先に釈迦のところに相談に行ったところ、意外にも釈迦は、「戻って、修行僧の言うとおりに必要とする物を揃えてあげなさい」という指図をしてきた。


阿難は、戻ってその修行僧の望むとおりにしてやったところ、修行僧は心を落着けて仏道を修め、間もなく最初の悟りを得て、後に阿羅漢に達することができた。


釈迦の説明は、多くの人々は解脱を得ようと思っても貧しいために心が集中できず達成できないのである。人々は教えを受けることを望んでいるが、俗事におわれて心の落ち着く時がないので、生きている間に解脱を得ることができないのであるというもの。また健康で志操堅固であっても、居所や飲食や衣服や寝具や薬などがなく、条件が整わないと、生きている間に解脱を得ることはできないとも言っている。
(底本/ブッダ臨終の説法/田上太秀/大蔵出版)


これは、欲望には二種類あって、物質的欲望と本能的(精神的)欲望があるが、この修行僧においては、本能的(精神的)欲望をクリアしていく修練はかなり進んでいたが、物質的欲望がクリアできないままに残っていて、修行僧本人が、単純にそれを実現してやる必要があることを自覚していたのだと思う。


もっとも欲望をなくす一つの手法としてその欲望を充足してやるというあり方もあるが、更なる別の欲望が湧き出る人がほとんどなので、何でも願望実現が良いわけではない。


現代の生活習慣では、生活は比較的安定しているが、テレビを始め心の落ち着きをかき乱すありとあらゆるものの中で生活しているような状態なので、当時と状況はやや異なるが、物質的欲望と本能的(精神的)欲望の二つをなくして行こうとする修行の方向性は変わることはない。


また叢林(修行場)にあっては、托鉢を基本とし、明日の食物は明日が思い煩うのが基本であるので、生活の安定ということにはほど遠い環境ではある。しかし修行者の物質的欲望のカルマが残っている場合にそれを終わらせるために、このように師匠がその物質的欲望を満たしてやる実例に時々出会うことがある。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死の領域を超えて彼岸に至る

2025-04-24 20:53:03 | 究極というものの可能性neo
◎三途の川の評価
(2009-06-13)


釈迦の言葉。
『人々は多いが彼岸に達する人々は少ない。他の(多くの)人々はこなたの岸に沿ってさまよっているだけである。


真理が正しく説かれたときに、真理を見通す人々は、まったく死の領域を超えて彼岸に至るであろう。』
(感興のことば (第29章)/中村元訳/岩波文庫から引用)


彼岸とは、日本人にとっては三途の川を渡った向こう側だと認識されている。でもおそらくそれは死の世界そのものであり、ここで釈迦が指し示している「まったく死の領域を超えた彼岸」ではない。


三途の川を渡っても、別の母胎を見つけて入り込んでしまえば、もう一度迷いの人生を繰り返すだけで、まったく死の領域を超えることなどできやしない。


生きながら死をも超えてしまうことこそが、釈迦の狙いであって、生前に善根を積んで、三途の川を渡った先の極楽で安楽なアストラル生活を送ることが釈迦の狙いなどではないように思う。


だから三途の川の正体を見切ることが、そうした迷蒙に陥らないキーとなる。


三途の川をじっくり点検して進むのがクンダリーニ・ヨーガで、三途の川を新幹線並の急速なスピードで駆け抜けるのが只管打坐というイメージがある。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

独身で忘れられた女

2025-02-04 06:24:38 | 究極というものの可能性neo

◎心置きなし
(2008-10-26)


マリー・ローランサンの「鎮静剤」という詩の一節に、最も哀れな女は「忘れられた女」であるというのがある。

もともとは、こんな詩(堀口大學訳)。

退屈な女より もっと哀れなのは かなしい女です。
かなしい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女

密教学者の正木晃さんが独身のキャリアウーマンを病気見舞いにいく話がある。彼女は若い時から、バリバリのキャリア・ウーマンで独身であった。50代でガンが発見され、入院する前から多額の保険料を支払っていたことを知り、彼女に前途への漠然とした不安があることを以前から正木さんは知っていた。

彼女は人付き合いも仕事関係だけであり、それ以外のお付き合いはなかったようだ。正木晃さんは彼女のお見舞いに3回行った。2回目に行った時は既に末期ガンだったが、彼女の足をさすってあげたら、今後いつ来てくれると問われ、その翌週お見舞いに行った。

