アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

超熱帯夜のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

2024-07-31 05:46:31 | 天人五衰、ロコモ、フレイル

◎普通に起きて活動して眠るのも大変な夏

 

昔、ブラジルのアマゾン河口に近い胡椒農園の日本人入植者が、毎日気温30度超、湿度99%なので、一日に水20リットルを飲んでいたということを読んだことがある。

幸い日本ではエアコンが使えるので、そうした体温低下法は使わなくて済むが、生きるというのは、そこまで頑張らせるものなのだろう。

熱中症の半数近くは室内で発生するというが、最低気温30度以上の超熱帯夜の連続ともなれば、身体からの水分発散量も多く、いつもより更に水分摂取して、夜の熱中症防止に努めなければ。

ここのところのフェーン現象は、秋田、山形の大雨によるものだが、気温38度の日差しは痛いものだと初めて知った。中東の民族衣装が肌を隠すようになっているのもむべなるかな。

 

このところ、きくち体操20分×2と、Olivia Lawsonの室内散歩20分×3を一日の目標としてやっている。https://www.youtube.com/watch?v=y067h0BjhQo&t=6s

猛暑により、屋外散歩は、竹脇まりなの室内散歩20分に振り替えている。

https://www.youtube.com/watch?v=2yBc-qPhF_M

Olivia Lawsonの室内散歩は、1回分増えているが、ここ数日の最高気温37度以上の連続からか、足が硬くつりやすいので、散歩メニューは、20分単位から15分単位に減らした。転倒しないことが最優先。

 

東京は温帯だったが、いつから亜熱帯に変わったのだろう。中国、朝鮮半島、日本の天気図は、台風3号が中国を縦断するなどあまり見たこともない形のものになっており、不気味な気配を感じさせる。こうした乾いた猛暑の夏の日々は、ノストラダムスのセザールへの手紙の一節『雨が非常に少ない国がいくつかあり云々』を思い起させる。

日々、善いことをして悪いことをせず、冥想を。

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第二次大本教事件と日本の将来

2024-07-30 03:42:51 | 時代にFace it

◎日本の立替は外国の手による

 

昭和11年3月十日綾部署は二代教主出口すみを連行し、教団の綾部の土地処分の委任状に捺印をせまった。「土地は神のもの信者のもの、大本には一切を清算しなければならぬような悪事のおぼえはない」とつっぱね、出口すみは一貫して「大本は日本のひな型、大本でおこったことは必ず日本に、世界に写る。この神苑を手渡すことは、やがて日本が外国に奪(と)られる型になると神さまがいわれますのや。それでも(土地売却委任状に)捺印せいというのなら、私を殺してからにしなはれ」と抵抗した。

ところが、結局教団の土地は、二束三文で綾部町、亀岡町にそれぞれ2万数千坪が売却されてしまい。日本が外国に奪(と)られる型を作ってしまった。

(参照:出口なお・王仁三郎の予言・確言/出口和明/みいず舎P265)

 

大本教への二度の弾圧は雛型経綸であって、やがて日本の行く末に反映していくとされる。

最初の弾圧は、第一次大本教事件であって、大正十年に指導者出口王仁三郎らが逮捕収監された事件。これが日本の姿で言えば最初の敗戦である太平洋戦争での敗戦に当たる。戦後はA級戦犯が東京裁判にかけられ戦敗国の悲哀をなめ、国民も貧困と飢餓に苦しんだが、たまたま朝鮮戦争が勃発したことにより日本は、西側の東アジアにおける要石として未曽有の経済発展を遂げることができた。

第一次大本教事件で、教勢的には一時大打撃を受けたが、大本教はそれをバネとして逆に教団の規模を急拡大していき、昭和十年には全国で8百万人とも言われる信者数を誇っていた。

二度目の大本教への弾圧は第二次大本教事件であって、昭和十年十二月八日聖師出口王仁三郎が、逮捕収監され、信者3千人が検挙された他、教団資産の接収、教団建築物のダイナマイトによる破壊など、地上の上から教団の痕跡をなくしてしまおうというほどの破壊が行われた。

大本側でもこれを予期した動きがあり、昭和十年十二月の弾圧前夜、道士笹目秀和が教団のご神体を崑崙山中に返還することを出口王仁三郎らに託され、ここにスピリチュアルな大本教の使命は終わったとされる。

出口王仁三郎の収監期間は6年8か月の長きに及んだ。

 

これが日本の姿で言えば二度目の敗戦にあたるはずだが、それはまだ日本には起きていないものの、戦前の日本国官憲は、日本が外国に奪(と)られる型を作ってしまった。

それやこれやで、日本の立替は外国の手によるなどという、予言が出てくるわけである。日本は、第二次世界大戦で“負ッカサー”れた、と嘯いたのは出口王仁三郎だった。

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天国体験から見神体験へ

2024-07-29 03:48:38 | 浅い霊感から神人合一まで

◎エベン・アレグザンダー

 

エベン・アレグザンダーは、ハーヴァード・メディカルスクールで脳神経外科医だったが、急性髄膜炎により7日間の深い昏睡状態にあって、天国を見た。

 

最初は、彼がミミズの目の世界と呼ぶまるで土の中に埋もれているような感覚を味わったが、そこから抜け出す時が来た。

『やがて、上方からゆっくりと、光の存在が降りてきた。それはあとで“回転する光のメロディ“と名づけた美しい調べを響かせながら、金や銀にきらめく閃光を放つ、まぶしい球状の光だった。私のいた砂をかむような世界に降りてきたきらめく光は、中に裂け目をつくり、私はポー タルともいうべきその穴をくぐると、目がくらむばかりに美しい谷あいの世界に抜け出していた。

