アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

五気:中国とインドの比較

2024-04-09 06:04:38 | 気功、導引(冥想法2)neo

◎プラーナ(気)の見方

(2011-01-10)

 

ハタ・ヨーガの経典に出ている気は、10種であり、うち五種が主要五気であるが、それは、中国の五気に照応するのだろうか。

 

まずハタ・ヨーガの五気。

1.プラーナ気:心臓に位置。鼻頭から心臓までの間にとどまり、息を運ぶ

2.アパーナ気:会陰に位置。臍から足の裏までの間にとどまり、体の汚れを取り去る。

3.サマーナ気:へそに位置。心臓から臍までの間にとどまり、食物を消化、吸収する。

4.ウダーナ気:のどに位置。鼻頭から頭までの間にとどまり、上昇する。

5.ヴィアーナ気:全身に行き渡っている。

(参考:続ヨーガ根本経典/佐保田鶴治/平河出版社)

 

中国の五気(黄帝内経)

1.木(陰中の陽) :風:(肝・胆)  (生)

2.火(陽中の陽) :暑:(心・小腸) (長)

3.土(陰中の至陰):湿:(脾・胃)  (化)

4.金(陽中の陰) :燥:(肺・大腸) (収)

5.水(陰中の陰) :寒:(腎臓・膀胱)(蔵)

 

対応部位でいえば、心臓のプラーナ気が「暑」にあたり、会陰のアパーナ気が「寒」で、ヴィアーナ気が「湿」、上昇のシンボルであるウダーナ気は、陽属性だろうから「風」、サマーナ気は、「燥」というところか。

但し、五化(五つの機能みたいな)の配当は、生長化収蔵となっており、ハタ・ヨーガの五気が肉体機能で説明しているのに対し、動植物の活動の時間的な推移とおぼしき説明となっているので、きちんと一対一対応とは言えないように思う。

いずれにせよ、同じ気を扱って、かつエーテル体レベルの体系を説明しようとするものだから、インドだろうが中国だろうが、もともとの説明にあまり乖離があるはずもない。

むしろ中国では、四位一体に1を加えた五行理論に忠実なあまり、わかりにくくしたというきらいがあるのかもしれない。

インドには、主要5種以外にナーガ気というのがあり、これは、おくびの気であるが、またナーガ気は、意識を生ずるとされる。

近代西欧文明は、意識偏重型のアポロン型文明。だから現代社会で、きちんと適応して生きれば生きるほど、意識を鮮明に持たねばならないが、そのことは結局胃にストレスをかけることになり、おくびのナーガ気を酷使する生活形態になっているのだろうと思う。意識的に生きるのは、胃に負担がかかるのだ。

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中国の大気汚染から呼吸法

2023-12-19 19:52:28 | 気功、導引(冥想法2)neo

◎体内の老廃物や不要エネルギーの除去

(2015-11-11)

 

2015年11月7日、中国の瀋陽の大気中の「PM2.5」の値が一時、日本の環境基準の40倍にあたる1400を超えた。(日本の基準は、1年平均値 15μg/m3以下 かつ 1日平均値 35μg/m3以下)

中国の大気汚染は、年々ひどくなり、中国全土の模式図で見れば、黒い雲霧みたいな大気汚染が、中原全体を一年中右往左往しているように見える。道者笹目秀和が見たカルマの霊界からの現実化のビジョンがこんな風だったのが思い起こされる。

こうした汚染された空気は偏西風に乗って2、3日経てば日本に降り注ぐ。昨日の雨はアスファルトに落ちて、こころなしか、いつもよりぬるぬるしていたような気がする。一衣帯水とはよく言ったものだ。

 

クンダリーニ・ヨーギ本山博によると、長く人生を歩いてきた人や心臓の悪い人の身体の中には、本当は排出されなければならないもの、消費して衰えたエネルギーがたくさんたまっているという。

これを排出する呼吸法がある。

 

達人坐あるいは蓮華座で坐り、鼻から息を吸い込む腹式呼吸で吸う。

息を腹いっぱいまで吸いこんだら、2、3秒息を止める。

次に腹から胸から体内に溜まっている不要なもの汚れたものをすべて吐き出すつもりで口からでも鼻からでも吐き出す。

一応息を出し尽くした後でも、腹と胸から徹底的に吐き出す(これがポイント)。

これを本山博は、クンダリーニ・ヨーガだから、これを七の整数倍にやることを勧める。

この繰り返しで体内の老廃物や不要エネルギーは除去され、気力の衰えた人も老人も見違えるように元気を回復するという。

これは、帰宅してから夜やる方が良いものだろう。帰宅して漫然とテレビを見るよりは、よほど本当のリラックスに入りやすいのではないか。

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ボクシング井上尚弥、集中が切れる瞬間を狙う

2023-07-18 05:47:40 | 気功、導引(冥想法2)neo

◎人は3分間も絶対に集中できない

(2019-11-15)

