◎はてなブログに移転しました。
21年の長きわたり、アヴァンギャルド精神世界の時代から続けてきたgooblogは、2025年7月16日はてなブログに移転しました。
長期間続けて来られたのは、ひとえに皆様のご来訪のおかげです。感謝致します。
引き続きはてなブログの『アヴァターラ・神のまにまに』もよろしくお願いいたします。
移転先:アヴァターラ・神のまにまに
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◎一滴の水のとうとさを思う
出口王仁三郎の高熊山の洞窟修行は、一週間断食で、たまさかの水が甘露だった。その際の歌。
『二十八歳の頃
四十八宝座の右手に一筋の滝ちよろちよろと落つるを認めし
むらむらと木漏れ陽ゆらぐ谷川の清水掬(むす)びて咽喉をうるほす
旱天に雨を得たるのここちして谷底ふかき溜り水飲む
一口の水に甘露のあぢはひを覚えたりけり初夏の真昼を
珍宝(うずたから)黄金(こがね)白銀(しろがね)何かあらんと一滴の水のたふとさを思ふ
渇きたるときに一口飲む水の味は甘露にまさるおもひす
ちよろちよろと落つる滝水の溜りたるを掬ひて飲めば殊更(ことさら)味よし
夏草のしげる山腹わけのぼり宝座のまへに復(かえ)りて端坐す
谷水に咽喉うるほして更生の気分ただよふ高熊のほら』
(歌集霧の海 生命の水/出口王仁三郎から引用)
海外では、日本のように毎日入浴できるほど水の供給がある国は多いものではありません。
大晦日に徹夜するのは、水の神様に謝するため。
高層ビルは、防火用の何トンもの水をビルに保有するため、さながら水タワー。
仮想通貨のマイニングや半導体製造、原発稼働でも大量の水が必要となっている、この火力文明最終盤の先進文明たち。
水を大切に。
◎1枚の絵では難しいかも
Gemini、Grok、Copilotを使用してクンダリーニのエネルギー・コードが七つの身体を上昇するイラストを作ってみた。Grokは当方の意図通り修正しなかったので、落選。Geminiが秀逸、Copilotはまあまあ。
シーンの数が多いので、動画の方がいいかも。
1.Gemini
2.Copilot
3.Gemini
作画要件は以下。※明かされていない部分は想像で補っています。
【以下の内容で、クンダリーニのエネルギーコードが七つの身体を上昇する絵を描いて下さい。
※七つの身体とは、一人の人間は、肉体、エーテル体(人間の形)、アストラル体(人間の形)、メンタル体(人間の形)、コーザル体(球形)、アートマン、ニルヴァーナ。アートマンとニルヴァーナは、肉体の外側に大きく出る。
1.肉体上方に小さな3人の神霊がやってくる。
2.3人のいずれか1人が肉体の頭に手をふれる。
3.サハスラーラとクンダリーニのエネルギーコードのエネルギーコードだけが光っている。
4.肉体でクンダリーニのエネルギーコードの覚醒
5.肉体で、クンダリーニのエネルギーコードの各チャクラへの上昇。
6.クンダリーニのエネルギーコードは、エーテル体に移り、エーテル体でクンダリーニのエネルギーコードの覚醒
7.エーテル体で、クンダリーニのエネルギーコードの各チャクラへの上昇
8.クンダリーニのエネルギーコードは、アストラル体に移りアストラル体でクンダリーニのエネルギーコードの覚醒
9.アストラル体で、クンダリーニのエネルギーコードの各チャクラへの上昇
10.クンダリーニのエネルギーコードは、メンタル体に移りメンタル体でクンダリーニのエネルギーコードの覚醒
11.メンタル体で、クンダリーニのエネルギーコードの各チャクラへの上昇
12.メンタル体は頭頂から突出。
13.クンダリーニのエネルギーコードは、コーザル体に移る。
14.コーザル体は、頭頂から脱出して空中をクンダリーニのエネルギーコードに沿って直線で上昇。上昇中に地球を見下ろし、銀河系を越える。
15.クンダリーニのエネルギーコードは、アートマンに移り、中心太陽に向かって上昇を続ける。
16.アートマンは、クンダリーニのエネルギーコードに沿ってブラフマン(ニルバーナ)と合一する。
クンダリーニのエネルギーコードが最初から最後まで1本であることを強調。
頭頂の封印を切る神は小さく。
七つの身体の階層をわかりやすく。】
◎クンダリーニのエネルギー・コードを強調
Gemini、Grok、Copilotを使用して七つの身体のイラストを作ってみた。Grokは思い込みが激しいようで当方の意図通り修正しなかったので、落選。Geminiが秀逸、Copilotはまずまず。
1.Gemini
2.Copilot
3.Gemini
Grok がまとめた作図要件は以下で、よくまとまっていたが絵がいま一つ。ネット内のwikiなどを参考に勝手に作図要件を追加していた箇所があり(チャクラの色など)、そのせいか、Grokの絵の出来は良くなかった。
『(Grok)
直接回答
概要
