アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

イースター復活祭

2022-10-30 15:29:46 | キリスト者の秘蹟neo

◎イエスはいつ大悟したか

 

イースターは、イエス・キリストの復活の祝い。肉体でなく、アストラル体での復活っぽいが、例によって現代科学で検証するすべはない。現代科学はそもそもアストラル体など認めていないので。

 

イースターと言えば、卵型のチョコがスーパーなど店先に並ぶのがキリスト教国の習いだが、日本ではまずあまりみかけない。

 

さてイエスはいつ悟ったかというのは問題である。超能力がばんばん使えたからといって、それは覚醒の証拠とはならない。

 

小学生の頃、旧約聖書を読んでいて、イエスが十字架上で、「わが神、わが神、なんぞ我を見捨てたまいしか」とつぶやくのを読んで、あれ、イエスは神の子なのに何を言っているのと不審に思ったものだ。

 

要するに、このつぶやきの時点で、人と神は別であり、神人合一は未だ成らなかったのだ。その後神と人との境目がなくなったと見るのが穏当な推理なのだと思う。

 

逆にイエスは、神の側の立場でなく、無力な一個の大工として、その愛のゆえに十字架にかかることから逃げなかった無私と勇気こそ、人として驚異的な生き様であったと思う。

 

釈迦成道では、最初四禅から入ったなどと実況中継よろしく解説する神秘家がいたが、イエスの場合は、西洋人向けには神秘主義からの解説は良しとされなかったのか、十字架上でのプロセスを解説するものは出ていない。

 

それにしても、イエスは、あれだけこの21世紀の危機の時代のことを「終わりの時代には・・・」とその生涯で語ったからには、その昇天による影響のターゲットは現代人に向けられていると考えるのが素直だろう。

 

彼は本当によくやったし、成功した。けれども一人の大工の影響力には限界があった。今一人ひとりが自分に向き合わないと。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 呪殺の論理 | トップ | 見神、見仏、見性の限界 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

キリスト者の秘蹟neo」カテゴリの最新記事