アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

見神と言いながら神人合一を説く

2024-08-14 03:09:06 | 人と神の「実際のところ」

◎ふたつのものを同時に見ることはできない

 

OSHOバグワンは、見神と言いながら神人合一を説いている。

 

『あなたのなかに神を見はじめるというのは間違っている。――――もはやあなたを見なくなるのだ。聖なるものだけを見るようになる。木のなかに神を見るのではない。もはや木を見るのではなく、聖なるものだけを見る。

あらゆる原子のひとつひとつのなかに神が存在するという人がいたら、その人は完全に間違っている。原子と神の両方を見ているのだから。

ふたつのものを同時に見ることはできない。この場合の真理は、「あらゆる原子のひとつひとつがまさに神だ」であって、「あらゆる原子のひとつひとつのなかに神がいる」ではない。原子のなかに閉じこめられて神が坐しているのではない。何であれ在るもの、それが神だ。

 

神とは〈在るもの〉への愛ゆえに与えられた名前。〈在るもの〉、それが真実だ。愛のうちにあって、われわれはそれを神と呼ぶ。だが、どんな名前で呼ぼうと違いはない。したがって、わたしはあらゆる人のなかに神を見はじめることを求めているのではない。内に目を向けはじめるようにといっているのだ。内側を見たとたん、あなたは消える。あなたの消滅とともに見るもの、それが神だ。』

(死・終わりなき生/オショー・ラジニーシ/講談社P124-125から引用)

 

『ふたつのものを同時に見ることはできない』(上掲書から引用)

これは、読み流す人も多いかもしれないが、同時に二者でいられないことを示し、それは、山本常朝の葉隠の『浮き世から何里あらうか山桜』で感じとれる。これは見ている自分を残しているわけではない。

 

『内側を見たとたん、あなたは消える。あなたの消滅とともに見るもの、それが神だ。』(上掲書から引用)

あなたが消えることこそ、大逆転であり、倒立であり、神人合一であって、見神ではない。

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プレゼントに霊を込める

2024-08-13 06:51:46 | 人と神の「実際のところ」

◎お互いが好意を持っている場合に贈り合う

 

出口王仁三郎が、プレゼントについて

述べている。

贈り主がプレゼントを上げようと思っていないのにねだるのは、霊がこもっていないのでいけないとする。

また贈り物を辞退するのは、功徳(お蔭)がなくなるといいながら、一方で贈り物をむやみにもらうのは危険だとも言っている。それをもらったばかりに思わぬ災難にあう場合があるという。

新品のプレゼントもさることながら、中古、古○、アンティークも当然気をつけねばならない。

せんじ詰めると、お互いが好意を持っている場合にプレゼントを贈り合う場合だけがよいと言っている。

只ほど高いものはないとか、金を集めるとは因縁カルマを集めるということだとかの、一見全体的には功利的発想から来るように見えるものの、更に深遠な法則が仄見える。

だがここでは、もともと自分に与えられた物だけが受けるべき贈り物であって、またもともと最も自分が大切に思うものだけが、渡すべき贈り物であるという考え方がある。つまり授受すべき心のこもった贈り物は最初から自分の一生に組み込まれているものであって、余計なものに手を出すべきではないということなのだろうと思う。

 

心を篭めるというのは、丹精こめるのだろうが、霊を篭めるとは、自分の分身を籠めることのように思う。

 

『霊と記念物

 

霊と云ふものは、篭めれば篭める程深くなるものである。私は茶碗を一つ捻るにも一々性念を篭めてやるのであるから、深く霊が入つて居る。

それ故、この器で毎日湯でも茶でも呑んで居ると、相応の理によつて、お蔭を頂けるのである。私が遣らうとも思はぬのに、呉れ呉れと云ふて貰つても、お蔭は少い。又遣ろうと思ふものを辞退するのもお蔭がなくなる。滅多に人から記念物を貰ふのもよくない事である。霊が反対して居ると、品物を貰ふたが為めに、とんだ災難を受ける事がある。生前お互が好意を持ちあうて居たものの記念物で無くては貰ふものでは無い。又自分が一番愛して居たものに一番霊が篭もるものであるから、昔は其一番愛して居たものを御神体として祭つたものである。但、心を篭めると云ふのと、霊を篭めると云ふのとは意味が違ふ。』

(水鏡_霊と記念物/出口王仁三郎から引用)

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自己へ入って行くとすべてがある

2024-08-10 03:33:45 | 人と神の「実際のところ」

◎"わたし"も"あなた"も消え、〈すべて〉が残る

 

OSHOバグワンは、自己へ入って行くとすべてがあると説明するが、なぜどうしてそうなるかは説明しない。

自己へ入って行くとすべてがあることを逆転と云い、タロットでは、吊るされた男

すべてとは、既に天国も地獄も超えている。

 