このイラストは、クンダリーニのエネルギー・コードと7つの身体を視覚化します。人物は結跏趺坐の姿勢で、肉体から始まり、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体が重なり合った層として描かれます。これらの層は互いに密接に絡み合い、中心的な複合体を形成します。アートマン体とニルヴァーナ体はこれを包む大きな球体で、アートマン体には三日月のイメージ、中央太陽として強調され、ニルヴァーナ体には太陽のイメージが描かれます。7つのチャクラは脊柱に沿って縦に並び、それぞれの位置(会陰、臍下丹田、臍、心臓、喉、眉間、頭頂)が明確に示されます。特に頭頂チャクラは強調され、エネルギーの流れが会陰から頭頂を通り、アートマン体、ニルヴァーナ体へと続く様子が描かれます。背景は星空の宇宙空間で、錬金術風の象徴的な要素を加えます。
予想外の詳細
興味深いことに、アートマン体とニルヴァーナ体が肉体の外側に大きく広がる球体として描かれることで、個々の存在を超えた宇宙的なつながりを視覚的に表現できます。これは、精神的な成長や啓示の過程を象徴し、単なる身体の層を超えた深遠な意味を持つかもしれません。
調査ノート:クンダリーニのエネルギー・コードと7つの身体のイラスト化
このイラストは、ユーザーが提供した詳細な説明に基づき、クンダリーニのエネルギー・コードと7つの身体を視覚化するものです。以下では、身体の各層、チャクラの配置、エネルギーの流れ、背景の設定などを詳細に検討し、錬金術風の要素を取り入れたイラストの設計を説明します。
背景と設定
ユーザーの要望によれば、背景は宇宙空間または深海とされています。宇宙空間を選ぶことで、星空や銀河が広がる広大な空間を背景にし、アートマン体やニルヴァーナ体の宇宙的なイメージを強調します。これは、精神的な啓示や超越的な状態を視覚的に表現するのに適しています。深海も考慮しましたが、宇宙の方が天体的な象徴性(三日月や太陽)に合致すると判断しました。
人物の姿勢と身体の層
人物は結跏趺坐の姿勢で描かれ、これは瞑想やヨガの伝統的な姿勢であり、精神的な集中を象徴します。以下の表は、7つの身体とその特徴をまとめます:
身体名 |
説明 |
肉体 |
物質宇宙に存在し、7つのチャクラを持つ。 |
エーテル体 |
エーテル宇宙に存在し、半物質で「気」や「プラーナ」に相当。神経系に沿う。 |
アストラル体 |
アストラル宇宙に存在し、肉体に相似だが非物質。 |
メンタル体 |
メンタル宇宙に存在し、透明で光輝く。想念の次元。 |
コーザル体 |
最後の個別性を持ち、球形の光。 |
アートマン体 |
時間空間を含む宇宙全体。個別性はなく、「在ること」が残る。 |
ニルヴァーナ体 |
涅槃、言葉で説明できない宇宙全体を超える状態。 |
これらの身体は、肉体からコーザル体までが重なり合った状態で描かれ、アートマン体とニルヴァーナ体はこれを包む外側の球体として表現されます。具体的には、肉体を中心に、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体が同心円状または層状に広がり、それぞれの特性(発光、色、流動性など)で区別します。
チャクラの配置と強調
7つのチャクラは以下の位置に縦に並びます:
これらは脊柱に沿って直線的に配置され、半円形ではなく縦の配列を強調します。特に頭頂チャクラはエネルギー出口として重要であり、大きく描かれます。各チャクラは小さな円または花の形で、伝統的な色で示されます。
エネルギーの流れ
クンダリーニのエネルギー・コードは会陰から始まり、チャクラを通り、メンタル体で頭頂を出て、コーザル体を通過し、アートマン体(中央太陽、三日月の球体)に突入し、最後にニルヴァーナ体(太陽の球体)に達します。この流れは、発光する線や蛇のような図形で視覚化されます。具体的には:
この経路は、精神的な覚醒やエネルギーの上昇を象徴し、視覚的に強調されます。
錬金術風の要素
ユーザーの要望により、錬金術風の要素を加えます。これは、ウロボロス(蛇が尾を噛む象徴)や他のエソテリックなシンボル(例えば、星や三角形のパターン)を背景やエネルギー経路に取り入れることで実現できます。これにより、イラストに神秘的で古代的な雰囲気を加え、精神的な探求の深さを強調します。
視覚的強調点
詳細な考察
このイラストは、単なる身体の層の視覚化を超え、精神的な成長と宇宙との統合を象徴します。アートマン体とニルヴァーナ体が肉体の外側に広がる球体として描かれることで、個々の存在を超えた普遍的な「在ること」や「涅槃」の状態を表現します。これは、ヨガやエソテリックな伝統におけるクンダリーニの覚醒や高次の意識状態を視覚的に捉える試みです。
また、チャクラの縦の配列は、エネルギーの上昇と脊柱を通じた覚醒のプロセスを明確に示し、頭頂チャクラの強調は最終的な超越への入口を象徴します。エネルギー経路の蛇のような図形は、伝統的なクンダリーニの象徴(巻き上がる蛇)に由来し、生命力の覚醒を視覚化します。』
究極の啓示とは、神人合一ではあり得ず、見ている自分が残っている。「在ること」や「涅槃」を心理や意識だと思っているのだろう。OSHOバグワン団体のHPでも同様の見方が出されており、鼻白んだ。
またクンダリーニ上昇直前にクンダリーニとチャクラが分離することは、知られている。
参考までに、私の出した作画要件文はこれ。
【クンダリーニのエネルギー・コードは、会陰からスタートし、メンタル体で頭頂を出て、コーザル体を通過し、アートマン体なる中心太陽(三日月イメージの球体)に突入し、ニルヴァーナ体(太陽イメージの球体)に突入する。
