アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

不完全なる霊素

2024-04-10 06:45:05 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎エーテルの更に先-2

◎不完全なる霊素

(2014-01-14)

 

前掲の神霊原子の説明文だけでは、神霊原子=霊素が、陰陽・火水からどのように半物質、物質へと変わっていくかが書かれていないが、次の文でそれを知ることができる。

 

『大宇宙の太初にあたつて、きはめて不完全なる霊素が出現し、それが漸次発達して霊の活用を発生するまでの歳月はほとんど十億年を費してゐる。これを神界においては、ヒツカ(一日)といふ。つぎにその霊の発動力たる霊体(幽体)なるものが宇宙間に出現した。これをチカラと称へた。チとは霊または火の意味であり、カラとは元素の意味である。この宇宙に元素の活用するにいたるまでの歳月は、また十億年を費してゐる。この十億年間を神界においてフツカ(二日)といふ。

つぎにこの元素に霊気発生して、現顕の物体を形成するにいたるまでの歳月は、また大略十億年を費してゐる。この十億年間の霊体の進歩を称してミツカ(三日)といふ。ここにいよいよ霊、力、体の三大勢力発揮して、無数の固形体や液体が出現した。太陽、太陰、大地、諸星の発生はつぎの十億年の間の歳月を費してゐる。これを神界にてはヨツカ(四日)といふ。』

(霊界物語第3巻12章から引用)

 

出口王仁三郎の世界観では、霊素、体素、換言すれば火素、水素、或いは陰陽が世界の万物を構成しているので、単純に素粒子を構成している最も細かい構成単位のことを神霊原子と称しているわけではない。つまりエーテル体を構成している最少単位が神霊原子だと言っているわけではない。

また人間が七つのボディを有しているように、惑星、恒星も複数ボディを有している。言い換えれば、出口王仁三郎は、複数の次元、複数の宇宙に惑星、恒星が存在しているというイメージで語っているように思われる。

特に太陰ワールドに関して言えば、明らかに物理宇宙のことではない。

電気の濫用は、巨大な邪気を創造する。電気で造られた便利は危険である。過度の便利は人間をダメにしがちだが、今そのことを積極的に言うのは、禅僧嶋野栄道氏くらいのものか。

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第二身体は、濃縮した煙

2024-04-10 06:41:38 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎神霊原子

(2014-01-13)

 

(4)第二身体は、濃縮した煙のようなもので、どんな障害も通り抜けることができる、形状は肉体のような形をしているという説と傘の骨型の2種がある。透明ではない。

エーテル体で濃縮した煙といえば、19世紀英国での降霊術で出現したエクトプラズムを思い浮べる人も多いだろう。古神道の出口王仁三郎は、気・プラーナにあたる精気を組成するのが神霊原子と呼ぶ。道教小周天では、気・プラーナを元精と呼ぶ。

 

エーテル体の半物質としての組成についての記事は以下である。

○エーテルの更に先

○小周天の精、元精

○幽体離脱のいろいろ

○ライヒのオルゴンの定義

 

◎エーテルの更に先-1

◎神霊原子

 

神霊原子とは、電気のもととなるものであって、火素(霊素)と水素(体素)から成る。水素と言っても元素記号Hの水素ではない。火素と水素が結びつくと精気となる。精気とは、道家のいう『気』やプラーナに当たるもの。

この精気より電子が生まれたが、電気を使用すればするほど、邪気を発生させるもので、宇宙本来の精気を毀損して、人間その他一切の生物を軟弱にして、精神的に退化させ、果ては空気も濁り悪疫の原因となるとは、いちいち思い当たることばかりである。

気やプラーナはエーテル体レベルの半物質であることは知られているが、一歩進んで気やプラーナを構成する因子が火素(霊素)と水素(体素)であることを示したことはエポック・メイキングなことである。そんなスピリチュアリストは他にはいない。

出口王仁三郎は、更に火素(霊素)と水素(体素)のレベルを操作するのが言霊であることを暗示する。

 

『第五〇章 神示の宇宙 その五

 

 宇宙間には、神霊原子といふものがある。又単に霊素と言つてもよい、一名火素とも言ふ。火素は万物一切の中に包含されてあり、空中にも沢山に充実して居る。又体素といふものがあつて単に水素とも云ふ。火素水素相抱擁帰一して、精気なるもの宇宙に発生する、火素水素の最も完全に活用を始めて発生したものである。この精気より電子が生れ、電子は発達して宇宙間に電気を発生し、一切の万物活動の原動力となるのである。

そして此の霊素を神界にては、高御産巣日神と云ひ、体素を神御産巣日神と云ふ。この霊体二素の神霊より、遂に今日の学者の所謂電気が発生し、宇宙に動、静、解、凝、引、弛、合、分の八力完成し、遂に大宇宙小宇宙が形成された。ニユートンとやらの地球引力説では、到底宇宙の真理は判明しないでありませう。

(中略)

電気なるものは、前述の如く宇宙の霊素、体素より生成したものであるが、其の電気の濫用のために、宇宙の霊妙なる精気を費消すればするだけ、反対に邪気を発生せしめて宇宙の精気を抹消し、為に人間その他一切の生物をして軟弱ならしめ、精神的に退化せしめ、邪悪の気宇宙に充つれば満つる程、空気は濁り悪病発生し害虫が増加する。

