◎ちょっと狂っていることが正常とされる現代
スーフィの逸話から。
『3-水が変わったとき
昔々、モーセの師のハディルが、人間に警告を発した。やがて時がくると、特別に貯蔵された水以外はすべて干上がってしまい、その後は水の性質が変わって、人々を狂わせてしまうであろう、と。
ひとりの男だけがこの警告に耳を傾けた。その男は水を集め、安全な場所に貯蔵し、水の性質が変わる日に備えた。
やがて、ハディルの予言していたその日がやってきた。小川は流れを止め、井戸は干上がり、警告を聞いていた男はその光景を目にすると、隠れ家に行って貯蔵していた水を飲んだ。そして、ふたたび滝が流れはじめたのを見て、男は街に戻っていったのだった。
人々は以前とはまったく違ったやり方で話したり、考えたりしていた。しかも彼らは、ハディルの警告や、水が干上がったことを、まったく覚えていなかったのである。男は人々と話をしているうちに、自分が気違いだと思われているのに気づいた。人々は彼に対して哀れみや敵意しか示さず、その話をまともに聞こうとはしなかった。
男ははじめ、新しい水をまったく飲もうとしなかった。隠れ家に行って、貯蔵していた水を飲んでいたが、しだいにみんなと違ったやり方で暮らしたり、考えたり、行動することに耐えられなくなり、 ついにある日、新しい水を飲む決心をした。そして、新しい水を飲むと、この男もほかの人間と同じになり、自分の蓄えていた特別な水のことをすっかり忘れてしまった。そして仲間たちからは、狂気 から奇跡的に回復した男と呼ばれたのであった。』
(スーフィーの物語 ダルヴィーシュの伝承/イドリース・シャー/平河出版社P24-25から引用)
まず、水が変わった後は、男は狂っていると周囲から見られていたこと。これは、現代のように、ちょっと狂っていることが正常とされる現代において、大悟覚醒した人物はかえって周囲から気違いだと思われていることを指す。
悟った人の特徴とは、素直であること、正直であること、情熱的であること、リラックスしていることなどと言われるが、本質的には、善いことばかり行って、悪いことをしない(諸悪莫作、衆善奉行)である。
この功利優先、お金崇拝、スーパーリッチ尊敬の異常な時代において、自分のことをさしおいて、そのような他人の幸福を優先する生き方は、気違いに見えがちなものだ。
そういう善悪の物差しを具体的に説かねばならなかった中国は、道教の善書と言われる善行悪行の基準書が歴史的に存在し続けた。有名なのは功過格。何が善で何が悪か迷うことの多い現代人にとって、功過格を眺めるのは参考になろうし、excelで善行悪行の累計フォーマットを作るのもよい。だが、積善の家に余慶(思わぬ幸福)あり、積不善の家に余殃(わざわい)あり(易経)というが、そのような同一次元上には、永久不壊の真の幸福はない。
この逸話の水が変わるとは、次元が変わる世界のことを言っていて、ここでは、どのように徹底的に世界が変わるのかという雰囲気を出すだけに終わっている。
そうしたほのめかしだけで、法や真理、神仏、究極を説かない説話は結構あるものだが、気がつく人は気がつくものだ。金星人とか火星人とか他の惑星の世界のことを言うのも、そのように世界が全く変わってしまうことを強調しているのであって、惑星間旅行の話ではない。
壺中天、シャンバラ、アガルタもその類だが、水が変わるには、いろいろなレベルでの変わり方があるものだ。