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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

長沙和尚七日で悟る

2022-11-22 08:50:27 | 丹田禅(冥想法8)neo
◎どういうルートをたどれば大悟に至るか

マインドフルネスとかフルフィルメントとかおしゃれなネーミングで勧誘してくる冥想法。それは、単にリラックスとか心理の安定とか願望実現を狙うだけのものなのか、大悟覚醒を狙うものなのかよく見極める必要がある。

禅家では、どういうルートをたどれば大悟に至るかを盛んに研究した。悟りの直前に何をやっていたかを調べてみるのは大いに価値ありと考えたのだろう。

臨済禅の白隠門下の遠江の瑞応寺の長沙和尚は、毎年12月の原の松蔭寺の臘八接心(禅の集中合宿)に参加し続けていたが、悟れなかった。
ある時、白隠は、「お前の禅は、鴨が冬の寒さに水に入ってじっとしているようなものだ。毎年30里の道をここまで来るが、ここにはそんな用なし男はいらない。もう臘八接心に参加禁止」とダメを出した。

これに奮起した長沙和尚は海辺の網小屋に入り、ここで悟れなければ二度と生きては故郷に帰らないと誓い、一週間の期限を決め、坐り始めた。食事もせず、不眠で打ち込んで七日間過ぎたが、どうしても悟れなかったので、海に身を投げて命を断とうと思い、磯に立った。

すると朝日に照らされた海が、紅をひいたように輝いていた。この景色を見た瞬間大悟した。

長沙和尚はその足で白隠の下に走ったが、白隠はその姿を一目見るなり、「そなた悟ったな」と喜んだ。

禅籍といえば、禅僧の行状と公案。その一見無味乾燥な記述は、川原の石ころのようなものだが、そこから愛が流れ出す。
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