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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

イエス出現の因縁

2025-04-24 20:06:30 | 古神道の手振りneo
◎野立彦神の跡を慕いて
(2010-05-23)

霊がかりの話題はあまりしてはいけないが、出口王仁三郎は、イエス出現の因縁は、伊邪那岐尊(イザナギ)、伊邪那美尊(イザナミ)の二神の最初の出会いで、女性の伊邪那美尊(イザナミ) の方から声をかけたのだが、それで生まれた淡嶋の少名彦神のなれの果てであるとする。

つまり葦船で流された蛭子が外国に長くあって、幽界修業を積んで、やがてユダヤにイエスとして現われたるものとする。女性から声をかけるという、順逆を犯すという昨今の世間的常識では問題にならないことが、イエスを十字架での贖罪に陥れせしめたもともとの原因になっている。


誰が誰の生まれ変わりという話は、低級霊能者の見解(誰々は爬虫類の生まれ変わりなど)を始め、いくらでもどんな話でも転がっているもので、基本的には信用しないことにしているが、覚者のそういう話をする場合は無視できないものである。この内容は、日本神話にイエス出現の因縁があるというもので、奇想天外ではあるが、何回も実際に死んで死の世界を見に行った出口王仁三郎の談話であるからこそ、信じられようというもの。

イエスである少名彦神もまた、野立彦神の跡を慕って旅に出た(野立彦神は、天教山の噴火口に身を投げて、幽界に入った)というのは、野立彦神が霊界物語物語の極めて重要な登場人物であることを物語っているように思う。

『少名彦神は野立彦神の御跡を慕ひて、幽界の探険に発足さるる事とはなりける。

その時成り出でましたる嶋は、前述のごとく淡嶋なりき。淡嶋は現今の太平洋の中心に出現したる嶋なるが、此天地逆転の神業によつて、其根底は弛み、遂に漂流して南端に流れ、地理家の所謂南極の不毛の嶋となりにける。

 而て此の淡嶋の国魂として、言霊別命の再来なる少名彦命は手足を下すに由なく、遂に蛭子の神となりて繊弱き葦舟に乗り、常世の国に永く留まり、その半分の身魂は根の国に落ち行き、幽界の救済に奉仕されたるなり。

この因縁によりて、後世猶太の国に救世主となりて現はれ、撞の御柱の廻り合ひの過ちの因縁によりて、十字架の惨苦を嘗め、万民の贖罪主となりにける。』
(霊界物語6巻22章神業無辺/出口王仁三郎から引用)

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皇居の激しい空襲被害

2025-04-21 06:56:55 | 古神道の手振りneo
 ◎神知らぬ民草のできることと結果
(2022-05-09)


第二次世界大戦末期の皇居の空襲被害については、あまりまとめて書かれたものを見たことがなかった。戦後になっても、いろいろと憚られることが多かったのだろう。


『日本史の内幕/磯田道史/中央公論新社』では、宮内省主馬寮職員の日誌に次のことが書いてある由。


『最初の被害は二月二十五日で「主馬寮分団・厩舎区に焼夷弾約百五十発落下」「火 災を発生せる箇所、御裁縫所・済寧館(道場)前倉庫・・・用度課倉庫・内閣文庫(書 庫)・御局(つぼね)等焼失」。


二度目は三月十日の大空襲。「庁舎に対しては集団的焼夷弾の落下「あり」。宮内省主馬寮は全焼した。


三度目は四月十三日で、皇室一家にミルクを提供する御料乳牛場の飼料庫などが焼け た。この日、雅楽奏者の職員等が焼死し、霊柩が二つ、宮内省内にならんだ。四月二 十九日の昭和天皇の誕生日の拝賀行事もたびたびの「(空襲)警報発令中、取止め」と なっている。


四度目の五月二十五日の大空襲で「大宮御所・各宮邸(久邇宮家を除く) にも火災」「遂に宮城(皇居)表御座所(執務室)外、烏有に帰し多数の犠牲者(三三人)を出すに至る」。皇居は四度の空襲で宮殿をほぼ失った。


こんなふうだから、この頃、皇室の男子は全滅の危険をさけるため一か所におらず分 散させられていた。』
(上掲書P47-48から引用)
※焼夷弾とはナパーム弾のこと。


米軍の空襲で焼け野原になったのは、民草の居住地ばかりと思っていたが、皇居宮殿も焼け野原になっていたとは!
五月二十五日の大宮御所消失で住人であった貞明皇太后から終戦の要望も出されていたことも伝えられているが、実際の終戦は、2か月後の原爆投下とソ連参戦を待たねばならなかった。