『非常に興味深いことには、自己へと入っていった人間は、突如としてすべてに通ずる入口をみつけるのだ。自己への扉は万物への扉なのだ。自己に入ってゆくやいなや、人は自分がすべてへと入っていったことに気づく。というのも、われわれは外面的には異なっていても、内面的には異なってはいないからだ。

外見上すべての木の葉は互いに異なっている。だが、もし人間がわずか一枚の木の葉のなかに浸透してゆけたなら、すべての木の葉がひとつに融けあうその木の源にゆき着くことだろう。一枚一枚を見ると木の葉はそれぞれ異なっている。しかし、一枚の木の葉をその内面性において知ったとき、あなたは 源へ、そこからすべての木の葉が生じ、そこへとすべての木の葉が帰ってゆく源へ、たどり着いているのだ。自己へと入ってゆく者は、同時にすべてへと入ってゆく。"わたし"と"あなた"という区別は、われわれが自己の内側へ入ってゆかないかぎり、消えることはない。"わたし"のなかへ入っていった日に"わたし"は消え、"あなた"も消える。そのとき残っているのが〈すべて〉だ。』

(死・終わりなき生 /オショー・ラジニーシ/講談社P104-105から引用)

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蜀からきた錬金術士輔神通

2024-08-05 03:13:45 | 人と神の「実際のところ」

◎黄金変成の素材は入手したが、本人には何も起こらなかった

 

輔神通という者が蜀に住んでいた。幼くして孤児となり、人の牛を追って生活していた。牛追いのたびに、一人の道士とすれちがうので会釈をするようにしていた。そんなことが数年も続いたが、ある日、その道士が「わしの弟子にならないかね」と声をかけてくれたので、輔神通はすぐに応諾した。

 

道士は輔神通を連れて、「これから滝の中に入るから、わしの後についてなさい。こわがることはない。」といって、滝の中に入った。中には凛として清潔な部屋があり、薬袋と錬金術の竈があった。ベッドの下には「大還丹」(最高の金丹)が多数置かれていた。ここで輔神通は竈の火の番をさせられ、錬金術士の見習いとなった。

三年が過ぎ、彼も二十歳をすぎ、人の世が恋しくなってきた。そこでちょうど道士がいない 間に還丹を一つくすねて、別の場所に隠しておいた。道士が帰ってきてすぐにばれ、還丹をどこにやったか問い詰められたが、輔神通は白を切りとおした。

道士は歎息まじりに「わしはおまえに道の枢要を伝授してやろうと思っていたのに、こんなことでは、とても授けることができない。」といって、彼を他の信者達の手で追い出させた。 放り出された輔神通は大喜びで、洞穴にそってくねくねと進み、腹が減ったら還丹をかじりながら、七十日もかかってやっと人里に出た。

 

その後、何年かして世間が嫌になって例の道士を思い出すようになった。風の噂では、あの道士は 蜀の開元観に出入りするらしい。そこで願い出て開元観に道士として配置してもらった。あの道士が来たと聞くや、すぐに出て行ってみたが、つかまらない。また奥の院の小僧に大枚百金のチップを払って、あの道士が来たら走って連絡に来いと言いつけたが、それでもダメだった。 結局彼は例の道士にお詫びすることも、道の枢要を授かることもできなかった。

こんな道士だったが、蜀の知事の推薦で宮中に招かれ、玄宗の御前で「錬金術」の実演をした。土鍋で水銀を煮て、少量の還丹をそれに投じると、あっという間に黄金に変異した。玄宗はその錬金術を教わりたいと思っていたが、安禄山の乱でできなくなった。 (「太平広記』巻七二所引『広異記』)

 

これは、西洋錬金術のエピソードにも時々あるパターンで、本人には錬金の技量はないが、何かの拍子に手に入れた賢者の石(還丹)でもって黄金変成を何回か実現してみせるが、遂には還丹はなくなって元の黙阿弥に戻る話。

輔神通は、学識もなかったが、道士の方から人を見て、弟子に採用することはある。彼は還丹という錬金術の粋を入手できる立場にあったが、みすみす我欲の実現に消費してしまった。

道士からすれば、読み筋どおりだったのだろうが、いつか輔神通が黄金変成のテクニックを得る来世もあるのだろうと思っていたのだろう。輔神通と道士の縁はこれで切れ、今生で二度と会うことはなかった。

 

輔神通は世間がいやになったが、それはすべてを捨てる第一歩目の動機として貴重なことである。だが、正しい師に出会う縁は今生では終わっていたのだ。

輔神通は黄金変成が実在する技術であることを確認し、それを操る師にも出会うことができた。だが、その秘伝については、後一歩に迫りながら、授かることはできなかった。

 

正師の居所に侍者としており、還丹というエビデンスまで得ながら、輔神通はそのチャンスを浪費した。起こることは起きたが、何が起きているのかわからなかったということはある。

