アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

白隠禅師坐禅和讃のエッセンス-4

2024-08-24 03:33:08 | 達磨の片方の草履

◎ここはニルヴァーナであってこの身は仏である

 

白隠禅師坐禅和讃の続き

『因果一如の門ひらけ

無二無三の道直し

 

無相の相を相として

行くも帰るも余所ならず

無念の念を念として

謡うも舞うも法の声

 

三昧無礙の空ひろく

四智円明の月さえん

 

この時何をか求むべき

寂滅現前するゆえに

当所即ち蓮華国

この身即ち仏なり』

 

『因果一如の門ひらけ

無二無三の道直し』

原因も結果も一つということは、時間のない世界であって、過去も現在も未来も合わせて一枚の動くイラストのような世界。これが二もなく三もなく純粋に無相だけがある。

 

『無相の相を相として

行くも帰るも余所ならず』

無相について、ダンテス・ダイジの冥想十字マップでは、有種子三昧に相当する有相三昧と、無種子三昧に相当する無相三昧とを空間的進化の横ラインに置き、第六身体の知恵と第七身体ニルヴァーナを時間的進化の縦ラインに置いている。

言葉にできないものが無相であって、「三昧」とは既に自分がない冥想。自分がある冥想を「定」とする。

 

『三昧無礙の空ひろく

四智円明の月さえん』

これは、一円相のことだが、なぜ月であって太陽ではないのだろうか。

※四智とは、
大円鏡智・・・すべてのものをありのままにとらえる知慧。
平等性智・・・すべてのものを平等に見る智慧。
妙観察智・・・思いのままに自由自在に観察する智慧。
成所作智・・・状況に応じてなすべきことをなす智慧。

 

『寂滅現前するゆえに

当所即ち蓮華国

この身即ち仏なり』

寂滅とは、ニルヴァーナ。ここに蓮華国あるいは浄土が実現するが、それは、天国、極楽のことではなく、言葉にできない究極のことを便宜的に極楽っぽく言っている。

よってそうなれば、自分は仏である。

 

禅籍では、悟りの状態をこのようにストレートに述べるのは稀である。だからこそ白隠は何十人も悟った人を輩出できたのだろうか。

 

白隠-1(初期の悟り)
 白隠-2(正受にしたたかに殴られる)
 白隠-3(世界はどう変わるか)
 白隠-4(生死はすなわち涅槃である)
 白隠-5(白隠の最後の悟り)
 

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白隠禅師坐禅和讃のエッセンス-3

2024-08-23 03:14:21 | 達磨の片方の草履

◎自分自身のオリジナルな姿は何もかもなし

 

白隠禅師坐禅和讃の続き

 

『一座の功をなす人も 

積し無量の罪ほろぶ

悪趣何処にありぬべき

浄土即ち遠からず

 

かたじけなくもこの法を

一たび耳にふるる時

讃歎随喜する人は

福を得る事限りなし

 

いわんや自ら回向して

直に自性を証すれば

自性即ち無性にて

既に戯論を離れたり』

 

『一座の功をなす人も 

積し無量の罪ほろぶ』

一座とは、30~40分だが、実際に究極に到達しているタイムはわずか数秒なのではないかと考えられる。

また精神状態が坐相postureを決めるの法則から言えば、言ってみれば大死一番あるいは身心脱落してしまう姿勢があって、それにマッチした坐相になれば、悟りを開く(だからといって坐相固定マシーンで身体を押さえつけて坐相を決めてもそうはならないと、ダンテス・ダイジは言っている。)。よって白隠は、きちんと一坐座れれば、それまでの何生かで積んで来た無量の悪業は滅んでしまうのだと断言している。一人出家すれば九族昇天するの謂いである。

 

『自性即ち無性にて

既に戯論を離れたり』

自分自身に奥深く分け入って、玉ねぎの皮を一枚一枚剥いでいくように、自分自身のオリジナルな姿を確認してみれば、そこは何もない“無性”だった。

さすれば、如何なる言葉を尽くした議論も意味がなくなる(戯論)。言葉では表現できないから一円相

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白隠禅師坐禅和讃のエッセンス-2

2024-08-22 03:38:32 | 達磨の片方の草履

◎闇路に闇路をさまよい歩いても真の幸福はない

 

