アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

水平と垂直(冥想十字マップ)

2023-09-30 03:50:11 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-01

 

水平の道と垂直の道は、ダンテス・ダイジの冥想十字マップで全容が示されてはいるが、その違いは、垂直の道はわかりやすいが水平の道はわかりにくいという点から始まる。

垂直の道は、七つの身体、七つの次元の力能を下位から上位に示したものであり、七チャクラの意味を知る神秘家にとっては見慣れたものである。ただしチャクラは下位四身体にしか存在しないので、世界全体を示すには、七身体の照応を見る必要がある。

垂直の道は、死の世界からクリアしていき最終的に生の世界も知る道。冥想手法としては、日本密教、チベット密教、古神道、クンダリーニ・ヨーガ、道教内丹、西洋錬金術、ユダヤ教等々ということになる。

垂直の道の求道者の基本姿勢は、超能力、霊能力を用いて人間の生活をサポートしていくというものだが、それは世間や周囲から大いに誤解を招いたり、迫害されたりする場合が少なくないものである。だから密教、秘教なのだが、この道では些細なテクニックでも公開されると悪影響があるものが多いのも特徴。

水平の道は、生の側から極めることで、死の側もクリアする。ライフスタイルとしては、在家で日常生活をこなしながらも冥想を継続する或いは悟りを持ち続けることが暗に想定されている。

水平の道の求道者の基本姿勢は、ひたすらに涅槃ニルヴァーナに至ることを専一に求めること。水平の道には、公案やマントラ禅や只管打坐、事上磨錬(仕事を精密に一生懸命やる)などの冥想手法はあるが、最終的に万事休した坐姿勢になり、それが只管打坐であることが念頭にあるのではないかという感触がある。

水平の道は、冥想十字マップでは、

1.有想定

2.無想定

3.愛

4.有相三昧

5.無相三昧

と示され、これら用語は密教から借用されたものに似ているので、垂直の道かと誤解されがち。ポイントは、1~2までは、自分が冥想しているのに対し、4~5は自分はないところ。

ただし説明は、ヨーガ・スートラと釈迦の涅槃は四禅から入ったというプロセスをベースにしている。事情をわかりにくくしているのは、一般に水平の道とはおおまかには禅のことだが、禅では、ニルヴァーナかそうでないか、或いは悟っているか悟っていないかの2段階説を採るものであるのにもかかわらず、5段階説でかつ各段階の用語を密教に似せているところである。

そこで、禅の悟り例えば只管打坐にあっても七段階の特質があるものだということをダンテス・ダイジは、『只管打坐の七ステップ』で殊更に示しているように思われる。

十牛図は、十段階の禅のステップとして有名だが、どこまでが、自分が坐っていて、どこから自分がないのかが、冥想十字マップの水平5区分を考えるポイントとなる。

 

この他に、神下ろしと「垂直でも水平でもない道」について言及せねばならない。

神下ろしは、主神・神仏を我に引き入れて主神・神仏の声を審神者に聞いてもらうというものであって、自分は降りてきた主神・神仏が何を語っているかは知らないというタイプの降霊降神のこと。神仏とコンタクトできるが、霊媒(よりまし)は、何が起こったのかわからないという特徴がある。

また垂直でも水平でもない道とは、ソーマ・ヨーガ、カーマ・ヨーガが代表的だが、芸道、武道すなわち、書道、茶道、華道、香道、歌道、柔道、剣道、合気道、舞踊、ダンス、ある種の肉体労働、ハタ・ヨーガなどでも神仏に至り得るものである。これは、『プロセスもテクニックなぞもないことを体現しているあらゆるあなた達』(ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジの巻頭言)と言われる根拠である。

 

冥想十字マップ-1(定とサマーディ(三昧)の違い)

冥想十字マップ-2(チャクラと七つの身体への対応)

十牛図

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