輔神通は、蜀に恵まれない境遇に生まれたものの、得難いチャンスにも遭遇したが、十分にそれを生かしきれぬ一生だったけれども、あまり他人の事とも思えない部分はある。

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秦の始皇帝天下統一後は神仙を求める

2024-08-03 06:49:04 | 人と神の「実際のところ」

◎始皇帝もみじめで情けないままに死す

 

スポーツ・ヒーローも芸能アイドルも公的部分を除けば、みじめで情けない只の人であることに変わりない。

秦の始皇帝も天下統一後は、人生上でクリアすべき問題は、みじめで情けない只の人である部分であったため、それを神仙の道に求めた。

始皇帝は、廬生の神仙についての説明を聞いて、水に入っても濡れず、火に入っても焼けず、雲気を凌いで、天地とともに長久である神人を、羨んでやまず、以後朕と称さず真人と称することにしたほどであった。

この羨望の方向性は、天国的なものであって、真正な求道の道から言えば初歩的だが、正統な人間精神の発達過程ではある。欲望満足が極大に至って自我は極大化し、英雄の夢は破れるのだ。

始皇帝は、金と権力に飽かせて、封禅などの儀式を各地で行い、仙薬を求める探検隊を海上に出したが、結果は不調に終わった。

 

廬生は、始皇帝に、「隠棲し、お忍びで歩き、他人に動きを知られないようにし、悪鬼を遠ざければ、真人が降臨し、不死の霊薬を入手できる。」と吹き込んだ。すると始皇帝は、咸陽の二百里以内にあらゆる宮観(道教寺院のこと。帷帳、鉦鼓、美人を完備)に通ずる渡り廊下を建設し、他人にも神や鬼(霊のこと)にも動きを知られずに出入りし、いつでも泊まれるようにした。その上、始皇帝の泊っている場所を洩らした者は死罪にした。ある時、丞相に始皇帝の泊っている場所が洩れたのがわかり、始皇帝の随従者全員を拷問にかけたが誰も白状しなかったので、全員を死罪にしたら、以後情報漏洩はなくなった。支那の情報統制は、2千年前も今も変わらない。

 

始皇帝の失敗の原因は、自分で正師を見分けることができなかったことと、すべてを捨てる覚悟にまで進まなかったことが挙げられる。周辺に正師もいたのだろうが、天国的なものにこだわりを残す限り先には進めない。老荘ですら、普通に読めばすべてを捨てるシーンが求められることがわかるのに。ジャンプアウトできなかったのだ。

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神聖なるものを抱きしめる

2024-07-16 06:10:14 | 人と神の「実際のところ」

◎世界は夜明けの最後の星のよう

 

インド18世紀のチャランダスの女性の弟子にダヤとサハジョがいた。そのサハジョの詩。

『世界は夜明けの最後の星のよう

サハジョは言う

それはすぐに消えてしまう露の真珠のよう

掌(てのひら)に受けた水のよう』

(ラスト・モーニング・スター  女性の覚者に関する講話  OSHO/講話  市民出版社P26から引用)

 

明星を見て大悟覚醒したのは、釈迦、空海、クリシュナムルティと多い。だがその明星は金星のことでなく、鉛直の頭上の中心太陽だったに相違ない。

おまけに明けの明星はどの季節でも出ているわけではない。

 

この詩の『夜明けの最後の星』は、いつでもある星のひとつであって、最後に輝きを残しているもの。人は、それを手にしようと頑張るが、『掌(てのひら)に受けた水のよう』にすぐに流れ去る。

 

この世のことにもあの世のことにも、永遠に変わらず失われないものはないからだ。

 

世界という網を置き去りにして、神聖なるものを抱きしめるのだ。

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如何に時代的な奇跡を起こすか

2024-07-13 03:32:41 | 人と神の「実際のところ」

◎岩から湧く水から人と神の逆転へ

 

この時代の奇跡と言えば、万人が覚醒し、至福千年、みろくの世を作ることである。まれに一人二人が覚醒するのはいわば当たり前だが、万人が覚醒するのは奇跡である。なおのこと、いきなりある日突然同時に多数の人が悟りを開くのは、常識的には困難だが、これができれば奇跡である。

 

旧約聖書出エジプト記17に、その骨格を想像させるモーセのエピソードがある。

 

イスラエル人は、モーセが割った紅海を渡りエジプトを脱出したが、旅路を重ねて、レピデムに宿営したが、そこには飲み水がなかった。 渇きのあまり民はモーセに詰め寄り、水をくれなければモーセを石で撃ち殺さんばかりの勢いであった。困り果てたモーセが神に伺うと、かつてナイル川を打って血に変えた杖でもって岩を打てとのこと。モーセが杖で岩を打つと、果たして水が湧き出した。

 

