【丹田禅(冥想法8)neo】
ころんだ?居士を娘が助ける(素直さと勢い)
禅の主人公(自分自身を演技する)
一休鴉の声を聞き反省あり(森女との爛れた愛の生活を鴉が笑う)
葉隠を見抜く(浮き世から何里あらうか山桜)
公案のメカニズム(公案の一例)
慧春尼(周囲に理解者なし)
船頭になった巌頭和尚(杜鵑 月に叫んで夜三更)
馬祖が瓦を磨いて仏になる(坐禅を学ぶ、坐仏を学ぶ)
禅僧山本玄峰(戦中戦後の首相の相談相手)
丹田を錬る-1(生命力の強化)
丹田を錬る-2(古神道の禊の神事-1)
丹田を錬る-3(古神道の禊の神事-2)
丹田を錬る-4(古神道の禊の神事-3)
丹田を錬る-5(古神道の禊の神事-4)
丹田を錬る-6(古神道の禊の神事-5)
ろうそくの光を消す(漆黒の闇と光)
寺を持たない枯禅の花亭と夾山和尚(身を隠して跡をとどめず、跡のないところに身を隠し )
香厳が竹に瓦礫が当たった音で悟る(自分でなんとかするしかない)
長沙和尚七日で悟る(どういうルートをたどれば大悟に至るか)
万法と侶(とも)たらざる者(独存)
無聞思聡の冥想の深まり(小悟何回、大悟何回)
至道無難の衣食住観(為すべきをせずに衣食住が楽なのは天罰がある)
誠拙和尚が大金のお布施をもらう(寄進の作法)
人間性という渇望(なにもかもなしであるはずの禅)
一路居士(万事休すべし、如何なるか是れ一休)
普化なる自由(社会性とのバランス)
臨済が師匠黄檗を押し倒す(師匠も生き埋め)
眼(まなこ)もし睡らずんば(宗派によらない体験とは言えない体験)
南泉の猫を斬った後(やり過ぎた咎め)
禅の悟りは展開しにくかったが(人類が存続するようなら禅が流行し、人類が滅亡するようならクンダリーニ・ヨーガが流行する)
平常心是道(人間の側の体験に非ず)
宗峰妙超の大悟(他時異日、別生涯)
芭蕉の野ざらし紀行(捨て子)
白隠と本山(紫衣と黒坊主)
村田珠光の印可のあかし(圜悟禅師の墨跡)
冷え、凍み、寂び、侘び(恋、秘すれば花)
パーフォーマー利休(花入れに水だけ入れて飾る)
空と不空(あらゆる生死と涅槃)
選り好みをしない-1(趙州のジレンマ)
選り好みをしない-2(覚者の行動ルール)
選り好みをしない-3(放射性物質と日本人の行方)
かわず飛び込む水の音(古池真伝)
雪中庵蓼太の蛙とびこむ水の音(自ら飛び込む)
山水画とスピリチュアル(迷いと悟りを一枚の絵に)
夏目漱石の禅(見性失敗)
三祖信心銘(至道無難)
智者は無為なり愚人は自縛す(信心銘から)
熟睡中に眠らなければ夢も見ない(信心銘でアートマンの後先)
OSHOバグワン信心銘を説く(そのような思いは、ついには一瞬にして止む)
二は一に由って有り(禅の三祖僧さんの信心銘から)
徳山の棒(棒のたたき加減)
七日間で悟りを得る-1(リフレッシュ&トライ)
七日間で悟りを得る-2(定力で推し詰める)
七日間で悟りを得る-3(現成公案)
分別対立のない真如の世界への共感(イエスが弟子の足を洗う)
沢庵禅師の太阿記-1(活人剣)
沢庵禅師の太阿記-2(刀を用いずして人を殺し、刀を用いて人を活かす)
沢庵禅師の太阿記-3(天下に比類なき名剣)
普明の十牛図(絶対無に軸足)
臨済の悟りの四つのあり方(四料揀の白髪頭の子)
達磨の利根、鈍根(師の教えにしたがって悟るのは鈍根)
禅と大脱身(乾いた道あるいは近道)
至道無難-1(至道無難の愛と大安心)
至道無難-2(至道無難の無私)
至道無難-3(一生ずっと坐禅、一度だけ坐禅)
至道無難-4(至道無難の悟境)
至道無難-5(冥想教育の可能性)
正受慧端-1(正受慧端の団扇バトル)
正受慧端-2(見性した人の少なさ)
正受慧端-3(見性した後の正念ケアが大切)
正受慧端-4(正受慧端の修行時代)
正受慧端-5(その生い立ち)
水牛の尻尾(無門関の第三十八則 牛過窓櫺)
西郷隆盛沖永良部で万事休す(その冥想修業を語らず )
西郷隆盛と禅(未発の中)
勝海舟の禅(虚心坦懐、事変に処す)
丹田を錬る-7(古神道の禊の神事-6)
仏法東漸してニューヨークに到る(愛語の力(嶋野栄道/到知出版社))
危機感の薄い日本人に求められるもの(どこかでどん底まで落ちるしかないのかも )
一休という名の由来(祇王寺)
芭蕉の師仏頂和尚のこと(仏頂の純粋な道心をしのぶ)
肥田春充の丹田強化-1(虚弱者から強壮者へと変貌)
肥田春充の丹田強化-2(丹田を錬る-10)
