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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

チベットの観想法による癒し-3

2025-03-16 06:49:13 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎癒しの光の身体
(2014-03-15)


チベット僧トゥルク・トンドゥップの四つの基本段階の仕上げ。

『四番目は、信じることだ。ただ見たり、名前をつけたり、感じるだけでなく、じぶんの悲しみは、氷のイメージそのものだと完全に信じ、信頼しなさい。
力の源泉が、じっさいに、絶対的な癒しの力をもって、じぶんの自の前に存在していると信じなさい。癒しの手段がじぶんに触れるだけで、本当に癒すことができると信じなさい。

さらに、本当に、じぶんは完全に癒され、温かさと、至福感と、喜びと、空性の感覚に満たされた癒しの光の身体に変化したと信じなさい。問題が癒されたのを感じ、信じなさい。癒しが起こるのを見、感じ、喜びなさい。困難がやわらぎ、浄化され、吹きはらわれ、取り除かれたと信じなさい。

最後は、考えたり、イメージしたりせず、ただリラックスし、自分の感じている感情がなんであれ、それに心を開きなさい。

すぐに、あとかたもなく消えてしまう問題もあるし、何回かやらなければならない場合もある。

また、周囲の世界を改善したり、出現した問題を変化させる力がどれくらいあるかについては、現実的な目をもつべきだ。瞑想によって、いつでもじぶんのいる環境を変えることはできないかもしれない。だが、それに対する態度を変えることはできる。より平和に、また幸福になり得る。

それによって、状況を改善し、周囲の人間に対する行為の仕方を変えることは可能だ。

癒しの実践においては、瞑想が平和をもたらしてくれる力を、信じることが大切だ。実践に全身全霊を傾け、その問題は完全に消えてしまったと、できるだけ強く感じるべきだ。実際の状況を癒すのが困難に見えたとしても、心配しないようにしなさい。

瞑想のときは、癒しのエネルギーを呼び起こし、その力を信じること以外には、何も気をつかわないようにしなさい。
これが身体と心の内なる力を目覚めさせるための方法だ。』
(心の治癒力/トゥルク・トンドゥップ/地湧社P168-169から引用)


極めて懇切丁寧な説明であって、ここまで説明があれば、グルなしで充分にヒーリングの高い効果を得ることができる。あとは信じ切って実行ができるかどうかだ。

身体の具合が悪い時は起きることもままならず伏せっていることが多いものだが、この観想法では、できれば身体を起してやった方が良いと聞く。

そして奇しくも、禅僧白隠の軟酥の観にも共通する『癒しの光の身体』を用いる。真光、レイキなどの癒しの本質もきっとこれなのだろう。
放射性物質の体外への排出促進もこれでいけると見るのだろう。いずれにしてもここまで文字でオープンにしてくれたトゥルク・トンドゥップには感謝するばかりである。

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チベットの観想法による癒し-2

2025-03-16 06:44:43 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎見て名付ける
(2014-03-14)


まずは、トゥルク・トンドゥップの四つの基本段階について再掲。

【四つの基本段階】
一、癒すべき問題を認識する
二、力の源泉を信頼する
三、癒しの方法を実践する
四、癒しの結果を得る

『心の中で思考が具体的なかたちをとれば、それだけ力も大きくなる。四つの技法はその事実にもとづいている。見ることによって、ものごとは、より生き生きと、じぶんに関係づけられる。

何かに名前をつければ、それに力を与えることになる。
思考の力によって、じぶんとの関係が生まれる。どんな特徴をもっているか感じれば、それに包まれる。力や効果を信じれば、それは事実になる。

たとえば、悲しみを癒すためには、四つの基本段階に、四つの瞑想技法を応用するべきだ。

まず、最初に悲しみをイメージとして見る。静かに、リアルに悲しみを認識する。悲しみの感覚や感情が生まれてきたら、そのまま放置する。そうすれば、感情は解放される。

悲しみの感情が集中している場所―――頭、喉、胸、みぞおち―――を特定することは、必ずしも必要ではないが、助けになることがある。
身体全体が緊張しているように思われることもあるだろう。悲しみがどこにあるにせよ、氷の塊のようなイメージとして、視覚化しなさい。そうすれば、不健康な部分に、癒しのイメージをもって触れることができる。

病の現実を視覚化し、感じ、名前をつけ、信じ、しかもそこに足踏みしなければ、何が問題か、把握する助けになるし、直接にそれを癒すことができる。

力の源泉を、太陽のような光の球として見なさい。熱、至福感、そして無限の広がりをもったものとして見るのである。

癒しの媒体を視覚化しなさい。光の束が力強く燃え上がり、ただそれに触れるだけで、身体の中の悲しみの氷を溶かすことができる、とイメージしなさい。
それはちょうど、氷に投げかけられる、灼熱の太陽光線のようだ。

光の開放空間に、温かさと至福感と喜びが広がる。明るく輝く癒された光の身体になったとイメージしなさい。

二番目にこういうイメージを見るだけでなく、悲しみ、力の源泉、癒しの媒体、癒しの達成に名前をつけ、認識しなさい。

三番目に、悲しみを見たり、名前をつけるだけでなく、感じなさい。ただし、感情に埋没してはいけない。

力の源泉を感じなさい。

癒しの媒体となるエネルギーを感じなさい。そのためには、癒しのエネルギーに呼びかけ、このエネルギーを、じぶんの必要と状況に合わせたかたちに変えなさい。煩悩を吹き払う浄火の大風、生き物をはぐくみ、やさしく慰める雨、光のエネルギーや火の浄化力、あるいはそれ以外のどんなものでもかまわない。じぶんに合った癒しの手段に変えるのである。