一人の人間は、肉体,エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体という七つの身体が重なり合って合体した複合体だ。アートマン体、ニルヴァーナ体は、肉体の外側に大きく出る外周円。外側がニルヴァーナ体の円。
第一身体である肉体は、物質宇宙に存在する。七つのチャクラが存在する。七つのチャクラの位置は、頭頂、眉間、喉、心臓、臍、臍下丹田、会陰。
第二身体であるエーテル体は、エーテル宇宙に存在する。エーテル体は半物質であり、「気」「プラーナ」である。神経系に沿った経絡に相当する。神経の骨みたいな形。七つのチャクラが存在する。
第三身体であるアストラル体は、肉体に相似した形。これ以上は物質次元ではない。アストラル宇宙に存在するが、もはや半物質ですらもなく、物質でない宇宙である。七つのチャクラが存在する。
第四身体であるメンタル体は、透明で光輝いている。アストラル体より微細な霊的宇宙つまりメンタル宇宙に存在するが、これも物質でない宇宙である。想念の次元とされる。七つのチャクラが存在する。
第五身体、コーザル体 肉体と世界を形作っている最後の個別性。球形の光。
第六身体、アートマン体。時間空間を含む宇宙全体。 個別性即ち我はなくなったが、『在ること』=有が残っている状態。
第七身体、ニルヴァーナ 涅槃。なまえもなく、言葉では説明できない。宇宙全体を超える。
以上の挿絵を作ってください。背景は宇宙空間か深海。
肉体,エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体は、区分がわかるように。区分の説明は日本語で。錬金術風に。頭頂のチャクラをはっきり。立位でなく、結跏趺坐で。チャクラは半円でなく縦に並ぶ。
中心太陽の月を強調。】
◎瞬間瞬間を悟りをもって二重性を生きる
ある時OSHOバグワンは、副学長の家に滞在。副学長は、二人の息子の将来について、謙虚で真実で正直で宗教的で祈りの心を持っていながら、同時に出世して成功し、十分な教育を受け、高いポストに就き、富裕になり、良い家、良い車、良い妻、社会で尊敬されることを希望した。
OSHOバグワンは、両方が矛盾しているから、二人の息子は分裂すると警告した。
そこで、OSHOバグワンは、成功しようとする人は不誠実で、誰にもバレないように不正行為をし、狡猾な不正直者だと言ってのけている。ダンテス・ダイジも社会的成功者は、外面をとりつくろうのがうまいと、同様のことを言っている。
バウルたちは、「この世とあの世は反対ではない」とか、「食べたり飲んだりして楽しむことと、祈りを捧げることは、相反するものではない」などと言っているが、これは瞬間瞬間を悟りをもって生きる、すなわち二重性を生きるということで覚者だけができる生き様。
悟っていない者が、「此岸も向こう岸も神の同じ川に属する」などと唱えてもしょうがないのだ。
「人はどの瞬間も、楽しく、喜び、祝い、同時に警戒と意識を保ち、将来の展開について完全に認識し続けなければなりません。」とは、ギャップ理論(隙間理論)の人生観で生きるということ。
OSHOバグワンの“The Beloved Vol 2.pdf”から仮訳。
※バウルは、インドのベンガル地方(現在のバングラデシュとインドの西ベンガル州)に伝わる宗教的伝統を持つ吟遊詩人たち。
『(仮訳)
一人でいると、群衆や他者を求めます。誰かと一緒にいると、一人になりたいと思うようになります。誰もがこの問題に直面する必要があるため、これは理解すべきことです。あなたは統合失調症の世界に生まれました。あなたには二重基準が与えられています。あなたは物質主義と精神主義を一緒に教えられてきました。社会全体があなたに矛盾したことを教え続けます。
私は副学長の家に滞在していましたが、彼は新しい世代のことをとても心配していると言いました。彼には二人の男の子がいて、彼らのことが心配でした。神は彼らに謙虚であることを望んでいます。神は彼らが真実で正直であることを望んでいます。彼は彼らに宗教的で祈りの心を持ってほしいと望んでいます。 私は「それでいいよ。他に何をしてほしいの?」と言いました。
「もちろん、彼らには出世してもらいたい」と語った。
私は「成功とはどういう意味ですか?」と尋ねました。
同氏は、「少なくとも私は副首相になった。彼らには十分な教育を受け、高いポストに就き、富に関する限り物質的に成功して、良い家、良い車、良い妻、そして社会で尊敬されることを望んでいる」と語った。すると彼は少し不安になり、「でも、なぜそんなことを聞くの?」と言いました。
私は言いました。「私がこれを尋ねているのは、両方が矛盾しているからです。一方で、あなたは息子に謙虚であってほしいと望み、他方では、息子に野心的であってほしいと望んでいます。今、両方が息子を分裂させるでしょう。一方で、息子は謙虚さ、謙虚さ、単純さという理想を持とうとするでしょう。他方では、成功し、野心的で、達成するという理想を持とうとします。」
野心的な人は謙虚であることはできません。謙虚な人間が野心を持つことはできません。そして彼に祈りを持ってもらいたいですか?そして、あなたは彼に真実で正直であってほしいと思いますか?