そこで、死んだら一年に一回墓参りに来ることを半ば強引に約束させられて、その交通費とお花代の名目で多額の預金通帳を受け取るはめになった。

そこで彼女は、私はもうすぐ死ぬが、死んでまもなくなのに、誰からも忘れ去られるのは耐えられない。そのことを想像するだけで身の置き所もない気分になるので、誰か一人でもいいから、墓参りに来て、しばらくは自分のことを覚えておいて欲しいのだと懇請した。

翌週彼女は死んだ。
(参考:立派な死/正木晃/文芸春秋)

独身で初老の女が、死んでさっさと忘れ去られるのがイヤと、我が墓参りを請うのは、なかなかに凄惨なシーンである。しかし「人生に別れを告げる」ということでは、カルロス・カスタネダのあらゆる愛着に別れを告げる幾つかのイベントと同根のものを感じる。

ここでは、相手が未練や良い思い出を残すかどうかがポイントではなく、世を去る自分の心のひっかかりを取ることの方に力点があるように思った。どちらのケースもそれで心置きなく去っていけるのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竹富島

2025-01-16 17:02:54 | 究極というものの可能性neo

◎星砂の地での命の悲しみ

(2013-04-02)

 

BSの民放で世界の旅番組をやることが多い。おかげでヨーロッパの古城は行ったこともないのにかなり観光させてもらったような気がする。その中でもハプスブルグ家の城砦のように、言霊による繁栄という点では徳川家の天海僧正なみのオカルティストが助言を行っていたに相違ないと想像が膨らんだものもある。

沖縄の島々もリアルで行ったことはないが、実際の駆け足観光では見れない風景、光景を取材してくれるのでありがたい。

その中で竹富島の放送があった。浜には星砂。島全体がサンゴ礁で、広東や四川や山水画で見られるような丈の低い牛を追って、白いサンゴかなんかで敷き詰められた道をシャリシャリと足音と共に進む情景が印象的であった。

竹富島はトイレも石造り。もう40年も前のことだろうか、ダンテス・ダイジは、この島で難病の筋ジストロフィーの青年と知り合ったのだ。

やがてその青年は前途を悲観して、真夜中の便所で首をつった。

半年後、ダンテス・ダイジが南無阿弥陀仏の念仏を繰り返していると、右斜め前にその青年の死霊が出現し、「一緒に死んでくれ」とせがんだ。

ダンテス・ダイジは、直ちに彼の求めに応じ、真夜中の竹富島に飛んで、家の外にある石造りの便所の換気用の隙間に棒を通して、その棒にひもを結び、首をくくり、死んだ。

ダンテス・ダイジは、この時「その友人の人間の果てにある孤独感を理解した」と書いているが、これぞ『命の悲しみ』である。

 

沖縄はダンテス・ダイジゆかりの地であるが、私はまだ足を踏み入れたことはない。ダンテス・ダイジは南方系の転生者だが、私は北方系ですから、暑いのはどうも・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

釈迦の弟子ヴァッカリの自殺

2025-01-16 06:56:05 | 究極というものの可能性neo

◎罪なくして臨終を

(2011-04-09)

 

長老ヴァッカリは、陶器づくりの者の家で、重病に伏し、困窮していた。彼は一度でいいから釈迦の足を頂礼したいという願いを持っていた。ヴァッカリは強い痛みにさいなまれていた。

一日、釈迦はヴァッカリのところを訪問し、ヴァッカリが「もの、感受、想念、因果的存在、心(五蘊=色・受・想・行・識)は永遠に無常である」と見ていることを確認し、そうなれば、再びこの世に生を受けることはないとアドバイスした。

翌朝釈迦は、イシギリパッサ・カーシラー山に居たヴァッカリのもとに比丘をやって、

「おそれるな。ヴァッカリよ、おそれるな。おまえの死は罪に汚れてはいない。罪なくして臨終を迎えるであろう」と伝言させた。

この使いの比丘が立ち去ってまもなく、ヴァッカリは、刀をもって自殺した。

 

戻ってきた比丘の報告を受けた釈迦は、ヴァッカリの様子を見に行こうと、イシギリパッサ・カーシラー山に赴き、そこで、遠くから往生を遂げたヴァッカリがベッドの上に横たわっているのを確認した。

『そのとき、一面(にわかに)たちこめた黒雲が、東に走り、西に飛び、北に走り、南に飛び、空高く舞い上がり、低く這い下がり、四維に走るのであった。

世尊は比丘たちに話された

「比丘たちよ、おまえたちはあのたちこめた黒雲が東に走り、西に飛び・・・・四維に走るのをみたであろうか」

「はい見ました」

「比丘たちよ、これは、悪魔(魔波旬)が善男子ヴァッカリの魂はどこに行ったのかといって、その魂を捜し求めているすがたである。

しかし比丘たちよ、善男子ヴァッカリは、その魂がどこかに止まることなく、完全な涅槃に入ったのである」』

(世界の名著 バラモン経典・原始仏典/中央公論社P456から引用)

