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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

苦行の効果と限界

2025-07-16 03:29:57 | 浅い霊感から神人合一まで

◎苦行をしすぎると、人は品格を失い、少し醜くなる

 

OSHOバグワンの“ヨガ: アルファとオメガ、第 10 巻第1章 ”人工的な心を落とす”から。

 

ポイント1.:苦行とは、心が自然に望むものを意識的すべて捨てること。これにより、ライフスタイルが変わってしまう。

あることをしないと決めた場合、心はそれをするよう主張するが、都度苦行者はそれを無視する。よって苦行をしすぎると、人は品格を失い、少し醜くなる。というのは、心の中での絶え間ない闘争と戦い、そして絶え間ない抑圧と「ノー」という言葉の葛藤がやまないからだ。

 

ポイント2.:苦行は、生活パターンを変え、快適な生活はできなくなるので、大変な意志力が必要だ。その意味で、マントラやソーマより長続きさせる力はあるが、そのままでは究極には届かない。何か違う冥想が良いことをOSHOバグワンは、示唆する。

 

ゾイゼは半生にわたって苦行を継続したが、大変な意志力だったと思う。釈迦は、断食や息を止める苦行などを6年やったが、やりすぎではなかったのだろうか。

 

『(仮訳)

第三の道は、食べ物、睡眠、セックスなど、快適さや便利さを追い求めるのではなく、苦行をすること、生き方を変えることです。心が自然に望むものをすべて捨てて、まったく逆のことをするのです。それはまだマントラよりも少し高いです。心が「寝ろ」と言えば、苦行の人はこう言います。「いいえ、寝ません。」私はあなたの奴隷になるつもりはありません。寝たいときは行きます。それ以外の場合はそうではありません。」心は「お腹が空いている、さあ、行って物乞いをしなさい」と言います。

緊縮財政の人は「ノー!」と言います。緊縮財政を実践する人は心の中で「ノー」と言い続けます。それが緊縮財政です。心にノーと言うのです。もちろん、心に「ノー」と言い続ければ、条件付けは緩んでしまいます。そうすれば、心はもはやあなたに対して力を及ぼすことがなくなり、あなたは少し解放されます。しかし、「ノー」を繰り返し言い続ける必要があります。たとえ一日マインドに耳を傾けたとしても、再びマインド全体の力が戻ってきてあなたを支配し、所有するでしょう。つまり、ほんの一瞬でも道を誤ると、すべてが失われてしまうのです。

 

緊縮財政を実践している人のほうがうまくやっている。彼は、詠唱する人よりも永続的な何かを行っています。なぜなら、詠唱するとき、あなたのライフスタイルは変わらないからです。中にいるだけで気分が良くなり、確かな幸福感が得られます。マハリシ・マヘーシュ・ヨーギの超越瞑想が西洋で非常に魅力的なのは、それが理由です。

なぜなら、彼はライフスタイルを変えるよう求めていないからです。彼は「どこにいても、大丈夫だよ」と言いました。神はあなたが規律ある生活を送ることを望んでいません。朝20分、夕方20分、マントラを繰り返すだけで十分です。もちろん、睡眠の質も良くなり、食欲も増進します。あなたはより穏やかで静かになるでしょう。怒りが簡単だった状況も、そう簡単ではなくなります。

ただし、毎日唱え続けなければなりません。それはあなたに音波の確かな内なる浴を与えます。それはあなたを少しは浄化しますが、それはあなたの成長を助けることはありません。生活が変わり始めるので、苦行はより効果的です。

あることをしないと決めた場合、心はそれをするよう主張します。マインドを否定し続けると、人生のパターン全体が変わってしまいます。しかし、それも強制です。苦行をしすぎると、人は品格を失い、少し醜くなります。絶え間ない闘争と戦い、そして絶え間ない抑圧と「ノー」という言葉は、彼らの存在に非常に深い亀裂を生み出します。

彼らは、詠唱をする人や麻薬中毒の人よりも永続的な片鱗を持っているかもしれません。彼らはティモシー・リアリーやマヘシュ・ヨギよりも永続的な結果をもたらすだろうが、それでも自然に開花するものではない。それはまだ禅ではなく、本当のヨガでもタントラでもありません。』

(上掲書から仮訳)

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葛玄の物語-1

2025-07-15 03:40:22 | 浅い霊感から神人合一まで

◎自分のために超能力を使わない。

 

『葛玄、字は孝先、丹陽句容の人である。左慈に従って仙道を学び、丹液仙経を授けられた。ある日来客があって四方山の話の序に、ふと変化幻術のことに及んだ時、客は自分のために一つ幻術を演じてくれないかと頻りに望むので、「ならば」と言って、彼は口の中に含んでいた飯を吐き出すと、それが忽ち数百の大蜂となって、客の身の上に群がり集ったけれど、少しも刺さなかった。その時葛玄が再び口を開くと、かの蜂は再びその口の中へ飛び込んできてまた元の飯となった。

その他、彼の変化の術は極めて多かった。

例えば石像を起こして踊らせ、あるいはまた蝦蟇その他の昆虫鳥類をして踊り歌わせるなど、ほとんど人間と同様であった。あるいは数十の鏡を井戸の中へ投げ込み、次に一つの器物を持ってきて、かの井戸を覗いてそれらを呼ぶと、かの鏡は一つずつ飛んで出て、自ずと器物の中へ入るのである。また酒宴を催す時にも杯は自ずからあちらこちらと飛び回り、酒がある間は何時までもそこに留まって動かない。酒が飲み干されるに到って、初めて動き出して別の客の前に行く。その他、千変万化、彼の望むことは何でもできないということがなかったので、当時の人々も葛仙公と言って大いに彼を尊重していた。

 

晋の武帝はある日彼を召して、「今天下で民百姓が大いに苦しんでいるから、一つ雨

を降らしてくれないか」と頼むと、葛玄は直様一枚の符を認め、それを処々の寺社に貼らしめた。すると俄かに黒雲が起きてきて、大粒の雨が車軸を流すように降ってきた。

 

ある日彼は、とある神社の前を通ることが

あった。

この神社は霊験が著しい神で、百歩離れた所で車を降りてその前を通らなければ忽ち神罰に当たる。そしてこの神社の前には大木が数十本ばかり茂っていて、女子供は一人で通るのを恐がっていた。昔からこの林には神の使いとする怪禽が棲んでいたけれど、人々は神罰が怖さに誰一人としてこの鳥を捕えようとするものはいなかった。

この時葛玄は車をズーッと社前に進ませ、そのままその前を通り抜けようとすると、今まで晴天であった空が俄かに掻き曇り、大風が颯と地を巻いて起きると、砂塵が濛々として天を覆い、車が一歩も先へ進むことができない。取り巻きの者たちはそれこそ神罰だと言って皆震え上がって恐れていると、これを見た葛玄は大いに腹を立て、片手を挙げて風を招ぐと、風は俄かに止み、砂塵もいつしか収まって、元の晴天となった。その時彼は一枚の符を書いてそれを神社の中に投げ込ませると、彼の森の中に棲んでいた怪鳥どもは悉く死んで地上へ落ちて来たのみならず、かの神社もこの時自然と火を発して何も残さず焼き尽くしてしまった。』