ウクライナもそうだが終戦は、戦場となった国の都合よりは、攻撃国の都合優先で決まるものだろう。惨禍を蒙るのは、戦場となった国の民草である。


皇居がこんな具合になって、皇統断絶を恐れ、当時皇太子だった平成天皇などが全国に分散疎開された由だが、悠仁様の代は、分散などできず、対応に窮するのではないか。


日本人には、家系の先祖代々の氏神があって、土地の産土(うぶすな)神があって、都道府県の一の宮があって、伊勢神宮があって、国体としての天皇がおわします。


そういうヒエラルキーも都市集中、核家族化と家庭の崩壊分解、高齢化、少子化で大分こわれてきてはいる。


だが、日本人なら清明(きよあけ)き心である大和魂がその根底にあることを無意識に感じるものなのではないか。時はクリスタル・ピープルなる水晶魂(すいしょうみたま)の時代ではあるが、それは漫然として成るのでなく、日々の善行と冥想による。


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出口王仁三郎と本田親徳との出会い

2025-04-13 05:47:12 | 古神道の手振りneo

◎古神道本流

(2010-04-23)

 

出口王仁三郎と本田親徳との出会いは、あまりにも古神道のビッグ2の出会いのなので、史実ではなく、作り話だろうとする説を読んだことがある。

ところが、
『○本田親徳翁との初対面

王仁が本田親徳翁に会ったのは梨木峠である(明治二十一年十八歳の折)。本田親徳は伏見のお婆さんにいなりがかかっているのを見て研究したのである。十七歳の娘の子とは本田先生の子である。(昭和十八年)

(参照)「神霊界」大正七年六月一日号「霊学研究に就いて」
「神諭」大正七年十二月二十六日(女子が十八歳になりた春、丹波国大枝坂の梨の木峠で神界からの経綸で霊学中興の偉人・本田九郎親徳に途中に対面いたさせたのも、皆神の経綸の引合わせで有りたぞよ)』
(新月の光(下)/木庭次守編/八幡書店から引用)

文中の女子は出口王仁三郎のこと。出口王仁三郎がその邂逅を認めているのだから間違いなし。

この切羽詰まった時代に、もはや霊言などを相手にする余裕はないが、当時霊学という切り口で、死の世界をも包摂するテクニックを中興した偉人たちの遺産がなければ、古神道の現代における展望もない。出口王仁三郎は無我に行き着いてピークを見たというのが一里塚なのだと思う。

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天之沼矛の風景―5

2025-02-27 03:58:10 | 古神道の手振りneo

◎言霊の発達方法 異性にて同声音

(2015-04-04)

 

イザナギ、イザナミの最初の愛の語らいは女性から声をかけるという順逆を侵した罪により水蛭子が生まれたので、葦舟に入れて流してしまった。自分の子供なのになんてこと・・・などと思うのが一般的。

 

これを言霊にて読むと、

あ行の【お】とわ行の【を】は異性にて同声音。異性というのは母音(ここではア行、ワ行、ヤ行)が異なるということだろう。

 

同様に

あ行の【う】とわ行の【う】は異性にて同声音の【う】。

あ行の【え】、わ行の【ゑ】、や行の【え】も異性にて同声音の【え】。

あ行の【い】、わ行の【ゐ】、や行の【い】も異性にて同声音の【い】。

 

ここでわざわざこれを説かねばならない理由は何かと察するに、人の輪廻転生とからむのではないか。

 

Aという人は、死んでまた輪廻転生した場合、かなりAさんに近いけれどもAさんそのものではないA´さんとして転生するという。これが、異性にて同声音なのではないか。

 

人類全体を大樹と見て、人はある幹のある枝からAさんとして生じて死んで大樹に戻る。再生するときも大方は同じ幹同じ枝から転生していくが以前とまったく同じAさんではない。

 

これを「水蛭子(ひるこ)を 産)む」としたのではないか。

 

 

『子蛭子(みこひるこ) 生(う)むとふ 神文(こと)は 鳴出(なりいづ)る 声音(こゑ)の 等しき 意義にして

【あ】行(しま)【お】声(ごゑ)と【わ】行(しま)の【を】声(ごゑ)

【あ】【わ】の 行(しま)なる【 烏(う)】声(ごゑ)と【う】の神声(みこゑ)