世界で成功しようとする人は不誠実でなければなりません。もちろん、誰にもバレないように不正行為をしなければなりません。彼は非常に狡猾な不正直者に違いない。彼は正直なふりをして、不誠実であり続けなければなりません。彼は謙虚なふりをして利己的であり続けなければなりません。しかし、これらはまったく異なる、正反対の目標であり、それを一人の人の中に置くと、その人は常に分裂したままになります。もし成功したら、彼は考えるだろう、「私の謙虚さはどうなったのか、私の祈りはどうなったのか、私の思いやりはどうなったのか」。もし彼が謙虚になれば、『私の野心はどうなったのだろう』と考えるだろう。 「私はどこにもいないのよ」
バウルたちは非常に健康な人々で、統合失調症ではありません。それらの総合を理解する必要があります。まさにその理解があなたを大いに助けます。
「この世とあの世は反対ではない」と言います。彼らは、「食べたり飲んだりして楽しむことと、祈りを捧げることは、相反するものではない」と言います。 「此岸も向こう岸も神の同じ川に属する」と言うのです。そこで彼らは、各瞬間を唯物論者として生きなければならず、各瞬間に精神主義者として方向性を与えなければならないと言います。人はどの瞬間も、楽しく、喜び、祝い、同時に警戒と意識を保ち、将来の展開について完全に認識し続けなければなりません。
しかし、その展開はこの瞬間の喜びに反するものではありません。実際、今この瞬間を喜ぶからこそ、次の瞬間には花がさらに開きます。今この瞬間に幸せになればなるほど、次の瞬間にも幸せになれるようになるでしょう。今日が天国だったとしても、明日は今日から生まれるので、明日が地獄になるはずはありません。』
◎真剣に求め欲するうちに、忽然と門が開いた
ヤコブ・ベーメは、貧しい農家の出身で、正規の教育を受ける機会はほとんどなかった靴職人。25歳の時に、金属製の皿を凝視していた際に、無底と言われる世界の根源を知る神秘的な体験をした。
ダンテス・ダイジは、これを無底の底と呼び、水平の悟りと見ている。
以下は、ヤコブ・ベーメのその神秘体験の21年後の書簡から。書いている内容を素直に読めば、見神なのか、無底の底(神人合一)のかはわからない。文の前半が悟り直前の状況。“あらゆる存在の本質を、その根拠と底なし”が無底の底と思われる。
『私は、ただただイエス・キリストの心臓だけを求めつづけた。そこに身を隠し、神の残酷な怒りから、また悪魔 の攻撃から逃れようとしたのである。また、神が聖霊と恵みを私に与えてくれるように切に願った。神が私を神 のなかで祝福し導くように、神に背いた行為を私からぬぐい去り、神に一切を委ね、私の意志に従ってではなく 神の意志に従って生き、神のみが私を導くように、私が神の子イエス・キリストにあって神の幼児とされるように、切に切に神に請い願ったのである。
こうして「真剣に求め欲するうちに、忽然と門が開いた」。一五分の忘我状態のあいだに、ベーメの霊の目は開か れ、全てを見る恵みにあずかったのである。「この光のなかで、私の霊は一切を見、万物に〔・・・・・・〕神を認め、神とは何者であり、神はいかに存在し、神の意志が何であるかを悟り」、「あらゆる存在の本質を、その根拠と底なしを、さ らには神の聖なる三性の誕生、森羅万象の由来とそのはじまりの姿を、神の智恵を通して見、認識したのである」とベーメは語っている。
もはや、かつて彼を苦しめた憂鬱と悲嘆は、あとかたもなく消え失せたのであった。ベーメは、 もはや神の怒りを恐れる必要はなくなった。今や、神の愛と光に、彼の全存在は包まれたからである。再生は、現世の苦のただなかで、実現したのであった。 』
(ヤコブ・ベーメと神智学の展開 岡部雄三/著 岩波書店P38-39から引用)
ダンテス・ダイジの無底の底。
『禅には、上昇という概念はない。
禅は、あくまでも無底の底への落下である。
ヨーガには、脱落という概念はない。
クンダリニー・ヨーガは、あくまで根源への上昇である。』
(アメジスト・タブレット・プロローグ/ダンテス・ダイジ/森北出版P145から引用)
◎天国と地獄を超えるという方向性
今日で、前身のブログのアヴァンギャルド精神世界スタートから満二十年を数えることになりました。その間休んだのは8日ほど。継続できたのは、ひとえに神仏の助けがあったことと読者の皆様のお蔭です。
人間の成長、成熟と言えば、思春期になること、二十歳で成人になることが代表的だが、悟りを開くのも成熟の一種で、神人合一だから人間を卒業すること。満二十年だが、この間大悟覚醒できなかったのは残念である。
さて、ダンテス・ダイジの詩集『老子狂言』やOSHOバグワンの『瞑想-祝祭のアート』などもそうだが、40年前意味がわからず7,8割読み飛ばしていたものでも次第に読めるようになってきたものもある。一方でチベット密教の秘密集会文献のようにほとんど歯が立たないものもある。秘密集会文献では、精液、経血などがばんばん登場するが、似た情景が道教の朝鮮の神人姜甑山によく登場するのは知っている。宗派は異なれど、クンダリーニ・ヨーガ系は似たようなことをやっているのだ。
ここ数年の事績と言えば、『ジェイド・タブレット』を完成させたこと。これは、人間には、各々霊線(クンダリーニのエネルギーコード)があって、これを根源までさかのぼると、自分がすべてのすべてである神仏であることに気がつくことができるという、いささかオカルティックな基本線からニルヴァーナを展望しているもの。