 

その死に方にとらわれて、真実を見誤ってはいけない。津波で亡くなる人あり、放射線障害で逝く人あり、自殺する人もあり。

釈迦はヴァッカリが自殺するのが最初から分かっていたし、ヴァッカリも自殺することが自分で分かっていたから、釈迦はわざわざ人をやって、躊躇、後悔のないようにダメを押したのだろう。

日本では、いまや、放射性物質まじりの黒雲が、東に走り、西に飛び、北に走り、南に飛び、空高く舞い上がり、低く這い下がり、四維に走る。

死の直前、ヴァッカリは、ほとんど悟る一歩手前まで来ていた。一方日本人全体はどうなのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

殺人命令

2024-09-28 15:30:26 | 究極というものの可能性neo

◎ミッション・インポシブル

(2009-06-27)

 

臨済宗の開祖の臨済は、「仏に逢ったら仏を殺せ。達磨に逢ったら達磨を殺せ。羅漢に逢ったら羅漢を殺せ。父母に逢ったら父母を殺せ。親類に逢ったら親類を殺せ。これができて始めて解脱を得るだろう。」と宗教者にあるまじき、ギョッとするようなことを言う。

親鸞だって、弟子の唯円に、「オレの命ずることを信じるか」と質し、唯円が決して背きませんと誓った途端に、「だったら人間を千人殺してくれ、そうすれば往生間違いなし」などと命じて見せた。

臨済は、専門道場でこれを言っているのであるから、リアルの殺人ではなく、坐禅中の殺人を云う。あらゆるなつかしい者に別れを告げよと呼びかけているのだ。

唯円が「とてもじゃないけど殺人なんかできません」と応酬したのに対し、親鸞は、「業縁によって殺せないのであって、業縁が変われば殺すまいと頑張っても百人でも千人でも殺すことがあるだろう。」と諭しているのは、古代インドで親族の多数見える敵方に戦いを挑んで殺戮に及ぶことをためらう王子アルジュナに対して、「戦え」と説得する聖者クリシュナの風景を思い起こさせるものがある。

また臨済も親鸞も先祖供養を相手にしていないなどということを言いたいわけではない。先祖供養は家族という小さな社会性が既に存在することが前提になっている行事であり、そうしたものに何の価値も意味も見いだせないぎりぎりの所になれば、そうした小さな社会性の絆すら役に立ちはしない。

殺せとは、あと一歩の修行者だけに対して、マンツーマンで実力・経験充分のマスターから指導されるべき言葉であって、それが誤ってメディア経由で大衆に生中継されるようなことになれば、誤解中傷を巻き起こすことになるだけである。

 

※2024年9月28日追記

「仏に逢ったら仏を殺せ。達磨に逢ったら達磨を殺せ。羅漢に逢ったら羅漢を殺せ。父母に逢ったら父母を殺せ。親類に逢ったら親類を殺せ。」とは、次の和歌と同じ意味。

 

ころ(殺) せころせ 我身をころせ ころしはてて

何もなき時 人の師となれ

(至道無難)

 

たちまちに 死にはてて見る心こそ

かりに仏と名はつけにけれ

(至道無難)

 

釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはするかなという

(一休)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイトレーヤ小史

2024-08-18 06:19:10 | 究極というものの可能性neo

◎古代インドとイラン

(2007-11-19)

 

古代インドのベーダなどでは、インドの神々とイランの神々は混在しているので、イラン原産のゾロアスター教のものであるマイトレーヤが、もともと仏教の弥勒であるとする説がある。

 

その後弥勒は、仏教のものとして、中国に入り、一方マイトレーヤは、マニ教にあって、イランから、8世紀頃アッバス朝の圧迫により、シルクロードを東進。則天武后の時代の中国に進出した。中国へのマイトレーヤ輸入はこの時期であって、それ以前ではないと思われる。

 

という理由は、もともと515年の北魏の大乗の乱は、弥勒下生の信仰を持つ宗教秘密結社の乱なので、中国には、弥勒信仰はもともと存在したからである。

 

そして、唐の武宗の宗教弾圧(845年会昌の法難)により、マイトレーヤのマニ教は地下に潜り、仏教の弥勒信仰と結びついて、弥勒教となった。ここで初めてマイトレーヤが中国で弥勒として習合したなどと説明する人もいるが、実はもともと古代インド・イランの昔から同じものであったように思う。

 