 

覚者は、自分のために超能力を使わない。

この逸話では、珍しく他人の見世物のために超能力を披露したが、二度とそういう目的で超能力を求めないような内容で超能力を見せている、と思う。

 

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張道陵の物語-2

2025-07-02 03:01:02 | 浅い霊感から神人合一まで

◎青城山の魔物退治

さて道陵は、盟威秘籙を身に帯び、青城山の頂に琉璃の高座を設けて自らその上に座し、左の方には大道文始天尊を控え右の方には三十六部の天将を安置し、座の周りに雲幡を立てひらめかせ、鐘を鳴らし鼓を叩き龍虎の神兵を備えて、魔神の軍今や来ると待ち構えて居ると、やがて、数万の魔兵一時にどっと押し寄せて来て、道陵目掛けて進み寄ると、道陵少しもひるまず手を挙げ一本の指を翳すと、それがたちまち一つの大きな蓮花と化して彼の身を防ぐ。

魔軍再び炬火数千把を持って来て、彼の身を焼き殺そうとすれば道陵また手を挙げて指すと、件の炬火は逆に風に煽られ、鬼軍の方へ向かって燃え広がるので、見る間に数千の鬼兵どもは焼死してしまった。この時魔軍は初めて彼の神通宏大なるに恐れを抱き、今は身を危ぶんで近く寄りかからず遠くから言葉をかけて、仙聖は峨嵋山に住んでいらっしゃると聞いていたが何が故に今ここにいて我らの住居を侵されるのであるか、その理由を承りたいと詰った。

この時道陵故意と声を荒らげ魔鬼どもよく承われ、汝ら日頃から罪ない人民に害をなして、世を乱し人を苦しめるにより、我今度忝なくも太上老君の命によって汝らを懲らさんためにわざわざここに到ったのである。罪を悔い、過ちを改めなばよし、さもなくば天罰たちどころに汝らの身に報い来らんと言って、ハッタと睨みつけた。

魔王劉元達らこれを聞くと、大いに怒り、数万の鬼兵を率いて一時に攻め寄せんとした。この時道陵は丹筆をとって空中に一個の円陣を描くと、不思議や数万の鬼兵俄かに頭を抱いて苦しみ出し地に倒れて悲鳴が天に響くかと思われた。これを見てさすがの八大魔王もついに降伏し、叩頭三拝して各その罪を謝した。そこで道陵再び丹筆を以て逆に空中に描くと、鬼兵どもの苦痛はまた元の如く治った。


その時道陵は彼の八人の魔王を近く呼び寄せ、今日からここを引き払って遠く立ち退き、以後再び疫病を放って人民を苦しめることないように、くれぐれも戒めると、件の魔王どもは顔を曇らせ、自分らが人民どもに災いをなすことは祖先からして許されていた特権である。それを今悉く放棄してしまえとは残酷である、お慈悲に半分だけ許してくれと嘆願したけれど、道陵は頑として少しも聞き入れなかった。

そこで魔王どもも道陵の言葉に服せず、次の日になると、またもや鬼軍を率いて攻め寄せて来た。道陵これを見てまた件の丹筆を以て空中に描くと、鬼兵ども再び前の如く苦しみ、哀れみを乞うた。しかし道陵は少しも手を緩めず、再び丹筆を以て地の上に一線を描くと、山はたちまちそこから二つに裂け、鬼兵どもが彼方の山からこの方の山へ渡ろうとしてもがいたけれど、それが出来なかったので、今は力及ばず大声をあげて泣き叫び、今日からここを引き払って遠い西方の娑羅の国へ赴き、再び人民に仇をなさないようにするからこの苦痛を止めてくれと嘆願した。』

青城山は、今は道教の聖地だが、張道陵は、いわば魔物退治をやって山開きをしたわけだ。同様の事績は、チベットのパドマサンバヴァが先住土着の鬼神を退治し、広島県三次市の稲生物怪録の稲生平太郎は、筑波山の悪霊を封じ込めた(出口王仁三郎による)例などに見られる。

このような話は勧善懲悪の冒険活劇と見られることが多いが、それは国家、地域レベルでの大祓、浄化であって、本来意義の大きなものだが、一般の人には評価されることは少ない。

一見何気ない話が伝わっている場合は、その意味を考えてみるのがよいと思う。一つの言葉が三通りの意味

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張道陵の物語-1

2025-07-01 03:05:42 | 浅い霊感から神人合一まで

◎道教の大立者張道陵の軌跡

 

『張道陵

 

張道陵、字を輔漢といい、張子房八世の孫である。身長九尺二寸、眉濃く広 く、頭頂は赤く、瞳の色は緑である。鼻は高く秀でていて、顔は角張り、左右 に長く伸びて、手を垂らせば膝の下まで届き、伏犀額の上に起伏して深く頭頂の上 まで切り込み、眼光鋭くして見る時人を射る 。

 

彼は後漢の光武帝の建武十年、天目山において生まれたのであるが、初め彼の母がある 夜夢に北斗星から身長一丈余、身に錦箔した衣を着た一人の偉人が降りて 来て、自分に薔薇香を授けると見て目が覚めた。その時着ていた衣服も居間も異 様の香気が満ちていて、一か月ばかりも散らなかった。さてその月から彼の 母は身ごもったのであるが、いよいよ彼を生むという時になると、瑞雲が室を立ち込め て瑞気が庭に満ち、室の中には一種の光明満ちて夜も昼のように明るく、また 以前のような異様の香気がして一日散ら なかったそうである 。

 

道陵生まれて七歳の 時道徳経を始めとし、 天文地理、河図、洛書、 緯の諸書を読んで皆 その蘊奥を極めてあっ たが、その後官に召し上げら れて役についた 。

 

しかし彼は元来仙術を究めるの志が深かったので、間もなく官を辞して北邙山に隠 れて居た 。その時一頭の白虎がいて、口に符文を含み、それを彼の傍に置いて何処へか立ち去ったと伝えられて居る 。

 

時の天子和帝が太傅の官に任じ侯に封ずるからと言って、三度ばかり詔を下して彼を徴されたけれど彼はついに応じな かった 。その後彼は蜀の地に行ったが、美国の深徹という山が深秀の趣に富んで居るのを見て大いに喜び、ついに鶴鳴山の奥に地を卜してここに隠れて居た 。この山に昔から一個の石鶴が在って、道を得た人がこの山に上る毎に必ず鳴くと伝えられて居たが、 彼がこの山に入った時、やはりこの石鶴が高く鳴っていたという 。

