退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「メディアに影響されることあるいは人という土壌」について

2015-10-20 03:01:12 | Weblog
快晴。今日も日差しが熱い。

ニコラス・G・カー「ネット・バカ」を読む。

副題「インターネットがわたしたちの脳にしていること」が内容としては正しく。
原題「the shallows=浅瀬」がもっと正確。

何でも検索できれば何も覚える必要がないのだとしても
「注意力散漫」という枷がハメられることになる模様。

物事をじっくり考えられず
それでもその「便利さ」に「浅瀬」に溺れるしかないというのが「真意」。

「メディア イズ メッセージ」というマクルーハンの言葉の意味を
歴史をたどって教えてくれる内容。

それにつけてもこの「邦題」のヒドさ。
「新書並み」のコピーを付けたのはほぼ「悪意」があるとしか思えず。

タイトルから想起されるのはネットの偏った情報を鵜呑みにして
いたずらにカタルシスを求める人々の群れだったり。

いずれにせよ言語を十分に理解する能力がなければ。
「進化の源」を拒否することは自動的に「退化」を意味するのみ。

「わずかな利便性」を求める「日常」が
結局は自らを劣化させることになることを知っておきたいものではある。

知り合いの若い男子はいまだに「全能感」を生きていて
「自分が認めるルール以外のルール」をすべて否定する。

興味深いことに彼は「文字通り」でしか言語を理解しない。

たとえば「Aさんが100円持っている」という文を十分に読みこなせていないと思い
こちらが「日本語をちゃんと読め」と言ったら「Aさん」の「A」を飛ばして読んだ。

ある意味彼は「正しい」のが厄介なところ。
「最小限のルール」で物事を理解しようとするクセもあり。

これさえわかればすべてがわかるという「ルール」など存在せず
そもそもあらゆる「ルール」には「例外」があるということも認められず。

いったいどのようにして彼のような存在が生まれるのだろう。
まさに「家庭はジャングル」だということか。

もっともそうした彼の言動が何らかの「病気」であるなら話は別で。
そのあたりの「消息」に詳しい向きには是非教えていただきたいもの。

その一方。

先日まで上司だった人物がこちらに頼みごとなど。
大したことではないので引き受けたのだけれど。

彼はその「お礼」としておそらくはコンビニで買ったビールを一本くれたのだが。

正直そのような「見返り」などどうでもよく
そもそもこちらは彼と会った場所から電車を乗り継ぎ歩いて帰宅するところ。

コンビニ袋に入ったビールを手に提げて歩けば中身がどうなるかはわかるはず。
なるほどそういう人だったかとあらためて思った次第。

どうやら「人」という「土壌」がとんでもないことになっているらしい。
どういうわけでこんなことになったのかについて誰でもいいから教えてもらいたいことしきり。
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「世界レベルと島国の事情」について

2015-10-19 02:05:48 | Weblog
快晴。日差しは熱い。

図書館帰りの夕空がきれい。

透明感あふれるオレンジとブルー。
空にはルソー描くところの三日月など。

「白鳥随筆」読了。

ずっとブツブツ言っている雰囲気がよくもなく悪くもなく。
「ヘンなおぢさん感」が出ているあたりがいいのか。

BSで「ザ・ピーナッツ」を特集した番組を観る。

TBSの番組ゆえ局が持っている映像を使い回した印象。
もう少し違う角度から迫ればいいのに。

とはいえザ・ピーナッツがわが国では「空前絶後のデュオ」であることは確か。
「プロであること」を思い出させてくれる歌声とダンスよ。

あらためて宮川泰の素晴らしさを認識した次第。
作曲・編曲ともに素敵。

ウナセラディ東京」の「ウナセラディ」というのは
イタリア語で「或るたそがれどきの」といった意味らしい。

ヨーロッパやアメリカでも評価されたパフォーマンスを知っておこう。
詳細はyoutubeまで。

マル激のNコメを観る。

共産党が「安保法案」を廃止するためなら
そのためだけの「野党連立内閣」を作ってもいいと言っている模様。

それに対して一番リアクションが弱いのが民主党で。
とりあえず「自衛隊は違憲」を「凍結する」と言っているのだから受け止めないと。

その一方。

今回のラグビーワールドカップでなぜ日本が「歴史的勝利」をあげることができたのか。
実はそれが「わが国特有のよくある問題」として各分野に共通することであるのが興味深い。

基本は「国内事情」を慮るのみで「世界」を見ていないこと。
「世界を知らない輩」が「権力」を握っていることなど。

繰り返すが「各分野に共通する問題」なので
誰もが一度は知っておいた方がいいお話なのは確か。

かつて芥川龍之介が指摘したことが
ようやく「俎上」にのぼるのだとすればいい機会。

それにしても。
いまだにその「レベル」かよと思うと同時に「根の深さ」を思わざるをえない。

われわれは本当に「進化」しているのだろうか。
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「うれしい『土曜の夜』としがたい『誠実』」について