【あ】【わ】【や】の行(しま)の【ゑ】【衣(え)】【延(え)】と 【い】【ゐ】【 以(い)】の声(こゑ)の異性(いせい)にて

  同声音(どうせいおん)の 意義(いぎ)ぞかし  これぞ 水蛭子(ひるこ)を 産(う)むといふ  』

(霊界物語第六巻28章の言霊学釈歌から引用)

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天之沼矛の風景―4

2025-02-26 03:53:34 | 古神道の手振りneo

◎言霊の発達方法ワ行ヤ行

(2015-04-03)

 

出口王仁三郎は、古事記のイザナギ、イザナミの恋の語らいのシーンを以って、言霊結合の説明素材とし、陰なる【あ】と陽なる【う】の合体で、【わ】が生じ、更に【え】【あ】の声の結合で【や】が生ずることを述べた。【わ】と【や】は、更に二柱神の最初に生まれた子が蛭子である一見不幸な出来事も、以下のように【わ】と【や】に関する言霊結合の説明だとする。

 

要するにワ行は母音【ワ】+父音【アオウエイ】だが、【ワ オ ウ ヱ ヰ】のすべて声に変化がないこと。

ヤ行は母音【ヤ】+父音【アオウエイ】だが、【ヤ ヨ ユ エ イ】の中の【イ】だけ変化があって、【ヤ ヨ ユ エ】は変化なしと見る。

 

このワ行ヤ行の変化の活用を「久美度邇興而(くみどにおこす)」とする。

 

※久美度邇興(くみどにおこして)は、婚姻の行われる場所で行為することと一般には訳される。

 

『○

久美度邇興而子水蛭子(くみどにおこしてみこひるこ)  生むは【わ】 声(ごゑ)を 母音とし

 【あ】 行(しま)【 烏(う)】【え】【い】を 父音(ふおん)とし

 【わ】【烏(う)】の 二声を結び付け 【わ】 行(しま)の【う】声(ごゑ)に 変化なし 

 【わ】【ゑ】の 二声を結び付け 【わ】 行(しま)の【ゑ】 声(ごゑ)に 変化なし

 【わ】【い】の二声を結び付け 【わ】 行(しま)の【ゐ】 声(ごゑ)に 変化 なし  

 

次(つぎ)に【や】 声(ごゑ)を 母音(ぼいん)とし

 【あ】 行(しま)【お】【 烏(う)】【え】【い】 父音(ふおん)とし   結声(けつせい) 変化す 意義ぞかし

 【や】【お】の 二声を結び付け 【や】行(しま)の【よ】 声(ごゑ)に変化なし

 【や】【 烏(う)】の 二声 を 結び付け  【や】行(しま)の【ゆ】 声(ごゑ)に 変化 なし

 【や】【え】の 二声 を 結び付け  【や】行(しま)の【 延(え)】 声(ごゑ)に 変化 なし

 【や】【い】の 二声 を 結び付け  【や】行(しま)の【い】声(ごゑ)の 変化なす

 この 言霊(ことたま)の 活用(はたらき)を 久美度邇興而(くみどにおこす)と 称(とな)ふなり』

(霊界物語第六巻28章の言霊学釈歌から引用)

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天之沼矛の風景―3

2025-02-25 20:47:42 | 古神道の手振りneo

◎言霊の発達方法

(2015-03-31)

 

霊界物語第六巻28章の言霊学釈歌(ことたまがくしゃくか)の続き。

 

数霊と五大父音【あ】【お】【う】【え】【い】の中の【あ】【お】の説明は出てきた。引き続いて【う】【え】の説明

 

『○鳴々而(なりなりて) 鳴合(なりあ)はざるは【あ】の声(こゑ)ぞ   鳴余(なりあま)れるは【う】こゑなりけり

 

○【う】【あ】のこゑ 正しく揃(そろ)ひて 結び合ひ 変転(はたらき)するは 美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)

 

○【う】【あ】の声 結びて【わ】声(ごゑ)に 変化(はたら)くは 阿那邇夜志愛上袁登古袁(あなにやしえーをとこを)といふ

 

○【え】【あ】の声 結びて【や】 声(ごゑ)に 変化(はたら)くは 阿那邇夜志愛上袁登売袁(あなにやしえーをとめを)といふ

 

○ 女人先言不良(をみなまづことさきだちてふさはず)と 言へる 神文(みこと)を 調(しら)ぶれば 以前の方法形式で

  言霊(げんれい) 発達せざるてふ 意義の大要 含むなり』(霊界物語第六巻28章の言霊学釈歌から引用)