 

彼の弟子に深く天文の学を究め、黄老の道に通じた王長という者がいて、師の道陵と一緒に龍虎の二丹を練っていたが、 一年経つと、紅の光があって室に満ち、二年経つと青龍と白虎とが現れて交わる丹を練る鼎を守護し、 三年になった時に仙丹がようやく出来上がった 。その時道陵は年六十歳であったが、その丹を服して俄かに若返り、あたかも三十ほどの人のようになり、そして気力も往昔に増して、走 っている馬に追いつくことが出来た 。

 

その後彼は弟子の王長と共に北嵩山に上った時、一人の繍衣を着た天帝の使者 に会いこの山の中峰にある石室の中に三皇の内文と黄帝の九鼎と、外に太清丹経 とが収められて居る 。もしこれらを得て修業するならば昇天することが出来るであろうと告げられ、七日ばかり、斎戒沐浴した後、静かに件の石室の中へ入って見る と、今踏んだ地の下でコトコトと怪しい響がするので、そこを掘ってみると、それは 果たして使者が告げた丹経であった 。そこで件の丹経を反復繰り返して読み、ついに仙術の妙味を悟ることを得、また空中を自在に飛行し、あるいは種々の物に身を変化する の術を得た 。

 

その後彼は専ら山川の間に放浪吟歩して精神を養い、あるいは仙客に応接して長閑 に日を送って居たが、その時たまたま西城房陵の間に一個の白虎神がいて平生人の血を 吸うことを好み、毎年その郷人が人を殺して祭壇に供えなければ田畑を荒らして 無辜の人民に害を与えるということを聞いたので、早速その神を呼び寄せ、厳しくその心得違いを戒めて 永く人民の害を除いた 。

 

また梓州に一頭の大蛇がいて身を動かす毎に山岳振動し、そしてその吐くところの毒霧にあたって日に倒れるもの幾百ということを 知らぬと聞き、早速そこへ赴いて符を以て件の大蛇を禁縛し、二度と人民に 害をなさせぬようにした 。

 

時はあたかも順帝の壬午の歳正月十五日の夜である 。道陵独り鶴鳴山の頂に立って居ると何処ともなく鳴鶴の音がして、洋々たる天楽の響き聞こえ、香花地に布き 紫雲空に満ちる 。怪しんで東の空を眺めると雲の中に五頭の白龍に素車を見せて数千の天兵が車の前後左右を取り囲み、旌旗風に乱れて、月に輝く佩剣の光は秋の 夜の霜のようである 。熟々見れば件の車中に一人の神人が座して居る 。身の丈け一丈余、手に五明の扇を執り、頂に八景の円光があって、容貌玉の如く、神光 人を照らして正しく観ることが出来なかった 。その時一人の従者恭しく車の前に進み

出て、道陵に向かって、ここに在します君こそ即ち太上老君であると告げたので、道陵 も大いに驚き敬虔な威儀を正して礼拝すると、老君は道陵に向かって、近頃聞けば蜀の国 の青城山に八大魔王がいて人民を苦しめるそうであるが、これを退治せんものは 今の世に汝を置いて他に適当な者が居ない 。よって大儀であろうが、この大任を汝に命ずるほどに、随分身を粉にして彼ら魔神を征服してくれ、よろしく頼むぞと仰 せられて、正一盟威秘籙三清泉経九百三十巻、符籙、丹竈の秘訣七十二巻、外に雌雄 の剣二振、都功の印一個、衣冠、朱履等各一対を賜り、かつ言葉を継いで、もし件の魔 神を退治するにおいては、それは全く汝一人の大功であって、汝が名は長く丹台に 記録されて、未来永劫までも輝くことであろう、必ず身を軽くして過つような ことないように気を付けよ、今日から千日を期して、再び相見て汝に対面する であろうと言って、再び天上に昇られてしまった 。

 

そこで道陵はそれから毎日彼の秘文を玩味して、冥想、仙術を練り、邪神を降伏するの法を修めてその奥妙に達した ので、彼ら六大魔神征服のために青城山へ向かうこととなった 。

 

ここに八大魔王というは、青城山を根城として各数万の鬼兵を領し、広く人 間界に横行して天下の善民を悩まして居たが、この八大魔王というのは、第一は劉 元達といいて諸の疾病を掌り、第二は張元伯といいて瘟病を掌り、第三は趙公明 といいて下痢の病を掌り、第四は鐘子季といいて瘧を掌り、第五は史文業とい いて寒疫を掌り、第六は花巨卿といいて酸瘠を掌り第七は姚公伯といいて五毒(石肝、丹砂、雄黄、礬石、磁石)を掌り、第八は李公仲といいて人心を魅惑することを掌って居る 。』

 

張道陵は、天帝の使者から三皇の内文と黄帝の九鼎と、外に太清丹経を得るまでは、大悟覚醒の手がかりがなかった。

それ以外の事績は。、現世利益と奇跡譚ばかりで、見るべきものはないが、青城山を開いた部分は評価すべきだろう。

特に中国では、修行場を荒らされるのを恐れてか、修行場は秘密にしておくのかもしれない。

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中国の帝王の享楽と道教

2025-06-30 03:32:05 | 浅い霊感から神人合一まで

◎むしろ享楽をむさぼり尽くす

 

今の中国は、いわば赤い帝王と赤い貴族。今は宗教禁止だが、過去中国の帝王は、究極の悟り(白日昇天、タオ)をあらゆる享楽に別れを告げることで得られると知りつつ、むしろあらゆる享楽をむさぼりつくすために、道教から房中術、外丹、養生術を取り入れた。

 

結局帝王たちは、死によってすべてを失うなどということは考えないように、周囲の取り巻きに追従、洗脳され一生を終えたのだ。

そうでなければ、享楽は二の次でまず道教の静坐に打ち込んでいたはずだからである。

 

『歴史を通観すると、万寿無疆の帝王は一人もいないし、万代まで永続した王朝も一つもない。秦の始皇帝の海上求薬、漢の武帝の泰山封禅、唐帝国の老子尊崇、宋朝の黄帝奉祀など、帝王の求仙はすべて水泡に帰し、歴史のお笑い種になった。神仙家からみると、仙を学ぶには修道しなければならず、修道するには恬愉淡白で嗜欲を取り除かなければならないのに、帝王は嗜欲を極め、音楽と女色にふけり、また心を労し思いを尽くし、殺伐を好んでいるのに、どうして成仙することができるであろうか。

帝王についていえば、修道成仙すれば、帝王の楽しみと王朝の支配を放棄しなければならず、その成仙の代価は求仙の目的とともに矛盾する奇妙な輪を構成するが、その奇妙な輪を突破しなければ、神仙になることができないことはいうまでもない。帝王は成仙の代価も受け容れないし、求仙の目的も放棄しようとせず、酔生夢死の好仙遊仙の道を残すだけであ る。その結果、若死にしてしまい、王朝が転覆することは容易に想像することができる。』