白隠禅師坐禅和讃の続き。

 

『六趣輪廻の因縁は

己が愚痴の闇路なり

闇路に闇路を踏そえて

いつか生死を離るべき

 

夫れ摩訶衍の禅定は

称歎するに余りあり

布施や持戒の諸波羅蜜

念仏 懺悔 修行等

その品多き諸善行

皆この中に帰するなり』

 

『闇路に闇路を踏そえて

いつか生死を離るべき』

むさぼり、怒り、迷い、惑い、何もわからないまま暗黒の輪廻転生の道を繰り返していては、生も死も超え、天国も地獄も踏み越えて、最後には生死の違いを離れ、窮極の救いに至ることはできない。

 

『夫れ摩訶衍の禅定は

称歎するに余りあり』

白隠は、20歳の頃美濃加茂市の岩滝で1年9か月修行。後に白隠は41歳の時に、深山巌崖、人跡不到、清閑瀟洒の岩滝時代よりまさる遥かに優れた境地にあると自認し(壁生草-下15丁裏)、さらに42歳秋に大悟した。

白隠は、黙照枯坐の只管打坐を批判していたのだが、ここでいう摩訶衍の禅定とは、語義は大乗のメディテーションだが、実はかえって42歳の白隠は、清閑瀟洒なる黙照枯坐的な坐で大悟したのかもしれないと思う。

 

文意は、仏教の修行には、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧・念仏・懺悔などいろいろあるが、大乗のメディテーションこそが最も優れているというニュアンス。

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白隠禅師坐禅和讃のエッセンス-1

2024-08-21 06:38:00 | 達磨の片方の草履

◎衆生本来仏なり

 

禅メディテーションをやろうと思う人ならば、一度は禅の教義を知りたいと思うものだ。ところが、基本書である信心銘・証道歌・十牛図坐禅儀を見ても、ぶっ飛び過ぎて何のことかわからなかったり、十牛図に至っては説明が簡略過ぎてこれまたわからなかったりする。

あるいは、達磨の語録や禅語録、国宝になっている雪舟の慧可断臂図を見ても、師はその理由を説明しないのがエチケットみたいなところがあり、ますます面食らうものだ。

 

ところが白隠禅師坐禅和讃は、平易世俗の語り口の中に禅のエッセンスが置いてあり、これだけでも悟れるというような代物だ。

 

『白隠禅師坐禅和讃

 

衆生本来仏なり

水と氷の如くにて

水を離れて氷なく

衆生の外に仏なし

 

衆生近きを知らずして

遠く求むるはかなさよ

 

たとえば水の中に居て

渇を叫ぶが如くなり

長者の家の子となりて

貧里に迷うに異ならず』

 

まず『衆生本来仏なり』とは、自分も他人も善人も悪人も生物も無生物も、すべて仏であるということ。これは、第六身体で自分が神となれば、この実感になるので、無と有ということで言えば、有の悟りである。

つまり『衆生本来仏なり』を実感するには、仏人合一せねばならないということ。禅を坐れば、仏人合一があるということ。

 

これについて、OSHOバグワンは、これは、始まりであり、中間であり、終わりであって、アルファにしてオメガであると言う。

自分も他者もすべて仏であって、一瞬たりともそれ以外のものであることはできない。それは、過去もなく未来もなくただ現在だけがあるが、それは、敏感で目覚めていて、まばゆいばかりに輝いている。

OSHOバグワンは、白隠禅師坐禅和讃は、冒頭の『衆生本来仏なり』この一句で決着をつけられているとする。後はこれの繰り返しのようなもの。

 

さらに

『水を離れて氷なく

衆生の外に仏なし』

 

これは、選り好みをせよと言っているのではなく、悟りと迷い、ニルヴァーナとマーヤ、真理と現象は、二つそろって必要なものだと言っている。悟りだけでは、この世とあの世のドラマは展開しない。迷いと悟りがあって初めて展開する。

だがそんな深遠な現実の説明を坐り始めたばかりの人の誰が必要とするのだろうか。

それでも彼は、仏だからである。

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石鞏一矢で一群のすべての鹿を射れず

2024-08-19 03:45:00 | 達磨の片方の草履

◎弓矢で狙われた三平は胸を開いて受けようとした

 