 

なりなりてなり合わざるは【あ】であって、なりなりてなり余れるは【う】である。これを結合させる秘儀が、美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)。

 

陰なる【あ】と陽なる【う】の合体で、【わ】が生ずる。

更に【え】【あ】の声の結合で【や】が生ずる。

 

女が先に男に声をかける逆ハントがまずいということではなく、出口王仁三郎は『女人先言不良』とは、以前の方法形式では言霊は発達しないと説明する。

 

言霊を使いきれるレベルであるアートマンたる小戸のあはぎが原に至らぬと、言霊の利用免許は出ないということか。以前は自在に言霊を用いるということではなく、神の許し給うた範囲内でということか。

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天之沼矛の風景―2

2025-02-24 03:17:25 | 古神道の手振りneo

◎悟っていないと言霊も数霊もアクセス不可

(2015-03-29)

 

霊界物語第六巻28章の言霊学釈歌(ことたまがくしやくか)中に天之沼矛が出て来る。

 

『○日(ひ)の本(もと)の国の語(ことば)の源は ただ五声(いつこゑ)の竪端(たちばな)の父音(おど)

   

○多陀用弊流国(ただよへるくに)といふ 意義は あおうえい 五声父音(いつつのこゑ)の 発作(おこり)なりけり

 

○久方の 天(あま)の沼矛(ぬほこ)と云ふ意義は 言語(ことば)の 節(ふし)を 調(ととの)ふ 舌(した)なり

 

○立花(たちばな)の 小戸(をど)の あはぎが原に 鳴る 【お】こゑを 天(あま)の 浮橋(うきはし)といふ

 

○塩許袁呂(しほこをろ)、 許袁呂邇画鳴(こをろにかきな)すその意義は 【お】と【を】の 声(こゑ)の 活用(はたらき)を 云(い)ふ

 

○数音(かずのね)を 総称(すべとな)ふるを 島(しま)といふ 淤能碁呂島(おのころじま)は【を】こゑなりけり

 

○【あ】【お】【う】【え】【い】 素(もと)の 五つの 父声(おやごゑ)を 天之御柱神(あまのみはしらがみ)と 総称(そうしよう)す

 

○宇宙(おほかた)に 気体(きたい)の 揃ひ在る 意義を 我(わが) 言霊(ことたま)に 八尋殿(やひろどの)といふ』

(霊界物語第六巻28章の言霊学釈歌から引用)

 

まず日本語の根元は、あおうえいの5声から発すること。

その5声は、古事記冒頭の記述の多陀用弊流国(ただよへるくに)が発生源であること。

 

そして天の沼矛は、言霊コントロールのハンドルである舌そのもののこと。言霊ハンドラー、錬金術的ハンドラーが天の沼矛である。

 

立花の小戸のあはぎが原とは、一切万物かつ実相真如(霊界物語10巻第二七章 言霊解一)だとするので、アートマンのことである。ここで鳴り渡るバイブレーション、音響のことが【お】であり、【お】を天の浮橋という。上の次元ニルヴァーナからも懸隔し、下の次元コーザルからも懸隔しているからこそ、浮橋である。

 

あおうえいの5声の系列の他に数霊の系列がある。数霊の総称が【を】である。塩許袁呂(しほこをろ)、 許袁呂邇画鳴(こをろにかきな)す、と古事記で語るのは【お】と【を】の両系列の働きを示している。

 

そこで数霊数音の総称が島であり、淤能碁呂島(おのころじま)は数音の総称【を】である。一切万象とも見れる。

 

古事記で『伊邪那岐命、伊邪那美の二柱の、淤能碁呂嶋へ御降臨ありし後は、伊弉諾の大神、八尋殿を造りて、これに造化の三神を祭り玉ひ、同殿同床の制を布き云々』とあるので、八尋殿とは、今ここのことである。ここの気体とは微細身、微細次元くらいの意味ではないか。

 

大いなるかな、言霊数霊の根本。しかし小戸のあはぎが原たるアートマンがベースなので、悟っていないと言霊も数霊も正当なアクセス不可ということである。

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天之沼矛の風景-1

2025-02-23 21:10:00 | 古神道の手振りneo

◎天と地の間の動くありがたい筒

(2015-03-28)

 

天之沼矛は、まず古事記の劈頭に出現する。

 

『そこで、天津神一同は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の神に、この漂える国土を修理固成せよと命じて、天之沼矛を授け、お任せになった。