青々と緑が広がり、澄みわたる水に滝がしぶきを散らしていた。私は認識の一点と言えるような意識体になって蝶の羽根に乗り、周りには何万という蝶が波のようにうねりを描いて群れ飛んでいた。深い藍色をしたビロード様の空には、金色にきらめく光の球が無数に飛び交っているのが見えた。むくむくした色鮮やかな雲をバックにくっきりと長い光の尾を残す光たちは、詠歌か聖歌のような音楽を奏でており、私はのちにそれを天使の合唱と呼ぶことにした。光が奏でる音色は、地上のどんな音楽及ばないほど美しかった。向こう側の世界には、積み重なるようにして果てしなくつづく無数の広大な宇宙世界が開けていることも、知ることができた。

〝上方の領域〟と名づけることにしたそうした場所は、さらなる学びをうながしてもらえる場所でもあった。天使の合唱は、いっそう高次の世界へとポータルを開いてくれた。

私はなおも上昇し、広大 無辺の漆黒の闇、聖域中の聖域である深奥の〝コアの世界〟に導かれた。それはことばにならない崇高な無私の愛が、溢れんばかりに満ちている場所だった。そこでは限りなく力強い全知全能の大いなる存在に出会った。こちらの世界に戻ってからその存在を"オーム"と呼ぶことにしたのは、そこにはオームの音が鳴り響いていたからである。コアの世界では、私の力ではとうてい 表現することのできないような、深くすばらしいことがらを教えられた。そのコアの世界にいたのは、永遠の聖なる存在、輝く光の球、そして純粋な意識体の三者であることを、そのあいだは強く感じつづけていたのだった。

 

向こう側ではつねに案内者がついてくれていた。それは認識の一点として蝶の羽根に乗り、最 初にゲートウェイの世界に入ったときからずっとそばにいたとても美しい女性だった。初めて会った知らない人だったが、その人のおかげで心の傷が癒され、以前であれば想像もできなかった完全な自分を取り戻すことができた。自分がとてつもなく愛され、慈しまれていること、この宇 宙は夢にも考えられないほどの広大なすばらしいところであることを、ことばを使わずにわからせてもらえたのだ。自分は(そして人はだれもが)全体の欠かせない一部であることがわかり、それまでの不安や悲しみはその大切な事実を忘れていたせいで抱いていた感情だったことに、気づかせてもらえたのである。』

(マップ・オブ・ヘヴン/エベン・アレグザンダー/早川書房P27-28から引用)

 

全知全能の大いなる存在とは、神なのだろう。そこで響きわたるオームの音。ただし、見ている自分はずっとあるので、天国を越えて見神の体験であったと言えるのではないか。

紹介してくれた女性は、高級神霊だろう。

蝶の羽に乗り、多数の蝶を見る。荘周胡蝶の夢胡蝶は、誰でも見たりなったりするものなのだろうか。

さらに言えば、彼は天国を通過し見神したが、世界全体が幻影であるという認識までは行っていない。

インテリの描写する臨死体験として、わかりやすいものに仕上がっているが、大悟ではない。

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ある天国的体験

2024-07-28 05:50:10 | 浅い霊感から神人合一まで

◎自分が残っている定という体験

 

以下は、ふとした拍子に意識レベルが低下し、自分が残っている定に入り、愛と歓喜に満ちた深い体験をしたもの。

ヨーガ・スートラで言えば有尋定。原始仏教の分類でいえば、初禅あるいは二禅

この体験は天国的ではある。

さらに言えば、この後50年を経て、この深い愛と歓喜と光の体験は、戻ってしまって、思い出になっている。

 

天国を求めるということに関して、考える材料として取り上げてみた。

 

なお、この本の著者のエベン・アレグザンダーも天国体験者だが、全然見ている自分が残っている。

 

『それは数秒のことだったろう。船室に光が満ち溢れた。眩しさに目がくらんでなにも見えなくなったので、そうとしか表現しようがない。愛に満ちた、力強く輝かしい何者かの意図に包み込まれた感覚を覚えた。あのときほど謙虚な気持ちにさせられたことはない。また、 あのときほど心が舞い上がって感じられたこともなかった。じつに奇妙な、圧倒されるような感覚に打たれ、全身に歓喜が溢れて、人類は安泰なのだという思いに満たされた。それにしても、ことばのなんと貧しいことか。安泰などというのは、哀れなほどに貧しいではないか。人間は一人残らず栄えある輝かしい存在であって、最終的には至福の中へと帰っていく のだ。美と、音楽と、喜びと、無尽蔵の愛と、言語に絶する栄光、それらを受け継いでいる存在なのだ。全員がそれらの継承者なのだ。

それを体験して五〇年以上が過ぎたいまでも、頭上のガス灯がうす暗い光を投げていた、 薄汚れた三等船室の片隅にいた自分がありありと目に浮かぶ・・・・・・荘厳なそのひとときはしばらくして消え去り、えも言われぬ感覚だけがあとに残された。 いまとなっては馬鹿げた響きに、こうして書いていながら赤面を禁じ得ないが、そのときの私は同室の全員に愛を感じ、だれであれ、その人のために命を投げ出しても惜しくない気持ちでいたに違いない。

*アリスター・ハーディ著、 The Spiritual Nature of Man53ページ 宗教経験研究センター (Religious Experience Research Centre) 事例番号000385*』
(マップ・オブ・ヘヴン/エベン・アレグザンダー/早川書房P33から引用)

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ジェイド・タブレットの3つのハードル-3

2024-07-27 03:42:49 | ジェイド・タブレット

◎『2.天国にあまりひっかからないこと』

 