温かさと、至福感と、喜びと、強さと、開かれた空性の感覚の癒しのエネルギーによって、完全に満たされていると感じなさい。

最後には、それ以上考えたり、イメージを追いかけたりしないで、ただリラックスして、じぶんがもっている感情に心を開きなさい。』
(心の治癒力/トゥルク・トンドゥップ/地湧社P166-168から引用)

これで見ると、第二段階の力の源泉とは太陽のような光のビジョンである。また第三段階の癒しの実践とは、癒しの媒体の視覚化=見て名付けることである。

そして見たり名前を付けたりするだけでなく、感じるとは、自分でクリエイトしたヒーリングのパワーを受け入れることにより、ヒーリング・パワーのサイクルを作ること。

大いなるかな名付けの威力よ。名づけは、記憶術として知られるだけではなく、想念を現実世界に定着化する手法であった。それをこれほどまでに懇切丁寧に説明してくれている書は極めて稀だといえる。
そしてまた、この手法を自分勝手な願望に用いる人には陥穽が待つ。

ところで「開かれた空性の感覚」って、予備知識のない白紙の状態の人にイメージが湧くものだろうか。簡単に言うけれど、これこそチベット密教流の所定の修行階梯を経ないと感じもつかめないものなのではないか。

これで終わりではなく最後に仕上げがある。(続く)

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チベットの観想法による癒し-1

2025-03-16 06:40:36 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎より精妙なヒーリング・テクニック

(2014-03-13)

 

観想による癒しで代表的なものは、禅僧白隠の夜船閑話である。これは、白いバタークリームを観想して全身に当てるみたいな感じのものである。これに対してチベット密教のトゥルク・トンドゥップは、3種の冥想手法を紹介している。曰く、

1.エネルギーのブロックを取り去る、

2.感情を癒すこと

3.音による癒し

 

この中でエネルギーのブロックによる癒しは、アメリカ発のメソッドとして、オーラ・ソーマとかインディゴ・チルドレンのヒーリング技法のひとつとして紹介されていることの方が多いのだが、実はチベット密教由来だったわけだ。

 

トゥルク・トンドゥップは、

ヒーリング手法の多くは、四つの観想の基本段階からできているとし、次の4種をあげる。

一、癒すべき問題を認識する

二、力の源泉を信頼する

三、癒しの方法を実践する

四、癒しの結果を得る

 

そして、真に効果的な癒しには、想像力、理解、情熱、癒しの過程に対する信頼の力が必要であるとし、癒しの過程をしっかり見つめ、理解し、感じ、信じることによって、

癒しのもたらす効果が大きくなるとする。

 

更に上述の癒しの四段階を強化する技法として、以下のものがある。

一、イメージとして見たり、観想する

二、名前や名称について考える

三、特性について感じる

四、効果を信頼する

 

この強化する技法については、これだけでは漠然としすぎているので、トゥルク・トンドゥップは、「悲しみの癒し」を例にとって説明する。

(以上出典:心の治癒力/トゥルク・トンドゥップ/地湧社)

(続く)

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メディスンマンのヒーリング

2025-03-16 06:29:05 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎乳白色の幕
(2014-03-12)

レイキ、軟酥の観、愉気(野口整体)こうしたものによる、ヒーリングの本体あるいは媒体は、どうしても共通なものにしか思えない。色も性質も。

これは密教の永沢哲さんの友人のJ.D.の妹の友人のスーザンという40代の女性がアメリカ原住民のメディスンマンのヒーリングで全快した話。

スーザンは,3年ほど前から手足に麻痺が生じ,多発性硬化症と診断されていた。病状が進行すると10年のうちに次第に全身の機能が失われ、最後は窒息となる。
スーザンは、最初は通常のリハビリを受けていたが、ゲシュタルト療法、自律訓練法などいろいろやってみたが、はかばかしい結果は得られなかった。

『自分にできることはもうないと感じたセラピストは、彼女がチェロキー・インディアンとの混血であることを知って、インディアンのメディシン・マンの治療を受けるように紹介したのでした。

スーザンは、シアトルについてからすでに二回、そのメディシン・マン、ローリング・サンダーの診察を受けていましたが、ローリング・サンダーは、「偉大なる精霊」のしるしを待っているというだけで、ヒーリングの儀式をやるかどうかについては、一言も触れないままだということでした。

ただ、二回目の診察の時にはひどく不思議なことが起こった、とサラは言っていました。一回目の診察の時、その家の二階に滞在しているローリング・サンダーの部屋まで、文字どおり階段をはい上がっていったスーザンは、普通の病院でうけるような詳細な問診を、うけただけでした。

ところが、二回目、寝台に横になったスーザンの全身を入念にマッサージしていたローリング・サンダーは、彼女が静かに寝息をたてはじめると、助手たちとサラを下の居間におりさせ、自分もベッドの横においたアーム・チェアに腰をおろすと、深いトランスにはいっていったのです。