 

かの二柱の神は天の浮橋の上にお立ちになり、天之沼矛を差しおろしかき回し、塩こをろこをろに画き鳴らし、引き上げた時に矛の先から垂れ落ちた塩が積り積もって島となった。これをオノゴロ島という。』

 

オノゴロ島は日本のことだ、地球のことだと云うが、現象世界全体のことを指すと見なければ、この場面に引き続きその二柱神が陰陽の様々な組み合わせで、この世のものあの世のものを産出していくことと平仄が合わない。

 

従って天之沼矛は、玉飾りを施したおしゃれなスティックであるなどというデザインのことは、実はどうでもよいことであって、天之沼矛の機能が高度に錬金術的なシンボルであることの方が肝心であると思う。

 

精神分析学者ユングが、窓の外の太陽を見ながら首を左右に振っている統合失調の患者に、「何をしているのですか」と問うた。するとその患者は「あの太陽から黒いペニスがぶら下がっている。オレが首を振ると、それに合わせてあのペニスが動いて、世界に風が吹くことに気がついたんだ」と答えた。

 

後日ユングは、古代ミトラ教文献で、それと同じような記述「太陽からは『ありがたい筒』が地面へと向かってぶら下がっている。その筒が西に傾くと東風が吹き、東に傾くと西風が吹く」という件りに遭遇して、黒いペニスのことが単なる患者の個人的無意識の表出でないことを発見する。

 

天と地の間の動くありがたい筒とは、天地間をかき回す天之沼矛のビジョンに近い。

天之沼矛とは、このレベルで錬金術的なのだ。

出口王仁三郎は、天之沼矛の現象創造・コントロール機能を更に詳述してみせる。

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岡本天明が出口王仁三郎に会いに行く

2024-11-21 06:57:17 | 古神道の手振りneo

◎二度目の面会チャレンジも失敗

(2015-05-22)

 

岡本天明は、日月神示のシャーマン。依代の常として、降りた神示の解釈は、岡本天明自身が行うことはできず、通常は審神者が行うもの。

 日月神示は、昭和19年6月から岡本天明に降りて、自動書記した。天明は、神示を降ろしている神は、出口ナオに関係する神霊らしいと考えて、天明は、日月神示の審神を受けに亀岡に向かった。しかし、中矢田農園に居る出口王仁三郎に2度に亘って面会を試みたが、結局出口王仁三郎に会えずじまいだった。

 二度目の面会チャレンジも失敗におわり、口をきいてくれた倉田地久の前で、天明は男泣きに泣いたという。

(以上出典、岡本天明伝/黒川柚/ヒカルランド)

 

出口王仁三郎は戦後も数年存命であったが、その後存命中にも審神を受けたことはなかったのだろう。

 日月神示は、出口王仁三郎の審神を受けずに、結局漢数字だけの部分の解釈など高田集蔵という人物によるところが多く、今に至るらしい。

 日月神示は、大本系でありながら、出口王仁三郎の審神を経ていない。よって私は十全の信用を置けるものではないように思う。内容や言葉使いなど、既に審神済の大本神諭、いろは歌などに似ているが、内容的にはどんなものなのだろうか。

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日本占領と火の玉

2024-11-12 07:12:06 | 古神道の手振りneo

◎火の玉のいつ飛び出すかわからざる

(2021-10-26)

 

出口王仁三郎のいろは歌から、日本占領の企ての予言。

『ねらう要所は対馬に津軽、馬関海峡其次ぎに、舞鶴軍港岸和田の、間の軍備に眼を着て、地勢要害取調べ、又も越前敦賀より、尾張の半田に至るまで、国探を放ちて探索し、一挙に御国へ攻め寄せて、総ての活動中断し、日本を占領する企み。』

(いろは歌:小松林命作)

※小松林命:出口王仁三郎の正守護神

 

次に火の玉。出口王仁三郎は関西にあって、東の空の火の玉を見る。何のことだろうか。

 

『東の空に魍魎(もうりょう)のむらがりて火の玉となり荒れ狂はんとすも』

(出口王仁三郎の歌集 言華P280)

 

『火の玉のいつ飛び出すかわからざる東の空は常闇(とこやみ)なるも』

(言華P282)

 

○日本の立替と戦争

『北海道は○○やなあ。東北地方は半ば占領される。戦争で日本の立替はあらかた済むのやな。』

(出口王仁三郎玉言集新月の光/木庭次守編/八幡書店P211から引用)