されど今日の人間としては、是以上の発明はまだ出来て居ないから、五六七神世出現の過渡時代に於ては、最も有益にして必要なものとなつて居る。モ一歩進んで不増不減の霊気を以て電気電話に代へる様になれば、宇宙に忌はしき邪気の発生を防ぎ、至粋至純の精気に由つて、世界は完全に治まつて来る。この域に達するにも、今日のやうな浅薄なものを捨て、神霊に目醒めねばならぬ。大本信者の中には、電気燈を排斥する方々が、たまたま在るやうに聞きますが、夫は余り気が早過ぎる。これ以上の文明利器が発明されて、昔の行燈が不用になつた様に、電燈が不用になる時機の来た時に電気を廃すればよい。

また宇宙には無限の精気が充満してあるから、何程電気を費消しても無尽蔵である。決して、無くなると云ふ心配は要らぬ。また一旦電気濫費より発生した邪気も宇宙無限の水火の活動によつて、新陳代謝が始終行はれて居るから大丈夫である。この新陳代謝の活用こそ、神典に所謂祓戸四柱の大神の不断的活動に由るのである。』

(霊界物語第4巻/第50章から引用出口王仁三郎から引用)

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メスマーの27の法則-3

2024-04-10 06:35:15 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎エーテルとアストラルの区別

(2014-01-21)

 

メスマーは、気(動物磁気)は、磁石の磁力や電気とは違う力であるとする。そうすると首などに磁石を捲いている人は何のためだろうか。

メスマーの動物磁気とは、肉体の直接な治療を意識したものだから、半物質であるエーテル体ベースのことだろうと考えるのが自然だと思う。

というのは本山博の「チャクラの覚醒と解脱」のP194からP195にかけて、気の次元とアストラルのサイの次元を峻別しており、かつまた中国の内経図を指して、これは気の次元だから、クンダリーニを水で表現している、これに対してインドのヨーガでは、クンダリーニを火で表す。つまりヨーガでは、クンダリーニは、アストラル体レベルのことであると説明している。

要するに肉体の治療を目的とする限り、気=エーテル体レベルまでを主として相手にしているのであって、アストラルより上の話はあまり関係ないだろうということ。また、レイキ・手かざし治療なども気の次元、エーテル体レベルを出ない。

私はこれまで気とはエーテルとアストラル双方のレベルにまたがるものかと考えていたが、はっきりと区分すべきものだとわかった。

 

『一九、このような力も動物磁気と同様にすべての物体に浸透する。物体間の伝達、空間伝播、蓄積、集約、転送、鏡による反射、音響による伝播も可能である。この力は動物磁気の欠如にすぎないのではなく、動物磁気とは正反対の実在する力である。

 

二十、磁石は、天然、人工を問わず他の物体と同様動物磁気とそれを打ち消す力の両方に敏感に反応する。しかしいずれの力に反応し、その性質を持つようになろうとも、鉄や針を引きつける効果に変化はない。このことは動物磁気の作用が鉱物磁気のそれとは根本的に異なることを示している。

 

二一、動物磁気に関する理論体系は、火や光の持つ性質、重力説、自然界に見られる干満現象、磁気と電気などについて新たな説明を与えることであろう。

 

二二、病気治療という点に関する限り、電気や磁気は自然界に存在するその他の諸力とまったく同じ性質を示すにすぎないことがやがて明らかになるであろう。電気や磁気に何らかの治療効果があった場合、その効果は動物磁気の作用によるものなのである。

 

二三、私がこれから述べようとする実践的ルールに従えば、動物磁気の原理によって神経系の疾患を直接に、その他の疾患についても間接的に治すことが可能である。このことはさまざまな事実によって証明されている。

 

二四、動物磁気の助けを借りれば医師は治療薬の正しい処方を身につけることができる。つまり、薬の作用を強めて治療に有効な分利を引き起こしたり分利へと誘導したりする制御が自在にできるのである。

 

二五、私が自分の治療法を公表する理由は、動物磁気原理の普遍的な有効性を新しい疾病理論によって立証するためである。

 

二六、この動物磁気についての知識を基礎とすれば、医師は疾病の原因、性質、進行状態を、たとえその病態が非常に複雑なものであっても正確に診断することができるであろう。その結果病状の悪化を防ぎ、危険かつ不快な状況に患者をさらすことなく治療を進めることができるであろう。

しかもこの手法は患者の年齢、気質、性別を問わず有効であり、例えば治療の対象となる患者が妊娠中あるいは産後まもない女性であっても、他の患者と同じような治療効果を上げることができるのである。

 

二七、結論として次のように言うことができる。これまで述べた理論を臨床に応用するならば、医師は患者一人ひとりの健康状態を的確に診断し、罹患する可能性のある諸病からその患者を守ることができる。そして治療技術は完璧なものとなるであろう。』(ウィーンから来た魔術師/ヴィンセント・ブラネリ/春秋社P142-144から引用)

 

音楽、ミュージックも人間のエーテル体を揺り動かすものであって、ふさいで憂鬱な気分の人に、楽し気なあるいはリラックスできる音楽が有効だという説は、決して馬鹿にできない説なのではないかと思う。

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メスマーの27の法則-2

2024-04-10 06:26:54 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎気の力を自在に操れる人もいる

(2014-01-20)

 

メスマーは指先を患者に向けることで催眠術で患者をトランスに陥らせ、そこで気(動物磁気)を送って分利と呼ばれる激しいけいれんを起こさせて、病状をピークに持って行き、やがて脱力と休息が起こる。そこから患者自身の治癒力で病気を治癒せしめた。

 