ある日、猟師だった石鞏は、馬祖大師の庵の前を通りかかって馬祖に問うた。「旦那、わしの鹿の通るのをみただろう。」

馬祖「おぬしは何者だ。」

石鞏「わしは猟師だ。」

馬祖「おぬしは矢を射れるか?」

石鞏「射れるとも。」

馬祖「一矢でどれだけ射る?」

石鞏「一矢で一頭は仕留める。」

馬祖「おぬしはさっぱり射れないな。」

石鞏「旦那はまさか射れまい。」

馬祖「おれの方が射れる。」

石鞏「一矢でどれだけ射る?」

馬祖「一矢で一群は仕留める。」

石鞏「どいつもこいつも生きものなのに、どうして一群が射れるのだ。」

馬祖「おぬしは、そこまでわかっていて、どうして自分を仕留めないのだ。」

石鞏「私に自分を仕留めよと言われると、まったくお手上げです。」

馬祖「この男は、無明煩悩が一度に吹っ切れたわい。」

石鞏は、その場で弓矢をへし折り、刀で髪を切り、馬祖について出家した。

 

後に石鞏は、馬祖にその悟りを認められた。

 

ある日、見込みのありそうな三平義忠がやって来た時、石鞏は、弓に矢をつがえて叫んだ、「箭を見よ。」

三平は、がっと胸を押し開いて受けようとした。

石鞏、「三十年待ち受けて、今日は半箇の聖人を得た。」

 

三平は、悟って後、この時のことについて思い出して「あの時は、してやったりとばかり思ったが、今にして思えば、してやられていたのだな。」と。

 

三平は、いい線いっていたのだが、不徹底だったのだ。けれども、三十年間そういう人すらもなかなか見つかるものではない。

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ホウ居士が働きながらでの修行を選ぶ

2024-07-19 07:31:05 | 達磨の片方の草履

◎働きながら修行できる環境と覚悟

 

今の時代は、よほど稀な境遇でない限り、禅道場やキリスト教修道院のような専門道場で何年も過ごすことはむずかしい。そこで現代は、勢い働きながら修行するというのが主流となる。

 

修行の進み具合によっては、全然働けなくなるシーンがあるもので、衣食住の面倒を見てくれる支援者(細君、愛人、友人、近親など)が、本当に真剣に取り組もうとする冥想修行者には必要なものである。

冥想の進み具合によって、そうした環境も自ずと整ってくるということはあるが、そこは考えなくてはいけない部分ではある。

 

ホウ居士は、師匠の石頭希遷に「出家するのか在家で修行するのか。」と問われ、在家を選んだ。その時のホウ居士の偈。

 

『【大意】

日常の仕事は特別なことはない。ただこれ自ずからうまく運んでいくだけのこと

何一つ選びもせねば捨てもしない。どこで何をしようとまが事は起きない。

(出家して)朱や紫の衣を着る位階にも関わり無く、ここは塵一つない山中である。

わたしの神通と妙用とは、水をくみ薪を運ぶことである。

 

【訓読】

日用の事は、別なし 唯だ是れ自ずから偶またま諧(かな)うのみ

頭々取捨にあらず 処々張乖(ちょうかい)を没(な)し

朱紫 誰か号を為す 丘山 点埃(てんない)を絶す

神通並びに妙用 水を運びまた柴を搬(はこ)ぶ』

 

ホウ居士は、箕造りで一生を終えたが、臨終時に娘に先を越された消息には鬼気迫るものがある。

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牛の児を買う

2024-07-18 06:17:55 | 達磨の片方の草履

◎杜鵑(ホトトギス)の一声が、孤雲を切り裂く

 

道元の正法眼蔵第43巻諸法実相から、天童如浄がある夜、弟子たちを方丈に集めて言った。

 

『【訓読】

天童今夜牛児あり

黄面の瞿曇(ゴータマ)実相を拈ず

買わんと要するに、那(なん)ぞ定価無かるべき

一声の杜宇、孤雲の上

 

【大意】

わしのところに今夜牛の児がいる

黄金の釈迦は、あらゆる真理を手でひねっている

それを買おうとするが、定価がないはずはない。

(その定価は、)杜鵑(ホトトギス)の一声が、一片の雲の上を行く』

 