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大本神歌-4

2024-11-11 07:02:41 | 古神道の手振りneo

◎降る雨里迦(アメリカ)の一時雨、木枯さへも加はりて

(2021-10-31)

 

(大意)

敵であった唐国は、叢雲も砲烟弾雨も晴れ渡って一旦は日本の味方となったのだが、戦後処理の過程の中で、東の空の勢力との調整がうまく行かず、退くに退かれず結局開戦となる。

戦端が開かれると、五十余億(兆?)の軍資をも一年経ぬ束の間に、烟散霧消する大惨事。巨万の死亡者が発生し、農工商の産業も、次第次第に衰えて、進退ここにきわまって、天を拝し地に伏して、狼狽して騒ぐ弱虫の、中身が外国人の身魂は自ら現はれ狂う憐れさである。

青菜に塩の如く、あちこちで溜息が出るばかり。こんな時に、売国奴やら利己主義者も横行し、万時休す。

日本は形としては、祖国を守りながら世界を救った姿となったが、まだまだ安心できぬと言っている最中に、アメリカから一発の暴風雨付き核ミサイルが、一つの国に空から炸裂。それは、山の尾根の紅葉も、はかなく散らして、悲しげな鹿の泣く声が四方に立つことになる。

ここに近代西欧文明は終わり、少々寂しい元の姿の目出たい文明、至福千年が始まる。

 

(本文)

『大本神歌(四)

カラ国の天に漲る叢雲も、砲烟弾雨も晴渡り、日の出の守護と成るなれば、斯上無き御国の幸なれど、十重に二十重に累なりし、糸のもつれの弥繁く、解る由なき小田巻の、繰り返しつつ行く程に、東の空にもつれ来て、退くに退れぬ破目と成り、

 

弥々出師と成る時は、五十余億の軍資をば、一年経ぬ束の間に、烟散霧消の大惨事、鉅万の生霊土と化し、農工商の国本も、次第次第に衰ろヘて、青菜に塩の其如く、彼方此方に溜息を、吐く吐く思案に暮の鐘、進退爰に谷まりて、天を拝し地に伏し、狼狽さわぐ弱虫の、カラの身魂は自から、現はれ狂ふ憐れさよ。

 

然れど日本は千早振、神の守りし常磐国、国の真秀国珍の国、神が表面に現れまして、御国を守り給ひつつ、世界を救ひ玉ヘども、未だ未だ心許されぬ、

 

一つの国の御空より、降る雨里迦の一時雨、木枯さへも加はりて、山の尾の上の紅葉も、果敢なく散りて小男鹿の、泣く声四方に竜田山、神のまにまに四ツの尾の、山の麓の竜館、集り居ます神々の、厚き恵みに照り返す、紅の楓葉の、元の姿ぞ目出度けれ。

大正六年十二月一日』

(大本神歌/出口王仁三郎から引用)

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大本神歌-3

2024-11-10 12:08:38 | 古神道の手振りneo

◎第三次世界大戦
(2021-10-29)


(大意) 
日本は、日清、日露、第二次世界大戦と経てきたが、これからは、更に何段階かの第三次世界大戦がある。
初段は、「戊の、午の年」からスタート。アラスカ、シベリア、モスクワのラインから日本に侵攻開始(アメリカも入っている)。
二段目は、ミサイルや軍用機が天を蔽い、東の空に舞い狂って幕が開く。(二段目は、あまりに悲惨で出口王仁三郎も詳述を避けた。)
三段目になって、ようやく国の御祖神が選んだ48人の神人が、日本心を振り起し、何の猶予もなく、言霊をもって、天下の四方の国々を治めて、ようやく至福千年、千早振る神代ながらの祭政一致、常磐の御代が実現する。

※瑞能神歌:『ほ日の命の現はれて、海の内外の嫌ひなく、降らす血雨の河と成り、屍は積みて山を為す、カラクレナイの敷島の、赤き心は日本魂、火にさへ焼けぬ国魂の、光り輝く時となり、体主霊従の身魂を焼き尽し、水火の国の中津国、下津岩根に現はれし、厳の御魂の勲功の、天照る御代の楽もしさ。』

(原文)
『大本神歌(三)
綾の高天に顕はれし、国常立の大神の、神諭畏こみ謹みて、厳の御魂と現はれし、教御親の神勅に、日清間の戦ひは、演劇に譬へて一番叟、日露戦争が二番叟、三番叟は此度の、五年に渡りし世界戦、

