アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの間のサマーディ-3

2024-05-17 03:48:00 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-11-8

◎アートマン-8

◎夢の中で意識的になって、はじめて現実を知ることができる

 

第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの間のサマーディについて、このように図式化すると、これを正統的な理論として、あるいは体系として実践訓練しようとする人が出てくるのだが、OSHOバグワンはそれを戒める。

 

『夢の世界全体を知るつもりなら、ヨーガやタントラやその他の秘教的訓練が導入されなければならない。どのタイプの夢にもそれと対応する現実があり、マーヤー全体が明らかにされないなら、幻想の世界全体が明らかにされないなら、現実を知ることは不可能だ。現実は、幻想を通じてしか明らかにされない。

だが私の語ってきたことをひとつの理論として、ひとつの体系として受け取ってはならない。ただ それを出発点にして、意識的な心で夢見ることを始めなさい。夢のなかで意識的になってはじめて、現実を知ることができる。』

(秘教の心理学/和尚/瞑想社P143から引用)

 

何が夢で、何が現実か。マーヤー、無明全体を知るとは、迷いの世界のすべてを知ること。

これを解くのに参考になりそうな詩がある。ダンテス・ダイジの詩【そしてあなたは私自身】から

 

『幾度も幾度も繰り返される夢

夢見つづけるブラフマン

無数の意識の流れ

輪廻し 上昇しあるいは再び下降し

そして帰り着こうとする流れ

 

眠り続けるブラフマン

一人の人間の中にある無限の宇宙

あらゆる生類達の多様多元の宇宙

一人の人間の中に接弦する多元宇宙 

夢見つづける宇宙

 

久遠の時の中の遠い遠い夢

うつし世の胸高鳴る甘美な悦び

そして苦しみ 深い深い嘆き

夢見つづけるブラフマン

目覚めることのない久遠の夢

すべてを秘めて眠るアガシャの夢の海』

(絶対無の戯れ/ダンテス・ダイジ/森北出版社P72-73から引用)

※アガシャ:「天と地とを結ぶ電話/J.クレンショー 著/谷口清超訳/日本教文社1968」の目次に「アガシャの哲學、アガシャの言葉 」とあるが、アガシャとは古代霊らしい。

 

一人の人間の中に無限の宇宙があり、あらゆる生類達に多様多元の宇宙があり、一人の人間の中に接弦する多元宇宙は夢見つづけているが、そのあらゆる夢を覚めて見よということだろう。

それがマーヤー、無明、幻想全体を知るということ。それは一瞥でなく、幻視でなく、体験とは言えない体験なのだろう。

 

また『意識的な心で夢見る』とは、クンダリーニ・ヨーガの手法。それでもって荘周は、荘周が夢の中で胡蝶となったのか、それとも胡蝶が夢の中で荘周になったのかと悩んだ。それは、単に妙な夢を見たということではない。どちらが幻想で、どちらが現実だったのか。

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