 

2019年11月7日、プロボクシング:ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ(WBSS)バンタム級決勝(さいたまスーパーアリーナ)が行われ、3階級王者のWBA・IBF世界バンタム級王者井上尚弥(26)が真の階級最強王者の称号を手にした。倒した相手は5階級王者のWBAスーパー王者ノニト・ドネア(36=フィリピン)。3-0の判定で勝利を手にした。

その井上が、意識の隙間について述べている。試合の途中では、ぼんやりと相手の肩の動きとか、全体を見ながら、目とか、呼吸とかで、相手の集中力が途切れた瞬間を逃さずパンチを打ち込む。(この「ぼんやりと」が、同時に別の深い意識で見ているということ)

井上尚弥曰く、人は3分間も絶対に集中できないし、自分も無理、と。だがその息を吐く瞬間というか、たぶん相手が反応できないだろう瞬間に間髪を入れずに打ち込むからこそ、1ラウンドでのKOが多い。

 

人には意識の隙間がある。吸う息、呼く息の間には隙間がある。老境にさしかかって思うのは、その意識の連続の隙間の回数は増えているし、隙間の時間も長くなっていること。(この延長線で死の直前に青いオームの字を見るのだろう)

意識の隙間は、現実の隙間であり、少なくとも第一身体である肉体意識、肉体・物質という現実の隙間である。その隙間で人は別の次元別の世界を感じることで、この世界の不安定性、寄る辺なさを感得する。

彼の試合は、相手が攻める気の時はかわして、ちょっと緩んだときに逃さずに攻めるように見える。これは、合気道にも通じるところがあるように思った。ネットに植芝盛平の演武シーンがあるが、その狙う隙間は同じであるように思う。

白隠の師の慧端が、団扇で武芸者の木刀をあしらうシーンがあるが、その隙間を完全に見切ってこそなのだと思う。

※井上尚弥の発言の出典:NHKの番組(2019年11月12日(火)プロフェッショナル 仕事の流儀「モンスターの素顔~プロボクサー・井上尚弥」)、スポーツニュースサイト「THE ANSWER」のインタビュー(2019.01.02)「井上尚弥インタビューvol.1 強さの秘密は達人級の集中力「人は3分間集中できない」」

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植芝盛平のエーテル体

2022-11-14 20:54:44 | 気功、導引(冥想法2)neo

◎気配を感じる金光の線

 

エーテル体が、傘の骨状の形であって、経絡に沿って広がっていることは知られている。合気道開祖植芝盛平は、他人の気配を感じるのに体外にハリネズミ様に広がる金光線を用い、この金光線に触れると、植芝盛平の肉体に触れる前に、他人は一瞬にして吹っ飛んだという。エーテル体では、気で巡らしたバリアーを作れるということだろうか。

 

『新撰組の猛者よ、しっかりせい

 

ある時、こんなこともあった。大阪警察署長の森田儀一が、大阪の門弟や東京から来ている若い連中に、

「一ぺんお前たち、先生のスキを見て、一分間でもよいから、みんなで先生を押さえて見ろよ。もし一分間押さえてることが出来たら、何でも御馳走してやるぜ」

といってけしかけた。

 

若いものたちは早速ある夜ふけ、先生の休んでいる寝所に忍び寄って、それも気づかれたり、音をたてたりしないように廊下に座布団を敷きならべて、ソーッと近づいていったが、一間半〈三メートル)ほどに近づくと何か声がしたようでもあり、起きているようで、どうしても近づけない。何べんもやってみたが、どうしても押さえられなかった。

 

そのような事が一、二ヵ月もつづいたのであった。それでは先生は熟睡することがなく、いつも半ば起きてるのだろうか、それではノイローゼになるが・・・・と、わざわざ医師を呼んで先生の健康診断をしてもらったが、盛平は、「わしはどこも悪くないよ」といっていた。医者も、「先生の体は三十歳ぐらいの体です」といった。

 

