◎谷体験
和尚バグワンのタントリック・セックスの見方。それは週刊プレイボーイや女性セブンのセックス観とは全く異なったものとなっている。
『タントラはセックスを教えているわけではない。ただたんに、セックスは至福の源泉となりうると言っているまでだ。そしていったんその至福を知ったら、その先へと進むことができる。なぜならあなたはもう真実に基礎を据えているからだ。
セックスとは永遠にとどまるべきところではなく、跳躍点として使うものだ。これこそタントラの意味するところだ。セックスは跳躍点として使える。いったんセックスのエクスタシーを知ったら、神秘家の語っている、より大きなエクスタシー、宇宙的オーガズムが理解できるようになる。』
(愛の円環/和尚/市民出版社p55-56から引用)
『タントラ的セックスとは、根本的に、まったく正反対であり、違っている。それは放出ではない。エネルギーを外に放つことではない。それは射精なしで、エネルギーの放出なしで、性行為の中にとどまることだ。溶けあったまま性行為の中にとどまる・・・・・・性行為の後半部ではなく、前半部にとどまる。これによって性行為の質は変わる。質がすっかり別のものとなる。
(中略)
そして第二点。興奮とは始まりでしかない。ひとたび男が挿入したら、ふたりはくつろぐことができる。動きはまったくいらない。ふたりは愛深い抱擁の中でくつろいでいればいい。ただ男なり女なりが、勃起の減退を感じたら、そのときにだけ、多少の動きなり興奮が必要になる。でもそれからまたくつろぐ。この深い抱擁は、射精なしで何時間も続けられる。それからふたりは共に深い眠りの中へと入ればいい。
これこそが谷オーガズムだ。ふたりはくつろいでいる――――ふたつのくつろいだ存在として出会う。
(中略)
しかしタントラとはあくまで谷オーガズムだ。頂上体験ではなくて、谷体験だ!』
(同上書p63-67から引用)
タントラは、男性の側の修行法のはずだが、和尚バグワンは女性が誤解するだろうなんてことにはお構いなしだ。(巻末に女性が体験談を載せているが、妙な感じである。)
冥想修行者はセックスをもジャンプ台に使うのだが、修行者は男性に限られる。相手の女性について条件はあるが、女性にとってそれがどうかなんてことは、本筋ではないせいか、饒舌な和尚バグワンですらほとんど言及はない。ただ「ゆらぎ」は男女双方に起こるとする。
最初はくつろぎ、谷に入り、やがてゆらぎ、円環となる。これが和尚バグワンの見方。谷体験とは独特の表現なのだが、タントラ技法って本当にこれを極とするのかどうか疑問が残る。ジャンプしていないからである。
谷神が死んでいないところをまだ見ていないからである。