メスマーの27の法則の続き。

『一〇、人体は諸天体の影響を受け、またその周囲に存在するさまざまな物体と相互に影響を及ぼし合う。人体の持つこのような性質は磁石に似ているため、私はこの性質を動物磁気と呼ぶことにする。

 

十一、動物磁気の作用と諸性質は他の生物体・無生物体に伝達することが可能である。その程度は動物磁気に対するそれらの感受性によって異なる。

 

十二、動物磁気を伝達された生物体・無生物体は同時にその作用と諸性質を強化したり伝播したりすることが可能である。

 

十三、経験によれば、動物磁気は拡散し非常に薄く広がるため、すべての物体に浸透する。しかも拡散によってその影響力が弱まることはない。

 

一四、動物磁気は遠く離れた物体にも作用する。しかもその場合、動物磁気を媒介する物質は必要ない。

 

一五、動物磁気は光に似た性質を持ち、

何枚かの鏡を用いて反射させ、その効果を強めることが可能である。

 

一六、動物磁気は音波の作用によって他の物体に伝達したり、四方に伝播したり、またその効果を強化したりすることが可能である。

 

一七、動物磁気の磁力は蓄積したり、一点に集めたり、またある場所から別の場所へ移したりすることが可能である。

 

一八、私の発見によれば、すべての生物が動物磁気に対してまったく同じ感受性を持つわけではない。ごく稀れにではあるが動物磁気の効果を相殺するような力を持つ生物が存在する。そのような生物が近くにいる場合、その周囲にあるものの持つ動物磁気力はすべて消失してしまう。』

(ウィーンから来た魔術師/ヴィンセント・ブラネリ/春秋社P141-142から引用)

 

人体が諸天体の影響を受け、またその周囲に存在するさまざまな物体と相互に影響を及ぼし合うのは、エーテル体レベルとアストラル体レベル。

気(動物磁気)は空間を拡散する。しかしその影響力が弱まることはないというのは、エーテル体レベルでもOSHOバグワンがそれらしいことをほのめかしている。

また気は音波に乗せて他の物体に伝達したり、四方に伝播したりでき、また気の効果を強化したり、蓄積したり、一点に集めたり、またある場所から別の場所へ移したりすることが可能であるとしているが、これは、メスマーがこのとおりに気の力を自由自在に扱えたということではないが、その作用に気が付いたということなのだろうと思う。

それに対して合気道の植芝盛平は、まさに気の力を強化したり、蓄積したり、一点に集めたり、またある場所から別の場所へ移したりできたと思われるが、そのポジショニングについては、「天の浮橋」という精妙なものであることを強調した。気の力を自在に操れる人もいるのだ。

メスマーは作曲家モーツァルトのひどい肩こりを治癒させたが、その原理を十分に語れるというほどではなかったようだ。

このメスマーの動物磁気に関する指摘は、個人のエーテル体に流れる気・プラーナ=動物磁気と空間全体に遍在する動物磁気が同等であることに着目したい。

さて、気(動物磁気)の効果を相殺するような力を持つ生物とは何のことだろうか。メスマーははっきりとは書いていないようだが、のことだろうか。出口王仁三郎によれば、猫は死体を躍らす力を持つと言っているが、猫が気を操れる力があるとすれば、それも気(動物磁気)の効果を相殺するような力と見ることができないことはない。出口王仁三郎は猫は魔王であるとも言っているし。

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メスマーの27の法則-1

2024-04-10 06:16:11 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎人間と全宇宙は常にシンクロしている

(2014-01-19)

メスマーは、マリー・アントアネットと同時代の人物であって、近代催眠術の始祖みたいな人物である。彼の指摘した27の法則には、催眠術つまり人間を人為的にトランスに導くことについての経験的現実が多数盛り込まれている。まず最初の9個。

 

『一、天体、地球、生物などの間には相互作用が存在する。

 

二、ある流体が一分の隙もなく宇宙全体に広がっており、そのため宇宙には真空は存在しない。この流体はあらゆる運動を物体から吸収し、四方に伝播し、他の物体に伝達する性質を持つ。つまりこの流体は運動作用の媒体である。

 

三、この流体が媒介する物体間の相互作用は現段階においては科学的に証明されていない力学法則に従う。

 

四、この流体が媒介する物体間の相互作用によって一種の交代効果が生じ、この効果は潮の干、満と同じ種類の運動であると考えられる。

 

五、この干満運動の現われ方はさまざまな原因により決まるため、一般的、特異的、あるいは複合的な特徴が混じり合っている。

 

六、命題二の流体(自然界の中において見出せる最も宇宙的な物質)を媒介にして天体や地球、および地球上の諸要素は互いに影響を及ぼしあう。

 

七、この流体は物質および生命体の持つすべての諸性質の基礎である。

 

八、動物の体はこの流体の干満に反応する。この反応は流体が神経そのものに直接入りこむことにより即座に引き起こされる。

 

九、生体、特に人体の内部には磁石と同様なある種の性質が現われる。すなわち人体の内部には正反対の極が存在し、それらを明確に識別することが、できる。またその両極を交換、結合、抹消、強化することが可能であり、地磁気偏角に似た現象さえ観察される。』

(ウィーンから来た魔術師/ヴィンセント・ブラネリ/春秋社P140-141から引用)

 

ある流体が一分の隙もなく宇宙全体に広がっているというのは、物理学的には、長くナンセンスとされてきたが、最近ヒッグス粒子の発見によりにわかに真実味を帯びてきたのは、結構なことである。この流体は半物質なのだろうからエーテル体レベルの存在であろうから、それは気・プラーナのことであろうし、ここで想定されている流体の性質は、気・プラーナのそれと推定される。