この奇跡が実現したのは、モーセの側と民の側のそれぞれの条件が満たされてのことである。

モーセの側には、まず民に追い込まれた切迫感がある。そして、この世とあの世の秘密を知っており、神の智恵の導きにより、岩に水脈があって、それを打ち出す杖という神通力を有していることがある。

一方民の側は、もういささかも我慢できないほどの渇きによる死の恐怖と、モーセのナイル川を血に変えたのと紅海を割ったことの二つの実績を踏まえ、神威への期待感と希望が溢れ出さんばかりになっている。

 

この双方が相まって岩から水が湧き出すという奇蹟を現実のものとした。

 

現代人の直面している“渇き”は、その本質は精神的な渇きであって、実は金や水などの物質的な渇きではない。

人間の理不尽、不条理は、結局精神の渇きを癒されねば解消することはない。ところが、そのためには奇跡的な何かが起こらねばならない。

モーセの時代は、それが岩から吹き出る水だったが、現代は人と神の逆転である。

人類の生存率は三分の一というのは、奇跡的な何かが起こるという根拠のない確信を持てるのが三分の一ということなのだろうか。

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エメラルド・タブレット、ジェイド・タブレット、アメジスト・タブレット

2024-07-11 06:40:46 | 人と神の「実際のところ」

◎すべてのものが、この一者の瞑想によるものだ

 

エメラルド・タブレットは、至福千年の基本思想。アメジスト・タブレットは、人類がすんなり至福千年に移行すれば、制作されることはない。アメジスト・タブレット・プロローグ(ダンテス・ダイジ)を讃してジェイド・タブレットを書いてみた。

 

12世紀頃西欧に現れたとされるエメラルド・タブレットは、ヘルメス・トリスメギストスの作とされ、心理学でもなく、哲学でもなく、物質変成の化学でもなく、クンダリーニ・ヨーギの見る現実そのものである。

ただし、西洋錬金術師達には様々に研究されたが、短すぎて内容に乏しいことから、ダンテス・ダイジの評価は低い。

 

『一、こは真実にして偽りなく、確実にしてきわめて神聖なり。

 

二、唯一者の奇跡の成就に当たりては、下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如し。

 

三、万物が一者より来たり存するが如く、万物はこの唯一者より変容によりて生ぜしなり。

 

四、太陽はその父にして、月はその母、風はそを己が胎内に宿し、大地は乳母なり。

 

五、そは万象における完全なる父(テレスマ=原理)なり。

 

六、その力は大地の上に限りなし。

 

七、汝は、火と大地を、精と粗を、静かに巧みに分離すべし。

 

八、そは大地より天に昇り、たちまち降りて、優と劣の力を取り集む。かくて汝は全世界の栄光を己がものとして、闇はすべて汝より離れ去らん。

 

九、そは万物のうちの最強者なり。すべての精に勝ち、全物体に浸透するが故に。

 

一○、かく、世界は創造せられたり

 

一一、かくの如きが、示されし驚異の変容の源なり。

 

一二、かくて我は世界霊魂(アニマ・ムンディ=叡知)の三部分を備うるが故に、

ヘルメス・トリスメギストス(三倍も偉大なるヘルメスの意)と呼ばれたり。

 

一三、太陽の働きにかけて、我は述べしことに欠く所なし。』

(魔術師たちのルネサンス/澤井繁男/青土社P135から引用)

 

ヘルメス・トリスメギストスのことは、エジプト神話のトート(トース)と見ている(ユングとタロット―元型の旅/サリー ニコルズ/新思索社P85)。

 

上記引用文の『三、万物が一者より来たり存するが如く、万物はこの唯一者より変容によりて生ぜしなり。』の部分は、サリー・ニコルズは、『すべてのものがこの一者による。この一者の瞑想によるものだ。すべてのものがこの一者から生まれる。』(ユングとタロット―元型の旅/サリー ニコルズ/新思索社P86から引用)と訳している。

 

一者から万物が流出するのは、ユダヤ教の黒い焔で見るとおりであって、変ではない。

この一者の瞑想によるというところが、冥想の戯れ風であって、面白い。

 

『八、そは大地より天に昇り、たちまち降りて、優と劣の力を取り集む。かくて汝は全世界の栄光を己がものとして、闇はすべて汝より離れ去らん。』(魔術師たちのルネサンス/澤井繁男/青土社P135から引用)のところが、クンダリーニ上昇の秘儀と思われるが、これだけの記述では何もわからない。行法もないし、師のこともない。キリスト教社会では、ここまでが限界だったのだろう。

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冥想修行者の人生観

2024-07-03 06:33:27 | 人と神の「実際のところ」

◎神である自分と人間である自分の両様の自分を生きる人生観

 