一階には、二人の助手たちとサラ、それにシアトルでのワークショップの組織者がいましたが、ローリング・サンダーがトランスにはいるとまもなく、猛烈な眠気におそわれ、全員眠りこんでしまったのです。それは、まるで二階にいるローリング・サンダーから、深いトランスの乳白色の幕が降りてきて、家じゅうをすっぽりとおおってしまったみたいだった、とサラは言っていました。

二時間後みんなが目を覚ますと、ローリング・サンダーは二階からゆっくり降りてきて、「彼女はほんとうに、つらい人生を送ってきた」とひとこと言うと、庭のすみからつづく森の方へ、夜の闇の中を消えていきました。その目は赤く充血し、目じりはうっすらとしめっていたのです。』
(野生のブッダ/永沢哲/法蔵館P140-141から引用)

これで、スーザンは快癒し、フロリダで乗馬をするまでになった。
サラは、そのヒーリングの本体を乳白色の幕と見た。チベット密教では癒しの光の身体、白隠は軟酥ヨーグルト。色や形状を云々しても仕方がないが、皆同じ原理・媒体を用いているのではないか。

病に苦しむ人にとっては、回復は重大事。この世のあらゆる成功、賞賛がそれまでの何世にもわたるカルマの総決算であるように、病も総決算。それを避けようとするかどうかは、一律には論じられないが、病気からこのような手段で回復できるというのも人間に与えられた6つのメンタル体チャクラのひとつに配当された『自由』の証拠なのだと思う。

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白隠禅師の軟酥(なんそ)の法

2025-03-16 06:28:07 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎バタークリーミー

(2014-03-10)

病弱な白隠は、京都白川の山奥に白幽仙人を訪ねた。観想により軟酥というバタークリームみたいなのが全身に浸みわたり回復せしめる。これをやるには、3分間、5分間といったわけにはいかないし、スマホ片手にはできない。

『そこで私が、「軟酥を用いた内観の法をお教え頂けますか」とお願いすると、白幽仙人は次のように話された、

「坐禅をしておっても、身体の調子が思わしくなく、身心ともに疲れるようなことがあった場合、次のような観想をするとよいだろう。
まず、色も香もよく清浄な軟酥の、鴨の卵ぐらいの大きさのものを、頭のてっぺんに置いたと想像せよ。

その絶妙な風味が骨を透ってあまねく頭の中をうるおす。
そして、だんだんと浸みわたり下って来て、両肩から左右の腕、そして両乳・胸膈の間に浸み、さらには肺・肝・腸・胃、そして脊梁骨、臀骨へと、次第に浸みていく。

こうして、下に浸み流れる時に、胸の中につかえた五臓六腑の気の滞りや、その気の滞りによって生じた痛みは、観想する心とともに、さながら水が低きに流れるように、音をたてて降下するであろう。
そして、体中をめぐり流れ、双脚を温め潤し、足心に至って止まる。

その時、次のような観想をしなさい。この浸々としみながら流れ下る流れがあふれ溜まって、暖めひたすこと、ちょうどよい香りのする各種の薬草を調合し煎じて、この薬湯を浴盤(たらい)に湛えて、それに臍輪以下を漬けひたしたようである、と。

一切は心のあらわれであるから、このように観想するらならば、実際にめずらしい香気を嗅ぐことができ、身体も触り心地のよいものに包まれた感覚を味わうであろう。身心は調和し、二三十歳の青年の時よりはるかに勝ると感じるようになろう。
かくして、体内の滞りは消え、胃腸も調子よく、いつのまにか肌の色つやも輝くばかりになっていよう。

この観想を怠らずに努めるならば、どんな病も治り、徳も知らず識らずのうちに積まれ、いかなる仙道にも勝る結果を得るであろう。ただ、その功験に、遅速はあるが、それはこの法を熱心に進修するかそうでないかによるだけのことである。

自分も若い時ははなはだ多病で、そなたの十倍も苦しんだことがある。あらゆる医者にかかって、すべての方法を試みたが、治る手立てはなかった。そこで、神々に祈り天仙のお助けを請い願ったのだが、幸いにも、この軟酥の妙術を伝受することができた。歓喜に堪えず、たゆまずにその法を精修したところ一月もせぬうちに、病の大半は消えたのだった。』
(白隠禅師法語全集 第4冊 夜船閑話 白隠慧鶴/原著 禅文化研究所P27-29から引用)

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治癒=ヒーリングの本丸

2025-03-16 06:23:56 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎食料事情や医療事情

(2014-03-09)

 

エーテル体の11番目の命題

(11) 治癒=ヒーリングの本丸

 

エーテル体を意識した治癒手法は、気功、太極拳、東洋医学の経絡を中心にした手法の他、広義の観想法などでも利用されてきた。概観すると、エーテル体単独で働きかけるものと、観想法を利用したメンタル体とエーテル体の組み合わせで行うものの2種があるように思う。

 

現代中国では、医師不足であるため、病気になると医者にかかるよりは、まず薬湯を飲むのが一般的だそうだが、医者も薬品も少なかった近代以前では、エーテル体を意識した治癒手法が最も安価であった故にノウハウも連綿と伝承されてきたのではないだろうか。

 

中国で一般的なエーテル体操作と言えば太極拳。共産中国で太極拳を健康法の一種として国民に広めたのは、必ずしも十分とは言えなかった食料事情や医療事情による健康への脅威をいささかでも軽減しようと言う為政者の智恵が仄見える。但し太極拳では観想法は用いない。

 

