◎見性した人の少なさ
(2005-07-31)
さて、いろいろなきっかけで、禅寺に入って修行してみようと思うことがある。その場合正しい師匠がみつかるかどうかということが重要な問題となる。インターネットで検索してみても、「某A寺のA和尚は見性しました」とか、「某B寺のB和尚は、大悟何回小悟何回の実績があります」などということが書いているわけではない。
クチコミでも、なかなか誰それが見性したという話は聞くことは少ない。
かたや見性した者を多数輩出している寺があり、よくよく聞いて見ると、どうも至道無難や、正受慧端のいう見性ではなく、どうも観念的な「気づき」や「知的理解」みたいなものを見性と呼んでいるので、多数見性した者を出しているようだとわかったことがある。
絶対なるものに対しての観念的な気づきすらも、全く理解できない人が多い中、「気づき」も決して馬鹿にすることはできないが、それは見性の重さとは全く異なるものである。
『近頃は、国中を払ってみても、似たりよったりの学問を看板にした生き損ないや、見性しない師匠ばかり。仏祖から伝えられた大法に至っては、今だかつて夢にも見られないと。
白隠(正受慧端の後継者)が人に語って曰く、
私はかつて老師の議論を聞いて思った。方々の寺が互いに威容を誇り、有名な師匠が次々に繁盛している。
私の老師はなぜこのように諸方のことを憤激なさるのか。これは、いわゆる仲間意識だろうかと。
その後、世の中あちこちに遊歴して、幾人かの宗匠にあったが、一人も大きな見地で導くような、本当の高僧にぶつかったことはない。初めて知った。正受老人の道は遥かに諸方の僧どもにぬきんでていたことを。』
(垂語/日本の禅語録/無難・正受)
江戸期の寺は、戸籍の管理をしていたり、戦の時の陣屋になったりして、今の役所以上の重要な機能を果たしていたので、有力者の厚遇を得るチャンスは多かったであろうから、今の時代と比べても、寺の経営を隆盛にすることは、簡単にできたのではあるまいか。
したがってこのような大寺が、道を説くという面をおろそかにしていても、あまり不思議はなく、逆に真正の求道者が貧乏寺に起居させられるのを見て、正受慧端が憤慨するのも納得できるところがある。
中国のように生き抜くこと自体があまりに厳しい社会では、結局仏教は根付かなかった。日本は、中国ほど生存環境は厳しくないが、江戸時代に寺を厚遇したら、あっという間に仏教の本当のところは、衰退したということだろう。
坐禅冥想をするには、必ず寺でやる必要はない。自宅でやればよい。
ところが、見性以上のところにいくためには、世間的に見たら精神異常のような状態を通過するので、見性した師匠の指導のもとに、世間から隔離された場所でする必要がある。そのことが、世間の人に常識として広く理解してもらえる時代が来ないと、冥想の本当に深いところが、広がっていくことはむずかしいと思う。
例えば白隠が、一軒の家の前にたたずんで、老婆に何度も「あっちへいけ」と言われたのに、つんぼ同然に突っ立っていて、一向にどかないので、その老婆に竹箒で頭を何度も殴りつけられたのは、重いノイローゼそのものの症状です。