冥想修行者の人生観とは、覚者の人生観に近づくことである。思想、信教の自由の下では、人間の人生観など他人に教えてもらうものではないと思っているのだろうが、その自分の考えの9割以上が外からきたものであるからには、その人生観とは現代のあらゆる形でのマインド・コントロールの結果であって、いわば自分の人生観は、「自分の」ではなく、どこかの知らない他人の人生観の複合物であろう。

 

人間には、社会人・肉体人としての公生活とあらゆるとんでもない思いまで含む私生活がある。

だが、ジェイド・タブレットに示した通り、本来人は、神である自分と人間である自分の両様の自分を生きるべきものである。本来あるべき人生観とは、『時間も空間も現象もない神仏である私は、時間と空間と現象の中に、あらゆる物語を戯れている。それと同時に、人間である私は、私にしかできない生き方で生き切り、そして死んでゆく。

これが、神仏と人間を同時に生きる二重性。』。

 

この立場から出て来た会話が、達磨が梁の武帝に「私がしてきた仏教支援策はどんな功徳があるだろうか」と問われ、「無功徳」と言い放った事例や、花園天皇が「仏法不思議、王法と対坐す」というと、これに対し大徳寺の宗峰妙超が「王法不思議、仏法と対坐す」と言い返した例がある。

 

ところが、生活にも不安なく、地位も名誉も問題のない天皇陛下ですら、神事がまず先と教えてもらわねばならなかった。第84代順徳天皇の著された「禁秘御抄」の冒頭に、「凡(およ)そ禁中の作法まず神事、後に他事」とあるように天皇も神事がまず先だった。人々も食べられるなら、神事すなわち冥想がまず先。仲哀天皇は、冥想修行を怠けて、結果がよろしくなかったという例まで古事記に載っている。

 

西洋占星術のホロスコープは、上半球が公生活、下半球が私生活で、12室のカテゴリーは、人生上の出来事の区分をすべて網羅しているなどと感心していてはいけない。神として生きる自分の視点が全体の中に隠されているが、そのことがホロスコープには欠落しているのだ。神として生きる自分には、

宿命もカルマの改善もそこからの解脱も含め、あらゆる可能性がある。それには、チート技はないが、方法はある。

 

だが、その修行の仕方は、調子に乗って図に乗れば、パエトーンのようにあっという間に叩き落とされるのが常であり、すべてを棄てることが求められるシーンが必ずあるものである。

 

また見神者、菩薩の人生観には、見るべきものがある。

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チベットの愛と慈悲の引き寄せの法則

2024-06-19 06:59:40 | 人と神の「実際のところ」

◎トンレンの行

 

世上に流布している引き寄せの法則のほとんどは、自分がうまい汁を吸おうというものであって、その後の反作用を考えるとおいそれとは取り組めない代物だ。

 

チベットのトンレンという引き寄せの技は、次のようなものである。

1.慈しみの心という泉の封印をとく

誰かにやさしくされた時や、誰かに愛された時に、そのことを思い出す。そこで心を開くと、してくれた人に向かって愛が流れ出す。

 

2.自己を他者とみなし、あわれみの心を持つ

他人を自分と同じ一人の人間だとありありと想像する。快いものは受け容れ、いやなもの苦しいものは受け容れたくない同じ人間だと想像する。

 

3.自分を他者に置き替えて憐みの心を持つ

苦しんでいる人がいたら、自分をその人に置き替えて憐みの心を持つ

 

4.最良の友や最愛の人を、その苦しんでいる立場の人に置き替えて想像する。

深い慈しみとあわれみを持てば、その恩沢は、苦しんでいる人、友人、愛人すべてに及ぶ。愛は天から下界に降り注ぐもの。

 

5.あわれみの心を冥想する

他人の苦しみや悲しみを見て、それえを和らげるよう、あわれみの心を冥想する。

 

6.あわれみの心を注ぐ

充分に深くあわれみの心を冥想すると、生きとし生けるものすべての苦しみを和らげたいという決意と責任感が湧き上がる。そこで、すべての覚者に、それを祈る。また、自分の善行と修行のすべてを生きとし生けるものに捧げる。

 

こうして他者の痛みと苦しみを受け、自分の幸福と健康と心の平安を与える、トンレンと言われる行にとりくむことができる。

 ただし、ソギャル・リンポチェは、他人にあわれみといつくしみを送る前に自分自身に対して、それを行いなさいという。つまり自分自身が救われていなければ、他人にあわれみといつくしみを送ることはできないということ。

 つまり、まず自分が悟らなければ、トンレンの行は始まらない。

(以上参照:チベット生と死の書/ソギャル・リンポチェ/講談社P325-342)

 

大悟覚醒し、自分が既に癒されていないと、トンレンの行は成らないのだ。

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達磨がわざわざインドから中国に行かなければならなかった理由

2024-04-05 06:56:20 | 人と神の「実際のところ」

◎師匠の側の無私、自己犠牲、捨て身

 