以下に挙げる例では、メンタル体における観想により、エーテル体を励起させ、肉体を治癒せしめるというメカニズムでもって、洋の東西を問わず、ヒーリングしていることが注目される。

 

白隠禅師の軟酥(なんそ)の法

平田篤胤の養父篤穏の養生法

メディスンマンのヒーリング

チベットの観想法による癒し

 

※現代社会では、エーテル体の存在も認められておらず、また業として他人に医業類似行為を行えば、医師資格などのない方は医師法違反(無資格医業)になりますのでご注意。

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不完全なる霊素

2024-04-10 06:45:05 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎エーテルの更に先-2

◎不完全なる霊素

(2014-01-14)

 

前掲の神霊原子の説明文だけでは、神霊原子=霊素が、陰陽・火水からどのように半物質、物質へと変わっていくかが書かれていないが、次の文でそれを知ることができる。

 

『大宇宙の太初にあたつて、きはめて不完全なる霊素が出現し、それが漸次発達して霊の活用を発生するまでの歳月はほとんど十億年を費してゐる。これを神界においては、ヒツカ(一日)といふ。つぎにその霊の発動力たる霊体(幽体)なるものが宇宙間に出現した。これをチカラと称へた。チとは霊または火の意味であり、カラとは元素の意味である。この宇宙に元素の活用するにいたるまでの歳月は、また十億年を費してゐる。この十億年間を神界においてフツカ(二日)といふ。

つぎにこの元素に霊気発生して、現顕の物体を形成するにいたるまでの歳月は、また大略十億年を費してゐる。この十億年間の霊体の進歩を称してミツカ(三日)といふ。ここにいよいよ霊、力、体の三大勢力発揮して、無数の固形体や液体が出現した。太陽、太陰、大地、諸星の発生はつぎの十億年の間の歳月を費してゐる。これを神界にてはヨツカ(四日)といふ。』

(霊界物語第3巻12章から引用)

 

出口王仁三郎の世界観では、霊素、体素、換言すれば火素、水素、或いは陰陽が世界の万物を構成しているので、単純に素粒子を構成している最も細かい構成単位のことを神霊原子と称しているわけではない。つまりエーテル体を構成している最少単位が神霊原子だと言っているわけではない。

また人間が七つのボディを有しているように、惑星、恒星も複数ボディを有している。言い換えれば、出口王仁三郎は、複数の次元、複数の宇宙に惑星、恒星が存在しているというイメージで語っているように思われる。

特に太陰ワールドに関して言えば、明らかに物理宇宙のことではない。

電気の濫用は、巨大な邪気を創造する。電気で造られた便利は危険である。過度の便利は人間をダメにしがちだが、今そのことを積極的に言うのは、禅僧嶋野栄道氏くらいのものか。

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第二身体は、濃縮した煙

2024-04-10 06:41:38 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎神霊原子

(2014-01-13)

 

(4)第二身体は、濃縮した煙のようなもので、どんな障害も通り抜けることができる、形状は肉体のような形をしているという説と傘の骨型の2種がある。透明ではない。

エーテル体で濃縮した煙といえば、19世紀英国での降霊術で出現したエクトプラズムを思い浮べる人も多いだろう。古神道の出口王仁三郎は、気・プラーナにあたる精気を組成するのが神霊原子と呼ぶ。道教小周天では、気・プラーナを元精と呼ぶ。

 

エーテル体の半物質としての組成についての記事は以下である。

○エーテルの更に先

○小周天の精、元精

○幽体離脱のいろいろ

○ライヒのオルゴンの定義

 

◎エーテルの更に先-1

◎神霊原子

 

神霊原子とは、電気のもととなるものであって、火素(霊素)と水素(体素)から成る。水素と言っても元素記号Hの水素ではない。火素と水素が結びつくと精気となる。精気とは、道家のいう『気』やプラーナに当たるもの。

この精気より電子が生まれたが、電気を使用すればするほど、邪気を発生させるもので、宇宙本来の精気を毀損して、人間その他一切の生物を軟弱にして、精神的に退化させ、果ては空気も濁り悪疫の原因となるとは、いちいち思い当たることばかりである。

気やプラーナはエーテル体レベルの半物質であることは知られているが、一歩進んで気やプラーナを構成する因子が火素(霊素)と水素(体素)であることを示したことはエポック・メイキングなことである。そんなスピリチュアリストは他にはいない。

出口王仁三郎は、更に火素(霊素)と水素(体素)のレベルを操作するのが言霊であることを暗示する。

 

『第五〇章 神示の宇宙 その五

 

 宇宙間には、神霊原子といふものがある。又単に霊素と言つてもよい、一名火素とも言ふ。火素は万物一切の中に包含されてあり、空中にも沢山に充実して居る。又体素といふものがあつて単に水素とも云ふ。火素水素相抱擁帰一して、精気なるもの宇宙に発生する、火素水素の最も完全に活用を始めて発生したものである。この精気より電子が生れ、電子は発達して宇宙間に電気を発生し、一切の万物活動の原動力となるのである。

そして此の霊素を神界にては、高御産巣日神と云ひ、体素を神御産巣日神と云ふ。この霊体二素の神霊より、遂に今日の学者の所謂電気が発生し、宇宙に動、静、解、凝、引、弛、合、分の八力完成し、遂に大宇宙小宇宙が形成された。ニユートンとやらの地球引力説では、到底宇宙の真理は判明しないでありませう。

(中略)