「森田さん、どうしてわしの体を診断させたんや?」と先生から問いつめられた森田は、「実はこういうわけで門人たちをけしかけ、先生の寝込みを一分間でも押さえてみろと企らんだのですが、先生はいつも気づいているようで寝ていないらしいから、それではノイローゼになると心配になったものですから・・・・・」と説明すると、

 

「わしは、充分に熟睡してるがな」といって、「わしの体からは常に金光の線が出ていて、普通は九尺から一丈(三メートル〉ぐらい出ているんじゃが、長いときは十五尺〈五メートル)ぐらい出てるから、人がそこまで来るとすぐわかるんじゃ。前から来ても横から来ても、また後ろから来てもすぐわかるんじゃよ」

と話すのであった。これには森田もあっけにとられた。』

(合気道開祖植芝盛平/砂泊兼基/講談社p177-178から引用)

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ライヒのオルゴンの定義

2022-11-14 19:54:49 | 気功、導引(冥想法2)neo

◎気を見る

 

次の時代の人間と現代人の相違は、まず第一に神・仏・道なるものを明瞭に実感しているかどうかと、霊的なるものに対する感受性・知覚能力の有無ということがあるように思う。

 

だからといって「みんな霊能力をつけチャネラーになりましょうという」方向は全く誤ったものではある。というのは、現代人の不安定な心理状態のままで、霊能力をつけチャネラーになろうと努力したところで、その感受性の増進により、日々の生活に必要な生存競争に必要な闘争心が減退して、生活ができにくくなるだけで、一利はあるかもしれないが百害があるように思う。

 

確かに冥想には感受性を深める側面があるが、それが必ずしも霊がかりを目指すものであってはならない。冥想に対して、霊がかりや神懸かり、霊的な世界観を目標や先入観としない、ありのままの姿勢で臨めば、感受性の深まりに応じたネガティブな状態に迷ったりひっかかったりすることは、比較的少ないのではないか。もっともその人の持つ素質や霊的因縁、カルマというものを排除して考えることはできないけれど。

 

ライヒは、種々の物体から青っぽい光が放射されていると語っているが、同じことを多くの人間が語っているわけではないので、これは、ライヒの持つ特殊な知覚のなせるわざではなかったかと思う。ヒトのオーラは、ある人が見れば光輪と見え、またある人が見れば、狐や狸が憑いていると見えるが如きものではないか。

 

ライヒのオルゴンの定義は、かっちりとしたものがなく、たとえばこのようなもの。

『晴れた日の日中空を見上げ、眼の力を抜いて空中を眺めると無数の光のきらめきが見えてくる。それはぐるぐる回りながら乱舞しているようだ。』

(ウィルヘルム・ライヒ生涯と業績/マイロン・シャラフ/新水社から引用)

 

この光のきらめきがオルゴンのことのようで、誰でも注意すれば見えるはずだが、科学史上でこれを採り上げた人はいない。また見えたとしても、どうしても眼そのものの属性(飛蚊症?)ではないかという議論を排除できない。またライヒ自身はオルゴンが眼に見えることを非常に強調したが、オルゴンが見えることは、ライヒの個人的特殊能力であった可能性が高い。

 

オルゴンは、気、プラーナのことではないかという仮説はあるが、気、プラーナが目に見えるかどうかという点では、見える人もあり、見えない人もありというのが穏当な言い方ではないか。またオルゴンの定義そのものがしっかりしていないので、気、プラーナと同一かどうかという議論も難しい。

 

中国の医学書の古典黄帝内経では、体内を真気、邪気、正気、陽気など沢山の気が巡ることをいい、そのすべてが陰陽の影響を受けることを語っている。インドのウパニシャッドでもプラーナが体内を巡ることは言っているが、明らかに肉体レベルのことではない。

 

肉体レベルでない、気つまり七つの身体論でいうエーテル体レベルの議論をするに際して、全員が見えることを前提に議論を勧めようとしたところにライヒの無理があったのではないか。気を見れる人は少ないのだ。気を全員が見るのは現代ではないだろう。

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剣の護法童子

2022-11-14 15:04:47 | 気功、導引(冥想法2)neo

◎神機発動

 

有る婦人が合気道開祖植芝盛平の姿を見ていたところ、彼の身体から無数の線が出ていて、それはタワシのようであり、それに触れると相手は一瞬にすっとんだという。

このようなハリネズミ様の武人の姿と言えば、国宝信貴山縁起絵巻にある剣の護法童子である。病気の醍醐天皇に乞われ、クンダリーニ・ヨーギ命蓮が呪法でこの病を平癒させるのだが、その証拠に遣わしたのが剣の護法童子。

