アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

大物主神、レディの秘所を突く-3

2024-05-07 07:19:39 | 古神道の手振りneo

◎古事記の天国と地獄の結婚-4

(2019-09-17)

 

さてこのように大物主神と人間の娘との間に生まれた娘の名は富登多々良伊須々岐比売命(ホトタタライススギヒメノミコト)。

 

出口王仁三郎の説明では、

この名の言霊は真空之全体である。日本の名は実の極みであって、名は実体を指し示す記号に過ぎないなどということはない。

日本人の声は有機物であって、外国人の声は無機物であって記号、シンボルに過ぎないと、日本語の発声の優秀性を主張する。

 

 以下出口王仁三郎の言霊説明。

『ホは太陽の明也、上に顕る也。

 トは十也、治る也。

 タは常に治り静る也。

 タは身を顕し居る也。

 ラは極乎として間断無き也。

 イは治而無為也。

 スは集中也、真中真心也。

 スは垣無く無為也。

 ギは天津御祖の真也。

 ヒは大慈大悲の極也。

 メは地球を含む物の天と云ふ也。

 ミは産霊の形を顕す也。

 コは極微点也。

 トは一切を能く結び定め治むる也。』

(出口王仁三郎全集 第5巻【言霊解】皇典と現代〔一〕神武天皇御東征之段から引用)

 

上のホトタタライススギヒメノミコトの十五言霊の意義を了解すれば、直霊の御霊の光り、太陽の如くに明かに照り渡り、雲の上に伊都能売と顕はれて、五六七の神の御代の現象は、実にホトタタライススギヒメノミコトと現はれるのだ、とする。

つまり、富登多々良伊須々岐比売命(ホトタタライススギヒメノミコト)とは、天国と地獄の結婚である伊都能売にして、宇宙全体=アートマンのことで、ここに神と人との結合の結果の神の子が万人である、七福神の時代の実現を見る。

 

※真空之全体について

以下の1~3より、真空之全体とは、第六身体アートマンを指すものと考えられる。

 

1.真空とは以下の文では青空のこと。

『次にオ声の言霊活用を略解すれば、

オ声は北に活用きて受け納め、

(中略)

総じて極乎たる真空即ち現見の蒼天を現じ』

(霊界物語 第74巻総説から引用)

 

2.以下の文では、真空の全体たる霊魂球=アートマン

『真空の全体たる霊魂球』(霊界物語 第10巻27章 言霊解一から引用)

 

3.以下の文では、至大霊魂球とは、至大天球、つまり世界全体、宇宙全体。

『されば最第一なる霊魂精神は、至大天球一名は至大霊魂球にして、一個人の神経は此の霊魂球中の一条脉なる即ち玉の緒と言ふ物也と明言して、その明細を説明する事不能也也。』

(霊界物語 第81巻 総説 天地開闢の極元から引用)

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救いの一直線の光り輝くエネルギー

2024-05-07 03:58:30 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-10-35

◎垂直上昇への仕掛け-35

◎無上の垂直道-1

◎クンダリニーとは、ニルヴァーナがマーヤーを仮現せしめるための・・・

 

チベット死者の書から、

『しかし生前にガイドとよばれる実際的な教えを受けてきたすべての人々は、この導きが適用されると原初のクリヤー・ライトへと導かれるだろう。そしていかなる中間状態をも通ることなく、無上の垂直道を通ってダルマ・カーヤを得るだろう。』(チベット死者の書/おおえまさのり訳/講談社P24-25から引用)

※原初のクリヤー・ライト:原初の光、母の光明

※ダルマ・カーヤ:法身

※無上の垂直道についてこの本の注釈はついているが、何のことかわからない。

 

これに触発されて、ダンテス・ダイジが、パドマサンバヴァの言う無上の垂直道とは、メンタル体→コーザル体→アートマンと変化した自分個人が中心太陽(ブラフマン)に突入する直前の垂直道であることを示唆している。

無上の垂直道とは、自分最後の個別性が消える寸前のホーム・ストレートなのだ。

 

『尚、ニルヴァーナへの無上の垂直道を上昇する場合には、純粋意識と、「神」から発出されたエネルギー・コードとは同一のものであることを知覚することになる。』

(ダンテス・ダイジの『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』P109から引用)

 

中心太陽突入後に曰く、

『クンダリニーとは、ニルヴァーナがマーヤーを仮現せしめるための一直線の光り輝くエネルギーのことなのだ。』(上掲書P72から引用)

※マーヤー:無明、迷い

 

つまり日本でも古来玉の緒と呼ばれたクンダリニーのエネルギー・コードは、単にアストラル体の魂と肉体を結ぶだけの霊線ということでなく、七つの次元を自分個人が上昇していく最終盤では、最後の自分自身の個別性ということになる。

 

最後の自分自身の個別性が中心太陽に突入することで、自分は全知全能にしてすべてのすべてである神仏となって、大逆転、倒立が発生する。これが窮極の救いということになる。

 

道教では、柳華陽の言う妙道が、この絶対光に向かう道、すなわち無上の垂直道なのではないか。慧命経の第六図化身図では、この陽神が妙道を通って虚無と化していくとあり、無上の垂直道ならぬ「妙道」を通って中心太陽に向かうことを言っているのだろう。

有より出て無に入るとは、文字通りアートマンからニルヴァーナへ。

 

また苦難と絶望からの救いということなら、旧約聖書にノアの箱舟があり、古事記に目無堅間の舟がある。乗った者を必ず救ってくれる。この救いの船とは、意外なことにクンダリニーのエネルギー・コードであったと思う。

 

古神道出口王仁三郎の霊界物語(霊界物語第五巻 第23章 神の御綱)では、危難や大峠、大洪水、世の終わりでの救いに、鉤つきの長い霊線を多数登場させて、助かるべき人を次々と天の浮橋に引き上げて救っていく。

この長い霊線(別名:神の御綱(かみのみつな))は、身魂のレベルに応じて金の霊線、銀の霊線、銅の霊線に分かれている。

この救いの霊線こそがクンダリニーのエネルギー・コード。

救いが確定するのは、中心太陽突入直前であろうから、映画でよく見るような巨大な救いの船に「人間が選んだ」民だけが乗り込んで助かるというようなものではないように思う。

なんとなれば、霊界物語によれば、救いの霊線があることは、世界的に誰にでも知られるようになるが、最初は眉唾として怪しむばかりの人ばかりで、本気で救われようとする人はいない。が、やがて少数ながら実際に救われる人が出て来て、次第にその数が増えていく。つまり自分で能動的に救いの霊線に依って(冥想修行して)助かりに行かねばならないからである。人間が救うのではなく、神が救うのである。

 

クンダリニーのエネルギー・コードは、最初は白で上昇するにつれ、銀、金と色を変えていく。出口王仁三郎もその消息を目撃したことがあるのだろう。

 

無上の垂直道と言えば、厳(いか)めしいが、万人にとって窮極の救いとは、わが身の霊線、玉の緒のことだったのだ。

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