横軸、縦軸は、それぞれ水平の道、垂直の道だが、最後のステップは、何だか共通している。
西欧近代文明は、男性優位文明、火力文明だが、世界を席捲している。その象徴としてほぼ全員がスマホを持つことで、半ばデジタルで造られた牢獄に居るのは、この世紀末のシンボルである。特に共産中国は、多数の監視カメラと戸籍に付随した思想管理、WeChatアプリによるデジタル通貨の徹底普及(反共の人は電車の切符も買えず、乞食もスマホで布施を受ける。)と強制収容所と、最先端にいる。中国は、不動産バブル崩壊と、戦浪外交の結果としての外資撤退により、向こう百年経済浮上はないとも見られるが、今後の極限まで発達したデジタル牢獄社会の末路は注目される。
デジタルも生成AIも人工物。OSHOバグワンは、1970年代に、「人工は、利己主義である。」と喝破。デジタルも生成AIも、利己主義を発展助長させるだけで、結局は人間相互の奪い合いや争闘を巧妙に激烈に迅速にするだけのものだということ。
こうした中で、人間意識の隙間にはニルヴァーナが刹那刹那に垣間見えているのだから、自分が神仏であったことに気づく人が続々と出て来てくれる趨勢にあることは間違いない。
そのためには、正しい坐り方、坐相、冥想姿勢で坐ることと、悟った師匠との出会いは欠かせない。そして行住坐臥における善いことをする、悪いことをしない。
昨今ブログを書いて思うのは、これまでの宗教があまりにも天国、極楽、快適、幸福偏重だったものだから、今後は一見現実離れしているかに見えるかもしれないが、「天国と地獄を超える」というのを正面のテーマに据えてみせることが必要だと思う。
その点で、ダンテス・ダイジの老子狂言は貴重である。ダンテス・ダイジに出会った人の中には、彼が覚者であることがわかった人もいた。だが周囲が浴びせる質問は、「悟った人でも怒るのか、悲しむのか?」、「超能力を使ってみせないのか?」、「悟っている有名人や芸術家は誰か?」などという初歩的な質問も多かった。
これから万人が悟る時代になるにあたり、真摯な冥想修行者が聞きたいテーマは、覚者の世界観、日常感覚、その透徹した孤独感、神人合一の実感、感慨なのではないだろうか。そうしたものは、聖書にも禅語録にも載っているが、凝縮されて並んでいる点では老子狂言は、貴重なものだと思う。
厳寒の冬ですが、今後とも宜しくお願い申し上げます。
◎女性のクンダリーニ・ヨーガは未探検
OSHOバグワンは、女性のクンダリーニがどのように上昇するかについては、これからの研究によるとした。だったら、女性はクンダリーニ・ヨーガの方法が事実上ないと宣言するのが親切ではないのだろうか。
ポイントは、以下。
(以下、OSHOバグワンのヴィギャンバイラブタントラ2巻のChapter26 P383-385から仮訳)
『(仮訳)
男性の場合、それは非常に活発に、力ずくで上昇します。だからこそ、彼らはそれを蛇の立ち上がりと呼んできたのです。非常に力ずくで、突然、衝撃とともに、蛇が展開します。そして、それは多くの点で感じられます。それらの点はチャクラと呼ばれています。抵抗があるところならどこでも、蛇は無理に押し入ります。ペ●スがヴァ●ナに入るのと同じように、その通路は男性にとって似ています。エネルギーが上昇するとき、まるで内部のペ●スが動いているかのようです。そして蛇は男根の象徴です。実際には、直接的な言葉を使わないように、ペ●スと呼ばずに蛇と呼んだのです。
あなたはエデンの園の物語を聞いたことがあるでしょう。そこで蛇はイブをそそのかして、知恵の木の実を食べさせました。現在、学者たちは研究しており、この蛇もまた単なる男根の象徴であり、直接言わないように使われたと言っています。ですから、それは本当に知恵の木の実を食べる問題ではなく、セクシュアリティの問題なのです。
同じ象徴がインドでも同様に使われています。蛇が、ペ●スが痙攣しながら勃起し、内側へ移動するのと同じように立ち昇るのです。
しかし、これは女性の感覚ではありません。感覚は全く逆でしょう。女性がペ●スがヴァ●ナに入ったときに感じる感覚、つまり溶けるような感覚、歓迎する感覚、ヴァ●ナが道を譲る感覚、非常に繊細に、非常に受容的な気分で、愛し、歓迎しながら振動する感覚、これと同じことが内部でも起こるでしょう。エネルギーが上昇するとき、それは受容的で受動的な上昇となるでしょう。まるで通路が開くかのように。蛇が立ち昇るのではなく、ドアが開き、通路が開き、何かが道を譲るような感じです。それは受動的で否定的でしょう。男性の場合は何かが入ってきます。女性の場合は何かが開くのです。入ってくるのではなく。
しかし、これまで誰もこのことについて研究してきませんでした。なぜなら、誰も女性を認識してこなかったからです。しかし、今後は、それは必須だと思います。女性の体は無視されるべきではありません。多くの研究と努力が必要ですが、あまりにも多くのピューリタン的で道徳的なナンセンスがあるため、研究し、女性の体が現象にどのように反応するかを示す地図を作成することは非常に困難です。
しかし、私はこのように感じています。すべてが正反対になるでしょう。そうあるべきです。類似しているはずがありません。しかし、最終的なものは同じでしょう。』
◎男が女を知り、女が男を知ることは、ニルヴァーナに到達する一段階