電気なるものは、前述の如く宇宙の霊素、体素より生成したものであるが、其の電気の濫用のために、宇宙の霊妙なる精気を費消すればするだけ、反対に邪気を発生せしめて宇宙の精気を抹消し、為に人間その他一切の生物をして軟弱ならしめ、精神的に退化せしめ、邪悪の気宇宙に充つれば満つる程、空気は濁り悪病発生し害虫が増加する。

されど今日の人間としては、是以上の発明はまだ出来て居ないから、五六七神世出現の過渡時代に於ては、最も有益にして必要なものとなつて居る。モ一歩進んで不増不減の霊気を以て電気電話に代へる様になれば、宇宙に忌はしき邪気の発生を防ぎ、至粋至純の精気に由つて、世界は完全に治まつて来る。この域に達するにも、今日のやうな浅薄なものを捨て、神霊に目醒めねばならぬ。大本信者の中には、電気燈を排斥する方々が、たまたま在るやうに聞きますが、夫は余り気が早過ぎる。これ以上の文明利器が発明されて、昔の行燈が不用になつた様に、電燈が不用になる時機の来た時に電気を廃すればよい。

また宇宙には無限の精気が充満してあるから、何程電気を費消しても無尽蔵である。決して、無くなると云ふ心配は要らぬ。また一旦電気濫費より発生した邪気も宇宙無限の水火の活動によつて、新陳代謝が始終行はれて居るから大丈夫である。この新陳代謝の活用こそ、神典に所謂祓戸四柱の大神の不断的活動に由るのである。』

(霊界物語第4巻/第50章から引用出口王仁三郎から引用)

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メスマーの27の法則-3

2024-04-10 06:35:15 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎エーテルとアストラルの区別

(2014-01-21)

 

メスマーは、気(動物磁気)は、磁石の磁力や電気とは違う力であるとする。そうすると首などに磁石を捲いている人は何のためだろうか。

メスマーの動物磁気とは、肉体の直接な治療を意識したものだから、半物質であるエーテル体ベースのことだろうと考えるのが自然だと思う。

というのは本山博の「チャクラの覚醒と解脱」のP194からP195にかけて、気の次元とアストラルのサイの次元を峻別しており、かつまた中国の内経図を指して、これは気の次元だから、クンダリーニを水で表現している、これに対してインドのヨーガでは、クンダリーニを火で表す。つまりヨーガでは、クンダリーニは、アストラル体レベルのことであると説明している。

要するに肉体の治療を目的とする限り、気=エーテル体レベルまでを主として相手にしているのであって、アストラルより上の話はあまり関係ないだろうということ。また、レイキ・手かざし治療なども気の次元、エーテル体レベルを出ない。

私はこれまで気とはエーテルとアストラル双方のレベルにまたがるものかと考えていたが、はっきりと区分すべきものだとわかった。

 

『一九、このような力も動物磁気と同様にすべての物体に浸透する。物体間の伝達、空間伝播、蓄積、集約、転送、鏡による反射、音響による伝播も可能である。この力は動物磁気の欠如にすぎないのではなく、動物磁気とは正反対の実在する力である。

 

二十、磁石は、天然、人工を問わず他の物体と同様動物磁気とそれを打ち消す力の両方に敏感に反応する。しかしいずれの力に反応し、その性質を持つようになろうとも、鉄や針を引きつける効果に変化はない。このことは動物磁気の作用が鉱物磁気のそれとは根本的に異なることを示している。

 

二一、動物磁気に関する理論体系は、火や光の持つ性質、重力説、自然界に見られる干満現象、磁気と電気などについて新たな説明を与えることであろう。

 

二二、病気治療という点に関する限り、電気や磁気は自然界に存在するその他の諸力とまったく同じ性質を示すにすぎないことがやがて明らかになるであろう。電気や磁気に何らかの治療効果があった場合、その効果は動物磁気の作用によるものなのである。

 

二三、私がこれから述べようとする実践的ルールに従えば、動物磁気の原理によって神経系の疾患を直接に、その他の疾患についても間接的に治すことが可能である。このことはさまざまな事実によって証明されている。

 

二四、動物磁気の助けを借りれば医師は治療薬の正しい処方を身につけることができる。つまり、薬の作用を強めて治療に有効な分利を引き起こしたり分利へと誘導したりする制御が自在にできるのである。

 

二五、私が自分の治療法を公表する理由は、動物磁気原理の普遍的な有効性を新しい疾病理論によって立証するためである。

 

二六、この動物磁気についての知識を基礎とすれば、医師は疾病の原因、性質、進行状態を、たとえその病態が非常に複雑なものであっても正確に診断することができるであろう。その結果病状の悪化を防ぎ、危険かつ不快な状況に患者をさらすことなく治療を進めることができるであろう。

しかもこの手法は患者の年齢、気質、性別を問わず有効であり、例えば治療の対象となる患者が妊娠中あるいは産後まもない女性であっても、他の患者と同じような治療効果を上げることができるのである。

 

二七、結論として次のように言うことができる。これまで述べた理論を臨床に応用するならば、医師は患者一人ひとりの健康状態を的確に診断し、罹患する可能性のある諸病からその患者を守ることができる。そして治療技術は完璧なものとなるであろう。』(ウィーンから来た魔術師/ヴィンセント・ブラネリ/春秋社P142-144から引用)

 