剣の護法童子に前から立ち会うならば、くるくる回転する法輪ではじき飛ばされ、後ろから攻めかかれば、ハリネズミのような鎧形の剣で寄せ付けない。

剣の護法童子が人間として登場したならば、植芝盛平のように相手が彼の身体に触れる前にすでに投げられていた武技を持つ武道家がふさわしい。

 

植芝盛平が綾部の本宮山で修行中、毎日ある時間が来ると彼は神がかりの状態(神機発動)になったという。これ以後、剣の切っ先が来る前に小豆大の白い玉が見えるようになり、剣も銃弾もよけることができるようになった。人間技でなく、神技である。

 

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合気道の神髄-3

2022-11-14 14:44:47 | 気功、導引(冥想法2)neo

◎合気道の力のポイント

 

合気道には独特の力のポイントというのがあって、指先数センチのところがその人の中心であって、そこを抑えると相手を抑えこめるというようなことを聞いたことがある。

そこを指一本で抑えることで相手を制することができるというものである。

気とはエーテル体のことであるが、これは、エーテル体独特の性質を利用したコツのようなものだと思う。

 

『次に各地を巡回中、ある一地方にいった時のことである。漁師町であった。そこに素人相撲で腰のねばり強い二十七、八貫、五尺八、九寸はあったと思うが、この男ににわかに勝負をいどまれた。失敗はしないが手こずった。

 

裸の全身にヌルヌルに汗をかいて容易に掴めない。とにかくするうちに相手も疲れていたのであろうが、手がふれたら指一本で抑えることができた。

 

この時、ウナギ掴み、すなわち気でもって相手を抑える、すなわち位づけの妙法を悟ったのである。こうして合気の真の鍛練法ができてきたのである。』

(合気神髄・植芝盛平語錄/八幡書店/「死生を往来して修行の道に入れた」から引用)

 

さらに植芝盛平は、指さえもいらないとも言っている。

『合気というものは、初め円を描く。円を描くこと、つまり対象力、相手に指一本ふれないでも相手は跳んでしまう。このひとつのものをつくりあげるにも十年くらいはかかる。』

(合気神髄/八幡書店/「宇宙のひびきを自分の鏡に写しとる」から引用)

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導引の変遷

2022-11-14 11:24:56 | 気功、導引(冥想法2)neo

◎体操、呼吸法、食事はセットメニュー

 

導引とは、体操プラス呼吸法。

 

「食事をしたかい?」というのは、中国での日常の挨拶ことばで、「こんにちは」みたいなものである。それほどに中国の食糧事情は歴史的に厳しくあり続けてきたものだと思う。パール・バックの小説「大地」で、清朝末期が舞台だったかと思うが、安徽省の村が、冬になると村ぐるみで暖かい広東省の方に乞食をしに行く話が出ているし、最近はいざ知らず、大陸の中国人と言えば痩せているものと相場が決まっていた。

 

鄧小平の時代になってからは、食糧の安定供給ができるようになったようだが、共産中国は、1948年の建国以来、人民を腹一杯食べさせることが主要テーマであった。食糧が十分でなければ、栄養不足を原因とする病気が蔓延しがちになるので、政府として何か手を打たなければならない。それが国家を挙げての気功の推奨だったのではないだろうか。

 

今の日本は栄養不足ではなく、栄養過多と栄養の偏りの調整が問題になっているけれど、導引・気功もそれなりに効果があることと思う。

 

1970年代に馬王堆漢墓から導引図が出土して、中国では2千年前から、導引がメジャーな健康法として行われてきた痕跡が明らかになった。中国歴代王朝では、道教の人気は高く、特に元代、明代に盛んに養生書が出版され、現代に至るまで連綿と導引は生きのびて来た。特に明代は、オカルティズムが盛んであった時期で、今残っている中国流の人相、手相、四柱推命(淵海子平)の源流をたどると明代の書物に行き当たることが多い。

 

日本では、医心方という平安時代の医学書に導引が最初に登場。その後江戸時代に盛んに導引が行われていたようだ。そして明治になってから西洋式の体操が入ってからは導引は全く省みられなくなった。ノウハウの退化である。

 

馬王堆漢墓の導引図のあった場所に『却穀食気』という文献があり、これは、絶食ないし節食しながら、呼吸法をやることで、当時から体操、呼吸法、食事コントロールは、全部セットで求道者のトレーニング・メニューであった。

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