アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

正妻と妾

2024-03-26 05:24:54 | 人と神の「実際のところ」

◎妾は恋人がいつ来るかわからないので待っているだけ

 

NHK大河ドラマ『光る君へ』で、まひろが藤原道長から「妾になれ」と言われて、「正妻は家にいれば必ず夫が来るが、妾は愛人がいつ来るかわからないので待っているだけ」というニュアンスの返しをまひろがする。

この問題は、生涯未婚率がどんなに高くても、どんなに女性の社会的地位が引き上げられてきても重要なイシューであり続けてきた。

男性は若い時は恋人は何人いてもよいくらいに考えていたりするが、既婚者となって中年になって老いらくの恋などすると妙におしゃれになって周囲に気取られるなどということも耳にした。独身だろうが、既婚者であろうが、基本は一夫一婦。それは功過格にも書いてある。

ところが、イスラム教は一夫四妻が基本。人間の基本は、一夫一婦なのか、一夫四妻なのかという質問に対して、ダンテス・ダイジは、人間の霊的元型は一夫四妻だが、それはまた社会的ニーズにより女性が生きにくい事情も反映しているというような説明をしている。

一夫多妻と大上段に振りかぶらなくても、不倫となれば修羅場はあるもので、正妻以外の女性に執心となれば、事件は起きがちなものであって、その結果が離婚率にも現れている。

ところが、ダンテス・ダイジ自身の前世の一つはナツノという名の妾であって、ほとんどやって来ない愛人トースを待つばかりの人生だったと語っている。さらに彼の詩の中には、新宿のソープ嬢として転生するかのような一節まで出てくる。

運悪く第二希望以下となった女性たちの中には、刃傷沙汰になったりその刃を自分に向ける人もいる。人間の霊的元型は一夫四妻であると見透かしてもいても、金があればそれを平和裏に維持できるというものでもないし、妾は常にコンプレックスを負って日常を暮らす。そして積み重なる日々の影響は、その子に及び、老いとなって決着などつけられないままになっていく。

なお、世の中には房中術、性愛冥想セクシュアル・メディテーションというのがあるが、ダンテス・ダイジのそれは明らかに正妻をパートナーとするものであるのに対し、OSHOバグワン支那の皇帝がチャレンジしたような相手をとっかえひっかえするというようなタイプのが見受けられる。後者は、要するに真正の悟りなど目指していない類のそれなのではないかと思う。

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