(中国遊仙人文化/汪涌豪P111-112から引用)

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ネガティブ予言と霊がかり

2025-06-27 03:43:00 | 浅い霊感から神人合一まで

◎霊に襲われるなど

出口王仁三郎の随筆から、

『山上の家

 

山の上に掘っ立て小屋などを建てた時には、その周囲に三尺の間隔をもって、縄をぐるりと一廻ししておかねばならない。そうしておかないと、霊に襲われる。また普通の人家でも、縁側などに寝てはならない、必ず家の礎から三尺内側に寝るべきものであって、そうしないとこれまた霊に襲われる。石は悪魔を防ぐものであるから、礎から三尺以内に寝れば大丈夫である。』

(出口王仁三郎の随筆集水鏡から引用)

これは、結界ですね。

さらに

『面会のこと

 

私はどういうものか昨年来から(昭和元年、すなわち大正十五年)人に面会することが嫌になってきた。近頃はそれが一層ひどくなって、未信者はもちろんのこと、役員信者といえども面会することが極端に嫌になったのだ、近侍といえどもあまり大勢が長く傍にいられることは苦痛なので、用事があって呼ぶ時来てくれればよいと言い渡してある。

私は肉体としてできるだけ辛抱しているのであるが、神様が嫌われるのだから仕方がない、特に朝早くから来られると、それっきり神様の御機嫌が悪くなって、その日一日の仕事が駄目になってしまうことがある。だから面会時間は午後の五時から六時の間に定めてあるので、その頃になると、為すべき仕事が一段落つき、夜の仕事との間にちょっと一服する間があるから、あまり邪魔にならない。

かく定めてあっても、今日は早く帰らねばならぬとか、綾部にお参りせねばならぬとか、特別をもってとか、自分の都合のために、朝から面会を強いられるのは苦痛でたまらない。私は神様に使われているのである。人間の都合のために神様の御用を左右させるのはあまりではないか、私はそのため命が縮まるような気がする。私に長生をさせようと思うなら、少し気をつけてもらいたい。

早くから信仰している人たちはこういうことがよく分かっていなければならぬはずであるのに、旧いゆえに特別の権利があるように思って、規定を無視して自分の知己を連れてずんずん押しかけられるのにも困る。遠方から来たのだから、十分や二十分時間を割いてくださってもよさそうなものだと思う人がいるかもしれないが、私の十分間は他人の十分間と違う。

十分間あれば約百五十枚の短冊を描くことができる。一時間も邪魔されると、九百枚も駄目になるのである。それにまだそれよりも困ることは、各自がいろんな霊を連れて来て、それを置いていくことである。非常に気分がよくて、これから大いに仕事をしようと思っている所へ、ちょっと人が来てその人が、悪霊でも背負って来ていたら、すぐ頭が痛くなり、気分が悪くて一日何もできぬことがある。のみならず甚だしい時はうんうんとうなって寝なければならぬことになる。私の体は人並にゆかないのであるから、それを察してもらいたい、用がある場合はこちらから呼ぶことにしたいのである。』

(出口王仁三郎の随筆集水鏡から引用)

 

これは来客が悪霊を連れて来て困るということ。

 

『他神の守護

 

私は常に「上帝一霊四魂をもって心を造り、これを活物に賦(あた)う。地主三元八力をもって体を造り、これを万有に与う。ゆえにその霊を守る者はその体、その体を守る者はその霊なり。他神あってこれを守るにあらず。すなわち天父の命永遠不易(ふえき)」と説いている。「他神あってこれを守るにあらず」ということは、自分の天賦の霊魂以外に他の神がかかって守護するということはないというのである。

よく狐や狸が憑依(ひょうい)して守ると言うけれども、それは守るのではなくて肉体を害するのである。祖霊さんが守ってくださるとか、あるいは産土の神が守られるとかいうのは、自分の精霊が祖霊あるいは産土の神と相感応してそう思うだけのことである。私の幼時、囲炉裏(いろり)に落ちたときに祖父が現れて私を助けてくださったというのは、私の霊が祖父と見せているので、私が祖父と感じて見ていただけでる。』

(出口王仁三郎の随筆集水鏡から引用)

他の神霊が守ってくれるというものではないということ。

 

さらに

『悪霊は人の空虚に入って害悪を及ぼす。つまり滝に打たれたり、あるいは断食の修行などをすれば、肉体が衰弱して空虚ができるから、そこに悪霊が感応するのである。空虚があっては正しい人ということはできない。四魂すなわち天賦の勇親愛智を完全に働かせることが大切である。産土の神が守るというのは、村長が村民の世話をするようなもので、決して人間に直接産土の神が来て守るということはない。』

(出口王仁三郎の随筆集玉鏡から引用)

他の善神は上述のとおりだが、悪霊は人の空虚に入って害悪を及ぼす。

 

以上霊がかりの話ばかりだが、古代中国の費長房は、悪鬼、悪霊を追うエクソシストもやっているが、ダンテス・ダイジは、そういうのを勧めない。

『心霊科学的能力によって、邪悪な霊的波動を感知して、それを追い払ったり支配したりするよりも、もともと邪悪な霊など実在しないという正覚の中で、あるがままの人間生活を生きる方が、より豊かな 霊的生活のあり方ではないだろうか。』(冥想非体験(性愛冥想)/ダンテス・ダイジから引用)

ネガティブ予言に右往左往するのもそういうのに似た部分がある。

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生成AIとバベルの塔の崩壊

2025-06-04 05:34:29 | 浅い霊感から神人合一まで

◎神は塔の天辺にいる?

 

生成AIの発展は限りなく、その先にはとても素晴らしい未来が広がっているなどという言説が幅を利かす昨今。

生成AIには、ジャンプはなく、一歩一歩の積み重ねであって、何かすばらしいものが塔の天辺にあるだろうという期待はバベルの塔に似ている。

 

神仏、タオ、究極は、一歩一歩の積み重ねの上にはなく、ジャンプの先にあるからだ。

 

シュメール人のジグラートの昔からバベルの塔(旧約聖書創世記一一章)は、(1)天を仰ぎみる目(つまり絶対者は天にいる)と、

(2)ブロックをひとつひとつ積み重ねていくうちにいつかは天に達するという観念

の二つの上に立っている。ブロックを積む技術を知っているのは、学者や僧侶、その指示にしたがって働くのは奴隷の群れ、そして塔の階段を登っていくのは、両者というパターンがみられる。

地を離れれば離れるほど、空気は希薄になる。「自由」「正義」「幸福」「平和」「神」などのことばは根から切りはなされ、これほど単純で確かなことはないこれらの言葉について、様々な解釈が生まれ、そればかりか相反する解釈が争いあい、孤独と絶望のうちに人々は一層激しく自己中心の解釈にしがみつく。