この段は、乳幼児期から成人に至る性的嗜好の推移を示し、どう大悟覚醒に至るかを説明している。
ポイントは以下。
OSHOバグワンのThe Divine Melody P51を仮訳してみた。
『(仮訳)
生まれてくる子供は皆、自慰的です。なぜなら、子供は最初に自分自身を愛することを学ぶからです。それが唯一の自然な方法です。彼は他の誰も知らないので、自分の体で遊びます。生まれてくる子供は皆、自然に自慰的です。それが彼の最初の愛です。
彼の成長の第二段階は、彼が同性愛者になることです――これも自然なことです。彼は自分自身を愛してきました。もし彼が男の子なら、確かに他の男の子を愛し始めます――彼の愛は広がっています。女の子は非常に遠く、全く別の種類の動物です。彼は自分自身を愛しています――他の男の子を愛する方が彼にとって簡単です。女の子は自分自身を愛しています――他の女の子を愛する方が彼女にとって簡単です。男の子は別の世界にいます。これが第二段階、自然な段階です。自慰、そして同性愛です。
そして第三のことは、第三の波は、あなたが他者――反対の性別――を愛し始めるときです。男と女は両極であり、両極が出会うとき、初めて挑戦が生まれます。そうです、葛藤があります――そしてその葛藤が挑戦なのです。同性愛は、確かに、より都合が良いかもしれません。
なぜなら、葛藤があまりないからです。両者は似ています。彼らは互いを理解し、互いのやり方や考えを知っています。両極性はありません――そしてもし両極性がなければ、もちろん葛藤はありませんが、成長もありません。両極性があれば、葛藤が生じ、挑戦が生まれます――相手を理解し、相手のやり方を知るための挑戦です。そして、男が女を知り、女が男を知ることは、精神的な成長の一部なのです。
なぜ精神的な成長の一部だと言うのでしょうか?つい先日、私は、最後の瞬間、第六チャクラ――アジナー・チャクラ――で、男と女の途方もない出会いが起こらなければならないと言っていました。
あなたは内側でも二つに分かれています。男と女です。もしあなたが外側の女性と出会うことができなければ、内側の女性のためのスペースを作ることは非常に難しいでしょう。もしあなたが外側で他者を愛することができなければ、内なる他者のために愛に満ちた空間を作り出すことは不可能でしょう。
男は男だけではありません。男と女が一緒なのです。彼は男と女から生まれました――彼は50/50であり、女もまたそうです。そして究極の内なる出会い、結合、内なる錬金術は、あなたが外の世界でその方法を学んだ場合にのみ可能です。
男が女を愛するとき、彼は何かを学んでいます。男が男を愛するとき、彼は何も学んでいません。女が男を愛するとき、彼女は何かを学んでいます――未知のもの、反対のもの、全く別のものについて何かを。愛し合う男と女は、右脳半球が左脳半球を愛していることを意味します。
ですから、もしあなたが精神的な成長に興味があるなら、あなたは同性愛から異性愛へと成長しなければなりません。もしあなたが精神的な成長に興味がないなら、何も問題はありません。あなたはそのまま――異性愛者でも同性愛者でも、すべて同じです。これで明確になったと思います。もしあなたが精神的な成長に興味がないなら、問題はありません。私は同性愛に反対しているわけではありません。私は何にも反対していません。それはあなたの人生です――あなたが決めなければなりません。私は何者ですか?』
◎求道のためには、同性愛はマイナス
OSHOバグワンは、人間は、異性愛の体験があって初めて、第六チャクラ・アジナー・チャクラの内なる女性を越えて大悟覚醒に進むことができると見ている。
LGBTQ公認の影響で、若い人は「同性愛も」当たり前と思っている人が多いのかもしれないが、1977年のOSHOバグワンは、同性愛の起源と伝統について、卓見を披歴している。
同性愛は、求道的な見地から見ればマイナスなのである。
ポイントは以下。
1.同性愛は、男性支配文化の産物で、ユダヤ教の伝統から生まれたすべての文化は同性愛的。
2.戦争、絶え間ない闘争があるとき、社会は男性支配に傾く。
3.東洋では、比較的平和、幸福、満足に暮らせていたので、同性愛は決して問題にならなかった。
4.継続的に戦争状態にある国に加えて、男性中心のコミュニティは同性愛の温床となる。例えば、仏教の僧院、ジャイナ教の僧院、カトリックの僧院。
OSHOバグワンのThe Divine Melody P50-51を仮訳してみた。
『(仮訳)
この病は男性支配から生まれたものです。先日言ったように、ユダヤ教の伝統から生まれたすべての文化は同性愛的です。イスラム教、キリスト教、ユダヤ教です。その理由は、ユダヤ教が最も男性中心のコミュニティの一つだからです――そうならざるを得なかったのです。
彼らは非常に多くの苦しみを受けてきました。何世紀にもわたって放浪者であり、住む場所がありませんでした。もちろん、男性はますます強力になりました――彼は女性、子供たちを守らなければなりませんでした――そして社会はますます男性中心になりました。
リラックスした社会、物事がうまくいき、食料が豊富で戦争がないときにのみ、異性愛的になります。そうでなければ、戦争、絶え間ない闘争があるとき、社会は男性支配に傾きます。