竜虎相打つ戊の、午の年より本舞台、いよいよ初段と相成れば、西伯利亜線を花道と、定めて攻め来る曲津神。力の限り手を尽し、工夫を凝らし神国を、併呑せんと寄せ来り、天の鳥船天を蔽ひ、東の空に舞ひ狂ひ、茲に二段目幕が開く。

三段いよいよ開く時、三千余年の昔より、国の御祖の選まれし、身魂集る大本の、神に仕へし神人が、御祖の神の給ひたる、日本心を振り起し、厳の雄猛び踏み猛び、厳の身魂を元帥に、瑞の身魂を指揮官に、直日の御魂を楯と為し、

何の猶予も荒魂、爆裂弾の勇ぎ能く、神の軍の奇魂、奇しき勲功は言霊の、天照る国の幸魂、言平和す和魂、魂の助けの著るく、轟く御代を松の代の、

四十有八の生御魂、言霊閣に鎮まりて、四方の国々天の下、治めて茲に千早振、神代乍らの祭政一致、開き治めて日の本の、現津御神に奉る、常磐の御代ぞ楽しけれ。』
(大本神歌/出口王仁三郎から引用)

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大本神歌-2

2024-11-09 06:34:30 | 古神道の手振りneo

◎カラ国の侵攻

(2021-10-28)

 

(大意)

連合国の味方であるとこれまで尽くしてきた唐国が覇権戦略に転換し敵対開始、白露国も加わって、連合国が勝つべき戦も負け始め。西の空は暗雲漂い、ついにはインド洋も手中にする。ウラジオ、日本海と跳梁し、日本本土に侵攻し、戦勝までもう一息のところで、

天火水地と結んだ大和魂の言霊のパワーにより、渦巻き猛る荒浪に、敵国の大艦小船残り無く、すべて海底の藻屑となる。 

敵の核ミサイル、戦闘機、爆撃機、ドローン、軍艦、潜水艦も、皆それぞれに亡び失せ、影をも止めぬ惨状に、敵連合軍もおのいて、引き続いてやってくる松と梅の至福千年は、世界を救う、神の稜威であって尊いことだ。

 

(原文)

『大本神歌(二)

聯合の国の味方と今迄は、成て竭せしカラ国の、悪魔邪神が九分九厘、モウ一厘の瀬戸際に、旗を反すと白露の、其振舞いの非義非道、凡ての計画を狂はせて、勝つ可き戦争の負け始め、永びき渡る西の空、黒雲晴るる暇も無く、独り気儘の仕放題、

 

印度の海も掠め取り、茲にも深き経綸為し。次いて浦塩日本海、我物顔に跳梁し、卜ン卜ン拍子に乗り出して、神の御国を脅迫し、モウ一ト息と鳴戸灘、

 

渦巻き猛る荒浪に、大艦小船残り無く、底の藻屑と亡ぶるも、綾の高天に最と高く、空に聳えし言霊閣、天火水地と結びたる、五重の殿に駆け登り、力の限り声限り、鳴る言霊の勲功に、

 

醜の鳥船軍艦、水底潜る仇艇も、皆夫れぞれに亡び失せ、影をも止めぬ惨状に、曲津軍も慄のきて、従ひ仕へ来る世を、松と梅との大本に、世界を救ふ艮の、神の稜威ぞ尊とけれ。』

(大本神歌/出口王仁三郎から引用)

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大本神歌-1

2024-11-09 06:32:13 | 古神道の手振りneo

◎世の終わりからみろくの世の始まりまで

(2021-10-27)

 

大本神歌は、出口王仁三郎のものを平素から読み慣れていないとやや読みにくいかもしれぬ。例によってこの手の文は、三様の意味にとれる言葉が並ぶものだ。

全体として、大正(大正6年12月1日)から世の終わり、みろくの世の始まりまでを韻文で描いている。大意をつけてみたものの、そのとおりかどうか。

 

(大意)

世界各国は、日本以上に軍備を強化し、海中空中、地上地中に兵器を配備し、日本に昔日の軍事大国の面影はない。とりわけアメリカのミサイルについては、国民に注意を呼び掛けていたが、馬耳東風で聞く耳を持たなかった。

戊の、午の春夏秋に懸け(戊午ではなくて、戊と午が分かれているところがヒントか。)、皆散り散りに潜水艦と空襲に逃げ惑う姿が哀れである。

 

(原文)

『大本神歌(一)