牛の児は、十牛図の牛のイメージであり、あらゆる真理。最後にホトトギスの一声が世界を切り裂くが、これは、チベット密教のpatoの一声と同じ。これで目覚めるのだ。

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盤山宝積

2024-07-17 06:47:17 | 達磨の片方の草履

◎亡くなった人はどこに行く

 

唐の時代に中国禅で余りにも多くの悟った弟子を出したのは馬祖。その馬祖の孫弟子に当たる普化は、飛びぬけた聖者だった。その普化の師が盤山宝積。盤山宝積は馬祖にその悟りを認められている。

 

『ある時盤山が、托鉢して肉屋の前に立った。その時、一人の客が「精底(生きのいい肉) 一斤をくれ」と言うと、主人は庖丁を置いて「俺の店に腐った肉はないぞ」と怒鳴った。盤山は、かたわらにあってこの会話を聞いて、豁然として悟った。

 

また、一日門を出たら、葬式に出会った。坊さんが鈴を振って、「夕日(紅輪)は行く先を決めて西に沈んだが、まだ行く先が決まっていない、亡くなった人はどこに行く」と歌うと、遺族が声を揚げておいおいと哭泣した。盤山は、これを見ておのずから心身玲琅となり、欣喜雀躍して帰り、師の馬祖に話をすると、馬祖は莞爾として盤山の悟りを認めた。

 

これは、どちらも公案ではなく、悟りのきっかけのイベント。

最初のは、万物がすべて仏法ならざるはないことを見た。後のは、人の子に帰る場所はない

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禅の孤独と寄る辺なさ

2024-06-28 06:46:48 | 達磨の片方の草履

◎枯淡、峻厳、孤独

 

伝灯録15の洞山の章から。洞山の室に、燈明もつけないで真っ暗なところに、一人の僧が参禅にきた。以下の先生とは洞山のこと。

 

『ある夜、灯明に火がついていなかった。僧がでてきて、質問した。あとで、先生は侍者に火をつけさせて、今の僧をよび出させる。僧は、進みよる。

 

先生、「二つぶ三つぶ、香をもってきて、この上座にやってくれ」

僧は、袖をはらってさがるが、これがもとで道理に気づく。そこで、持っていた衣を売りはらって、みんなに食事を供養した。

 

僧は三年たって、先生にいとまをつげる。

先生、「気をつけてな」

ちょうど、雪峰がそばにひかえていて、こうたずねる。

「この僧、あんなふうに出ていって、いつ帰ってくることか」

 

先生、「あいつは行くことしか知らん、再来はできまい。」

僧は僧堂にかえり、自分の座席で、坐ったまま死んだ。雪峰がやってきて、先生に報告する。

先生、「それにしても老僧とは、三度生まれかわるほど距離がある」』

(禅の山河/柳田聖山/禅文化研究所p458から引用)

 

この僧は、暗がりで香をもらって大悟した。そして3年を洞山の下で過ごしたが、自分の座席で坐ったままの往生となった。誰も看取ることもなく、殺風景な僧堂でたった一人で死んでいったのだ。

 

大悟できずに逝った僧と洞山には三生の差がある。つまり今生でかの僧は死んだが、同様の生死を三回やって師の洞山の境涯に追いつくだろうと言っている。

僧は、衣を売ってすべてを棄てたかに見えたが、それでもすべてを棄て切れなかった。洞山と雪峰が見るところ、かの僧は臨終時にも大悟できなかった。肉体死と自我の死は異なる。

 

昨今欧米や日本に向けて難民が多いが、実は人間は皆難民である。人生に仮の宿はあるが、人生の荒野に安住できる安全安心な家などない。来ることは来たが、どこかに行こうにも行く場所などない。だがそれでも何の問題もないことを知っている。

 

これが禅僧の世界観であって、枯淡、峻厳、孤独が好きだから禅画もあのように孤独で取りつくしまがないというわけではない。彼らは寄る辺などない世界に生きているのだ。その世界こそが真実の世界だが、それは大逆転の先にある世界なのだ。

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炊事の繰り返しで悟る

2024-06-27 07:09:01 | 達磨の片方の草履

◎焼餅屋だった龍潭

 