弥勒信仰は、北宋の方臘の乱や、元末の紅巾の乱や、清の義和団の乱の主体となったので、民衆叛乱の母胎となったといえることから、その後の中国の為政者から見ると厄介な信仰となった。

 

このようにマイトレーヤは、20世紀になって、異国趣味のイギリスの神智学グループがエキゾチズムを披瀝するために、わざわざインドの神々から引っ張りだして来たわけではなく、色々な国で、もともとわりと重要な高級神霊であると評価されてきたというのが実態ではないだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終わりの印と時を選ぶこと

2024-07-19 07:35:51 | 究極というものの可能性neo

◎霊照女からモンゴル

(2017-10-27)

 

10月後半になってからの超大型台風など終わりの印には事欠かない。

 

唐代の禅僧ホウ居士の娘霊照は、臨終間近のホウ居士に「日の高さを見ていてくれ。正午になったら、知らせてくれ」と言いつけられた。

 

さて正午に霊照は、「正午になりました。しかも日蝕です。」と父ホウ居士に知らせてきた。

 

ホウ居士が、入り口を出て空を見ている隙に、霊照は、父の座に坐り込んで合掌し坐亡した。

 

父は、彼女の遺骸を見るや「すばしこい奴だ」と云い、自分の命日を7日後と決めた。

 

7日間で、月は90度動く。死は時を選ぶタイプの技なのだろう。

 

兆しを見て時を知れば、心得た者は、そこで覚醒に動く。

 

第二次大本事件前夜、笹目秀和が大本教のご神体を崑崙山中に奉還する旅の出発に際して、日本が、将来モンゴルに移ることが大本幹部から暗示されている。

 

時を感じた人は、坐り始める。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦行、タンキーからダヴィンチ・コード

2024-05-18 05:31:42 | 究極というものの可能性neo

◎ゾイゼの徹底した苦行ぶり

(2018-10-14)

 

東南アジアでは、タンキー(童乩)とよばれる自分の肉体を針や釘などで刺す苦行者に出くわすことがある。そういうのが祭礼などで行われ、わざわざ人込みでやらなければいけないものなのかと奇妙に思う。

またそういう映像が、グロ画像としてネットに出回り検閲者の目に止まり削除されることがある。テレビでフィリピンのキリスト教の祭礼で、十字架に生きた男性を載せ、両掌のひらを釘で打ち付け、苦痛に顔をゆがめながら十字架が立てられるシーンをやっていたが、その番組ではネットから削除されるグロ画像の一つとしての扱いだったが、その残酷さは最初はタンギーかと思ったくらいだった。東南アジアにはなぜか苦行の伝統がある。

映画「ダヴィンチ・コード」で、カトリック系の一会派オップス・デイの暗殺僧が苦行を繰り返すシーン(鞭で背中を打ち、釘付き鎖で太ももを締め付け続ける)が出てきて衝撃を受けた人もいたかも知れないが、かのドイツのゾイゼは、あの苦行の10倍以上と言っても差し支えないほどのものだった。

 

ゾイゼは、イエスの苦しみをわが身の体験とし、自らの罪をあがなうためにあらゆる苦行を24時間やった。

釘30本付きの小さな木の十字架で背中を叩く(8年間)、150本の釘付き腹ベルトを巻く(16年間)。寒中の暖房のある部屋に入らず、暖房に近づきもしない(25年間)。沐浴をしない(25年間)。食事は日に一度だけ。布施ではお金は受け取らない。

このようにゾイゼは身体にくつろぎを与えるあらゆることを避けてきた。

こうしたある日、ゾイゼは、さらに食事の飲み物さえ少量しかとらないようにした。するとある夜、天の婦人から天の飲み物を心行くまでたっぷり与えられ、口の中に小さな柔らかいマナのようなものが残った。

 

苦行をやるというのは、能動的に痛みを受けるということで、相当な自覚がないと何年も継続できることではない。

生きていること自体が公案である現成公案の現代とは、生きていること自体が苦行に近いというべきか。ただ食うために生きるだけでも全力を傾注せざるを得ない上に、それだけでは魂のかわきは癒されないので、寸暇を惜しんで冥想をしないと正気で生き抜けない時代となって久しく、大物覚者は世を去って久しい。

自分がある限りこの苦行は続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無意識を薬物で表面化させる

2024-04-19 03:40:16 | 究極というものの可能性neo

◎個人的な秘密のくずかご

(2017-12-21)

 

1950年代アメリカでは、効果的な自白剤の開発に余念がなかった。

『真実を吐かせるドラッグという概念自体が、最初から少々荒唐無稽ではあった。これにはまず、精神のほうが自己検閲をする傾向を、化学薬品でバイパスし、精神を裏返してしまい、かくしていた秘密をどっと吐きださせる方法があるはずだという考えが前提になっている。

