◎ヤキ・インディアンの天意・神意
神秘家たちは、時間などない世界が真相であり、その上で今ここという紙芝居の三脚の上で画像が変貌していくのが時間だなどという説明をすることがある。
ヤキ・インディアンのソーマ・ヨーギ、ドン・ファンは、時間の様式についてカスタネダに対して次のような説明をする。
『ドン・ファンは少し間をおいてつづけた。「人間の持って生まれたエネルギーは限られている。そしてこのエネルギーは、人が生まれ落ちた瞬間から、時間の様式によってもっとも有効に使われるようシステマティックに展開されるのだ」
「時間の様式って、どういう意味なんだい?」私はたずねた。
「時間の様式とは、知覚されつつあるエネルギー・フィールドの束のことだ」彼は答えた。「わしは人間の知覚は、時代とともに変わってきたと思っている。現実の時間がその様式を決定する。
無数の束のなかから、どのエネルギー・フィールドの束が使われるべきかを決めるわけだ。ところが時間の様式、つまり選ばれた数少ないエネルギー・フィールドを扱うことで、その人間の利用可能なあらゆるエネルギーが費やされてしまい、他のエネルギー・フィールドを使う余裕はまったくなくなってしまうんだ」』
(沈黙の力 意識の処女地/カルロス・カスタネダ/二見書房P9から引用)
エネルギー・フィールドが時代によって変わるとは、人間の世界観が時代によって変わること。
カルロス・カスタネダの説明では、呪術師の初心者は、エネルギーを蓄積する訓練をまず行う。やがてそのエネルギーで、通常使えないエネルギー・フィールドのいくつかが使えるようになる。これが呪術。
そして宇宙には、測り知れない言語を絶した一つの力が存在しているのだが、呪術師たちは、これを『意志』と呼ぶ。宇宙の万物は環によって『意志』に結びつけられており、呪術師の関心事は、その環を語り、理解し、利用すること。ところが、時に日常生活でのささいな心配事で、環が汚れるから、環をきれいにし続けるために呪術を用いるが、これは途方もなく難しい。
だから呪術師は、日常生活においては、環をきれいにしたままにして行動することを学び、その一方で言葉を介在させず高い意識状態において『意志』から直接知識を引き出す。
これを読むと、『意志』とは神仏であり、環とはクンダリーニのエネルギーコード。そのコード自体時代によって変わっているとは、自意識が腹人間から頭人間に移行していたり、あるいは、イエスの時代のように沢山言葉を語る人間が少なかったから言葉自体の影響力が大きかった時代から、現代のように言葉が氾濫しすぎて言葉が雑音と大差なくなってしまった時代に変わってしまったこと。
それでなくとも、言葉自体時代によって大きく変わる。日本語だって、100年前の文書は読めるが150年前の北村透谷の文章あたりになると、いわゆる古文ではないものの、読むのに骨が折れたりする。
環をきれいにする行動とは、善を行い悪をしないことだろうと想像はできる。『意志』から直接知識を引き出すとは、天意神意をうかがうということ。
ヤキ・インディアンの呪術も世界標準の宗教の体裁を有している。