道元のことにも出てくるが、禅寺の典座(炊事係)でも悟りの修行ができる。以下に示す龍潭は、もともと門前の焼餅屋さんであったが、出家してからは、食事係ばかりやらせられて、一年経っても和尚が悟れる秘訣を教えてくれないとぼやく話である。

禅の六祖恵能は、坐らせてもらえず、ずっと寺で米つきばかりやってた。

実は、これらは坐らないからには、一行専心の修行であって、坐る冥想とは全く異なる行である。

禅の坐る冥想とは、只管打坐、隻手や無字などのマントラ禅、公案禅に大別されるが、一行専心は、坐らないので全く別種。

 

一行専心とは、仕事を精密にやり続ける事上磨錬、武道(柔道、剣道、合気道)、芸道(書道、茶道、華道、香道、歌道、舞踊、ダンスなど)に加え、絵画、彫刻、建築、工芸、デザイン、写真、作曲、声楽、器楽、指揮、ダンス、演劇からスポーツといったものまで含まれる。ただしそれが道と呼ばれるためには、神仏への敬虔があって、人間の努力の限界を超えようとするモチベーションがなければならない。

ただし、一行専心は、往々にして見神見仏見道にとどまる。要するに禅の十牛図で言えば、見牛第三止まりである。稀に一行専心でもニルヴァーナに至る者もいるが、見神見仏見道から先に進むには、やはり冥想による方が早いのではないかと思う。

 

祖堂集巻四の天皇道悟の章から。

『澧州龍潭崇信禅師〈天皇に嗣ぐ〉は、焼餅をつくる家業であった。天皇和尚を礼して出家した。

天皇は言った、「あなたが、わたしに師事してから後に、あなたに心要法門を説いてあげよう」。

 

およそ一年が経過した。 龍潭、「ここに来ました時に、和尚さんは、心要法門を説いてあげるといわれながら、いまだに指示していただけません」。

天皇、「わたしは、あなたに説いてあげてから永い間たった」。

龍潭、「どこに和尚さんはわたくしのために説かれましたか」。

天皇、「あなたが『ごきげんいかがですか』といえば、わたしは、すぐさま合掌する。わたしが坐っている場合、あなたがすぐさま側に控える。あなたが茶を運んでくれば、わたしが受け取る」。

龍潭はしばらく黙った。

 

天皇、「見るときはそのまま見る。思慮せんとすれば、とたんに間違う(見則便見、擬思即差)」。

龍潭はそこで大悟した。(河村本-150頁)』

(中国禅宗史話/石井修道/禅文化研究所P455-456から引用)

 

龍潭は、もともと悟っていたが、一年かけてそれに気づいただけと言うのは簡単である。龍潭が、寺で坐ることなく悟ったのはなぜだろうか。禅寺の炊事係なら誰でも悟るわけでもない。

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禅問答の二つの相

2024-06-26 06:11:34 | 達磨の片方の草履

◎いつまでも続けることができない

 

禅は、悟っているか悟っていないかであって、中間段階はない。そして禅問答の大半は、悟っていない弟子が悟った師に問答をしかけるが、けんもほろろに相手にされていない問答になっている。

だから退屈なのが多い。

禅の公案は、ジュニャーナ・ヨーガのネタであり、そもそも正解のない問題を「正解のない」ことを世界全体が受け容れるまでやる。

 

だが、そのような問答の中には、悟った後の世界の二重性について言及しているものがある。

 

長沙和尚の話。

『三百則下56則の「長沙刈茅割稲」の話も、自己の立場を明確に示している。

ある僧が長沙に問うた、「本来人は、一体、成仏するのでしょうか」。

長沙、「あなたは「中国の天子が茅(かや)を刈り稲を割(か)るかどうか』言ってみよ」。

僧 、「成仏するのは、誰でしょうか」。

長沙、「外ならぬあなたが成仏してるのだ。わからぬのか」。(河村本一八九頁)

出典は「円悟頌古」39則である。本来人が実体視されるのも誤りであり、自己の外にあるのも誤りである。

 

