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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

白隠と本山

2022-12-28 15:25:46 | 丹田禅(冥想法8)neo
◎紫衣と黒坊主

竹田黙雷の続黙雷禅話(1907竹田黙雷=国会図書館デジタルアーカイブで読めます)の『十七 白隠の述懐』に白隠と本山について書いた部分がある。

白隠は原の松蔭寺にいたが、松蔭寺は、興津清美寺の末寺であって、妙心寺の孫寺にあたる。

当時の清美寺の住職は仕方のない凡僧であったから(ママ)、始終本山風を吹かせていじめたらしい。白隠の述懐に、「小糠三合でもあったら、孫末の黒坊主になるものではないと、冗談半分で言われた」そうなので、孫末寺の黒坊主であった白隠は、カチンと来てたらしい。

黒坊主とは、紫衣の対極にある僧の地位のシンボルで、高位の僧に対する低位の僧の蔑称みたいなところか。

黒坊主派の代表格は一休であって、紫衣を着ることはほとんどなかったようだが、例外的に応仁の乱で廃墟となった大徳寺再興のために大徳寺の住職になったことがある程度。

大徳である白隠も本山にはこれだけやられるのだから、宗教組織の中では悟境とかは問題にされないのですね。

世俗の秩序とは恐ろしいもので、OSHOバグワンは、インドのカーストの最下層ハリジャン不可触選民の起源は、13世紀の仏教滅亡時に逃げ遅れた仏教徒だということを言っていたようだ(出典は不明)から、胸を張って仏教徒として生きれる日本はありがたい。

ただ日本の被差別の起源を調べていくと、千年とか1500年のタームではなく、もっと数千年の歴史をみないと真相はわからないのではないかという印象を持っている。

インドのそれについても単純に仏教徒だけのことではないように思う。
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