啐啄同機と言っても、普通は修行者から見た立場からしか考えず、「神仏の側からも穿ってくるものがあるのか。」程度にしか思わないものだ。

ところが、神仏の側とは取りも直さず師の側のことであり、孤立化が進んで師を持たない孤独な瞑想(冥想)修行者の多いこの時代には、師が自分に真理を、法を伝えるために相当に時間と労力を費やしてくれたあるいは費やしてくれるものであることには、気がつきにくいものである。

達磨は、漠然と中国に仏教を伝えるために行ったわけではなく、弟子慧可に悟りを伝えるために生命を賭して、タジキスタンの年中強風が吹くパミール高原(葱嶺)を越えたのだ。

そしてその七百年後に禅が日本に伝わったのは、栄西、道元、大応(南浦紹明)という法器が日本に出現したからである。

 

要するに達磨は、全世界を超能力でスキャンして中国に慧可を発見し、万難を排して中国に向かったのだ。師はありがたいことである。おかげで達磨は、中国で毒殺されることになった。真理を伝えるためにインドから支那に渡って客死した達磨の心情を誰が知ろう。悟りを伝えるというのは、そこまで無私を要求されるものなのか。厳しいことである。

イエスが弟子の足を洗った故事は軽々に見るべきではない。

 

気軽に万人が神を知る時代が来ると唱えているが、大悟覚醒、ニルヴァーナに入るというものは、一人一人に対し原則正師がいなければあり得ず、正師の方も真理を伝えることが可能な弟子が出現しなければ、ニルヴァーナは伝わらない。

その点で、ある水準に達した冥想教師の意義は、師であるからには、同様に大きい。万人が神を知る時代のために冥想教師が必須であることをダンテス・ダイジは、冥想道手帳で示している。

 

以下はOSHOバグワンの見方。

『自己を認識した仏陀の弟子であるボーディダルマ(菩提達磨)が、インドから中国に行かなければならなかったのは、中国に彼が持っている知識を伝授することができる人物がいたからだ。

その結果仏教の伝統そのものが、インドの外に出ることになった。このことから人々は二、三 の仏教僧たちが、仏教を広めるために中国に渡ったと理解しているが、その理解は間違っている。それは歴史のできごとを表面的に見ている人たちの理解だ。

慧可が、知識を伝授することが可能な中国における人物だった。そして彼が自らインドに来ようとはしなかったのは面白いことだ。この世の困難は実に驚くべきものであることがよくあ る。慧可がインドに来ることを望まなかったのは、彼が自分の潜在能力に気付いていなかったからだ。そのために、ボーディダルマははるばる中国まで旅しなければならなかった。そして 再び仏教伝統の秘密が、この同じ知識の伝授のために、日本に渡らなければならないときが来 た。』

(神秘の次元 和尚/著 日本ヴォーグ社 P146-147から引用)

なお、OSHOバグワンもアメリカで毒を飲まされたと言われる。

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亡くなった教祖を見たり、光を見たり、クンダリーニが上がったり

2024-04-03 05:40:43 | 人と神の「実際のところ」

◎体験はみな、意識に漂う心象にほかならない

 

正師との出会いは、予期されず突然やって来る。体験とは言えない体験も、予告なく突然発生する。

 

タントリストのサラハ王の歌から。

『クンダリーニは霊的な体験ではない。霊的な体験とは、単に体験されるものがない瞬間のことだ。すべての体験は溶解し、あなたは自らの純然さにひとり座る。それを体験と呼べはしない。

そしてサラハ曰く、このようないわゆるヨギや聖者たちは、意識の高みに達したと言い続ける。だが、彼らが達成したものとは何だろう? ある者はクンダリーニが上昇し、ある者は内側に青い光りを見、まあそんなところだ。ある者はビジョンを見た。クリシュナを見たり、モハメッドを見たり、マハヴィーラを見たり、母なるカーリーを見たり―しかし、それはすべて想像だ。

 

体験はすべて想像だ。

想像(imagination) という言葉は美しい。それは“心象 (image)“ から生まれた。体験はみな、意識に漂う心象にほかならない。意識に漂うものが何もないとき--いいかね、“無”でさえも意識にないとき――単に意識が内容するものがない、まさにその内容なき清浄さが、タントラの言う真の体験だ。それを体験と呼べはしない――まさにその本性からして、そうではない。その観照者を観照するとき、それを〝観照すること”などと言えるだろうか?知る者を知るとき、それを知識だなどと言えるだろうか?』

(タントラの変容   和尚/講話  市民出版社P122から引用)

 

神秘体験、不思議な体験の大半は、ガラクタ体験であって、体験が体験であるうちは本物ではなく、いわば想像である。たとえそれが、亡くなった教祖を見たり、光を見たり、クンダリーニが上がったり、という善さげな体験であってすらも。

体験とは言えない体験だけが真理である。

 