東洋では、同性愛は決して問題ではありませんでした。実際、それは稀なケースでのみ存在しました。特にインドでは、同性愛は全く問題ではありませんでした。それは非常に例外的なことであり、議論の余地さえありませんでした。その理由は?――その国は途方もない平和、幸福、満足の中で生きてきたからです。戦争はありましたが、インドは自ら戦争をしたことは一度もありません。
誰かがやって来ました――インドは常に征服される準備ができていました。それはあまり気にしていませんでした。やって来た人々は同性愛者でした――なぜなら軍隊は基本的に男性でなければならず、すべての軍隊は同性愛化するからです。軍隊――なぜなら男性しかいないからです――彼らはどこに愛、エネルギーを向けるのでしょうか?彼らは同性愛者にならざるを得ないのです。
ですから、継続的に戦争状態にある国はすべて同性愛化するのです。あるいは、男性中心のコミュニティ――例えば、仏教の僧院、ジャイナ教の僧院、カトリックの僧院はすべて、同性愛の温床となりました。なぜなら、男性だけが許可されていたからです。十分に研究されていませんが、深く掘り下げていくと、男性が一緒にいるときはいつでも、同性愛が必然的に存在することが常にわかるでしょう。
さて、同じことが女性の世界でも起こっています。なぜなら、女性解放運動は、これまで世界で初めて、女性が女性と出会い、基本的に女性中心のグループが作られているからです。レズビアンが増えています。女性が一緒にいて男性に敵対する場合、彼女たちはどこに愛を向けるのでしょうか?男性は敵です。彼女たちは女性を愛さなければなりません。
同性愛とレズビアンはどちらも成長しています。これらは単純な事実です。理解すべきことがいくつかあります。私は同性愛に反対しているわけではありません――なぜなら、私の周りには多くの同性愛者がいることを知っているからです。
もしあなたがより高い可能性に興味がないなら、同性愛は異性愛と同じくらい良いものです。そこに問題はありません。もしそれが単に性的欲求の解放の問題であるなら、同性愛は異性愛と同じくらい良いものです。しかし、もしあなたがより高い成長に興味があるなら、あなたは困難に直面するでしょう。』
◎女性のクンダリーニの活動開始まで
円環の作成から、女性のクンダリーニの活動開始まで。
世の中の誤った情報の氾濫による害毒は、男女双方を侵している。
ポイントは、以下。
(以下、OSHOバグワンのヴィギャンバイラブタントラ2巻のChapter26 P382-383から仮訳)
『女性の場合、瞑想は乳房から始めると良いでしょう。そこが彼女たちの正極だからです。このため、多くの奇妙なことが可能になり、実際に起こります。男性は常にすぐに女性の中に入りたいと思います。彼の正極は常に準備ができているので、前戯には興味がありません。
そして女性は常に、前戯なしにすぐにセッ●ス行為に入るのを嫌がります。なぜなら、彼女たちの負極は準備ができていないからです。そして、それは準備ができないのです。男性が乳房から女性を愛し始めない限り、負極は準備ができません。彼女たちは従うことはできますが、参加はしません。
そして男性は、セッ●ス行為は簡単だと考えます。なぜ時間を無駄にするのか?すぐに女性の中に入れば、数分で終わるでしょう。しかし女性は参加していませんでした。彼女は興奮していなかったのです。だからこそ女性は、恋人が自分の乳房に触れ、愛してくれることを切望するのです。深い切望です。
彼女たちの乳房がエネルギーで満たされたときに初めて、磁気棒の二番目の極、つまり負極が反応するのです。その時、彼女たちはそれに生き生きとし、参加することができ、コミュニケーションが可能になり、そして溶け合うのです。前戯は必須です。
結婚生活が味気なくなるのは、最初に出会った頃、新しい女性と出会うと、あなたは彼女の体で遊ぶからです。彼女が直接的なアプローチを許してくれるかどうか確信が持てないので、あなたは遊ぶのです。彼女の準備ができているかどうかを確認するために、地面を探っているだけです。
しかし、彼女があなたの妻になると、あなたは彼女を当然のことのように考えます。必要がないのです。妻たちは夫に不満を抱きます。夫が愛情深くないからではなく、間違った愛し方をしているからです。彼らは、女性は自分たちとは全く違う形で存在し、彼女の体は自分たちとは正反対に異なる反応を示すことを考えないのです。
乳房に集中し、乳房に溶け込むことで、女性の瞑想者は新しい感覚を得るでしょう。彼女自身の体についての新しい感覚です。なぜなら、今や中心から体全体が振動しているのを感じることができるからです。
女性の乳房を愛するだけで、彼女は深いオルガスムに達することができます。なぜなら、負極が自動的に反応し続けるからです。
他にも多くのことがあります。もしあなたが乳房から始め、乳首を瞑想するなら、本で読んだルートを辿らないでください。それは男性のためのものです。単にどんな図も辿らず、エネルギー自体が動くのを許してください。
それは次のように起こります。ほんのわずかな暗示だけで、あなたの乳房はエネルギーで満たされ、エネルギーを放射し、熱くなります。するとすぐにあなたのヴァ●ナが反応します。そして、あなたのヴァ●ナが反応し、振動した後にのみ、あなたのクンダリーニが働き始めるのです。ルートは異なり、クンダリーニが上昇する方法も異なるでしょう。』
◎すべての男性は、神に到達する前に女性にならなければならない
OSHOバグワンの7チャクラの説明の続き。
第六のアジナー・チャクラは、人間の完成のための洗練の位置であって、それは女性でシンボライズされる。
ポイントは、以下。
近代西欧文明は、アポロン的であり、男性的、攻撃的だが、全意志力をもって神に降伏することで、至福千年がやってくる。
OSHOバグワンのThe_Divine_MelodyのP32-33を以下仮訳してみた。
『(仮訳)
想像力は、意志が降伏したときにのみ生まれます。意志であるのと同じエネルギーが想像力となり、攻撃性であるのと同じエネルギーが受容性となり、戦うのと同じエネルギーが協力となります。怒りであるのと同じエネルギーが思いやりとなります。思いやりは怒りから生まれます。それは怒りの洗練であり、怒りから生まれたより高いシンフォニーです。愛は性から生まれます。それはより高い到達点であり、より浄化されたものです。
神は男性を創造した後に女性を創造しました。なぜなら、女性はその後でしか創造できないからです。最初に粗雑なエネルギーを創造しなければならず、その後でそれを洗練することができます。
洗練は最初に来るものではありません。
そして、この寓話にはメッセージがあります――すべての男性は、7番目に到達する前に女性にならなければならないということです。これは6番目の中心で起こります。ヨガでは、6番目の中心はアジナチャクラと呼ばれています――それは意志の中心を意味します。アジナとは「命令、戒律」という意味です。それは最も強力な中心、6番目の中心であり、多くの人がそこで行き詰まります。
そして彼らは霊的なエネルギーで遊んだり、愚かなことをし続けたりします。第六のセンターでは、人は女性に変わらなければならず、彼の全意志はたった一つのこと、つまり彼が降伏を意志しなければならないことに使われなければなりません。降伏を意志することは世界で最も偉大なことであり、これはあなたが意志力――並外れた、並の意志力ではない意志力を持っている場合にのみ行うことができます。
普通、あなたは降伏する人々を弱虫だと考えます――あなたは間違っています。非常に強い人々だけが降伏することができ、降伏には強さ、偉大な強さが必要です。もしあなたが弱さから降伏するなら、あなたの降伏は無意味で、無力です。もしあなたが強さから降伏するなら、あなたの降伏は意味があり、重要性があります。
第六のセンターで、意志が究極の焦点に達したとき、降伏が可能になります。意志から降伏が生まれます。男から、神は女を創造しました。
第六のセンターで・・・さて、もしあなたが脳外科医に尋ねると、彼らも私に同意するでしょう――彼らは脳は二つの半球に分かれていると言います。男と女、左と右です。左脳は男性で、右脳は女性です。右脳は左手とつながっています。だからこそ左手は評価されず、むしろ非難さえされます。右手は左脳と関連付けられています――それゆえ、右は正しいように見え、左は間違っているように見えます。それは男性志向の世界、男性優位の世界です。右手は男性の象徴であり、左手は女性の象徴です。そしてあなたの頭は二つの半球に分かれています。
詩人は、論理学者とは異なる頭の部分から機能します。詩人はより女性的です。もしあなたが偉大な詩人を見ると、偉大な女性性、優美さ、美しさ、魅力、途方もない引力、カリスマ、女性的なカリスマを見つけることは、ただの偶然ではありません。もしあなたが画家を見ると、彼らが少し女性的であることに気づくでしょう。彼らの服装、彼らの長い髪、彼らの歩き方は、より女性的です。
中国人が観音と呼ぶ菩薩のことを聞いたことがありますか?インドには、非常に慈悲深い菩薩、または仏教の聖人がいました。しかし、仏教が中国に伝わったとき、男性がそれほど慈悲深いというのは中国人には奇妙に思えました。そこで彼らは、その聖人は女性に違いないと考えました!そして彼らは、その聖人を女性として描き、何世紀にもわたって女性として崇拝したのです。
この物語は非常に重要な意味を持っています。仏陀は、彼の顔つき、彼の優美さなど、男性というよりも女性のように見えます。第六のセンターが降伏したのです。論理は愛に降伏し、議論は感情に降伏しました。攻撃性は受容性となり、葛藤は協力に変わりました。今や部分と全体との間に葛藤はなく、部分は全体とともに流れ、部分は手放しの中にあります――全体がそれを所有しているのです。
それが、神が最初に男性を創造し、次に男性から女性を創造したというキリスト教の寓話の意味です。これは、女性的な資質に多大な敬意を払うためです。それらは男性よりも高く、男性から生まれ、男性から花開くのです。そして、七日目に神は休息しました。故郷にたどり着いたとき、他に何ができるでしょうか?サハスラーラは休息の中心、絶対的な休息の中心です――あなたは到着しました。もう行くべき場所はありません。
最も低い――ムーラダーラ――は不安の中心であり、最も高いのは休息の中心であり、この二つの間には七つの区分があります。あなたはそれらを七つの色と呼ぶことができます――そうです、人間は虹です。あるいは、あなたはそれらを音楽の七つの音符と呼ぶこともできます。東洋音楽は音を七つの音符に分けます。サ、レ、ガ、マ、パ、ダ、ニ――これらが七つの基本音符です。そして、これらの七つの基本音符から、すべての音楽――すべてのシンフォニー、すべてのメロディー、すべての歌、すべてのダンス――が生まれます。
覚えておいてください、7という数字は非常に重要な数字です。』