メスマーの目からは、文字通りこの流体により、人間の肉体は、全宇宙と直接連動していると見えたのだ。

この洞察は極めて優れたものであって、人目を避けて悪事を行ってもその報いはたちどころに発生しているという法則が、エーテル体以上のレベルでは存在しているのだろうということが推測される。

またこの流体の干満は、中国では陰陽と呼ばれた。上記第八では、この流体が神経に流入することから、ますます気・プラーナのことと思われる。

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エーテル体の性質

2024-04-09 14:51:29 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎エーテル体-4

(2014-01-08)

 

エーテル体に関して引用した文章には、既に大きさと色だけでなく性質の一端について触れられている。エーテル体の性質について、OSHOバグワンは、以下5つを挙げる。

(1)睡眠時にエーテル体は肉体から離脱し、空間を移動することができ、それを制限する距離の問題はないとする。

(2)エーテル体で空間移動はできるが時間移動はできないとする。(アストラル体では時間移動も可能)

(3)肉体が死ぬと、13日後にエーテル体は死ぬ

※死後の肉体における残存時間は、また異なることを別のソースが示している。エーテル体は死後2~3時間で肉体から離脱。肉体機能は停止してもエーテル体の息はある。死体が腐らない場合。

 

(4)第二身体は、濃縮した煙のようなもので、どんな障害も通り抜けることができる、形状は肉体のような形をしているが透明ではない。

(5)エーテル体には催眠が作用する。

(以上(1)(2):秘教の心理学/OSHO/瞑想社P125、128、154、155)。

 

OSHOバグワンの説とは限らないが、更に次のような性質も有する。

(6)エーテル体の呼吸(肉体との関係・アストラル体との関係)、気、プラーナ、精の流路

(7)エーテル体は、肉体とアストラル体とそれぞれ相互に影響を与えあっている。エーテル体は、肉体よりマインドの影響を受けやすい。

※天体からの影響―パラケルスス

(8)エーテル体は電気的性質を有する。電磁波的でもある。

神経と電気の関係、それに関する本山博のテスト、催眠との連関。

(9)記憶の第一次蓄積場所である。

(10) 臭い、色、形見の品、聖遺物

エーテル体は臭いがある。

(11) 治癒=ヒーリングの本丸

治癒、エーテル、なんそ、病気治し

 

これらについて、それぞれの説明を付してみたい。全体として見ると、エーテル体の位置づけとは、次のボディであるアストラル体へ向かう中間段階という位置づけと、悟りに直接至るルートも有する独自の段階という二つの位置づけがあるように思う。

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生気に乗った生命

2024-04-09 13:57:12 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

チャクラと七つの身体-65

◎エーテル体-2 

(2014-01-06)

 

1.エーテル体の形状と位置づけ(続) 生気に乗った生命

 

ウパニシャッドにエーテル体の形状と大きさについて言及がある。全体として肉体の話ではなく、微細身のことだが、冒頭で、微細身では、プラーナの流通する微細身と「火」が流通する微細身があることが想定されている。プラーナの流通する微細身とは、エーテル体のことであり、火の流通する微細身とは、アストラル体またはメンタル体のことであろうと思われる。

これについて、本山博の「チャクラの覚醒と解脱」のP194からP195にかけて、気の次元とアストラルのサイの次元を峻別しており、かつまた中国の内経図を指して、「(中国では)これは気の次元だから、クンダリーニを水で表現している、これに対して(インドでは)ヨーガでは、クンダリーニを火で表す。」つまりヨーガでは、クンダリーニは、アストラル体レベルのことであると説明している。

 

以下、ウパニシャッドから。

三角形の火床は、気海丹田、スワジスターナ・チャクラ。エーテル体は肉体より一回り大きい(指12本分)としている。

『ここで、シャーンデイルヤ仙人は、聖アタルヴァンに質問した。

「どんな方法で、身体の諸脈管は清浄になりますか。その脈管は数えられますか。脈管はどのような作用をしますか。どんな体風(ヴァーユ)が、脈管に通じていますか。体風(ヴァーユ)の作用は何ですか。身体について知っていることを全部教えて下さい。」

聖アタルヴァンは答えた。

「今この肉体は指96本分の大きさである。プラーナ(生気)はこの肉体より指12本分長い。つまり指108本分のたけである。人がもしヨーガ(心統一)の実習において身体内にあるプラーナ(生気)を火と同等にさせ、劣ることがないようになれば、その人はヨーガの達人である。

人々の身体の中心に火床がある。それは三角形である。きらきらとした黄金の光を放っている。また四足四角形で、空駆ける鳥のような外形を有するものがあり、その中央に清浄で、微細でギラギラとした光炎が立っている。

直腸より指二本分上に、また陽根より指二本分下で、人体の中央に位置している。

また心臓の中央に、四足あるものがある。

腹部の隆起している結節の中央に空駆ける鳥の形をしたものがある。

人体の中央部に指9本分の高さで、指四本分の厚さを有する卵型のものがある。その中心にへそがある。そこに12の輻から成る円輪がある。その円輪の中心に善悪に感動する生命が静まっている。蜘蛛が繊細な巣の中央に遊ぶように、そこにかのプラーナ(生気)が動いている。

人体には、生気(プラーナ)に乗った生命が存在している。」』

(シャーンデイルヤ・ウパニシャッド)

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エーテル体の形状と位置づけ

2022-12-22 20:20:00 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎エーテル体-1

私は霊能力者でもないし、超能力者でもない、市井の一般人である。ここで改めて、心霊現象とか超能力にかかずらわって生きると、まともな社会生活はできなくなると申し上げておきたい。

それでも敢えて微細ボディを述べるのは、人間が肉体人間でないことを知るのは、時代的なニーズであると信ずるからである。自分が肉体人間でしかないと信じ込むことが、恐怖と不安とそれの反作用である強欲の根源であり、それが人と人との対立、ひいては国と国との戦争の原因となるなど、あらゆる混乱の原因となっている。

1.エーテル体の形状と位置づけ
OSHOバグワンは、「肉体からコーザルまでは、微細身の大きさは人体とほぼ同じ大きさ」などとおおざっぱなことを言っているが、ダンテス・ダイジは、肉体とは似ておらず、経絡図の経絡のような傘の骨みたいなものだと言っている。

ベテランのクンダリーニ・ヨーギ本山博は、肉体、アストラル体(幽体)、コーザル体(カラーナ体)の3分類であって、そもそもエーテル体がボディであるという認識はないようだが、気・プラーナの流路があることは認識しているようだ。

中国の経絡は、神経系に沿って肉体上とそれに重複して位置するエーテル体の双方を指しているように思われる。同様にインドでは、ナディ(脈管)は、肉体の神経・脈管を指すという説もあれば微細身上にあるという説もある(密教ヨーガ/本山博/池田書店P135)。肉体上か微細身上かいずれかどちらかに特定するよりは、双方に存在するとするOSHO、ダンテス・ダイジ説の方が合理的と考えられる。

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OSHOのヴィパッサナー-4

2022-11-10 10:39:12 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎取扱注意が必要な呼吸覚醒

 

ダンテス・ダイジの『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』の呼吸法の分類は3種類であって、(1)基本呼吸法(2)完全呼吸法(丹田呼吸法)(3)片鼻呼吸法を挙げている。もう二つ挙げるとすれば呼吸が無いようなのと、呼吸を意識しない=自然に任せるのがある。

 

これらは肉体レベルの呼吸のことだが、エーテル体レベルの気・プラーナの呼吸のことを言う場合もある。勿論肉体レベルの呼吸であっても、気・プラーナの呼吸が伴っていないことはないのだろうから、肉体レベルの呼吸とエーテル体レベルの呼吸を別のものとすることに意味があるかどうかは疑問である。

 

さてヴィパッサナーの中心技法である呼吸を見守るという技については、ダンテス・ダイジは呼吸法としては挙げていない。ダンテス・ダイジは冥想の前段階の下ごしらえとして呼吸法を挙げているのであって、本番としての呼吸を見守る技についてはその著書では触れていない。

 

ダンテス・ダイジが呼吸覚醒をメインの冥想法として挙げていないことには、帰神(神降ろし、憑依)をメインの冥想法として挙げていないことと同様のある種の意図を感じさせられる。つまりこの2種つまり呼吸覚醒と帰神は現代人にはフィットしない冥想なのではないかということである。

 

現代人にフィットしない冥想法として、他に積善陰徳のカルマ・ヨーガや、バクティ・ヨーガもあるのだろうと思うが、これは迂遠であるというような特性があるためではないか。

 

迂遠と言っても、スピーディなのは、只管打坐だけであって、ハタ・ヨーガもクンダリーニ・ヨーガも迂遠だから、只管打坐以外は、皆迂遠とも言えるように思う。ただし窮極に至る手法としては、迂遠なのも否定されることはない。個人のキャラクターに応じてオールド・スタイルなのが最適の場合があるだろうし。

 

一方OSHOバグワンは、ヴィパッサナーの第一の方法は、醒めていること、意識化。第二の方法は腹式呼吸。第三の方法は呼吸を見守るとして、3種合わせてヴィパッサナーという位置づけである。

 

OSHOバグワンのもう一つの呼吸覚醒への言及であるシヴァの呼吸法では、「鼻孔で息を見つめよ」のビの字もない。この中の息の全休止こそ呼吸覚醒・ヴィパッサナーの根幹部分なのだろうが、呼吸覚醒法修業の特徴、メリット、デメリット、必要な準備についてなどの説明がほとんどない。ここにOSHOバグワンは、呼吸覚醒を推そうということではなく、様々な冥想手法の品揃えのひとつとして呼吸覚醒を紹介しただけという、いつもの親身でない雰囲気が感じられる。

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OSHOのヴィパッサナー-3

2022-11-10 10:37:00 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎入息出息を鼻の先で見守る

 

OSHOのヴィパッサナーの三通りある方法の第三番目。

 

『そして第三の方法は、息があなたの鼻孔から入ってゆくとき、その入口で息に気づいていることだ。鼻の先端で感じるのだ。腹の対極で、鼻で、息を感じなさい。入っていく息は、鼻孔に一定の冷たさを感じさせる。それから、息が出てゆく・・・・・息が入る、息が出てゆく。これでもよい。

 

これは女性よりも男性にとって容易だ。女性はどちらかという腹を意識している。ほとんどの男性は腹まで呼吸することすらない。彼らは胸を上下させる。というのも、間違った体操が世界中に広まっているからだ。たしかに胸が熱く、腹がへこんでいれば、肉体はより美しく見える。男性は胸でしか呼吸しないため、胸はさらに大きくなり、腹は引き締まる。そのほうが彼をスポーツマンらしくみせる。

 