体験とは言えない体験とは、見る者と見られるものが分かれていないことだが、「その観照者を観照する」状態において、あらゆるものが見知らない、すべてが未知、透徹した絶対の孤独感があることが知られている。

非二元ノンデュアリティとは、見る者と見られるものが分かれていないことであるなどというが、それを達成した気分になることはあるかもしれない。

また非二元ノンデュアリティは、金を払えばゲットできるというものでもない。

 

真に非二元ノンデュアリティに居れば、六つの超能力(六神通)行使が可能であって、あらゆるものが見知らない、すべてが未知、透徹した絶対の孤独感があるというのがサインになるのではないか。

覚者だろうが、未悟者だろうが、人間である以上、喜怒哀楽はある。それを越える二重の現実感に生きるのが覚者

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インドのライフ・サイクル、ライフ・プラン

2024-03-31 06:37:57 | 人と神の「実際のところ」

◎エネルギー蓄積により悟り、その後世俗生活を生きる

 

冥想が次の新時代の鍵であることがわかったとしても、日々の冥想習慣の先に大悟覚醒が起きなければならない。アメリカのように孤独に禅メディテーションを坐るはめにならないように、インドでは古来から冥想により神に至るライフ・サイクル、ライフ・プランが描かれている。

それは、人生を25年づつ4回の段階(アシュラマ)に区切るもの。

0歳から25歳までの時期は、人が世帯主となった時に、生のすべての快楽を深く体験できる準備として、エネルギーを創造し、蓄積することを目的とする。

次の50歳までは、蓄積したエネルギーにより、欲望を全面的に経験することで、その欲望から自由になり、この世の生の頂きと深みに触れる時期。生の快楽を目いっぱいトータルに体験する。この時期は世俗生活を送り、激情にひたるべき時期。

 

たとえば、現代は、かつてないほど、セックスがオープンに行われる時代だが、真に性的に満足している男女は少ない。

なぜなら行為以前に、セックスのためのエネルギーと努力が浪費されているからである。だが、そういう状態では、真理に向かうエネルギー、神に向かうエネルギーは十分に蓄積されないままで終わる。

楽しめなかった経験への欲求を残してはならない。そこで俗世の快楽の無益さをとことん思い知る。この時期の人は強くなければならず、弱い人では自分の激情、欲望を体験し尽くして、それから自由になることができない。

次の75歳までは、家庭生活を送りつつ成人した子供たちに生活上の指導を行うが、実際には森に入らないが、森に入って冥想生活を送ることを念頭に置く。

次の100歳まででようやく森に入って冥想に専念する。

うまく老人になったケースで、真に円熟した老人は、平和な美しい精神状態を醸し出す。一方肉体は老いても心はせわしなく、落ち着きなく、気短な老人の方が多いのも現実。

(以上参照:私の愛するインド/OSHO/市民出版社P66-73)

 

冥想により神に至るということで言えば、これでは、75歳まで悟りを開けないということで、この危機の時代においては世界がつぶれてしまいそうなライフ・プランである。

次の至福千年の時代では、思春期に見神見仏見性が体験され、青年期には、大悟覚醒を起こし、人は青年期以降悟りを持って社会生活を送るというのがスタンダードになるようなので、このインドのライフ・サイクルはのんびりしすぎなように思う。

若い時期はせっかちで興奮しやすいが、それでも冥想を続けつつ社会生活をやっていくしかあるまい。インド人は、人生は百年あって四期だなどと説くが、クンダリーニ・ヨーガには、大悟覚醒の後、肉体死から復活して社会生活を送るビジョンがない。だから最後の25年は森で冥想生活などと説いて平気である。インドの冥想には、悟りを持って世俗生活を生きることが想定されていないようである。

その点、禅の十牛図では、悟りを持って世俗生活を生きることがしっかり出されており、インドよりはるかに生の側から極めるという点では真摯である。禅が残る日本の方が「悟りをもって社会生活を営む」スタイルがあると言う点では、健全だと思う。

現代は、エネルギーを、ゲーム、ギャンブル、飲酒、セックス、エロ、広義のマインド・コントロール、生業で消費されがちであり、ますます難しい時代になっている。

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正妻と妾

2024-03-26 05:24:54 | 人と神の「実際のところ」

◎妾は恋人がいつ来るかわからないので待っているだけ

 

NHK大河ドラマ『光る君へ』で、まひろが藤原道長から「妾になれ」と言われて、「正妻は家にいれば必ず夫が来るが、妾は愛人がいつ来るかわからないので待っているだけ」というニュアンスの返しをまひろがする。

この問題は、生涯未婚率がどんなに高くても、どんなに女性の社会的地位が引き上げられてきても重要なイシューであり続けてきた。

男性は若い時は恋人は何人いてもよいくらいに考えていたりするが、既婚者となって中年になって老いらくの恋などすると妙におしゃれになって周囲に気取られるなどということも耳にした。独身だろうが、既婚者であろうが、基本は一夫一婦。それは功過格にも書いてある。