原始仏典では、彼岸とはニルヴァーナのこと。天国は『天』などとして登場。地獄の住人は多いが天国の住人は少ないなどとは出てくるが、天国そのものが問題だという表現は出てこない。

 

以下は『ブッダのことば』からの引用だが、『快美な事物に対する欲望』とは、天国のことである。人間は快いものをまず求めるようにできているが、釈迦は、それすらも除き去ることが求められると踏み込んでいる。

 

『九、 学生ヘーマカの質問

 

1085 聖者さまあなたは、妄執を滅しつくす法をわたくしにお説きください。それを知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えましょう。」

1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。

1087 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩いを離れた人々は、常に安らぎに帰している。世間の執著を乗り超えているのである」と。

ブッダのことば/ 中村 元訳/ 岩波文庫P229から引用』

 

人間は、善いことをして悪いことをせず、いわば天国的な生き方を通じて求道の修行を積むが、ニルヴァーナ到達以後の生き方も善いことをして、悪いことをしないという天国的な生き方である。

そこでニルヴァーナに入る前段で、天国にすらも執着しないことが求められるという、まったく無理無茶なクリアすべき条件が提示される。

つまり『2.天国にあまりひっかからないこと』とは、ニルヴァーナに入る前段以降に発生するハードルと言えるが、一貫した論理では割り切れない事象のため、事前に承知しておく事柄なのだろうと思う。善のベクトルは常に、自分を自分をなくしていくという方向性である。

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日本の運命と占い全般が当たらなくなっていることについて

2024-07-26 06:50:39 | メインストリーム予言と先行モデル

◎出口王仁三郎予言など

 

フリーメーソンの第一階級の儀式における言葉に『あらゆる荘厳な、もしくは壮麗な建物の建立の際には、この建物の北東の隅に、第一の、基盤となる要石を置く慣わしとなっている。』

(封印のイエス/クリストファー・ナイト/学研P71から引用)

 

更に、新約の福音書には、家造りらの捨てた石のことが見える。

『家造りらの捨てた石が

隅のかしら石になった。

これは主がなされたことで、

わたしたちの目には不思議に見える』。

(マタイによる福音書21-42)

 

つまりユダヤ・キリスト教では、人に打ち捨てられた石が北東に置かれるのだが、それが長い年月の末に、滅びることのない神の神殿の基礎となるという伝承があるのだ。

 

これは、大本教で北東のトイレに落ちていた艮の金神が、現代に至って地球の主宰神である国之常立神として復活するモチーフと似ている。

 

世界の北東とは日本のこと。

世界に先立って、日本が立替立直し。

 

古神道家がこのヴィジョンを見るのは当然だが、フリーメーソンやキリスト教徒も同じビジョンを見ている。

これは、世界の北東の辺境だった日本が世界の中心になるという予言である。

 

わたしの見るところ、アトランティス滅亡直後にはユーラシア全域の支配者だった素戔嗚尊が、次第に領地を減らし段々と東側だけになり、最後は朝鮮半島と日本だけになり、さらに現在のように日本だけが支配下になった姿が、東北に押し込められた北東のトイレに落ちていた艮(うしとら)の金神。

 

やがて核戦争や天変地異などの世界の大峠後に、人間の智恵だけではどうにもならないと西側が気づく時が来て、日本の天皇陛下を世界のトップに押し上げる。

これがユダヤの『滅びることのない神の神殿の基礎となる』にして、大本教の『北東のトイレに落ちていた艮の金神が、現代に至って地球の主宰神である国之常立神として復活する』ということ。

 

このモチーフは、ユダヤ・キリスト教と大本教の専売特許かと思いきや、北東は暗剣殺で凶であるという基軸に変換されて、世の中の占術、卜占万般(星占い、数秘術、四柱推命、算命学、宿曜、九星気学、紫微斗数、タロット、ルーン、易、おみくじ、手相、人相、風水、姓名判断など)に共通の基本となっている。

 

なるほど過去数千年にわたって北東は暗剣殺で凶だったが、いまや北東が大吉になる時節が近づいている。これが千年王国、至福千年、みろくの世。よってこれまでの占術、卜占万般は当たらなくなり始めているということ。

 

ただし日本の天皇陛下が世界の中心、トップになるには、ご高承のとおり国連憲章第五十三条、第百七条の旧敵国条項がなくならなければならない。

ところが、中ロは言わずもがなで、アメリカまでも最終的に日本を奪ってしまおうという悪意があることは、出口王仁三郎予言に明らかである。

『ろこく斗(ばか)りか亜米利加迄が、末に日本を奪る企画。金と便利に任しつつ。』

(いろは歌/出口王仁三郎)

 

出口王仁三郎は、日本の最後を予言する一方で、世界の中心が西遷し、モンゴルに移ることも、自ら行った入蒙の冒険で、予言モデルを現実化させている。

 

世の中の占いが当たらなくなりつつあるのと、日本の運命は連動しているのだ。

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ジェイド・タブレットの3つのハードル-2

2024-07-25 06:16:23 | ジェイド・タブレット

◎1.霊がかりをやめること

 

20世紀前半までは、悟りはごく一部の精神的エリートのものであった。そういった状況下では、神がかり・霊がかり・シャーマニズムにより主神の意向を知るというのは、意義あることだったと思う。つまり、自意識が十分に発達していない人が大半である社会において、上意下達のスタイルで宗教組織全体を進歩向上させていこうとするためにシャーマニズム・霊がかりを用いることで、成果は上がっていたものだと思う。

 

ところが20世紀後半以降、自意識の充分な発達により、個々人が自分の悟りの実現を意識的に無意識的に課題とする社会となったところで、霊がかり・神がかりは、事実上その役割を終えたかに見える。すなわち万人に主神を霊がかりさせるのはほとんど不可能なのであることが大正時代の終わりにははっきりしたのである。