長沙は、自己について、『光明』『十方』『諸法実相』の巻に引用される『伝燈録』巻一〇で、次のように言っている。

長沙和尚は、上堂して言われた、「わたしがいちずに宗教を宣伝したら法堂の中は一丈の草が生い茂るであろう。

わたしは、だから、やむなく諸君らに言うのだ、「宇宙とぶっつづきが出家 者の眼であり、宇宙とぶっつづきが出家者の全身であり、宇宙とぶっつづきが自己の光明であり(尽十方世界是自己光明)、宇宙とぶっつづきが自己の光明の中に在り、宇宙とぶっつづきが自己でないものは一人もいないのだ」と。

わたしはいつも諸君らに言っているだろう、『過去・現在・未来の諸仏たちと全世界の衆生とが摩訶般若(偉大な智慧)の光である』と。光が発しない時は、諸君らはどこに任(まか)せるのか。光が発しない時は、まだ仏もいない衆生もいない様子であり、どこに山河国土を得ようか。」。

 

その時、ある僧が問うた、「出家者の眼とは何ですか」。

長沙、「いつまでも続けることができない」。また、答えた、「仏祖と成り続けることができないし、六道輪廻のままで続けることができない」。

僧、「一体、何を続けることができないのですか」。

長沙、「昼に太陽を見て、夜に星を見る」。

僧 「わたくしにはわかりません」。

長沙「妙高山(スメール)の色はどこまでも青い」。(四部叢刊本二丁左~三丁右)

 

自己が摩訶般若の光と説く長沙の言葉に接して、一種の驚きを感じる。一般に弥陀の絶対他力を説く浄土系の信仰に対しては、禅は自力の宗教と枠組みされる。長沙の宗教は自力といえるようなところは全くない。道元禅師の宗教も一般にいう自力と把握するのは誤りであることを、この長沙の説法は教えてくれる。』

(中国禅宗史話/石井修道/禅文化研究所P270-272から引用)

 

この『長沙、「いつまでも続けることができない」。また、答えた、「仏祖と成り続けることができないし、六道輪廻のままで続けることができない」。』(上掲書から引用)という箇所が、みじめでなさけない人間である自分と、すべてのすべてである仏である自分の二重性の実感を説いている箇所。

 

これは、ダンテス・ダイジの詩『おれは神』と同じことを言っている。

 

同様に『「仏祖と成り続けることができないし、六道輪廻のままで続けることができない」』(上掲書から引用)は、同時に二者でいられないことを示し、それは、山本常朝の葉隠の『浮き世から何里あらうか山桜』で感じとれる。

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ダンテス・ダイジの好きな芭蕉三句

2023-09-16 07:01:27 | 達磨の片方の草履

◎ほろほろと 山吹散るか 滝の音

 

ダンテス・ダイジは、芭蕉のことを評価していた。彼が好きだった三句。(参照:君がどうかい?/渡辺郁夫編p129)

 

ふと見れば なずな花咲く 垣根かな

※これは、続虚栗(ぞくみなしくり)という句集にある「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」である。普段は気にも留めぬなずなの白い花だが、波もない水面の如く落ち着いた心には、よく映って来る。

 

旅人と わが名呼ばれん 初時雨

※これは、笈の小文にある。前書に「神無月の 初(はじめ)、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して」とある。奥の細道序文に「月日は百代の過客にして」とあるように、寄る辺なき旅人気分が芭蕉にはいつもある。それは、芭蕉が旅から旅の人生だからというわけでもなく、覚者の孤独の影が差している。ダンテス・ダイジは、神人合一したことで、何もかも見知らぬ世界に生きることになり、帰る家を失った。郷里がなくなれば、彼は旅人でいるしかない。そのことを道教の大立者呂洞賓は、無何有郷と呼ぶ。

その心情を覚者の社会性喪失から来るところの寂寞とだけ見るのでは浅い。六神通と言われる超能力を駆使できてもそこは残るのだろう。悟ると世界は逆転するが、世界の逆転とはそのような旅人となることなのだろう。

 

ほろほろと 山吹散るや 滝の音

※これも、笈の小文にあるのだが、「ほろほろと 山吹散るか 滝の音」で、一文字違っている。吉野川のごうごうたる滝の音を遠くに聞きつつ、桜にも劣らぬほどに咲き誇った山吹がほろほろと散っている。ダンテス・ダイジは、「このほろほろがよい。」と嘆じている。

 

松尾芭蕉は37歳の時、深川芭蕉庵で出家して、仏頂和尚に印可(悟りの証明)を受けている。

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抜隊(ばっすい)