ところが、イスラム教は一夫四妻が基本。人間の基本は、一夫一婦なのか、一夫四妻なのかという質問に対して、ダンテス・ダイジは、人間の霊的元型は一夫四妻だが、それはまた社会的ニーズにより女性が生きにくい事情も反映しているというような説明をしている。

一夫多妻と大上段に振りかぶらなくても、不倫となれば修羅場はあるもので、正妻以外の女性に執心となれば、事件は起きがちなものであって、その結果が離婚率にも現れている。

ところが、ダンテス・ダイジ自身の前世の一つはナツノという名の妾であって、ほとんどやって来ない愛人トースを待つばかりの人生だったと語っている。さらに彼の詩の中には、新宿のソープ嬢として転生するかのような一節まで出てくる。

運悪く第二希望以下となった女性たちの中には、刃傷沙汰になったりその刃を自分に向ける人もいる。人間の霊的元型は一夫四妻であると見透かしてもいても、金があればそれを平和裏に維持できるというものでもないし、妾は常にコンプレックスを負って日常を暮らす。そして積み重なる日々の影響は、その子に及び、老いとなって決着などつけられないままになっていく。

なお、世の中には房中術、性愛冥想セクシュアル・メディテーションというのがあるが、ダンテス・ダイジのそれは明らかに正妻をパートナーとするものであるのに対し、OSHOバグワン支那の皇帝がチャレンジしたような相手をとっかえひっかえするというようなタイプのが見受けられる。後者は、要するに真正の悟りなど目指していない類のそれなのではないかと思う。

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本山博が最後の魔に出会う

2024-03-24 07:08:31 | 人と神の「実際のところ」

◎機関砲の砲弾に追われて右往左往するよりも怖い

 

本山博が最後の魔に出会った件。

『小学校五年生の満十歳の時、チフスに罹って死に直面したことがあります。現在小豆島のホテル・ニュー観海のある辺りはその頃は何もない山で、山にかかった辺りに避病院が一軒あって、チフスだの赤痢だのコレラだのになったやつを皆その中に放り込んで、一つの部屋に二、三人いて、死ぬやつは死ぬよりしようがない。私も一カ月半ぐらいいたのですかな、いくらたっても菌がなくならないで、妙ちきりんな具合に腹がギューッとしぼって、痛くて気持ちが悪くてどうにもならない。食べられる物も何もないから骨と皮みたいになって、起きあがることも寝返りもできなかった。 そのぐらい弱りきって、周りでは人が死ぬ。でも、意識はどういうものかすごくはっきりしていて、全く死ぬようには思わなかった。

そういうのとも、魔に遇った時というのは全く違うのです。

 

日頃、人間は物の力に支配されて生きている。たとえば皆さんも余り腹がへった時にはガツガツ食べるでしょ う。あれも物の力に支配されている証拠ですね。 そして、 或る人が物の力を超えてそれを離れようとする時、物の世界の力はそれを防ぐために強烈に働き、恐怖心を起こさせる。

そういう魔に遇うわけです。これは遇ってみないと、その怖さは分からない。キリストについても釈尊についても誰の場合でも、こういうことはみな書いてあります。 物の力が壊れようとする時は、ものすごい物の力が先ず現れてくるわけです。

強大な物の力からの脱却は、神様のお力なしにはできないのです。神様のお力が入ってくる時には、最初は白い、しかしものすごい光が見える。 それから、 法雲三昧というか、井の頭の宗教心理学研究所の玄関のガラスに、 雲の上に菩薩が乗っているのが描かれているでしょう。魔に遇ってそれを克服してからは、ああいう感じに、絶えず光っている、大きな雲の上に乗っているような感じで、そして自分がすごく光っているのです。そして坐っているのだけれども、現実に坐っている場所で坐っているのではなくて、かなり高いところで、光っている雲のようなフワフワしたものの上に自分が乗っかって坐っているのです。その自分に光っている。そしておかしいことに、自分がそこ(雲の上)にいるし、下にいるようでもあるし、同時にどこにでもいて、初めはとても 妙ちきりんなのです。』

(神秘体験の種々相Ⅱ/本山博/宗教心理出版P53-54から引用)

 

この前段で、本山博は、特攻隊にいた時に機関砲の砲弾に追いかけられると、うろたえて右往左往するが、魔に遇った時の怖さは、そういう怖さとは比較にならないと言っている。

 

本山博は、魔のことを物の力と表現している。原理は物の力だが、「物の力」では、平易な表現すぎてかえってわかりにくいかもしれない。

雲の上にいるのは、出口王仁三郎と同じ。そういうこともあるのだろう。

神様の白い、しかしものすごい光とは、出口王仁三郎の言うところの内流。

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