 

神がかり・霊がかりの舞台はアストラル体。アストラル体こそ神がかり・霊がかりの本丸であって、21世紀人類の進化に際しては、あくまでゴールではなく通過点に過ぎないものと位置づけなければならないものである。

 

ところが、チャネリング・シャーマニズム・霊がかり・神がかりに問題があることとは思っていない人が大半である。意外なことかも知れないが、『霊がかりを排す』ことこそ、20世紀初めに出現したアヴァターラ(覚者)達の主要テーマの一つだったように思われる。

 

超能力、霊能力、高級神霊については、夢、願望、祈りなど身近な浅い深層心理から発する場合もあるので誰にとっても身近であり、ともすれば理不尽な目に遭ってみじめで情けない自分にとって、最後の助けであることもままある。

このように、超能力、霊能力、高級神霊は、人によっては非常に切実なものではあるが、それで最終的な人間の救済に行きつけるかどうかは別の問題である。

また超能力、霊能力、高級神霊は、五感、潜在意識、微細身(エーテル体、アストラル体、メンタル体など)が複雑に入り組んでいるので、単純な一本道の説明はできない。

 

21世紀初頭のスピリチュアルの大きな問題の一つは、こうした霊がかり・神がかり系への世間一般の関心の高さを、相変わらず完全には払拭できていないという点である。

というのは、霊がかり・神がかり系への世間一般の関心の高さというのは、一般にはホラ-・オカルト映画や漫画の隆盛に反映されているが、その関心は主として漫才・お笑いに対する関心と同レベルの好奇心や一時的な感情の癒しであって、その関心が純粋な求道に転向していく例はほとんどないだろうからである

 

霊がかりとは、二元対立を出にくいものであり、二元対立を卒業しなければ、真の悟り、神人合一までには至らない。霊がかりは、中間段階であって、最終目標のニルヴァーナは遥かに先にある。

 

よって「みんなが霊能力をつけチャネラーになりましょうという」方向は全く誤ったものではある。というのは、現代人の不安定な心理状態のままで、霊能力をつけチャネラーになろうと努力したところで、その感受性の増進により、日々の生活に必要な生存競争に必要な闘争心が減退して、生活ができにくくなるだけで、一利はあるかもしれないが百害があるように思う。

 

あらゆる意味での二元対立は根が深い。

いわゆるオカルティズムにあっては、たとえば地獄的勢力があってそれが世の中全体を悪化せしめているから、それを弱体化、撲滅していくことが世を改善することだなどと説明する。それは天国と地獄があるとか、天界や神界や地獄もあるという霊的な構造で説明しているわけだが、ところがそういう世界観は無数にある世界観の一つにすぎない。

一方真正な世界観とは、覚者の側からすれば、天国も地獄も天界も神界も地獄もなく、今ここだけである。

 

戦後の古神道系新興宗教は、出口王仁三郎の大本教を源流とするものが多いのだが、大本教の教説自体が霊をメインとする教義であったがゆえに、そうした新興宗教は霊がかりな教義を持っているものが多い。

 

【ご参考1】

人間には正守護神というのが、一生涯ついてまわっているが、他に高級神霊というのもある。

 

【ご参考2】

霊がかりをやめること』については、前身のブログ【アヴァンギャルド精神世界】で、〈霊がかりを排す〉特集をして、力を入れて書いてきた。

【アヴァンギャルド精神世界の〈霊がかりを排す〉特集19本】

1 霊がかりを排すことの重要性

2 霊がかり・神がかり系スピリチュアルの弊害

3 中間的なものがなぜダメなのか

4 宗教史から見た脱霊がかり

5 日本宗教の奔流と霊がかり

6 道教ではもともと神像がなかったこと

7 チャネリングの限界

8 脱霊がかりの地ならしとしての出口王仁三郎

9 縁がない人たち

10 わかってる人は他人の悪霊払いはしない

11 釈迦の今、ここ

12 善と悪、光と闇、神と悪魔の対立

13 見ている自分を残す

14 本当に悟った人なら

15 アストラル人間には救いはない

16 一無位の真人

17 またの転生に及ばず

18 神智学とクリシュナムルティ

19 神がかりにだまされる者は、神の綱が切れる

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ジェイド・タブレットの3つのハードル-1

2024-07-24 03:06:53 | ジェイド・タブレット

◎誰もが薄々感じているが言葉にしにくいこと

 

現代人が神に成るには、現代人に特徴的な3つのハードルがある。

『1.霊がかりをやめること

『2.天国にあまりひっかからないこと

『3.中味のわからない神仏を求めて進まなければならないこと

 

これを越えて、ジャンプアウトという個人が世界全体、宇宙全体になるという大逆転、倒立が起こる。

 

『1.霊がかりをやめること』については、昔から何度もいろいろな形で述べて来た。チャネリング、シャーマニズム、神下ろしで発生するのが霊がかりだが、いわゆる浅い霊感もそれに属する場合がある。

 

『2.天国にあまりひっかからないこと』については、求道者たるもの、一般にどんな宗派でも善を行い悪を行わないという戒律を守りながら修行しているものであって、修行のあり方そのものが天国的である。これの真逆である、『2.天国にあまりひっかからないこと』とは、修行がある程度進んだ段階などで地獄的なものに出くわしたり、天国の境地が通用しない不条理、理不尽に出会うことがあるためである。最終的に天国は超越すべきものだからである。

だがこれは、世間的には言いにくい。教団内部の敬虔な信者の前であっても言い方には相当に配慮が必要。

 

