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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ケン・ウィルバーの身心脱落

2022-11-02 13:17:01 | 只管打坐neo

◎常に故郷にいる幸福

 

ケン・ウィルバーの日記から、

『身心が脱落するとき、そしてどこにも私が見つからないとき、光輝で果てしなく飾られた無限の<空>、根源的な<充満>がある。<私-私>は<コスモス>として開き、ここでは原初の<清浄>を汚すものはなく、ここでは概念を話すことはとてもためらわれ、ここでは二元性がその顔を恥ずかしさで隠し、そして苦悩はその名前を思い出すことさえない。

 

無限の充満であるここでは何も起こらず、自己存在する至福が歌われ、自己解放する振る舞いに満ち、常に故郷にいる幸福がある。

 

この瞬間の開けの中で無限の感謝がまったくの単純さと出会う。

 

永遠に、永遠に、絶望的なほど永遠に、ただそれしかないために。』

(<ワン・テイスト・下/ケン・ウィルバー/コスモスワイブラリー社>P57から引用)

 

こういう身心脱落の実感を描く文章のあることで、ケン・ウィルバーは覚者であることを自証する。

 

最後の文章の、永遠を3度繰り返す部分は、最も日常感覚から遠い部分であるので、永遠が形容詞として重要なものであることこそ、ニルヴァーナの属性ではない属性なのだろう。これぞ幽斎そのものである。

 

そしてもう一つのキーワードである常に故郷に居る感じ。これは太乙金華宗旨にも出てきているところである。

 

ケン・ウィルバーの日本への紹介者である吉福 伸逸は、2013年に亡くなったが、ケン・ウィルバーは、トランス・パーソナルだけど心理学ではなかった。只管打坐の冥想修行者だった。

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