2015-10-18 01:31:23 | Weblog
晴れ。天気予報の「雨」がハズれる。

今宵もクインビー。

店に向かう仕事場の駅で元同僚と会う。
互いに変わりないことを確認して別れる。

外見は「いい男」なのだけれど
この男、いささか複雑だったりする(本人も自覚あり)。

以前の店の知り合いと今の店の知り合いの夫婦が来店。
いずれも「ソウル好き」だけれど多少「趣味」が異なり。

一番パワーがあったのは「還暦DJ」。
昔の曲にノリノリで。

それぞれに楽しく話して楽しい時間を過ごす。
理想的な「土曜の夜」になって満足。

「白鳥随筆」を途中まで読む。

明治末年から活躍していた著者の「淡々とした趣き」にふむふむ。
いつの時代も変わらないものを確認する。

「このように暮らしてきて今はこう思う」

この「当然」が今となっては身に沁みる次第。
誰にも当てはまることだと思うことしきり。

ただし案外出来にくいことだったり。
人はついつい何事かを叫びたがる。

さて。

「余韻」を楽しむべくもうちょいと飲んで寝る。
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「眠りやすさとあれこれ」について

2015-10-15 02:58:44 | Weblog
『日本晴れ。日差しもうららか。

セス・ロイド「宇宙をプログラムする宇宙」を読む。

「0と1」があれば「計算」ができるということ。
「量子のゆらぎ」が「宇宙」を生んだことなど。

「宇宙」を「コンピューター=計算機」として見なすと
これまた「不可思議な世界」が浮上する。

「何もなかった場所」に何事かを生み出すのは「ゆらぎ」という「不均衡」。
「先入観」にとらわれずわれわれはもっと「接触」した方が面白そう。

その一方。

深夜NHKで「”消えた”子どもたち」』と書いたのは2日前。

「曽根中生自伝 人は名のみの罪の深さよ」を読む。

著者は一時期の日活を支えロマンポルノでも活躍した監督。
相当に鋭い感覚の持ち主だった模様。

残念ながら「いい観客」ではなく
ほとんど観たことがない作品ばかり。

最後には映画界から姿を消し何故か特許など取ったりして。
こういう人生もあるのだと知っておくことは悪くない。

タイトルはもちろん「早春賦」の冒頭「春は名のみの風の寒さや」から。
個人的には「夜をぶっとばせ!(BLOW THE NIGHT) 」(’83)をきちんと観たい。

とりあえずyoutubeにあったので載せておく。

池内了「科学者心得帳」を読む。

本書の出版は2007年で4年後の9・11東北大震災前。
著者の説くところは重々わかり現在でも通用する内容。

もっともやや「理想主義的」すぎて「実現」は難しそう。
「現在の生活」を維持するために川内原発再稼働を喜ぶ人々もいるのだから。

ただ「正しいこと」を現実にするためには「時間がかかる」というのには納得。
それにしても「地方の貧困」に付け込む「政策」にはうんざり。

その意味で「沖縄vs政府」の戦いの行方が気になるところ。
少なくとも「義」は「沖縄」にある。

そうまでして「守らなければならいもの」があると思う人々がいるのはわかる。

そんなものは捨ててしまえ。
もっとラクに楽しく安全に暮らせるはずだから。

深夜に深作健太「ケンとメリー」(’13)を垣間見る。

監督はちょいとマシになったのかどうか。
物語の展開とカットはやや微妙だが「幸福感」はある。

RCサクセション「雨上がりの夜空に」に免じるといったあたり。
それとマレーシアの人々にも。
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「妄想と現実」について