『3.中味のわからない神仏を求めて進まなければならないこと』。これは、ニルヴァーナが言葉で表現できないものであり、属性のないものだが、最終段階ではそれを求めて一歩進まねばならないことを言う。途中の修行段階の人間に向かって、『あなたは、中味のわからないものを求めて修行している』などと言い放っても、言われた方はよい気はしない。古神道なら幽の幽、あるいは効果を求めない冥想修行などとネイミングはあるが、それでもって納得して修行を進められるのかといえば、必ずしもそうではないだろう。

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張良と仙人

2024-07-23 04:07:00 | 道教neo

◎仙人出現を招く

(2007-04-07)

 

始皇帝の秦を倒して漢を開いた劉邦の軍師が張良である。張良はもともと病弱であり、漢の統一成った後、一年以上外出せず、穀類を食べず、導引を行って養生に努めていた時期がある。

 

張良は、秦に滅ぼされた韓の五代の王に仕えた宰相の家の生まれであり、私財を投げ打って始皇帝を暗殺しようと、大力の士を雇い重さ120斤の鉄槌を作り、その機会を窺っていた。

 

始皇帝が東に行幸している時、河南省博浪沙で、張良と大力の士は襲撃を敢行した。ところが失敗して、鉄槌を始皇帝の属官の車に当てただけに終り、以後始皇帝により全国指名手配されることになった。

 

そうした中で張良は、名前を変え、江蘇省下邳に逃亡、潜伏していた。ある日下邳の町をぶらぶらしていると、粗末な身なりの老人が張良の前でわざと靴を橋の下に落とし、「小僧、おりていって、靴をとって来い」と命じた。

 

張良は、びっくりして、とんでもないことを言うじじいだ、ぶん殴ってやろうと思ったが、年寄りのことだしと、ぐっと我慢して橋の下まで靴を取りにいって老人のところに持ってきた。

 

老人は、「その靴を履かせろ」というので、ここまで我慢してやったから我慢ついでに履かせてやろうと思い、履かせてやった。

 

すると老人は笑って立ち去った。張良は意外な展開でちょっと当惑したけど、目礼で見送った。老人は400メートルくらい行ってから戻って来て、「小僧、いいことを教えてやろう。五日後の早朝にわしとここで会え」

 

五日後の早朝に張良が橋にやってきてみると、老人は既に来ており、「老人と約束して遅れるとは何事だ。出直して来い。また五日後の早朝に会おう」

 

また五日後に張良は夜中に出かけた。しばらくすると老人もやってきて、「こうこなくてはいけない」と喜んで、懐中から一篇の書を取り出して、「これを読めば、王者の軍師になることができるだろう。十年たって興隆し、十三年にお前はわしに会うだろう。わしは、山東省の穀城山の麓にある黄石だ」とだけ言い残して立ち去った。この書は太公望呂尚の兵法書であった。

 

この話は、仙人の方が張良に、わざわざ義理を作ってあげて、太公望の兵法書を与えることで借りができないような配慮をしてくれていることがうかがえる。逆にこの仙人を呼び出すことになった深い願望が張良にあったとも見ることができる。

 

また太公望の兵法書は、三略であるとも言われ、出版されているが、これを読んでも誰でも帝王の師となるわけではない。

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人間の進化とアトランティス-3

2024-07-23 03:02:44 | メインストリーム予言と先行モデル

◎人類史上最大の大輪の花が咲く時代へ

 

ダンテス・ダイジによれば、レムリア人は意欲人、アトランティス人は感情人、現代人は知性人。そして知情意を完備した姿が人間の完成形である。

 

現代文明はメディテーションとしての冥想のめの字もない文明だが、アトランティス文明でも冥想は意識せられていたし、アトランティス文明に先行したレムリア文明においても生活の中に冥想は息づいていた(ダンテス・ダイジ/戯れに冥想を)。現代の近代西欧文明とはまことに冥想砂漠であって、文明の精華である神の息吹がほとんど感じられない文明となり果てた。

 

OSHOバグワンは、人間の水平方向の発達は既に停止し、これからは、垂直に進化するだけだと云う。

『進化は水平に働くが、方法や技法や宗教は垂直に働く。

 

人間の体は停止した―――すでにある一点に達した。終点だ。もはやこの先、何の成長もない。水平的には、進化は停止した。そして今、垂直的な進化が始まる。今現在、あなたがどこにいようと、あなたは垂直に飛躍するしかない。』(ヴィギャンバイラブタントラ8存在と一つに/OSHOバグワン/市民出版社P68-69から引用)

 

過去1万2千年は、

肉体については、悟りに脳が耐えられるように進化してきた。

知性については、知性が発達して、知性自体の行き詰まりによって覚醒することができるように知性が発達してきた。

以上2点がOSHOバグワンの言う肉体の水平方向の進化であって、メインイベントである覚醒を待つだけのステージに至ったのが現代人。

 

また過去5千年は、これは、マヤ歴がスタートしてからの5千年のことだが、また近代西欧文明のスタートから現代における結実までの5千年。生った実は一旦は地に落ちて芽吹くのを待たねばならない。

これは、三位一体と称しながら実質太母なき二位一体のキリスト教主導の近代西欧文明のこと。

この間は、トース型の教祖が万般を指導する組織宗教隆盛の時代であって、いわば水平の悟りが主導の時代。ダンテス型の、組織によらず個々人が悟りを目指していくスタイル、すなわちいわば密教的な垂直の悟りの方向は、蔭に隠されて延命されてきたのであって、主流ではなかった。

神にコンタクトする方法は、この他にチャネリング、神下ろし、シャーマニズム、霊言という方法もあるが、最高神=大神が降りてきて何か素晴らしいことを託宣しても降りてこられた本人は、託宣の中味を知らない上に、最終的な神人合一のためには、さらに一段の修行をせねばならないということがある。