音楽、ミュージックも人間のエーテル体を揺り動かすものであって、ふさいで憂鬱な気分の人に、楽し気なあるいはリラックスできる音楽が有効だという説は、決して馬鹿にできない説なのではないかと思う。

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メスマーの27の法則-2

2024-04-10 06:26:54 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎気の力を自在に操れる人もいる

(2014-01-20)

 

メスマーは指先を患者に向けることで催眠術で患者をトランスに陥らせ、そこで気(動物磁気)を送って分利と呼ばれる激しいけいれんを起こさせて、病状をピークに持って行き、やがて脱力と休息が起こる。そこから患者自身の治癒力で病気を治癒せしめた。

 

メスマーの27の法則の続き。

『一〇、人体は諸天体の影響を受け、またその周囲に存在するさまざまな物体と相互に影響を及ぼし合う。人体の持つこのような性質は磁石に似ているため、私はこの性質を動物磁気と呼ぶことにする。

 

十一、動物磁気の作用と諸性質は他の生物体・無生物体に伝達することが可能である。その程度は動物磁気に対するそれらの感受性によって異なる。

 

十二、動物磁気を伝達された生物体・無生物体は同時にその作用と諸性質を強化したり伝播したりすることが可能である。

 

十三、経験によれば、動物磁気は拡散し非常に薄く広がるため、すべての物体に浸透する。しかも拡散によってその影響力が弱まることはない。

 

一四、動物磁気は遠く離れた物体にも作用する。しかもその場合、動物磁気を媒介する物質は必要ない。

 

一五、動物磁気は光に似た性質を持ち、

何枚かの鏡を用いて反射させ、その効果を強めることが可能である。

 

一六、動物磁気は音波の作用によって他の物体に伝達したり、四方に伝播したり、またその効果を強化したりすることが可能である。

 

一七、動物磁気の磁力は蓄積したり、一点に集めたり、またある場所から別の場所へ移したりすることが可能である。

 

一八、私の発見によれば、すべての生物が動物磁気に対してまったく同じ感受性を持つわけではない。ごく稀れにではあるが動物磁気の効果を相殺するような力を持つ生物が存在する。そのような生物が近くにいる場合、その周囲にあるものの持つ動物磁気力はすべて消失してしまう。』

(ウィーンから来た魔術師/ヴィンセント・ブラネリ/春秋社P141-142から引用)

 

人体が諸天体の影響を受け、またその周囲に存在するさまざまな物体と相互に影響を及ぼし合うのは、エーテル体レベルとアストラル体レベル。

気(動物磁気)は空間を拡散する。しかしその影響力が弱まることはないというのは、エーテル体レベルでもOSHOバグワンがそれらしいことをほのめかしている。

また気は音波に乗せて他の物体に伝達したり、四方に伝播したりでき、また気の効果を強化したり、蓄積したり、一点に集めたり、またある場所から別の場所へ移したりすることが可能であるとしているが、これは、メスマーがこのとおりに気の力を自由自在に扱えたということではないが、その作用に気が付いたということなのだろうと思う。

それに対して合気道の植芝盛平は、まさに気の力を強化したり、蓄積したり、一点に集めたり、またある場所から別の場所へ移したりできたと思われるが、そのポジショニングについては、「天の浮橋」という精妙なものであることを強調した。気の力を自在に操れる人もいるのだ。

メスマーは作曲家モーツァルトのひどい肩こりを治癒させたが、その原理を十分に語れるというほどではなかったようだ。

このメスマーの動物磁気に関する指摘は、個人のエーテル体に流れる気・プラーナ=動物磁気と空間全体に遍在する動物磁気が同等であることに着目したい。

さて、気(動物磁気)の効果を相殺するような力を持つ生物とは何のことだろうか。メスマーははっきりとは書いていないようだが、のことだろうか。出口王仁三郎によれば、猫は死体を躍らす力を持つと言っているが、猫が気を操れる力があるとすれば、それも気(動物磁気)の効果を相殺するような力と見ることができないことはない。出口王仁三郎は猫は魔王であるとも言っているし。

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メスマーの27の法則-1

2024-04-10 06:16:11 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎人間と全宇宙は常にシンクロしている

(2014-01-19)

メスマーは、マリー・アントアネットと同時代の人物であって、近代催眠術の始祖みたいな人物である。彼の指摘した27の法則には、催眠術つまり人間を人為的にトランスに導くことについての経験的現実が多数盛り込まれている。まず最初の9個。

 

『一、天体、地球、生物などの間には相互作用が存在する。

 

二、ある流体が一分の隙もなく宇宙全体に広がっており、そのため宇宙には真空は存在しない。この流体はあらゆる運動を物体から吸収し、四方に伝播し、他の物体に伝達する性質を持つ。つまりこの流体は運動作用の媒体である。

 

三、この流体が媒介する物体間の相互作用は現段階においては科学的に証明されていない力学法則に従う。

 

四、この流体が媒介する物体間の相互作用によって一種の交代効果が生じ、この効果は潮の干、満と同じ種類の運動であると考えられる。

 

五、この干満運動の現われ方はさまざまな原因により決まるため、一般的、特異的、あるいは複合的な特徴が混じり合っている。

 

六、命題二の流体(自然界の中において見出せる最も宇宙的な物質)を媒介にして天体や地球、および地球上の諸要素は互いに影響を及ぼしあう。

 

七、この流体は物質および生命体の持つすべての諸性質の基礎である。

 

