アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの間のサマーディ-1

2024-05-15 03:54:00 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-11-6

◎アートマン-6

◎あらゆるものが始原の源に帰還

 

第六身体と第七身体との間にサマーディがあると唱えるのは、OSHOバグワン。該当箇所は以下。

 

『第六身体においては、鏡は存在しない。 いまや宇宙的なものだけがある。あなたは失われてしまった。あなたはもういない。夢見る人は存在しない。

だが夢見る人なしで、夢はなお存在しうる。そして夢見る人なしで夢が存在するとき、それは真正な現実のように見える。心は存在せず、考える人は存在しないため、なんであれ知られるものはすべて知られる。それはあなたの知識になる。

創造の神話がおとずれ、それは漂い過ぎてゆく。あなたは存在せず、ものごとはただ流れ過ぎてゆく。判断する者はなく、夢見る者はいない。

だが存在しない心が、いまだにある。滅せられた心がまだ存在する。個としてではなく宇宙的全体として――。あなたは存在しないが、ブラフマンが存在する。

それゆえに全世界はブラフマンの夢だと言われる。この世界全体が夢、マーヤーだ。誰か個人の夢ではなく、全一なるもの、全体の夢だ。 あなたはいないが、全一なるものが夢見ている。』

(秘教の心理学/和尚/瞑想社P140から引用)

 

いつしかコーザル体の上昇は、第六身体アートマンに切り換わり、それが第七身体ブラフマンたる中心太陽に突入せんとしている。このイメージがないと、この件りは何のことかわからないのではないか。(改めてダンテス・ダイジの偉大さに感服)

 

『全世界はブラフマンの夢』と語っているが、第六身体アートマンの夢ではなく、第七身体ブラフマンの夢と言った場合、誰が夢を見ているのかとういう問題になる。第六身体である世界全体は、第七身体ブラフマンの夢だとさ。

 

『いまや唯一の区別は、夢が実体的(ポジティブ)かどうかということだ。もし実体的ならそれは幻想、それは夢だ。 なぜなら、究極的な意味においては、ただ非実体性(ネガティブ)だけが存在するからだ。

あらゆるものが無形なるものの一部になるとき、あらゆるものが始原の源に帰還したとき、そのときには、あらゆるものがあり、そして同時にない。実体性が残された唯一の要因だ。それは超えられなければならない。』

(上掲書P140-141から引用)

 

「始原の源に帰還したとき、あらゆるものがあり、そして同時にない。」では、「あらゆるものがある」のが第六身体であり、「あらゆるものがない」のが、第七身体か。「あらゆるものがない」とは、空(色即是空)ではないのだろうか。

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