2015-10-14 02:42:59 | Weblog
『晴れ。おだやか。

「時計じかけのポンちゃん」読了。

やはり著者は「日本語の使い手」として素敵。
読んでいて気持ちのいい時間が流れる。

勝手ながらクインビーで飲みながらお話したいもの。
できれば「平成の淡谷のり子」JUJUも一緒に。

「恋愛関係」には疎いのでそれ以外の話題で。
いちおうそれなりの「理屈」は言えそうだけれど。

経験の少ないこちとらでさえときどき「フラッシュバック」するのだから
彼女たちは大変なことだろうと余計なお世話など。

もちろんただの「妄想」に過ぎず。
とはいえそれだけで楽しい気分にはなれるのは「事実」。

「ささやかな幸せ」だと思って頂いて結構。
このあたりいささか「女子力」があるのか。

何にせよ「力」はあった方がいい。
そういうことにしておく。』と書いて昨日も寝る。

山田昌弘「家族難民 生涯未婚率25%社会の衝撃」を読む。

タッチあるいはクリックひとつで自分の思い通りになる「現実」に慣れてしまうと
それと比べてかなりややこしい「人付き合い」に消極的になるのは道理。

政治がいつまでも働く夫と家を支える妻を「標準家庭」としているせいで
経済的弱者である若い男性とシングルマザー家庭を救えていないこともあり。

残念ながらこの傾向はおそらくさらに続きひどいことになりそう。
「実際に起きていること」に向き合うのはかくも難しいことなのか。

イデオロギーの左右を問わず
そろそろ「現実」に対処しないと大変。

繰り返すが最終的な「資源」が「人あるいは人間関係」であることは間違いないので
その「基本」をきちんと押さえていただきたいもの。

いたずらに「産めよ増やせよ」と声を上げるだけではどうにもならない。
なにしろその「未来」が明るくないのだから。

身近にいる若者たちを見ていても同様。
せめて「まともなコッミュニケーション技術」を身につけてもらいたいと思うことしきり。

もっともその「モデル」となる「大人」も相当にあやしく。
やはりこの際「いいもの」に触れるしかないだろう。
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「わが国の貧しさ」について

2015-10-12 02:30:04 | Weblog
くもりのち晴れ。傘が無駄になる。

山田詠美「時計じかけのポンちゃん」を途中まで読む。

著者の文章は初めから快適。
その「批評精神」についても同様。

「転校生」であった過去に加えて
デビュー当時「作品の質とは無関係に」さんざんに叩かれたり。

内容が濃いので一度では読み切れないことに。
明日もじっくりお付き合いしよう。

マル激を観る。

「世界レベル」における「政治家」は
記者会見で思いがけない質問をされても「堂々と答えられる」のが「普通」。

ところがわが国の首相ときたら。
「官僚の作文を読む」以外には頓珍漢でしかなく。

思えば日本テレビの選挙特番で
キャスター村尾信尚の質問を聞くのを拒否したりしていたもの。

「定例記者会見」でも事前に提出した質問のみの「記者クラブ」にしか質問させず。
なるほど「だめだこりゃ」。

その一方。

「成功体験」を持った技術者がなぜか「経営者」になり
いたずらに「過去」を引きずった挙句が東芝の「粉飾決算」らしい。

わが国の製造業のほとんどが「市場調査をしない」という事実よ。
ほぼ意味不明なのだが誰も何も言わないのは何故。

もっとも「技術者」にとって「最高レベル」をクリアした後
敢えて「低レベルの商品」を作るのは難しいというのには納得。

「技術者」と「経営者」は「違う」というシンプルがどうやら理解されてない模様。
わが国のスポーツで言えばプロ野球で「名選手が監督になるパターン」か。

そうした「事実」を決して報じないマスコミも。
本気で「世界レベル」を目指す気などさらさらなく。

この種の「島国根性あるいは私利私欲」に甘んじる人々には
さっさと「退場」していただきたいもの。

「国益」などとのたまうなら
まずはそのあたりをどうにかしていただかないと。
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「夢のようであることもしくは母国語の理解」について

2015-10-11 01:22:40 | Weblog
晴れ。深夜になって降る。

昨日も寝てしまう。

今宵もクインビー。
20人以上の歯医者の団体が来て夢のよう。

営業の人の見事なさばきに大いに感心する。
「なるほどこれが『営業』か」。

自分が出来ないことを過大評価するきらいはあるとして
それでも素敵。

あらためて「集客力のない自分」を反省したした次第。
もっともその種の「能力」は今後も伸びるとは思えず。

金森修「科学の危機」を読む。

著者はどうやらいい意味での「昔の左翼」。
「金のために生きるのは貧しい」というあたりには賛同する。

「もっともなこと=理想」と「現状を踏まえた上での対応=現実」。

これらは「同時進行」で効力を発揮するものらしい。
「対抗勢力」は参考にしていただきたいもの。

やはり基本は「普通の人々が賢くなること」か。
とはいえ「現状」はどうやらそうもいかず。

先日「四日市公害」を抑え込んだ田尻宗昭を扱ったTV番組を終わりがけに観る。

岩波新書の「黄色版」を読んでいれば知っているはずなのに。
そうか、そもそも「岩波」でない新書を読むのも難しいのか。

つくづく思うのは「言葉のまともな理解力のなさ」。
何事かに賛成か反対かはどうでもよく。

「好きキライ」によって圧倒的に理解力に差が生じる体質が「普通」な現在
その種の「先入観あるいは体質」をどう扱うかが相当に大事かもしれない。
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「自分という『限界』」について