日本を除いた世界中のどこでも、すべての運動選手とその指導者たちは胸式呼吸に力点を置くため、胸を広げて腹を引き締めようとする。彼らの理想は、胸が大きく腹の小さなライオンだ。ライオンのようであれ---というのが体操選手や肉体に働きかけている人々の規範となった。日本は「広い胸、引き締まった腹」に注意を払わない唯一の例外だ。

 

腹を引き締めるには特殊な訓練がいる。だがそれは自然ではない。

日本は自然な道を選んだ。だから日本の仏陀の像を見れば驚くだろう。それこそ仏像がインドのか、日本のかを即座に識別できる方法だ。インドのゴータマ・ブッダ像は、まさに運動選手のような肉体をしている。胸はとても広く、腹は小さく引き締まっている。だが日本の仏陀はまったく別だ。彼の胸はほとんど沈黙している。なぜなら、彼は腹から呼吸しているからだ。だから腹のほうが大きい。みかけはそれほど良くない。というのも、世界に広まっているこの考え方は非常に古いものだからだ。だが複式呼吸のほうがより自然でくつろいでいる。

 

夜眠っているときには、胸でなく腹で呼吸している。だから夜とはそれほどにもくつろいだ体験なのだ。眠りの後、朝には、とても新鮮で若々しく感じる。というのも一晩中、自然に呼吸していたからだ・・・・あなたは日本にいたのだ!

 

これが二つのポイントだ。腹式呼吸、息の出入りへの注意が体操選手のような見かけを破壊すると恐れるなら・・・・・・・人々は体操選手のような見かけのほうに関心があるのかもしれない。それなら彼らにとっては、息の入る鼻孔のあたりで見守る方が容易だ。見守りなさい。そして息が出る時にも見守りなさい。』

(新瞑想法入門/OSHO/市民出版社P159-163から引用)

 

 

第三の方法は鼻孔のあたりで入息を見守って、また鼻孔のあたりで出息を見守りなさいというものだが、この文章の大半は、第二の方法である腹式呼吸の説明に費やされている。逆に第三の呼吸を見守る方法についてはほとんど説明がない。これで第三の方法のコツも効果もわからないままになっている。第三の方法こそ釈迦の覚醒メソッドのはずだが、ここでもその秘密が明かされることはなかった。

 

第二の方法の説明だが、呼吸において「女性はどちらかという腹を意識している」とは、女性は生まれながらに腹ができている、つまりスワジスターナ・チャクラが使えていることを意識しているのだと思う。オバサン・パワーとはスワジスターナ・チャクラの働きなり。

 

第一の方法は、醒めていること、意識化。第二の方法は腹式呼吸。第三の方法は鼻孔で呼吸を見守る。OSHOは三種同時にやってもよいというが、同時にやることに殊更にこだわることはないのではないか。

 

第一の方法は、最後には眠っている間も醒めているという、ヨーガで一つの到達点とされる境地を意識した奥深いものである。

第二の方法の腹式呼吸も、最後にスワジスターナ・チャクラの開顕となれば、大安心という一つの到達点がある。

第三の呼吸を見守るのも「呼吸による覚醒」という、そのものズバリのメソッドではある。

 

どの方法も窮極へのメソッドだが、このように説明が途中でそれまくるのが、OSHOバグワンの特徴なのだが、「禅」、「禅」と語るわりに、その教えがわかりにくいのは、話題が飛びまくることが、必要以上にいろいろな誤解を生んでいるせいもあるのだと思う。人はどちらでもとれる話を自分の都合のよい方に解釈しがちなものだ。

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OSHOのヴィパッサナー-2

2022-11-10 10:33:13 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎出入する腹への気づき

 

OSHOのヴィパッサナーの三通りある方法の第二番目。

 

『第二の方法は呼吸だ。呼吸に気づくようになることだ。息が内に入ると腹がふくれ、息が外に出るともとに戻る。第二の方法はこの腹に気づくことだ。

 

腹の出入りの動き・・・・・上がり下がりする腹への気づき。腹は生命の源泉にとても近い。なぜなら、子供は母親の生命とへそでつながっているからだ。へその後ろにこそ生命の源泉がある。

 

だから腹がふくれるときには、まさしく生命のエネルギー、生命の泉が息とともに上下している。この方法もむずかしいものではない。おそらく単一の技法であるがゆえに、むしろ容易であるかもしれない。

 

最初の方法では、まず肉体に気づかなければならない。それから精神作用に気づき、感情や気分に気づかなければならない。そこには三段階ある。第二のアプローチでは方法はひとつだ-----。出入する腹への気づき。だが結果は同じだ。腹に気づくようになれば、精神作用は静まり、ハートは静まり、気分は消え失せる。』

(新瞑想法入門/OSHO/市民出版社P159-163から引用)

 

OSHOは、それぞれのボディでそれぞれの呼吸と言う。肉体では酸素と二酸化炭素を呼吸し、エーテル体では、気・プラーナを呼吸する。アストラル体では、感情を呼吸する。メンタル体では想念を呼吸する。

 

ここではそういう観点ではなく、スワジスターナ・チャクラ=丹田呼吸の前段となる、出入りする腹に気づくことで、気分や想念までも調整され始めることを言う。ストレス解消、ヒーリング効果があるということ。

 

つまり呼吸自体はそれぞれのレベルで同時並行に起きるが、丹田へ意識を向けるというのがこのポイントになるだろうか。

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OSHOのヴィパッサナー-1

2022-11-10 10:31:07 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎想念と行動の意識化

 