東雲の空に輝く天津日の、豊栄昇る神の国、四方に周らす和田の原、外国軍の攻難き、神の造りし細矛、千足の国と称えしは、昔の夢と成りにけり。

 

今の世界の国々は、御国に勝りて軍器を、海の底にも大空も、地上地中の撰み無く、備へ足らはし間配りつ、やがては降らす雨利加の、数より多き迦具槌に、打たれ砕かれ血の川の、憂瀬を渡る国民の、行く末深く憐みて、

 

明治の二十五年より、露の玉散る刃にも、向ひて勝ちを取らせつつ、猶外国の襲来を、戒しめ諭し様々と、神の出口の口開き、詔らせ給へど常暗の、心の空の仇曇り、磯吹く風と聞流し、今の今まで馬の耳、風吹く如き人心、

 

アア如何にせん戊の、午の春夏秋に懸け、心落ち居ぬ荒浪の、中に漂ふ苦しみは、神ならぬ身の知る由も、なく泣く縋る神の前、水底潜る仇艦と、御空に轟ろく鳥船の、醜の荒びに悩まされ、皆散り散りに散り惑ふ、木の葉の末ぞ哀れなり。』

(大本神歌/出口王仁三郎から引用)

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笹目秀和氏のご神業

2024-09-03 04:12:07 | 古神道の手振りneo

◎業障を負う

(2011-12-14)

 

笹目秀和氏は大本のご神体を崑崙山に返還してきた人物。彼のモンゴル神仙邂逅記を読んだ頃は、彼の山あり谷あり苦あり楽ありの人生記は、通常人の10倍20倍の密度で展開しているので、とてもではないが、こんな人生では私ならやっていけないと思ったものだが、これぞ「ご神業」というものであったと、今しみじみと思う。

深山幽谷を訪問しておまじないみたいなことをやったり、集団でパワースポットとされる神社仏閣を参拝するだけが、ご神業ではないのだと思う。

召命、神の側に使命を課されるというのがあって初めてご神業であり、自発的に参拝して回るようなのはご神業と言えるのかどうか。

 

笹目秀和氏が、崑崙山中の疏勒神仙を訪問したとき、疏勒神仙は洞窟に居た。

『疏勅神仙は、その奥のほうに胡座しておられた。

小児かと思われるほど小柄で、顔も童児のような血色のよさである。頭頂には頭の毛がない(いわゆる禿)のだが、周辺には漆黒の髪がはえていて、それを頭上に束ねて結んでいるので、禿はほとんど目立たない。顔立ちも子どものようなので、限りなく童児に近いという感じなのだが、しかしもちろん全然違うのだ。

「拝顔の栄を得ましたことを、最上の喜びに存じます」

わたしは日本語で挨拶した。

「今日ここにこられましたのも、仙師の庇護によるものと、深く感謝いたしております。どうか新たな使命をお授けくださいますよう、お願い申し上げます」

「おお、ごくろうだったな」

仙師のお言葉がわたしの頭の中に入ってきた。

「汝が十二年の活動は、つぶさに知っておる。魔の障害が多かったが、それは汝が世の業障を背負ったためで、世を救うための慈悲行と心得るべきだ」

業障というのは、大自然の法則に違反した結果として、世の中が負担しなければならない代償である。それは地震や津波などの自然災害のかたちで出ることが多いのだが、そうならないでわたしが背負った。そのために、あれだけの苦労をしたというのだ。

その苦労を少しでも軽減するために授けられたのが、“月の精気を食む方法”なのだが、その実践が足りなかったと注意された。

「いまここにきたということは、さらに“太陽の精気を食む方法。”を授けられるということだ。では、これの実践によって、魔障やもろもろの苦労から解放されるかというとそうではない。反対にいっそうたいへんになる。どうだ、耐えられるか」

そう言って、仙師は大声で笑った。

 

「仙師がついておられるからには、断じて耐える決意です」

「そうか。では明日、崑崙山の山頂、モヌマーハルの聖地で、その法を伝授することにしよう」』

(モンゴル神仙邂逅記/笹目秀和/徳間書店p252-253から引用)

 

笹目秀和氏は故人となったが、阪神大震災、関東東北大震災の続発など、日本人がその因縁を自ら背負って清算する時期がきているのだろう。それを負う覚悟、そして正しい生き方を続けるための冥想習慣は、日本人のカルチャーとして必要だと、崑崙山脈を縫うように走る鉄道の映像を見つつ思う。

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