バベルの塔は、最後にはお互いの話す言葉が理解できなくなって、塔そのものも大風によって破壊される。大風が核による大風ということも十分にあるだろう。

 

トランプとプーチンによるDSへの抵抗はやがて実を結び、次のステージに移行するのではないか。

次のステージは、出口王仁三郎のいうところの神と○○の対決。その時こそ人類全体の存続がかかるわけだが、大峠とか、最終戦争はその時のこと。大三災は風水火、小三災は飢病戦。

【参考】

『スターリン

スターリンは日本で鉄男ということになる。鉄があるので金銀を取ってしまった。いったんスターリンが天下を統一する。それから神様にやられる。

(昭和20年9月4日)』

(新月の光/木庭守次p297から引用)』

さらに、

『猴(みこう)の如き者、天下を掠むること三十余年、大凶変じて一元に帰す』(天王寺の未来記)

 

出口王仁三郎は、至福千年(みろくの世)では、ラジオしか残らんと言っているから、通信技術だけは残って、広義の火力文明はほとんどなくなり、万人が霊的感覚を持つことから、アストラル体に相当するウダーナ気を原理とする科学が発達することになるのではないか。

 

バベルの塔の話が何だか尻切れとんぼに終わっているのは、すぐに次があるからなのだろう。

いずれにせよ生成AIの発展により万人が幸福になるというのは眉唾である。

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魏伯陽の物語

2025-05-24 03:19:58 | 浅い霊感から神人合一まで

◎弟子の覚悟を試す

魏伯陽は、内丹(クンダリーニ・ヨーガ系)の中国最初の専門書である周易参同契を著した人物。周易参同契の特徴は五行(木火土金水)、八卦の易の体系でもって内丹の手法を説明したところ。               

クンダリーニ・ヨーガといえば、この世の次元を超えて何かぶっ飛んだ素晴らしい体験が待っているかのようなイメージが先行するかもしれないが、その修行に入るためには、この世に対するあらゆる未練とか、世俗の欲望をすべて捨ててかからなければまず成功することはないだろうということが、以下の逸話の中に見て取れる。

魏伯陽は呉の国の人である 。生まれつき道術を好み、山に入って一心不乱に神丹(しんたん)を練っていた 。その時、三人の弟子が常に彼の側に仕えていたが、そのうち二人の弟子は本当に道を求める心がないのを、彼は早くも見抜いていた 。

ある日、仙丹が練り上がった時、彼はその弟子たちの心を試そうと思い、三人の弟子に向かって言った 。「日頃の苦心もその甲斐あって、今日、仙丹も出来上がったが、これを我々が服用する前にまず犬で試した方がよい。もしこれを服用して犬が何の障りもない様子であったなら、その後初めて我々が服用しても遅くはあるまい」 。そして、彼が山に入る時に一緒に連れて行った一匹の白犬にその仙丹を試してみた 。

わずかな仙丹というものは、陰陽の二気が十分に和合していないものは、中にわずかな毒を含んでおり、これを服用すればたちまち一命を失うものである 。ところが今、伯陽が練った仙丹は、その陰陽の和合がまだ十分でなかったと見え、その犬はそれを服用するや否や、たちまち倒れてしまった 。

これを見た伯陽は弟子たちに向かい、「お前たちも見る通り、犬は今、その仙丹を服用するや否や倒れてしまったところを見ると、この仙丹はまだ十分に練れていないと思われる。もし我々がこれを服用するならば犬のように死んでしまわねばならぬ。さてどうしたらよいか」と、いかにも心配そうにしばらく沈吟していた 。

そして、いかにも思い切った様子で言った 。「自分も幼い時から世を捨てて家を離れ、艱難辛苦を凌いで、ここまでやってきてようやく練り上げた仙丹がまだ十分に練れていなかったとは、もはや神明に見放されたのだろう。こうなっては今更、どの面下げて故郷へ帰られようか。生きて長く世を煩わすよりも、いっそのこと思い切って、自分はこの仙丹を服用しようと思う。お前たちはまだ年も若いことであるから、ひとまずここを去って、他に道術の優れた仙聖を求めたらどうか」 。そう諭し、その仙丹を服してそのまま息が絶えてしまった 。

この時、傍にいた「虞生(ぐせい)」と名乗る一人の弟子はこれを見て、「自分の師は決して普通の人間ではない。それなのに今、自ら進んで死を求めるというには、そこに何か深い理由がなければならぬ」と気づいたので、自分もまたその丹を服して死んでしまった 。ところが、後に残った二人の弟子は、伯陽にそんな深い考えがあったとは思いも寄らなかったので、急に死ぬのが恐ろしくなり、「仙丹は長生をする為めにこそ練るもので、これを服して死ぬのであって見れば、むしろこのまま逃げ去って惜しい命を助かった方がよい」と互いに相談をして、死んだ伯陽と弟子の葬式を取り行う為にそのまま急いで山を下って去って行った 。

ところで伯陽はこの時、すべて死んだふりをして、ひそかに二人の立ち去るのを見計らっていた 。しかし、この時急に起き上がり、かねて作り置いていた妙丹(みょうたん)をとってきて死んだ弟子と犬とを蘇生させ、再び練り上がった仙丹を服して一緒に昇天することが出来た 。

そこで一日、村人に会った時、一封の書状を認(したた)めて詳しくその後の模様を記し、彼の逃げ去った二人の弟子へ送り届けさせると、その二人の弟子はこの手紙によって初めて自分たちの悪かった事を悟り、足摺(あしずり)して後悔したそうである 。

魏伯陽に一の著書がある 。それは『参同契(さんどうけい)』という書で、前後二巻ある 。この書は易経を解説したようにも見えるが、その実は全く易の爻象(こうしょう)を借りて仙丹を練る方法を述べたものであるという事だ 。

師匠が、いきなり飼い犬を毒殺したのに驚いた人も多いと思う。

師匠が自らの術の精華である丹薬を服用し、あっと言う間にこの世を去った。師匠亡き今、弟子たちが効果的な修行を続けて行ける保証はなくなった。

よって、残った弟子二人が死の丹薬を服まなかったのは、現代人としては妥当な判断であるが、内丹(クンダリーニ・ヨーガ系)の道に進もうとする人間としては決定的な覚悟が欠けている。

その覚悟とは、この世のあらゆるものに別れを告げる覚悟である。財産、家族、地位、名誉、世間の評判、親友、恋人、将来の夢こうしたものすべてを捨ててみせる覚悟のことである。

ここをわきまえている師匠であれば、入門時に徹底的に、弟子のこの部分をテストしてかかり、入門させないものだと思う。だからといって、魏伯陽が不徹底であると断ずることはできない。

むしろ弟子のカルマを見て、彼らのためになると見て、殊更(ことさら)に入門を許し、更に弟子のために我と我が身を死んで見せるのは、彼らへの大きな思いやりが見て取れる。弟子のために身を捨ててみせたのであってこれ以上の愛情はあるまい。