OSHOバグワンの「シヴァの、宇宙への帰一の方法」としての呼吸テクニックでは、ボディごとの呼吸を分離して取り扱ってはいない。呼吸は呼吸一本であり、エーテル体の呼吸だけが、独立して説明されてはいない。あるボディにおける独立した呼吸についての説明は、意味がないとでも言いたげな説明であった。

更にOSHOバグワンのヴィパッサナーについての説明。

 

『ヴィパッサナ

 

ヴィパッサナは、他のどれよりも多くの人々を光明に導いてきた瞑想だ。それはこの瞑想がまさに本質的なものだからだ。他の瞑想も同じ本質を備えてはいる。だが非本質的なものもまた付随し、異なった形態になっている。しかしヴィパッサナは本質そのものだ。そこからは何一つ落とせず、また改良の余地もない。

ヴィパッサナはとても単純だから、幼い子供でもできる。実際最年少の子供のほうがあなたより上手にできるだろう。

 

ヴィハッサナは、三通りの方法ですることができる。自分に最も適したものを選べばよい。

最初の方法は--自分の行為、肉体、思考、感情に対して気づいていることだ。歩くときには、気づきをもって歩きなさい。手を動かすときには、自分が手を動かしているのを充分に意識しながら、気づきをもって動かしなさい。ややもすると機械的に、意識せずに動かすこともあり得る。たとえば朝の散歩をしているとしよう。あなたは両足に気づくことなく歩き続けることもできる。

 

自分の体の動きに油断なく醒めていなさい。食べているあいだは、食べるのに必要な動きに油断なく醒めていなさい。シャワーを浴びているときには、その冷たさに油断なく醒めていなさい。降り注ぐ水とその大きな喜びに、ひたすら油断なく醒めているのだ。それらを無意識状態のまま起こらせておくべきではない。

 

マインドについても同じだ。どんな思考がマインドのスクリーンを通過しようと、「見守る者」でありなさい。どんな感情がハートのスクリーンを通過しようと、「観照者」のままでありなさい。自己同一化してはならない。何が良く、何が悪いと判断してはならない。それは瞑想ではないからだ』

(新瞑想法入門/OSHO/市民出版社から引用)

 

ここでは、クンダリーニ・ヨーガの基本である。見守る、聞き守るから入り、意識的であれと指図する。そしてその対照と合体することを禁じる。つまり見ている自分を残しなさいということである。観照には見ている自分が必要なのだ。

 

行動や想念の不断の意識化の努力は、平素の労働や就学時にはまずできないだろう。つまり「しまった。今無意識だった。」などと、毎度意識化に向かうことを繰り返す・・・そんなことばかりしていたら、ボヤボヤしているんじゃないと注意されるのがオチだからである。職場や学校でのしっかりした管理者であるほど、そうした意識が仕事や勉強に向いていない人を見分けられるものである。だから本業とは別に瞑想の時間を持たねばならないというのが現実的な動きになると思う。

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平田篤胤の養父篤穏の養生法

2022-11-08 09:59:04 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎エーテル体のイメトレ

 

冬らしい気候になってくると、風邪を引く人が多い。江戸時代の禅者白隠は、70歳となって、冬であっても足袋を履かず身体はぽかぽかと暖かいと語るほど健康を維持できた。

 

白隠は生来多病であったが、青年期に京都の白幽子に軟酥の看法を教えられて、それを行ずるようになってからは、病患を去って気力充実して修行に邁進することができた。気力充実するためには体力の裏付けがないと何事もなかなか進むものではない。

 

軟酥の法とは白いバターの固まりのようなものがあると想像して、それが、頭頂から手、足の先まで潤し、しみわたると看ることによって身体の健康、バランスを取り戻そうとする方法である。

 

この国学者平田篤胤の養父篤穏の養生法も、肉体そのものでなく、軟酥の看法のようにイメージでもってエーテル体全体に気を巡らすことにより、健康を維持しようとするもの。

 

『①まず仰向きに寝る

②次いで両足を揃えてかかとを押し出すように強く踏み伸ばせ。

③そして全身の気を臍のあたりから、その下丹田、そして腰、脚、足の裏にまで充たす。

④次には指を折って、呼吸を百まで数えるがよい。

⑤呼吸を百数え終わったならば、踏みしめた力を緩めよ。

⑥これを一晩に四、五回続けるのだ。

 

「これを行なえば、元気が全身に充満して、腹中にあるしこりなども消える。どのような良薬も、この術に優るものはないのだ」と養父は服をはだけてその腹を出した。見れば腹力は充実して張って固いことコツコツと音がするようであったとして,この法の効能を篤胤は強調している。』

(古武術と身体/大宮司朗/原書房から引用)

 

篤穏は84歳の長寿であったという。篤穏の方法には、保息があるところが特徴。効果の遅速についての言及はない。これは、彭祖の長命法をイメージさせるところがある。

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エーテル体の色

2022-10-22 12:14:30 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎エーテル体-3

◎肉体の回りの青みがかった光

 

スワミ・ヨーゲシヴァラナンダによれば、エーテル体の色は、白みがかった青。エーテル体は、半物質であり、彼によれば、地水火風空の五大のうち善性優位の風エレメントで形成されるものがエーテル体であるとする。(魂の科学/スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ/たま出版P186-187)

 

エーテル体の色と大きさに関連するOSHOバグワンの記述には以下がある。

 

○肉体の回りの青みがかった光

 

OSHOバグワンによると、エーテル体は、肉体の回りの青みがかった光として見えるという。

 

エーテル体は、全体として肉体型でもなく、球体でもなく、神経をそのまま取り出したような傘の骨型であるという。

エーテル体は半物質であり、死によって崩壊する。

 