肥田春充の丹田強化-3(丹田を錬る-11)
肥田春充の丹田強化-4(足の踏みつけと踏みこみ)
肥田春充の丹田強化-5(踵の踏みつけ)
肥田春充の丹田強化-6(爪先の踏み込み)
ろうそくの光を消す(漆黒の闇と光)
地獄へ落ちろクソ婆あ(世界が異なる)
破竈堕(はそうだ)和尚(竈の神が成仏する)
【道教neo】
呂洞賓の10のテスト-1(無私と打算 )
呂洞賓の10のテスト-2(他人のために命を差し出すことに躊躇なし)
女丹女の悟り-1(女丹合編通俗序)
女丹女の悟り-2(太陰煉形で月経を止める)
女丹女の悟り-3(オルガズムを生涯一度も体験したことがない女性が多い)
道教排斥以後の山岳修行(役行者以後)
魏伯陽の死-1(この世への未練をすべて捨てる)
魏伯陽の死-2(我が身を死んでみせる)
藍采和(古人は混混、今人は紛紛)
悟っていないマスターは危ない(中心疑う者は、その辞(じ)枝(わか)る)
坐忘、ある冥想法-1(欲の深い者は天機が浅い )
坐忘、ある冥想法-2(肉体を落とす)
99パーセントは、ロボット、もしくはブタ(本物のブタ)
気の充実と狙い(年齢に応じた冥想の準備)
人体に関する多次元モデル(七つの身体モデルへ)
孫不二の屍解(あるスーパー女性道士)
朱橘(屍解)
先祖供養の実相(救霊の至難事)
孔元方(道を伝授する相手を何十年も待つ)
至人は己れなく、神人は功なく、聖人は名なし(荘子とOSHOバグワン)
黄帝が広成子のアドバイスを受ける(至道の精、窈窈冥冥たり)
社会的成功ほど失敗する(人生の安物買い)
機心(便利は危険)
荘子の覚醒までのステップ(独存、不死不生)
黄初平(石を羊に変容させる)
◎真心をささげて神さまに溶けいる
出口王仁三郎の、人が神さまを恋い慕い、神さまも人を愛することの別の説明。
『信仰は恋慕の心であるということは、かねて『霊界物語』その他で示されているが、その恋慕の程度のいかに切実なるものであるかを、多くの人はしらない。これを一つの理想くらいに考えているのだから、だめである。そんなものではない。
渾身の真心をささげて神さまに溶けいるとき、それは相愛の男女の抱擁に幾十倍するかわからぬほどの、心からなる幸福を享受するのである。天消地滅どころのものではない。じっさい筆や言葉ではいいあらわすことができない底のものである。思うてもみよ、相手は至純至美なる神さまである。
純潔なる処女を形容して天女のようだとよく人がいうが、どうしてどうして、比較にもなんにもなったものではない。現世の美と天界の美とは標準がちがう。ひとたび天人、天女の相貌に接したものは、現界におけるどんな美人を見ても美男を見ても、美しいとは感じられない。それはあたかも太陽の前の電灯のようなものである。また美女の形容に、竜宮の乙姫さまに金覆輪をかけたような美人などというが、天人界にくらぶれば、竜宮界の美女たちは、その気品においてとおくおよばないものがある。天人界はじつにじつに美しいものである。
ふたたびいうが、信仰の極致、神さまに溶けいるときの心境は、言語に絶した至美、至善、至貴なるものである。その心境を味わわねば徹底したる信仰とはまだいいえないのである。』
(出口王仁三郎著作集 第3巻 愛と美といのち 愛>愛をつくす 神への恋愛から引用)
出口王仁三郎は、愛によって神様に溶けいった。木花咲耶姫命など美人の高級神霊との出会いを繰り返したから愛が結実したというわけではあるまい。大神は高級神霊とは別格である。
また、天消地滅とは、“天もなく地もなく”であって、この言葉は、霊界物語第73巻天祥地瑞_紫微天界_第1章 天之峯火夫の神の段に登場する。天消地滅が天祥地瑞全9巻の冒頭に登場することが注目ポイント。
何もないところから一点が発生し、それが世界に展開していくのは、ユダヤ教の見方に似ている。以下の霊界物語の文は、一点が世界に展開していくところに注目しがちだが、最初は“天もなく地もなく”で、忽然と一点が発生するところが眼目。第七身体と第六身体の関係である。
『天もなく地もなく宇宙もなく、大虚空中に一点のヽ忽然と顕れ給ふ。このヽたるや、すみきり澄みきらひつつ、次第々々に拡大して、一種の円形をなし、円形よりは湯気よりも煙よりも霧よりも微細なる神明の気放射して、円形の圏を描きヽを包み、初めて⦿の言霊生れ出でたり。』
(霊界物語第73巻天祥地瑞_紫微天界_第1章 天之峯火夫の神の段から引用)