従来版の魏伯陽は抄でしたので、全文を上げてみました。

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上泉伊勢守と禅僧

2025-04-30 06:22:55 | 浅い霊感から神人合一まで
◎誘拐事件と上泉伊勢守
(2013-09-06)
 
戦国時代の剣の達人上泉伊勢守は、神陰流の創始者である。
 
上泉伊勢守は、一日、武者修行にあって、山々に囲まれた小さな村を通りかかった。
 
するとその村では、荒くれ男が、村の子供をさらって一軒家に立てこもって、「自分に怪我をさせたり、自分を捕まえようとするならば、その子供を殺してしまうぞ」と脅迫し、村じゅうの騒ぎになっていた。
 
この状況を理解した上泉伊勢守は、たまたま一人の旅の禅僧が通りかかるのを見かけ、その墨染めの衣を借用したいと申し入れ、更に本物の禅僧に見えるように自分の頭を剃ってもらった。
 
さて上泉伊勢守は、弁当を二つ抱えて件の一軒家の方へ近づいた。
その狼藉者に、「拙者は出家の身で、貴殿をどうこうしようというつもりはない。ただ子供の親がわが子もひもじかろうとて、弁当を与えるようにと自分に頼んできた」と言って、男の前に弁当の一つを差出した。
 
上泉伊勢守は続けて「貴殿も空腹であろうから、もう一つ弁当を持参してきた。」
 
さてその男が弁当を受取ろうと片腕を延ばしたとき、剃髪僧形の伊勢守はたちまち男の利腕を取って、豪快に地面に投げ落とし、見事に生捕りにすることができた。
 
伊勢守は、借り受けた衣を旅の禅僧に返すと、出家はいたく彼を賞賛して、『貴殿こそ真に「剣刃上の一句を悟った人」だ』といって、禅僧の象徴である掛絡(禅僧が首から胸に掛ける小さい方形の略式袈裟のこと)を贈った。
 
伊勢守は、いつもこの掛絡を秘蔵して身を離さなかったが、後に一番弟子に授けたということである。
 
 
「剣刃上の一句を悟った人」だと認めたというのは、印可(大悟したことをオーソライズすること)したということである。印可の証拠に大事な掛絡まで上げた。
 
このエピソ-ドで説明が不足しているのは、なぜ上泉伊勢守がこの旅の僧を尊敬していたのかということである。相当な悟境の高僧だったのだろう。
 
相当な悟境を達成してもマスコミに出なければ、人の口の端に上ることもない。花は惜しまれながらも散り、雑草はうとまれながらも生えるものだ。
 
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出口王仁三郎のパパ

2025-04-30 06:18:44 | 浅い霊感から神人合一まで
◎有栖川宮熾仁親王説
(2007-10-28)


出口王仁三郎は、第二次大本事件の時も、大罪(不敬罪)であったにも係わらず、拘留途中で刑務所から謎の釈放を遂げている。


この理由は官憲からは勿論通告はないが、出口王仁三郎が有栖川宮熾仁親王のご落胤であったためではないかという説が有る。


戦前に、天皇周辺にも影響力のあるあれだけの大教団を作り上げるには、本人の実力もさることながら、そういった血脈がなければ、なかなか大を成すことはむずかしかったのではないか。


有栖川宮家は、寛文七年(1667年)に幸仁親王が有栖川宮家を称したのが始まり。


有栖川宮熾仁親王は、1851年、17歳で孝明天皇の異母妹和宮(6歳)とご婚約。11年後の1862年勅命により、和宮は婚約解消され、将軍家茂とご婚約となった。


熾仁親王は、和宮の一件から当然に倒幕派となり、佐幕派であった孝明天皇の怒りを買い、参殿などを禁じる幽閉が3年続いたが、1867年の孝明天皇の崩御により幽閉を解かれた。


さて1868年(明治元年)、官軍が江戸に向かって軍を進め、江戸城無血開城は、官軍の西郷隆盛と幕府の山岡鉄舟の談判によって決まったことになっているが、その官軍の大将・東征大都督であったのが、熾仁親王であった。


同年11月、熾仁親王は、京都に凱旋。この頃伏見の船宿にたびたび足を運ぶうちに
船宿主の上田よね(19歳)とわりなき仲となり、よねは急ぎ婿養子を迎え、後に生れた上田喜三郎が後の出口王仁三郎であった(出生届出は明治4年)。


明治2年、熾仁親王は、明治新政府の初代総裁就任。
明治22年、皇位継承第一位。
明治28年、日清戦争の最中に広島で病没。
(参考資料:二人で一人の明治天皇/松重楊江/たま出版)


出口王仁三郎のパパは、今ではほとんどの人が知らないけれど、当時では日本人なら誰でも知っている超有名人だったのですね。ならば、戦前のあれだけ民主的とはいえない体制のもとで、出口王仁三郎が二回刑務所に入って二度とも出て来られたこともなんとなく納得できるように思う。
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正一位稲荷大明神

2025-03-09 06:13:22 | 浅い霊感から神人合一まで

◎マニピュラ・チャクラの世界
(2008-09-29)

町の小さな祠でもお稲荷さんは、正一位稲荷大明神の派手派手の赤い幡を立てているのを見かけることがあるものだ。

梅原猛氏によると、827年淳和天皇の御代に、空海が東寺を建てるため、24本の巨木を東山の稲荷山と思しき山から切り出した。するとどういうわけか淳和帝が病気になった。

天皇は49人の僧を召して17日間薬師の修法を行なったが、験なく快癒しなかった。そこで、稲荷社にお伺いを立てたところ、東寺を建てるために稲荷社の木を伐採した祟りであるとのご託宣を得た。

そこで、後に右大臣にまで昇る従七位下の大中臣雄良を稲荷社に遣わして、稲荷大明神に従五位下の神階を授けたところ、たちまち天皇は快癒された。

これを教訓としたせいか,空海はこの来歴のよくわからない古い神を東寺の鎮守神としてとりこんで祀ったらしい。

それから千年たった今でも、神社本庁所属の約8万の神社中4万余りが八幡社であり、次いで3万社が稲荷社であり、お稲荷さんは隠然たる尊崇を勝ち取り続けている。

稲荷は、豊受大神やマンモンと同じ、ホワイト・フォックス系の現世利益の神。自分の一番深いところの本当の願望がわからない現代人にとっては、軽々にこのような善悪の色のついていない神を呼び出したり、帰依することは、大概は自分に都合のよい願望を成就させることに利用しようと動くことになる。

その結果は、自分勝手な自分をなくす方向ではなく、この現実社会の中で勝手気ままな自分を肥大化させる方向の動きとなるので、この時代のメイン・ストリームである、社会の中での自己実現(マニピュラ・チャクラ)から愛(アナハタ・チャクラ)への移行ということではなく、マニピュラ・チャクラに象徴される社会の中の願望実現にとどまることから、むしろ退歩と位置付けられることになるだろう。

