アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

抜隊(ばっすい)

2023-09-05 06:50:07 | 達磨の片方の草履

◎小悟を重ねながらも完璧な悟りを目指す

 

抜隊得勝(1327-1387)は、後醍醐天皇没後の室町時代始めに活躍した人物。神奈川県足柄上郡中井町に生まれ、4歳の時に父を失い、出家は29歳と遅い。

8、9歳の頃、死後極楽か地獄に行って、あるいは成仏するような霊魂とは一体何か、またこのように見たり聞いたりする自分とは何かと、深く疑ったという。

20代の頃、相模治福寺の応衡禅師に師事し、悟りかけたのが数十度だが、悟りはしなかった。

出家の際、諸仏の大法を悟って、一切衆生を救い尽くして、その後に涅槃を成し遂げたいと考えていた。

通例、大悟以前の禅の修行においては、一切衆生を救い尽くすなどという考えすら雑念として棄てるべきものだが、抜隊はダークサイドに堕ちず、きちんとしていたのだろう。

抜隊は、山の中で坐り、路辺に坐り、あるいは、眠らないようにするため樹上に坐るなど、昼夜分かたず、脇を倒さないほどの、猛烈な冥想修業をした。里人がこれを憐れんで粗末な草庵を作ってくれたほどだった。

 

さてある長雨の頃、谷川の水声を聴き、この渓声を聴くのは誰かと疑って、身体全体疑団となったところ、まだ悟っていないと感じた。更に坐り、暁に渓声が肺肝に入るのを聞いてこの疑団が晴れたものの大悟ではないことを自分でも感じていた。

そこで親友の得瓊に相談したところ、自分の経験から山野での自修は結局不可であるから、真に悟った師について参禅すべきだと抜隊を諭した。32歳の抜隊は、出雲の孤峯覚明禅師に参禅し、

「趙州は、なぜこの無字をいうのか?」と問われ、

「山河大地草木樹林ことごとく悟っている」と答えたところ、

「おまえは、情識をもって言っているのか?」と突き返され、

抜隊はその瞬間(言下)に大悟した。

抜隊は、孤峯に参じて60日で大悟したのだ。

 

以後抜隊は、全国各地を行脚する旅を行う。

晩年の康暦2年(1380年)正月に、富士山に向かって説法する霊夢を見たことにちなみ山梨県塩山に向嶽庵(嶽は富士山)を開いた。塩山仮名法語などが残る。

 

室町時代の始めの混乱期に、衣食の不便も厭わず冥想環境としては最悪の山中や道端で坐り続けた気概と志に凄味を感じさせる。

さらに何度も小悟を重ねながらも、完璧な悟りを目指して坐り直す、自分に対する厳しさには目を見張るものがある。

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