2023-09-05 06:50:07 | 達磨の片方の草履

◎小悟を重ねながらも完璧な悟りを目指す

 

抜隊得勝(1327-1387)は、後醍醐天皇没後の室町時代始めに活躍した人物。神奈川県足柄上郡中井町に生まれ、4歳の時に父を失い、出家は29歳と遅い。

8、9歳の頃、死後極楽か地獄に行って、あるいは成仏するような霊魂とは一体何か、またこのように見たり聞いたりする自分とは何かと、深く疑ったという。

20代の頃、相模治福寺の応衡禅師に師事し、悟りかけたのが数十度だが、悟りはしなかった。

出家の際、諸仏の大法を悟って、一切衆生を救い尽くして、その後に涅槃を成し遂げたいと考えていた。

通例、大悟以前の禅の修行においては、一切衆生を救い尽くすなどという考えすら雑念として棄てるべきものだが、抜隊はダークサイドに堕ちず、きちんとしていたのだろう。

抜隊は、山の中で坐り、路辺に坐り、あるいは、眠らないようにするため樹上に坐るなど、昼夜分かたず、脇を倒さないほどの、猛烈な冥想修業をした。里人がこれを憐れんで粗末な草庵を作ってくれたほどだった。

 

さてある長雨の頃、谷川の水声を聴き、この渓声を聴くのは誰かと疑って、身体全体疑団となったところ、まだ悟っていないと感じた。更に坐り、暁に渓声が肺肝に入るのを聞いてこの疑団が晴れたものの大悟ではないことを自分でも感じていた。

そこで親友の得瓊に相談したところ、自分の経験から山野での自修は結局不可であるから、真に悟った師について参禅すべきだと抜隊を諭した。32歳の抜隊は、出雲の孤峯覚明禅師に参禅し、

「趙州は、なぜこの無字をいうのか?」と問われ、

「山河大地草木樹林ことごとく悟っている」と答えたところ、

「おまえは、情識をもって言っているのか?」と突き返され、

抜隊はその瞬間(言下)に大悟した。

抜隊は、孤峯に参じて60日で大悟したのだ。

 

以後抜隊は、全国各地を行脚する旅を行う。

晩年の康暦2年(1380年)正月に、富士山に向かって説法する霊夢を見たことにちなみ山梨県塩山に向嶽庵(嶽は富士山)を開いた。塩山仮名法語などが残る。

 

室町時代の始めの混乱期に、衣食の不便も厭わず冥想環境としては最悪の山中や道端で坐り続けた気概と志に凄味を感じさせる。

さらに何度も小悟を重ねながらも、完璧な悟りを目指して坐り直す、自分に対する厳しさには目を見張るものがある。

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華叟宗曇

2023-08-03 07:01:38 | 達磨の片方の草履

◎冷たい灰をかき混ぜて炭火を見せる

 

自殺未遂をして、傷心癒えきらぬ一休は、求道の志やみがたく、22歳にして堅田のやはり貧乏寺の華叟宗曇の祥瑞庵の門を叩いた。華叟はなかなか入門を許さず、一休は四、五日門前にあったが、ある朝華叟の目に留まり、「すぐに水をぶっかけて、棒で叩いて追い出せ」と弟子に命じられたものの、夕方には入門を許された。

 

華叟宗曇は、大徳寺の大燈国師の系譜に連なる師家。一休は、堅田の岸辺の葦の間やあるいは知り合いの漁師の小屋を借りて徹夜で坐禅を続けた。食事も一日二回とれなかったので、その漁師からもらったもので食いつないでいたらしい。なおその漁師の妻は鍋や釜をかきならしては夜坐の邪魔をした。

また華叟が病気になった時、窮迫のあまり一休は、香包や雛人形の衣装などをこしらえては京都で売って、薬代を稼いでいた。

ある日、一休は華叟に命じられ薬草を刻んでいたところ指から血が出て作業台を赤く染めた。華叟はこれを睨みつけて、お前の身体は頑丈だが、手の指は軟弱なことよと言った。これを聞いて一休の指はますます震えたが、華叟は微笑んだ。

一休25歳。平家物語祇王失寵の段で小悟。

 