そして吐きだされた個人的な秘密のくずかごから、求める「真実」に近いものを手にいれられるという前提があった。

この点で、CIAが求めていたものは、鉛を金に変えるとされた「賢者の石」とか、デソトら探検家がさがし求めた「不老の泉」など、おなじみの神話の歪曲版といったおもむきがあった。

つまりなにかにふれたり、摂取したりすれば、たちどころに知恵、不死、永遠の安らぎがえられるといったたぐいの幼稚さが見られたのだ。』

(アシッド・ドリームズ CIA、LSD、ヒッピー革命 マーティン・A・リー/共著 第三書館 P18から引用)

 

この開発がうまくいったかどうかわからないが、現場では、あまりにも膨大な個人的な秘密のゴミ情報に当惑し、目指す価値ある情報にたどり着くのは大変な労力が必要になったのではないかと思う。

こういった、個人的な秘密のゴミ情報は、冥想シーンでは、雑念、妄想であり、相手にしない、棄てることを励行されるものである。

個人的な秘密のゴミ情報は、個人的無意識とも呼ばれ、その情報群は多重であり、複雑にからみあっており、想像や嘘や思い込みや推測や真実もがんがん入り混じっている。

これに不安、恐怖、喜び、爽快さ、生きづらさなどの情動も加えられて、そんなゴミためを覗いても労多くして益少なしではないかと思う。

だが無意識の世界は、死の世界でもあり、無意識の心理現象は、その奥底で、現実そのものの形成力となり、現在と過去と未来をも構成している。

忙しい現代人にゴミ箱のゴミをチェックしている余裕はなく、ただ確かなもの、本当にしっくりくるものを求めるというのが、まともな情熱というものではないかと思う。

 

ヨハネによる福音書8-32

『真理はあなたたちを自由にする』

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メスナーの直観的な認識

2024-04-18 03:02:09 | 究極というものの可能性neo

◎禅的悟りの展開

(2010-08-12)

 

『先鋭登山家は生き残るためにきわめて直観的な認識を必要とする。彼は論理も能力も通じないところをくぐり抜けるために、一種の本能を働かせなければならない。

そういうとき彼はまたさまざまな感覚を極度に受け入れやすくなっている』

(死の地帯/ラインホルト・メスナー/山と渓谷社P169から引用)

 

これは、登山家メスナー自身の言葉だが、ここで働かせた「一種の本能」こそが、禅者の求めるところのもの。禅的悟りが展開したのだと思う。

 

この極めて「直観的な認識」を求めて、山に登らない人は、坐るのである。

 

さらに

『先鋭登山家はしばしば生に非常に貪欲であって、死を受け入れるにいたるまで非常に長い時間を要する。むしろ場合によっては、他人を犠牲にしても自分を犠牲にしないくらいのバイタ リティがあるのである。

しかし瀕死の体験によって、自分と無とが同じであることを理解した者は、死に対する姿勢が変わる。死を憧れたり、死んでいたほうがよかったものをということでなく、死ぬことをそれまでほど恐れなくなるのである。

登山家が、しばしば格好いい言い方で「命を賭ける」のも、自殺とは何の関係もない。彼らは登攀ルートの「計算された狂気」によって死へ赴こうとしているのではなく、実は生へ、自分自身へ到達しようとしているのである。

このことをすでにランマーがその著『ユングボルン』の中で明確に述べている――

「このころは私は山に入ると、以前よりずっと生命のぎりぎりまで肉迫した。しかし断わっておくが、死んでもいいというような気分でではない。逆に、まさにそこでこそ、私は私の中の一番奥底から、あくまで生き抜こうとする建設的な力がわき上がってくるのを感じたのであ る。」』

(上掲書P178から引用)

 

まず、『自分と無とが同じであることを理解した者』とは、最低でも見仏見神した人のこと。死をそれほど恐れないということだが、瞑想家で言えば、素直に自分自身に向き合えているということ。自分自身に向き合うことほど恐ろしいものはない。

歴戦の先鋭登山家が皆このようであったなら、とても素晴らしいことである。武道のような“登山”道を半ば極めている。

航空機パイロットの訓練や宇宙飛行士の訓練メニューは、最後の最後までどんな意外なインシデントであっても生き残る方法を求める方向であるらしいが、死に向き合っていることに関しては、先鋭登山家と変わりはない。

航空機パイロットや宇宙飛行士で瀕死のピンチから生還した人はどう思っているのだろうか。

なお登山でも飛行でも、その道で悟れば、クンダリーニとか言わないので、それは禅的悟りである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする