◎ナーローパの修行
近代の錬金術師フルカネリは、黄金変成というか、人間の進化には、本道と近道があることを示唆している。チベット密教でも2つの道があることを認識している。
昔のチベットでは、密教の道を進むためには、過去世から師事し続けてきた真のツァワイ・ラマと呼ばれる霊的マスターに出会わなければならないとする。つまり転生も含めて複数回の人生をかけて師匠に付いて密教修行をする。これが本道。
クンダリーニ・ヨーガなのだから、ゆっくり漸進的に進むのだから、何転生もかかるのは当然といえば当然。
ハタ・ヨーガでは、一生あるいは何生かかけて完璧な体調の完璧な肉体を調整して、その後ようやく瞑想修行に入るので、ハタ・ヨーガにも複数生かけるという流れはある。
これに対して近道がある。
さて10世紀の大物密教者のナーローパが、修行中に仕えていた王子にひどく侮辱され、呪術でもってその王子を殺そうと、秘密の場所にこもり、曼陀羅(魔方陣)を仕立て、儀式を始めた。
すると曼陀羅(魔方陣)の隅に精霊が現れ、ナーローパに「あなたは、王子の霊魂を極楽に移せる能力があるのか、肉体に戻す力があるのか」と質問してきた。
ナーローパは、「いや、自分にはここまでの力はない」と答えると、
『すると精霊は急に険しい表情になり、彼の行っている忌まわしき儀式を強く咎めた。
自分が破壊しようとするものを立て直し、あるいはよりよい状態に変える能力を持たないのであれば、破壊する権利は誰も持たない、と精霊は言った。
そのようなことをすれば地獄に行くだけであると。
恐怖に駆られたナーローパは、どうすればこの運命から逃れられるのかと質問する。するとティローパという名の聖人を探し出し、「ツィチルチサンギャイ」の密教を伝授してもらうよう願え、といわれた。これが「近道」の教えである。
行為の結末から人を救い、「一つの生涯で」菩提を得させる道である。その教えの真意を把握し、実現できれば、二度とこの世に再生することはなくなり、従って、地獄の苦しみを経ることもない。』
(チベット魔法の書/A.デビッドニール/徳間書店P186-187から引用)
たまたまクンダリーニ・ヨーガが満行で、その人生で悟るタイミングであれば、近道とは言えない。
フルカネリの記事では、近道については、只管打坐の道と見たが、クンダリーニ・ヨーギである天台智ギの摩訶止観には、只管打坐とおぼしき坐法もあり、チベット密教での近道も、只管打坐でないということもないのではないか。
ティローパは、寺院で魚を食べ、呪文で骨だけになったその魚に、肉を戻し跳ねさせ再生させるという技を見せたが、これこそ『自分が破壊しようとするものを立て直し、あるいはよりよい状態に変える能力』である。
一つの生涯で菩提を得るとは、今生で悟ること。今生とは今悟ることであって、今生で死ぬ間際に、チベット死者の書マニュアルどおりにタイミングよく悟ることを言っているのではないのではないだろうか。
近代の錬金術師フルカネリは、黄金変成というか、人間の進化には、本道と近道があることを示唆している。チベット密教でも2つの道があることを認識している。
昔のチベットでは、密教の道を進むためには、過去世から師事し続けてきた真のツァワイ・ラマと呼ばれる霊的マスターに出会わなければならないとする。つまり転生も含めて複数回の人生をかけて師匠に付いて密教修行をする。これが本道。
クンダリーニ・ヨーガなのだから、ゆっくり漸進的に進むのだから、何転生もかかるのは当然といえば当然。
ハタ・ヨーガでは、一生あるいは何生かかけて完璧な体調の完璧な肉体を調整して、その後ようやく瞑想修行に入るので、ハタ・ヨーガにも複数生かけるという流れはある。
これに対して近道がある。
さて10世紀の大物密教者のナーローパが、修行中に仕えていた王子にひどく侮辱され、呪術でもってその王子を殺そうと、秘密の場所にこもり、曼陀羅(魔方陣)を仕立て、儀式を始めた。
すると曼陀羅(魔方陣)の隅に精霊が現れ、ナーローパに「あなたは、王子の霊魂を極楽に移せる能力があるのか、肉体に戻す力があるのか」と質問してきた。
ナーローパは、「いや、自分にはここまでの力はない」と答えると、
『すると精霊は急に険しい表情になり、彼の行っている忌まわしき儀式を強く咎めた。
自分が破壊しようとするものを立て直し、あるいはよりよい状態に変える能力を持たないのであれば、破壊する権利は誰も持たない、と精霊は言った。
そのようなことをすれば地獄に行くだけであると。
恐怖に駆られたナーローパは、どうすればこの運命から逃れられるのかと質問する。するとティローパという名の聖人を探し出し、「ツィチルチサンギャイ」の密教を伝授してもらうよう願え、といわれた。これが「近道」の教えである。
行為の結末から人を救い、「一つの生涯で」菩提を得させる道である。その教えの真意を把握し、実現できれば、二度とこの世に再生することはなくなり、従って、地獄の苦しみを経ることもない。』
(チベット魔法の書/A.デビッドニール/徳間書店P186-187から引用)
たまたまクンダリーニ・ヨーガが満行で、その人生で悟るタイミングであれば、近道とは言えない。
フルカネリの記事では、近道については、只管打坐の道と見たが、クンダリーニ・ヨーギである天台智ギの摩訶止観には、只管打坐とおぼしき坐法もあり、チベット密教での近道も、只管打坐でないということもないのではないか。
ティローパは、寺院で魚を食べ、呪文で骨だけになったその魚に、肉を戻し跳ねさせ再生させるという技を見せたが、これこそ『自分が破壊しようとするものを立て直し、あるいはよりよい状態に変える能力』である。
一つの生涯で菩提を得るとは、今生で悟ること。今生とは今悟ることであって、今生で死ぬ間際に、チベット死者の書マニュアルどおりにタイミングよく悟ることを言っているのではないのではないだろうか。