シャーマニズムは、デルフォイの神託や古神道、道教など太古から世界的に行われてきた冥想手法だが、窮極に到達するためには別の冥想法が必要となるという弱点がある。またそれ以前に、本人の浄化が進まないまま神を降ろすと、ろくな神が降りてこないという問題点もある。出口王仁三郎は、数千人に対し神下ろし実験を行い、チャネリング・神下ろしの限界を実地に確認している。

 

こうして現代人におすすめの冥想法は、禅とクンダリーニ・ヨーガとなる。

 

だが、『(人類がもし破滅しないで済めば、禅が最後の宗教になり、人類が破滅するなら、その直前にクンダリーニ・ヨーガが栄える。/ダンテス・ダイジ)』

ということもあり、ある程度垂直の道での覚者が出て行かないと、至福千年のスタートは潤いの少ないものになってしまう。

 

クリシュナムルティは、只管打坐であって、水平の道。OSHOバグワンは、クンダリーニ・ヨーギでありながら、様々な冥想法を呈示しながらも最後は禅宣言したので、水平の道。

ダンテス・ダイジは、垂直の道も『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』で示したと言える。

 

中国古代の秦を倒して漢を開いた劉邦の軍師が張良だが、張良が秘伝の兵法書を得た経緯が、垂直の道。張良の兵法書を得るまでのプロセスと13年後に師の黄石に再会するまでが、道教修行(垂直の道)のカリキュラムだったと思う。

 

なお西欧の垂直の道は西洋錬金術。最初の錬金術師としてゾシモスやマリア・プロフェティサが出たのが3世紀。マリア・プロフェティサは、ユダヤ人でユダヤ教から出たのだろう。ユダヤ教は垂直の道。心理学者ユングは、ゾシモスの文書を冥想法に関するものと見ており、マリア・プロフェティサの片言『一は二となり、二は三となり、第三のものから第四のものとして全一なるものの生じ来るなり』も垂直の道の冥想に関するものなのだろうと思う。黄金変成とは、神人合一のことである。

 

アメンティは古代アトランティスの中央官庁兼最高神殿のこと。アメンティは、政教一致のアトランティスの神の宮であり、その最奥殿にトースを中心とする12人の超人あるいはリーダー達がいた。彼らは組織的宗教を体現していた。そしてもうひとりダンテス・ダイジは13番目の超人としていた。アトランティス時代には、トースとダンテスで水平の道と垂直の道をカバーしていたわけだが、現代はダンテス側が表に出る時代であって、密教系もある程度開示される時代なのだろう。

そうでないと悲しみも、叫びも、痛みもない時代にはならないと思う。

アトランティス時代には、アトランティス地方しか開花しなかったが、今度は世界全域が開花する時代。それが、人類史上最大の大輪の花が咲く時代ということ。

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初期の天皇とアジア

2024-07-22 13:42:18 | 古神道の手振りneo

◎艮の金神の復活

(2015-10-20)

 

艮の金神の東北へのご退隠とは、天皇が極東の島国だけを治めている様をいうのだとも出口王仁三郎は言う。

 

天皇の欠史八代とは、2代綏靖天皇から、3代安寧天皇、4代懿徳天皇、5代孝昭天皇、6代孝安天皇、7代孝霊天皇、8代孝元天皇、9代開化天皇のことで、事績の記述がないことをいう。出口王仁三郎のいうように、9代開化天皇で、世界の統一が完成したということであれば、初代神武天皇の東征以来、9代開化天皇までの時代の天皇の事績は、この日本列島のことではなく、ユーラシア全域のことであった可能性がある。

先代旧事本紀の神武天皇の段に饒速日の命が、空を飛ぶ天の磐船で大空を飛翔した記述が出てくるが、この時代は飛行機を持っていたが、まもなくそのテクノロジーは失われた。飛行機のある時代であれば、天皇のいう「統一」とはアジア全域であった可能性がある。またアジアの語源は秋津洲であると、出口王仁三郎も言う。

14代仲哀天皇が古事記で言うところの西の国は、新羅のことと考えるのが、通説であるが、こうした流れからすると、西の国は、西欧諸国であっても不思議はない。

しかしながら1、2世紀頃、飛行機のあるような物質文明が残っていた可能性は想像できるものの物証がないので、この議論で頑張ることはできない。

 

ただ、出口王仁三郎の神代から開化天皇までについての発言を総合すると、以下のようなことになるのではないかと想像される。

1万2千年前のアトランティス沈没の際にスサノオが日本にやってきた。スサノオはアジア全域を支配していたが、やがて勢力が一旦衰える。神武天皇の時代に東征を開始(東征というからには、根拠地は西アジアだったか。天孫降臨はウランバートル付近などとも。)、開化天皇の時代にアジア統一、世界統一を完成。

この後、天皇の支配エリアが日本だけに限定されるようなイベントが起こり、現代に至る。

 

以上は、根拠のない夢想に過ぎないが、出口王仁三郎の片言隻句を集めて組み立ててみると、こんな具合になる。これがより現実味を帯びるには、たとえば次のようなことが起きないといけないと思う。

 

1.文明全体を破壊する世界大洪水が直近ではいつ起きたかが判明すること。3500年前?

2.飛行機や外洋船のテクノロジーがいつ頃まであって、いつ失われたかが明確になること。2000年前頃には失われた?