八、動物の体はこの流体の干満に反応する。この反応は流体が神経そのものに直接入りこむことにより即座に引き起こされる。

 

九、生体、特に人体の内部には磁石と同様なある種の性質が現われる。すなわち人体の内部には正反対の極が存在し、それらを明確に識別することが、できる。またその両極を交換、結合、抹消、強化することが可能であり、地磁気偏角に似た現象さえ観察される。』

(ウィーンから来た魔術師/ヴィンセント・ブラネリ/春秋社P140-141から引用)

 

ある流体が一分の隙もなく宇宙全体に広がっているというのは、物理学的には、長くナンセンスとされてきたが、最近ヒッグス粒子の発見によりにわかに真実味を帯びてきたのは、結構なことである。この流体は半物質なのだろうからエーテル体レベルの存在であろうから、それは気・プラーナのことであろうし、ここで想定されている流体の性質は、気・プラーナのそれと推定される。

メスマーの目からは、文字通りこの流体により、人間の肉体は、全宇宙と直接連動していると見えたのだ。

この洞察は極めて優れたものであって、人目を避けて悪事を行ってもその報いはたちどころに発生しているという法則が、エーテル体以上のレベルでは存在しているのだろうということが推測される。

またこの流体の干満は、中国では陰陽と呼ばれた。上記第八では、この流体が神経に流入することから、ますます気・プラーナのことと思われる。

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エーテル体の性質

2024-04-09 14:51:29 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎エーテル体-4

(2014-01-08)

 

エーテル体に関して引用した文章には、既に大きさと色だけでなく性質の一端について触れられている。エーテル体の性質について、OSHOバグワンは、以下5つを挙げる。

(1)睡眠時にエーテル体は肉体から離脱し、空間を移動することができ、それを制限する距離の問題はないとする。

(2)エーテル体で空間移動はできるが時間移動はできないとする。(アストラル体では時間移動も可能)

(3)肉体が死ぬと、13日後にエーテル体は死ぬ

※死後の肉体における残存時間は、また異なることを別のソースが示している。エーテル体は死後2~3時間で肉体から離脱。肉体機能は停止してもエーテル体の息はある。死体が腐らない場合。

 

(4)第二身体は、濃縮した煙のようなもので、どんな障害も通り抜けることができる、形状は肉体のような形をしているが透明ではない。

(5)エーテル体には催眠が作用する。

(以上(1)(2):秘教の心理学/OSHO/瞑想社P125、128、154、155)。

 

OSHOバグワンの説とは限らないが、更に次のような性質も有する。

(6)エーテル体の呼吸(肉体との関係・アストラル体との関係)、気、プラーナ、精の流路

(7)エーテル体は、肉体とアストラル体とそれぞれ相互に影響を与えあっている。エーテル体は、肉体よりマインドの影響を受けやすい。

※天体からの影響―パラケルスス

(8)エーテル体は電気的性質を有する。電磁波的でもある。

神経と電気の関係、それに関する本山博のテスト、催眠との連関。

(9)記憶の第一次蓄積場所である。

(10) 臭い、色、形見の品、聖遺物

エーテル体は臭いがある。

(11) 治癒=ヒーリングの本丸

治癒、エーテル、なんそ、病気治し

 

これらについて、それぞれの説明を付してみたい。全体として見ると、エーテル体の位置づけとは、次のボディであるアストラル体へ向かう中間段階という位置づけと、悟りに直接至るルートも有する独自の段階という二つの位置づけがあるように思う。

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生気に乗った生命

2024-04-09 13:57:12 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

チャクラと七つの身体-65

◎エーテル体-2 

(2014-01-06)

 

1.エーテル体の形状と位置づけ(続) 生気に乗った生命

 

ウパニシャッドにエーテル体の形状と大きさについて言及がある。全体として肉体の話ではなく、微細身のことだが、冒頭で、微細身では、プラーナの流通する微細身と「火」が流通する微細身があることが想定されている。プラーナの流通する微細身とは、エーテル体のことであり、火の流通する微細身とは、アストラル体またはメンタル体のことであろうと思われる。

これについて、本山博の「チャクラの覚醒と解脱」のP194からP195にかけて、気の次元とアストラルのサイの次元を峻別しており、かつまた中国の内経図を指して、「(中国では)これは気の次元だから、クンダリーニを水で表現している、これに対して(インドでは)ヨーガでは、クンダリーニを火で表す。」つまりヨーガでは、クンダリーニは、アストラル体レベルのことであると説明している。

 

以下、ウパニシャッドから。

三角形の火床は、気海丹田、スワジスターナ・チャクラ。エーテル体は肉体より一回り大きい(指12本分)としている。

『ここで、シャーンデイルヤ仙人は、聖アタルヴァンに質問した。

「どんな方法で、身体の諸脈管は清浄になりますか。その脈管は数えられますか。脈管はどのような作用をしますか。どんな体風(ヴァーユ)が、脈管に通じていますか。体風(ヴァーユ)の作用は何ですか。身体について知っていることを全部教えて下さい。」

聖アタルヴァンは答えた。

「今この肉体は指96本分の大きさである。プラーナ(生気)はこの肉体より指12本分長い。つまり指108本分のたけである。人がもしヨーガ(心統一)の実習において身体内にあるプラーナ(生気)を火と同等にさせ、劣ることがないようになれば、その人はヨーガの達人である。