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猫はナ行ナニヌネノで鳴く

2025-03-06 04:59:05 | 浅い霊感から神人合一まで

◎犬はワ行ワイウエヲで鳴く

 

出口王仁三郎は、猫はナ行ナニヌネノで鳴く、犬はワ行ワイウエヲで鳴く、日本人は、円満清朗な七十五声を完全に使用し得る高等人種だと断言している。言霊の話で別途出ているが、発音だけが正しいのはあり得ず、大悟覚醒した人物の言霊だけが、正しい発音であり、発声練習もさることながら、鎮魂法の方が問題となる。

 

『例えば無生物である三味線を弾き鳴らして、いろいろの音律を発し、浄瑠璃、歌などに合わせて物を言わせるのに、聞き慣れた耳には、その音が何を語っているかを弁別し得るかのようである。その他縦笛、横笛、笙、ひちりき、太鼓、鼓に至るまで、わずかに五音、あるいは七、八音をもって、よくその用を達するようで、禽獣虫魚などの声音は、その数少ないとはいえ、我が耳を清くして聞くときは、禽獣草木の声を明らかに悟ることができ得る。

例えば、ラッパはわずかにタチツテトの五音をもって数多の軍隊を動かし、三味線はパピプペポ、タチツテトの十音をもって一切を語り、牛はマミムメモ、馬はハヒフヘホ、猫はナニヌネノ、犬はワイウエヲというように、各特定の言霊を使用し、自分の意思を完全に表示し、なお及ばざる所は、目を働かせ体の形容をもってこれを補い、かつ声の抑揚頓挫にて、その意思を明らかに表示するものなり。 日本人は円満清朗なる七十五声を完全に使用し得る高等人種である。』

(霊界物語 第32巻 海洋万里 1篇 森林の都 1章 万物同言/出口王仁三郎から引用(旧かな使いを新かな使いに修正))

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生者の霊衣と生死

2025-01-09 06:51:18 | 浅い霊感から神人合一まで

◎病気回復と左翼系、共産主義系

 

出口王仁三郎の霊衣の説明。霊衣とはアストラル体のことなのだろうと思うが、生者の霊衣は丸く、死者(亡者)の霊衣は三角ということで、死んでも残るボディということでもあり、第三身体アストラル体が霊衣なのだろう。

出口王仁三郎は、霊衣の厚い薄いと、形の円いのか三角なのかで病人が回復するかどうかを見るという。病気は、第二身体エーテル体(気)の要素もあるはずだが、ここではほとんど論じていない。(肉体⇔エーテル体⇔アストラル体相互に呼吸がある)

彼は、大病人であっても神徳ある人が神恩を謝し、神の大恩を忘れず生きれば、病気も本復し再生するが、神恩を忘れた瞬間に霊衣をはぎ取られ死亡するとする。これはすさまじい。

 

さらに、神に反対したり信仰者の妨害をする人は、霊衣は薄くなり、形は三角になっていくものだという。無神論国家とは、神に反対したり信仰者の妨害をする国家であって中国、北朝鮮のようなのが典型。ただし日本のような信教自由の国家にあっても左翼系・赤系は無神論標榜だから、同様の傾向があるのだろう。左翼系・赤系でなくとも、無神論の人は、日本と自由主義国家に少なくないから、神仏を恐れることなく神仏に反対したり信仰者の妨害をすることはあるのだろうと思う。

ここで、出口王仁三郎は、そうした人の将来を思い、左翼系・赤系、無神論者の説得を何回も試みたが、まずうまくいかないので、『霊魂の因縁性来と云ふものは、如何ともする事が出来ない』(縁なき衆生度し難し)と慨嘆している。

この辺が、世界人類の生存確率が三分の一と言われる原因なのだろう。古神道では、悪人を殺さず、説得(言向け和す)するのだが、結局うまくいかないケースが結構あるのだ。

こうしたメカニズムを踏まえ、ダンテス・ダイジは、共産主義を邪境と呼んだのだろう。

 

以下出口王仁三郎の霊衣説明。

霊衣

 

現界に生きて居る人間の霊魂を見ると、現人と同形の霊体を持つて居るが、亡者の霊魂に比べると一見して生者と亡者の霊魂の区別が判然とする。生者の霊体(霊魂)は、円い霊衣を身体一面に被つて居るが、亡者の霊体は頭部は山形に尖り三角形の霊衣を纏うてゐる。それも腰から上のみ霊衣を着し腰以下には霊衣はない。幽霊には足がないと俗間に云ふのも此理に基くのである。

 

又徳高きものの霊魂は其霊衣極めて厚く大きく光沢強くして人を射る如く、且つ能く人を統御する能力を持つて居る。現代は斯の如き霊衣の立派な人間が尠いので大人物と云はるる者が出来ないのである。

 

現代の人間は追々と霊衣が薄くなり光沢は放射する事なく、恰も邪神界の神々の着てゐる霊衣の如く、少しの権威も無い様に霊眼で見られるのである。

 

大病人などを見ると其霊衣は最も薄くなり、頭部の霊衣はやや山形になりかけて居るのも今迄沢山に見た事がある。いつも大病人を見舞ふ度に、その霊衣の厚薄と円角の程度によつて判断を下すのであるが百発百中である。何程名医が匙を投げた大病人でも、其霊衣を見て厚く且つ光が存して居れば其病人は必ず全快するのである。之に反して天下の名医や博士が生命は大丈夫だと断定した病人でも、その霊衣が稍三角形を呈したり、紙の如く薄くなつて居たら、其人は必ず死んで仕舞ふものである。

 

故に神徳ある人が鎮魂を拝受し、大神に謝罪し、天津祝詞の言霊を円満清朗に奏上したならば、忽ちその霊衣は厚さを増し、三角形は円形に立直り、死亡を免れ得るのである。かくして救はれた人は神の大恩を忘れた時に於て忽ち霊衣を神界より剥ぎ取られ、直ちに幽界に送られるのである。

 

自分は数多の人に接してより、第一に此の霊衣の厚薄を調べて見るが、信仰の徳によつて漸次に其厚みを加へ、身体ますます強壮になつた人もあり、又神に反対したり人に妨害をして、天授の霊衣を薄くし、中には円い形を稍山形に変化しつつある人も沢山実見した、自分はさういふ人に向つて色々と親切に信仰の道を説いた。されどそんな人に限つて神の道を疑ひ、却て親切に思つて忠告すると心をひがまし、逆にとりて大反対をするのが多いのである。之を思へば何うしても霊魂の因縁性来と云ふものは、如何ともする事が出来ないものと熟々考へるのである。』

(大正一四・五・二一号 瑞祥新聞から引用)

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ベラ・コチェフスカ(Vera Kochovska)と伊勢神宮