3.神代文字の古日本の歴史書が敦煌文書やナグハマディ文書のようにまとめて出てくること。

 

こうしたことがはっきりしてきて初めて出口王仁三郎が霊眼で確認した、初期の天皇の事績がぼんやりと輪郭をとってくるのではないか。そして天皇の徳治による世界統一へと進む。これが艮の金神の復活にあたる。

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人間の進化とアトランティス-2

2024-07-22 06:24:01 | メインストリーム予言と先行モデル

◎肉体の変遷あるいは肉体のなかった頃

 

ダンテス・ダイジは、過去の人類について、レムリア人種、アトランティス人種、現代西洋人種(肌の色は問わない)と古い順に三区分する。アトランティス人種ですら8万年前とかに遡れるのだから、レムリア人種はさらに10万年以前の人種なのだろう。

肉体も、レムリア人種、アトランティス人種、現代西洋人種共通で、現代のように肉体、エーテル体、アストラル体などの七つの身体を備えていたとは思えないところがある。曰く、現代人は粗雑だと漠然と言われるが、ひょっとすれば、レムリア人種、アトランティス人は現代人のような肉体を備えていなかった可能性がある(エーテル体以上ベースあるいはアストラル体以上ベース)。

 

その傍証として、ダンテス・ダイジの前世において、彼は半人半馬のケンタウロス族だったこと。またエドガー・ケーシーのリーディングで、アトランティス沈没前後の時代には、臓器移植以上の肉体的手術が盛んに行われていたらしいこと。そしてダンテス・ダイジが、アトランティス時代のことを思い出していた際につぶやいた「この濃密な大気」という言葉。これは、すなわち現代人は肉体で肺呼吸しているが、アトランティス時代には、「この濃密な大気」を呼吸していた、えら呼吸とは言わないまでも、別種というべき肉体だった可能性の示唆だと思っている。

 

これは思いつきだが、ダンテス・ダイジが、近代西欧文明の初めと見るエジプトの紀元前3120年やマヤ暦の最初の日の紀元前3114年という時期は、大気の組成が現代同様になって人間の肉体もそれに合わせて変化を完了した時期だったかもしれない。

 

現代では、肉体から始まる七つの身体が常識だが、レムリア、アトランティスでは、それが別のX個の身体でやっていたのが人間の容れものだったのかもしれない。日本にも『先代旧事本紀大成経』というその辺に気づいたかもしれないオカルト本もある(

1.神武天皇の御姿
身の丈、一丈五寸、身の太さは一囲(かこい)五寸、頭に二本の角を生やし、三寸、目は猶お雪の如く、尻に素(シロ)の龍尾あり、その長さ6咫4寸、尾の背に72の大鱗あり。115歳で皇太子になった。

ということで、ほとんど尻尾つきミノタウロス状態であるが、こうした異形の天皇は、この後に続く、第二代綏靖天皇、第七代孝霊天皇、第十代崇神天皇も異形の記録があるそうだ。

2.神功皇后の御姿
容貌美しく、目には二つの瞳があり、乳房には9つの穴があり、力は建物の柱を揺るがすほどであった。云々。

参照:「先代旧事本紀大成経/後藤隆/徳間書店」)。

 

このようにアトランティスからの民族移動だけでなく、七つの身体セットも変動し、肺の呼吸機能も今のようでなかった可能性を排除できないわけである。

さらに言葉がどんどん変わり、それを記述した文献も千年単位では完全に失われるということであれば、レムリア以降の超古代史は、俯瞰も叙述も甚だ困難である。

そこを「レムリア人種は、意欲人間、アトランテス人種は、感情人間、現代西洋人種は、知性人間と特色を充て、現代西洋人種とは、地理上の西洋・東洋を意味するのではなく、紀元前3120年以後の人類全体のことである。」と見たダンテス・ダイジの眼は恐るべきものだったと思う。

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人間の進化とアトランティス-1

2024-07-21 06:51:36 | メインストリーム予言と先行モデル

◎言葉の変遷と文書の散逸、核による人類自殺体制

 

アトランティス情報の出典といえば、プラトンのティマイオスとエドガー・ケイシーがトランス状態で入った多数の幻視の数々。この二つだけでは雲をつかむような話であるが、これになにがしかの人間の進化に関するヒントを与えてくれるのがダンテス・ダイジ。

 

それを聞く前提になるのは、言葉は時代の変遷によって、すべて変わってしまうということ。せいぜい150年前の明治の初めの北村透谷の文ですら読みこなすのは結構大変であるように、言葉は全く変わってしまう。

 

そして失われた書物がその価値の如何にかかわらず、多数発生すること。佚書、佚文は数多く、春秋戦国時代には当たり前に読まれていた古典も伝わっていないものが多い。仏教文典は、中国における仏教の衰退とともに失われて行き、20世紀敦煌で多数の仏教古文献が発見されたのや、ナグハマディ文書の発掘は、歴史の奇跡である。そういう例外的な発見がなければ、古代文書は言葉の変遷とともにだんだん読まれなくなり、最後は失われていく。

 

そういった視点で言えば、ダンテス・ダイジは、エジプトのピラミッドからアトランティスの叡智を集めた真エメラルド・タブレットが発見されることを予言しているのだが、それがどんな言語で書かれてあって、だれがどのように解読するのか非常に興味があるところである。

シャンポリオンが、ロゼッタストーンでもってヒエログリフを解読したように解読するとは思えない。出口王仁三郎が、かなくぎ流の大本神諭を解読したように解読されるのではないか。

 

ダンテス・ダイジ史観では、人間の進化という視点で言えば、1万2千年前のアトランティス滅亡時にアトランティス文明の精華を持ったグループが、エジプト、ギリシア、スペイン、北欧、中米、日本などに避難して行き、各地で、21世紀の大変動・人間進化の時代に役立つ、神話、古伝承などを創設した。それが、各国神話や旧約聖書の古い部分、古事記などとして残っている。今実際にそれが活用されるべき時代である。