人々の身体の中心に火床がある。それは三角形である。きらきらとした黄金の光を放っている。また四足四角形で、空駆ける鳥のような外形を有するものがあり、その中央に清浄で、微細でギラギラとした光炎が立っている。

直腸より指二本分上に、また陽根より指二本分下で、人体の中央に位置している。

また心臓の中央に、四足あるものがある。

腹部の隆起している結節の中央に空駆ける鳥の形をしたものがある。

人体の中央部に指9本分の高さで、指四本分の厚さを有する卵型のものがある。その中心にへそがある。そこに12の輻から成る円輪がある。その円輪の中心に善悪に感動する生命が静まっている。蜘蛛が繊細な巣の中央に遊ぶように、そこにかのプラーナ(生気)が動いている。

人体には、生気(プラーナ)に乗った生命が存在している。」』

(シャーンデイルヤ・ウパニシャッド)

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エーテル体の形状と位置づけ

2022-12-22 20:20:00 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎エーテル体-1

私は霊能力者でもないし、超能力者でもない、市井の一般人である。ここで改めて、心霊現象とか超能力にかかずらわって生きると、まともな社会生活はできなくなると申し上げておきたい。

それでも敢えて微細ボディを述べるのは、人間が肉体人間でないことを知るのは、時代的なニーズであると信ずるからである。自分が肉体人間でしかないと信じ込むことが、恐怖と不安とそれの反作用である強欲の根源であり、それが人と人との対立、ひいては国と国との戦争の原因となるなど、あらゆる混乱の原因となっている。

1.エーテル体の形状と位置づけ
OSHOバグワンは、「肉体からコーザルまでは、微細身の大きさは人体とほぼ同じ大きさ」などとおおざっぱなことを言っているが、ダンテス・ダイジは、肉体とは似ておらず、経絡図の経絡のような傘の骨みたいなものだと言っている。

ベテランのクンダリーニ・ヨーギ本山博は、肉体、アストラル体(幽体)、コーザル体(カラーナ体)の3分類であって、そもそもエーテル体がボディであるという認識はないようだが、気・プラーナの流路があることは認識しているようだ。

中国の経絡は、神経系に沿って肉体上とそれに重複して位置するエーテル体の双方を指しているように思われる。同様にインドでは、ナディ(脈管)は、肉体の神経・脈管を指すという説もあれば微細身上にあるという説もある(密教ヨーガ/本山博/池田書店P135)。肉体上か微細身上かいずれかどちらかに特定するよりは、双方に存在するとするOSHO、ダンテス・ダイジ説の方が合理的と考えられる。

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OSHOのヴィパッサナー-4

2022-11-10 10:39:12 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎取扱注意が必要な呼吸覚醒

 

ダンテス・ダイジの『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』の呼吸法の分類は3種類であって、(1)基本呼吸法(2)完全呼吸法(丹田呼吸法)(3)片鼻呼吸法を挙げている。もう二つ挙げるとすれば呼吸が無いようなのと、呼吸を意識しない=自然に任せるのがある。

 

これらは肉体レベルの呼吸のことだが、エーテル体レベルの気・プラーナの呼吸のことを言う場合もある。勿論肉体レベルの呼吸であっても、気・プラーナの呼吸が伴っていないことはないのだろうから、肉体レベルの呼吸とエーテル体レベルの呼吸を別のものとすることに意味があるかどうかは疑問である。

 

さてヴィパッサナーの中心技法である呼吸を見守るという技については、ダンテス・ダイジは呼吸法としては挙げていない。ダンテス・ダイジは冥想の前段階の下ごしらえとして呼吸法を挙げているのであって、本番としての呼吸を見守る技についてはその著書では触れていない。

 

ダンテス・ダイジが呼吸覚醒をメインの冥想法として挙げていないことには、帰神(神降ろし、憑依)をメインの冥想法として挙げていないことと同様のある種の意図を感じさせられる。つまりこの2種つまり呼吸覚醒と帰神は現代人にはフィットしない冥想なのではないかということである。

 

現代人にフィットしない冥想法として、他に積善陰徳のカルマ・ヨーガや、バクティ・ヨーガもあるのだろうと思うが、これは迂遠であるというような特性があるためではないか。

 

迂遠と言っても、スピーディなのは、只管打坐だけであって、ハタ・ヨーガもクンダリーニ・ヨーガも迂遠だから、只管打坐以外は、皆迂遠とも言えるように思う。ただし窮極に至る手法としては、迂遠なのも否定されることはない。個人のキャラクターに応じてオールド・スタイルなのが最適の場合があるだろうし。

 

一方OSHOバグワンは、ヴィパッサナーの第一の方法は、醒めていること、意識化。第二の方法は腹式呼吸。第三の方法は呼吸を見守るとして、3種合わせてヴィパッサナーという位置づけである。

 

OSHOバグワンのもう一つの呼吸覚醒への言及であるシヴァの呼吸法では、「鼻孔で息を見つめよ」のビの字もない。この中の息の全休止こそ呼吸覚醒・ヴィパッサナーの根幹部分なのだろうが、呼吸覚醒法修業の特徴、メリット、デメリット、必要な準備についてなどの説明がほとんどない。ここにOSHOバグワンは、呼吸覚醒を推そうということではなく、様々な冥想手法の品揃えのひとつとして呼吸覚醒を紹介しただけという、いつもの親身でない雰囲気が感じられる。

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