『この青みがかった形態、この青みがかった光こそが、エーテル体の存在だ。あなたには幾つもの体がある。

 

この技法はエーテル体に関わっている。エーテル体を通じて、あなたは最高のエクスタシーに入ることができる。体は七つある。どの体も〈神〉の中に入るのに使える。どの体も扉となる。

 

この技法はエーテル体を使う。エーテル体はもっとも認識しやすい。ほかの体はもっと深くにあるので、認識するのも難しくなる。

 

エーテル体は肉体のすぐ近くにある。エーテル体は二番目の体だ。肉体を取り巻いている。肉体を貫き、肉体を取り巻いている。ぼんやりした光、青い光が、ゆるやかな衣のように取り巻いている。』

(生の神秘/OSHOバグワン/市民出版社P276から引用)

 

短文だが、重要なポイントが複数含まれている。

 

七つのボディのどれでも神の中に入るのに使える。エーテル体であっても。これは意外である。どうやってそれをやるのだろう。気功系のテクニックだろうか。

 

エーテル体が青い光。青い光といえばオルゴン・エネルギー。

 

『この電気的な力も、エーテル体を通じて現れる。エーテル体は電気的な体だ。

 

あなたがエネルギーに充ち溢れているときには、エーテル体の範囲も大きい。でも悲しんだり、落ち込んでいるときには、体のまわりにエーテル体はない。体の中に後退している。

 

だから悲しんでいる人間、落ち込んでいる人間の近くにいると、自分もまた悲しくなる。悲しみの極にいる人間が部屋に入ると、自分も何らかの異状を感じる。なぜなら、悲しんでいる人間のエーテル体が、たちまちこちらにも影響を及ぼすからだ。その人間は搾取者となる。その人間のエーテル的エネルギーが落ち込んでいるため、他人を栄養とするようになる。』

(上掲書P278から引用)

 

OSHOバグワンの説明では、このようなエーテル体の電気的性質を踏まえて、何もしないままに自分の回りの青い光を見ているままにいれば、その青い光は増大し広がっていく。

 

こうしてエーテル体は生体エネルギーの蓄電池となるが、そのエネルギーを幹から枝そして花に向かわせる方法については説明をはぐらかしている。

 

ここでグルのサポートが必要になる。エーテル体のエネルギー横溢から先には、人前では明かせない秘密があるのだろう。

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グルジェフのエーテル体

2022-10-22 10:43:29 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎遠隔治療の原理

 

遠隔治療と呼ばれるものがある。効くか効かぬかは、施術者によるが、その原理的なものについて、グルジェフが言及している。

 

まずグルジェフは、最後の晩餐でイエスが弟子たちにパンとぶどう酒に混ぜて与えたものは本当にイエスの血であったと主張する。

 

あらゆる生命体は、その周辺にエーテル体(大気)を持っている。そのエーテル体の大きさは、生命体により異なる。人によりエーテル体の匂いは相違するので、犬などはその匂いをかぎ分けることができる。

 

人体で産出される成分の一部は、消化、呼吸など他の物質を変換させるために使われるが、残りの部分はその人のエーテル体になっていく。つまり失われるということ。

 

知者は、純良な物質を自分の中に蓄積することを知っているが、純良な物質が大量に蓄積されると、人間の中に第二のより軽い体(アストラル体のことか?)が形成されるという。しかしふつうの人のエーテル体においては、蓄積されず、絶えず消費され、内面の動きにより補充される。

 

人のエーテル体は、必ずしも球状ではなく、絶えずその形を変え、緊張した時や、脅威や危険にさらされたときは、緊張した方向に伸びる。そうすると反対側は薄くなる。

 

エーテル体は、一定の空間でその人に引きつけられているが、一定の限界を超えるとエーテル体を構成する細かい粒子の群れが引き離され、戻って来ない。人が動くときに、エーテル体が一方向に甚だしく引っ張られると、その人のエーテル体の粒子が引き離されて背後に残り、跡が残る。この跡はかなり長い間残ることがある。

 

こうした跡を、神域、聖域、墓所などで、聖者のバイブレーションとして感じることができるわけだ。

 

エーテル体の粒子は、衣服、下着、その他その人の持ち物に定着するので、その人のバイブレーションとして残る。

 

催眠術や、遠隔現象は、この原理を応用したものである。遠隔現象を起こす能力を持っている人は、この跡をその人自身のエーテル体半物質で埋めることができる。

相手の持ち物があれば、その持ち物で相手との(無線的)接続を行い、その持ち物の周りにワックスや粘土で肖像を作り、そうしてできたイメージに作用するという方法でその人自身に作用する。

(出典:グルジェフ/弟子たちに語る 第四部/メルクマール社)

 

グルジェフは最後の晩餐に与えた食物には、イエスのエーテル体が含まれていたので、血そのものを与えたのと同じであると説明している。

 

OSHOが弟子に与えた形見の品が、弟子の家の片隅に置かれているが、その弟子が一向に修行しないところを、OSHO自ら幻視しているシーンが書かれているところがある。

 

聖者の形見の品は、このようにエーテル体を媒介として、そのバイブレーションを長く残しているものだろうから、その場所が、聖域同然になってしまう。

だから仏舎利、聖遺物、聖骸布など、聖者の遺品に類するものに対する丁重な扱いは、故のないことではなかったのである。

 

また遠隔作用がエーテル体レベルだけかという点についても、議論はある。

 

また超能力者は内臓を痛めがちというのも忘れてはならない視点である。

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