一休27歳の夏の夜、鴉の声を聞いて悟るところがあり、すぐにその見解を華叟和尚に示した。華叟は「それは羅漢(小乗の悟り)の境涯であって、すぐれた働きのある禅者(作家の衲子)にあらず」といわれた。そこで一休は「私は羅漢で結構です。作家などにはなりたくない」といった。すると華叟は「お前こそ真の作家だ」といい悟りを認め、偈を作って呈出するようにいった。

「悟る以前の凡とか聖とかの分別心や、怒りや傲慢の起こるところを、即今気がついた。そのような羅漢の私を鴉は笑っている。

前漢の班婕妤は昭陽殿に住んで、成帝の寵愛を受けたが、趙飛燕姉妹のために寵を失った。その際、彼女の美しかった顔は、寒い時の鴉にも及ばないと嘆くようなことになった(それは羅漢と同じ)。」

 

その後華叟は、一休に印可(悟りの証明)を渡そうとしたが受け取りをことわったので、彼の同席のもとに一休の縁者の橘夫人にこれを渡した。

華叟は、腰痛がひどく、おまるも自分で使えないほどだったので、弟子たちが交代で下の世話をした。弟子たちは竹べらで始末したが、一休は素手で始末した。

一休は、大燈国師にならったのか以後放浪の風狂(聖胎長養)の一生を送る。一休35歳の時に華叟は亡くなった。

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無学祖元

2023-08-01 06:38:34 | 達磨の片方の草履

◎人空にして法も亦(ま)た空

 

無学祖元は宋末の禅僧で、元による難を避け日本に渡来してきた。彼は、蒙古の第2回侵寇弘安の役(1281年)の二年前、執権北条時宗に招請されて来日。鎌倉の円覚寺の開山。

 

中国の政権の瓦解が見えてくると中国の宗教者や青年が日本に渡って来るものだが、今回はどうか。青年はいるが宗教者はいないのだろう。

東洋経済online2023年07月31日10:30の“結婚が「10年で半減」中国で何が起きているのか”という記事では、中国の婚姻件数は9年連続で減少し、10年足らずで半減し、2013年の約1350万組から2022年約680万組となった由。これもその前兆である。

一方五公五民の日本では、若者が子供二人もまともに育てられない人生設計にしかならない日本に見切りをつけ、海外移民を目指すシーンも出てくるのではないか。生活の場として、日本が良くて中国が悪いというのは、もはや現実ではなく単なる先入観かもしれない。

バブル期に日本が良くなりすぎ、30年の無成長の結果、重税・重社会保険料・重い再エネ賦課金により、いつしかジリ貧国家となり、若い日本人が日本を見切る時節も見えて来た。

 

無学祖元は、元寇対応で有名な北条時宗の禅の師として有名である。13歳で父を失い出家、杭州径山寺の無準和尚に参じ、無字の公案を与えられた。七年後、寺僧の打つ木版の音を聞いて開悟したが、無準老師は、これを小悟と退けた。

無準遷化後も無学祖元は、さらに十数年も冥想修行を継続、36歳の時、道端で井戸水を汲む轆轤(ろくろ)がくるくる回っているのを見て、廓然として大悟した。

 

折しも元兵の兵難に追われ、浙江省台州真如寺から温州能仁寺に移ったが、そこにも元兵が乱入してきた。無学祖元は、ただ一人坐禅していたが、首に刀を当てられたところで、一偈を唱えた。

 

乾坤弧笻(こきょう:竹の杖)を卓(た)つるに地無し

喜び得たり人(ひと)空(くう)にして法も亦(ま)た空なるを

珍重す大元三尺の剣

電光影裡に春風を斬る。

 

大意:

天地の間に竹杖一本を卓てるところはない、喜ばしくも気づいてしまった、人は空であり法もまた空であることを。

大元の三尺の大剣を有難く受けよう

(私を斬っても)春風を一瞬にして斬り裂くようなものだ。

 

気押された元兵は去って行った。これは、辞世の偈である。『喜び得たり人(ひと)空(くう)にして法も亦(ま)た空なるを

』とは、首に剣を当てられて、もう一度大悟したということだろうか。恐怖の恵み。

 

『春風』という軽さが、彼のいた境地の本物であることを示しているように思う。

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