2024-12-26 03:26:13 | 浅い霊感から神人合一まで

◎伊勢神宮にヤーウェが祀られている

 

東日本大震災の一か月前に故人となったが、ブルガリアの予言者ベラ・コチェフスカが伊勢神宮に参拝した。その際、伊勢神宮にヤーウェが祀られていると述べた。

これを聞いた人が、古神道の神社に異教のユダヤ教の神が祀られているとは・・・と驚いていた記事を読んで、そんなことを意外に思っているとはと、私も意表を突かれた。

 

全知全能にしてすべてのすべてである神は、当たり前のことだが、世界各国に存在して、これは一般に主神や主宰神などとされ、呼び名は異なるが、実体は共通であって、

天之御中主神(古神道)

道(道教)

ニルヴァーナ(インド)

ヤーウェ(ユダヤ教)

ゴッド(キリスト教)

大日如来(真言密教)

等々

宗派が変われば呼び名は変わるが、主神そのものが別の主神に入れ代わるわけではない。出口王仁三郎が万教同根と言ったのは、そういう意味だが、それを受け入れられない人が多い。また共産主義国民は、全員無神論者だが、逆に彼らにも平等に神の恵はある。

 

なお主神には、有の顔と無の顔の二つの顔がある。有の顔は、すべてのすべてにしてすべてが夢幻。無の顔は、言葉で表現できない石ころのようなもの。

 

有の側は、第六身体アートマンであり、無の側は、第七身体ニルヴァーナ。

 

この二面性についてのダンテス・ダイジの説明は以下。

 

『無限生命の絶頂を完全な解放を意味するニルヴァーナというサンスクリット語はアトランティス当時の正確な発音ではニーバーナとしたほうが良いであろう。

 

ニーバーナとは、ニーが無、バーナが有を表し、これはアメンと同じ意味の真言(言霊)であった。

 

無          有    (タオイズム、禅仏教)

 

 ニー         バーナ   (主にインド・ウィグル)

 

 メン         ア     (主に古代エジプト・アトランティス)

 

 メン         アー    (キリスト教)

 

 ム          オー    (サンスクリットのマントラ・オーム)

 

 ウン         ア     (真言密教)

 

 カ          ミ     (日本古神道)』

(未公刊の断簡「超人ダンテス(又はダンティス)の伝説」/ダンテス・ダイジから引用)

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UFOと宇宙人の印象

2024-12-19 06:14:45 | 浅い霊感から神人合一まで

◎大災害の時代の直前に「今だ、今だ」と叫ぶUFO

 

最近アメリカを中心に世界各地で目撃されるUFO。米海軍報告では、これは中ロのものではなく、かつレーダーに映っておらず、地球製飛行体では不可能な迅速、敏捷な動きをするという。

 

UFOを考える基本線は、以下。

UFOは、現実(肉体レベル)のものでなく、霊界(エーテル体、アストラル体レベル等)にある。

UFOといえば宇宙人だが、ダンテス・ダイジの言い方では、映画館に行ったら複数名の宇宙人がいたなどと言っていたので、人間には、外見は人間だが中身が宇宙人の人間がいるらしい。

また宇宙人の判別についてダンテス・ダイジは、人類に友好的かどうかという見方を披歴していたので、これには「おや」っと思った。霊界の生き物に対しても同じような区分をとることがあること、そしてジョージ・アダムスキーか何かの宇宙人の見方もそのようなものだったからである。

 

またどんな時に霊(UFO)を見るか。それは、意識レベルが落ちた時であって、狸に化かされる(狐狸を人と認識する)、瞑想時の魔境、トランスなど。

日常では、入眠時、睡眠からの覚醒時など。いわば半覚醒時である。

 

そして、公式な統計があるかどうかは知らないが10人に一人くらいは霊を見たことある。それを基本線として、集団で霊(UFO)を見た例として挙げられるのは、アウシュビッツ強制収容所のユダヤ人が壁に描いた、ファティマ第三の秘密で有名な太陽ショー等。1917年10月、ポルトガルのファティマに聖母マリアの出現を見ようと集まった約七万人の群衆が見た、太陽が空中を「ダンス」するように、またはジグザグに動いた、地上に向かって突き進んだ、色とりどりのまばゆい光を放ったというような、異常な太陽の活動とは、UFOだったのだろうと思う。

 

またUFOと言えば、アブダクション(誘拐)、キャトル・ミューティレーション(家畜が惨殺されたり血を抜き取られたりする事件)、ミステリー・サークルなどもあるが、次元間出入り(三次元と四次元。三次元は肉体レベル、四次元は、エーテル体やアストラル体レベル)は、その運動として特徴的。

 

次元間出入りは、UFOの運動機能として見がちだが、飛行機や船舶などの次元間出入りとしては、バーミューダ三角海域での飛行機や船舶などの行方不明事件について、ダンテス・ダイジは、否定していなかった。彼は、アトランティスの社会全体の巨大動力源だったツーオイ石が今でもバーミューダ海域に残って機能することがあり、それが次元のゆがみを形成しているというニュアンスのことを言っている。

 

また巨大なパワーは肉体レベルと霊界レベルの壁を壊すことがあるというのは、ムラダーラ・チャクラとクンダリーニの接点の分離(クンダリーニ覚醒プロセスでもあるが、発狂する人でも起こることがある。ダンテス・ダイジ説)もそのような例ではないかと思う。

 

また憑依した霊体が口をきく(イタコ、ユタ、ノロ、デルフォイの神女、降神、降霊、necromancy)のは、憑依した霊体が次元間出入りしていると見ることもできる。

 

米国海軍は無数にあるUFO映像を隠していないで公開して議論すべきだと言っているが、宇宙人からの攻撃の予兆とか通告を懸念して言っているのだろうが、真相は万人が神知る時代(至福千年、みろくの世)が来て、すべての人が普通に霊を見、霊を感じる時代にならないとわからないと思う。

七つの身体のアストラル体レベルにはウダーナ気という上昇する気があり、それが墜落しない飛行機、沈没しない船舶の原理として次の時代に出てくる。エジプトのギザのピラミッドは、半重力装置を用いて建設されたと言われるが、それはウダーナ気の応用なのだと思う。

 

なお断っておくが、UFOを見るのも霊を見るのも、人間の本質的な幸福とは何のかかわりあいもない。

人類が滅亡に瀕している危機の時代だからこそ、次元の隙間から到来するUFOを目撃する人が多数出ているのだろうと思う。

その危機感は、アメリカにおいてより強く、平和ぼけの日本では情けないほど弱い。

 

ノストラダムスのアンリ2世への手紙に『大惨害の時代の直前に、多くの見慣れぬ鳥が空中をさえずり、「今だ、今だ」と叫び、しばらくしていなくなる。』とある。

多くの見慣れぬ鳥とは、UFO(UAP)のことではないのか。

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