 

物質文明で言えば、この物質文明優先の神の影の薄い中有的時代のそもそもの初まりは、紀元前3120年のエジプトで決定されていた。その時代はエジプトで最初の統一王朝が成立したかどうかという時期。紀元前3120年に文献的、考古学的な根拠などないが、マヤ暦の最初の日が、紀元前3114年の8月13日と近く、この時期に何か地球的な変動があった可能性がある。

 

そして、そこから5千年かけて大陸間弾道弾(水爆)を搭載した潜水艦が世界の海底に多数配置され、いつでも世界滅亡できる体制になって50年ほどになった。

 

アトランティスでは、ツーオイ石と呼ばれるもので、世界中のエネルギーを供給していたが、それを悪用・誤用したことでアトランティスは沈没した。ツーオイ石は、いまでもフロリダ沖の魔の三角地帯で時空を歪ませている原因となっているらしい。

 

このようにアトランティス滅亡前夜と同様に、人類はいつでも自殺できるレベルまでに、物質エネルギーを発展させたが、そのこと自体は、人間の進化と本質的にはあまり関係はない。

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三峡ダム-メモ

2024-07-20 07:11:33 | 時代のおわりneo

◎長大なダム湖と人智の限界

(2020-07-20)

2020年7月17日、長江にある武漢と重慶の間にある三峡ダムの警戒水位145mに対し、157.11メートルと12メートルオーバーになっている(堤高185m)。(https://www.ntdtv.com/b5/2020/07/18/a102897120.html)

 

同時に流域の恩施や宜昌などコロナ禍の始まった頃、都市封鎖となった都市の洪水の動画が続々とネットで流されている。

 

三峡ダムといえば、ダム周辺のことと思いがちなのだが、三峡ダムの特殊性は、同ダムから上流に600キロまで遡った重慶市の長江水面(http://jp.xinhuanet.com/2019-10/27/c_138506743.htm:写真は175m試験貯水時)までダム湖が広がっていることである。要するに距離で言えば東京から姫路まで同一水面のダム湖が延びているという巨大なダム湖なのだ。

 

今般の長江洪水に際し、三峡ダムの水位が上がり過ぎれば重慶が洪水になるし(もう一部地域はなっている模様)、逆に重慶の洪水を避けるため三峡ダムの放水を増やせば武漢が危ないという報道や解説がある。

 

最初それがどういう意味かわからなかったが、長大なダム湖であることがわかり、初めて合点がいった。

 

三峡ダムは、重慶の水面に合わせたため、高水位ダムと呼ばれる。流域600キロの天候はダム完成以前より湿潤になったのではないか。

 

三峡ダムができたことで、110万人を強制移住させ、三国志の蜀の劉備の逝去地白帝城も湖底に沈んだ。蜀の劉備と呉の陸遜は、三峡全域にわたる白帝城から夷道までを戦場とし、夷陵の戦いを行った。

 

こういうのも神と学との闘いなのだろう。やりすぎはいけない。謙遜、謙譲がないのはいけない。

 

中国は、疫病(コロナ)、イナゴ(雲南省まで到達)、洪水と進みつつある。次は飢饉なのだろう。

 

飢餓は世界的であり、ダンテス・ダイジも日本でもゴルフ場に芋を植える飢餓の時代のあることを予言している。

 

今日も冥想を。

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中国の水害2024夏、三国志の故地たち

2024-07-20 07:04:44 | 時代にFace it

◎報道規制、食料不足、民の怨嗟

 

去年の今頃は、三国志の劉備玄徳の故郷である北京近郊の涿州の水害で、実は被災者百万人とも言われ、中国の水害対策の無慈悲に啞然としたものだ。

今年は三国志の故地たちが次々と水害に見舞われている。最初は洞庭湖の堤防決壊による華容県の水害。ここは、赤壁の戦いの後曹操と若干の残党が落ち延びてきてここで関羽が尾羽打ち枯らした曹操と相まみえる。ところが関羽は、あろうことか武士の情けで曹操の逃亡を見逃したのだった。

そして、関羽が太守を務めていた荊州、そして諸葛孔明の三顧の礼などのゆかりの襄陽、南陽だが、ここも洪水の動画が上がっている。

 

他にも宜昌、夷陵、さらには蜀の国では、綿陽、剣閣なども水害に見舞われている。三国志とは関係ないが、観光地九寨溝も洪水の動画が上がっている。

また重慶市の水害は、沢山動画が上がっているが、市自体のエリアが広すぎてどこのことかわからない。

また全体に日付も地名もない洪水動画が多いので、注意すべきではある。

 

今年の水害は、河南、湖北、湖南、重慶市、四川と被災エリアが膨大であるわりに中国当局のまとめ報道もなく、その結果三峡ダムにまつわる不安までいたずらに搔き立てる仕儀となっている。

 

中学の時に吉川英治三国志をむさぼるように読んだだけに、今般の大水害はひとしお心配なことだ。中国では犠牲者は官憲が極少で報道するとか、重要都市を守るためには周辺は犠牲にするとか言われているのも不安の種。日中戦争の昔、国民党が黄河の堤防を爆破して数百万人が犠牲になった故事もあった。

 

過去40年繁栄と発展の希望と贅沢な生活を謳歌してきた中国。ところがいまや中国のGDPを上回る不動産関連不良債権に苦しむので、本来国家的耐乏生活が求められるわけだが、そんな気持ちの準備ができるものだろうか。一度いい目を見れば、忘れられないのが人情。

いよいよこの大水害を以って、台湾侵攻や、日本に中国人移民が大量に来襲するかもしれないなどと不安に思う。

 

苛政は虎よりも怖し。

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