2015-10-09 03:50:36 | Weblog
晴れ。風強し。

上野昂志・橋本文雄
「ええ音やないか 橋本文雄・録音技師一代」を読み始める。

本書が出たのは今から約20年前の1996年。
今頃になって読むのが悔やまれる内容。

日活撮影所の「黄金期」がしのばれる。

西河克己、川島雄三、蔵原惟繕、井上梅次、舛田利雄、今村昌平、中平康
浦山桐郎、西村昭五郎、鈴木清順、松尾明典、斎藤武市、野村孝、熊井啓などの監督陣。

「リアルな音」を作る際のあれこれにふむふむ。
「映画の中の音」に圧倒的に鈍感だった自分に気付かされる。

とりあえず「ロマンポルノの時代」まで読んだので明日が楽しみ。
それにしても「五感で味わうこと」をきちんとしたいもの。

このところほとんど映画を観ていないのだけれど
今後はもっと心して観ないとと思わされることしきり。

こと映画に関してもこのザマなのだから
それ以外についても推して知るべし。

この「アンテナ」はまだまだ相当に「いいかげん」らしい。
日々精進するしかないと思うのみ。

「知ってるつもり」になることは「怖ろしい」。
「世界の複雑さ」を懸命につかもうとしはするものの。

「限られた能力」の中で
自分にとっての「未知」を追うしかない模様。

それがうまくいくかどうかは「さて、お立合い」といったところ。
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「荒っぽくまとめること」について

2015-10-08 01:45:05 | Weblog
快晴。シャツででかけると夜にやや冷える。

連夜の爆睡。

大して疲れているはずもないのだけれど。
今宵はちょいと警戒して早目に。

川本三郎・筒井清忠「日本映画隠れた名作」を読む。

ある時期以降川本三郎は「世代」に舵を切った模様。
ほぼ知らない映画ばかり扱うようになった感じ。

いちおうそれなりに観ているつもりのこちらがまるでダメ。
もちろん「再評価」という意味での「紹介」だとは知りつつ。

マイケル・J・ベントン「生命の歴史 進化と絶滅の40億年」を読む。

いかにもイギリス人らしい著述にふむふむ。
ところどころに「渋いユーモア」もあり。

慎重にさまざまな見解を吟味している趣き。
この味わいは「大人」でないとわかりにくいかも。

森炎「死刑肯定論」を読む。

ヨーロッパの思想を点検しながらバランスよく論じている前半から
後半はいわゆる「世論」も視野に入れて。

それでも最後は「伝統と世論」が「根拠」なのか。
もっとも「死刑という制度」を考える上では相当参考になりそう。

さて。

久方ぶりに「やつあたり」に遭遇する。
いちおう姿勢を低くして受け止め。

「はけ口」を求めざるを得ないことがある。
ただし「負の連鎖」はここで断ち切っておく。
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「うなぎと映画と動員」について

2015-10-05 02:40:49 | Weblog
晴れ。やや風が吹く。

妹夫婦と叔母と母とでうなぎを食べることに。

めんどくさいと思いつつとりあえずお付き合い。
何よりいつもより早起きしないといけないのが難。

残念ながら大してうまいとも思えず。
もっとも深酒の翌日なので味の保証はしかねるものの。

喫茶店ではいつも通りの叔母の「独演会」。
「無意識に迷惑をかける体質」はひょっとして「遺伝」なのかと思ったり。

その後図書館とドトール。
マナカを巡ってちょいと「紛失騒動」など。

酔いが回ると思いがけない場所に物を置く模様。
結局は見つかって何事もなく。

帰宅してTVで「社長繁盛記」(’68)を観る。

地元の「名鉄バスターミナル」や「明治村」「名タク」にふむふむ。
当時の映画の「観光としての役割」をあらためて思い出す。

谷啓の芝居にかなり時間を割いているのだけれど微妙。
小沢昭一の「インチキ中国人」もハジけ具合が今ひとつか。

酒井和歌子は「ポッチャリ」していて一瞬気付かず。
宮口精二が「少林寺拳法」をこなしている。

浜木綿子の「お色気ぶり」がいかにも。
黒沢年男は相変わらず「エネルギッシュ」で。

「サインはV」の岡田可愛も出てたのね。
藤原釜足、中村伸郎ら「ベテラン」も顔出ししていて。

三木のり平、フランキー堺がいなくなってやや低調。
小林桂樹、加東大介も「ご存じ」といった趣きで今ひとつ。

マル激を観る。

「創価学会」の成長の基本は「勤行と座談会」であったことを初めて知る。
案外「民主的」であることも同様。

もっとも「フェイス・トゥー・フェイス」の「共感」の形が
信者である親の子どもたちに疎まれるとややこしいことになるらしい。

かつてのさまざまな「強面な伝説」も今は昔。
自民党を支える以外の「道」を見出した方が好ましいとして。

ある種の「農村的関係」が失われたからこそ
彼ら彼女らの「関係」が「特異なもの」として浮き彫りにされているとのこと。

「現世利益」はかくも人々を集めるもの。
たぶんそれらを「煩悩」だとしたのが「仏教」のはずなのだけれど。

どうやらいわゆる「俗っぽさ」をうまくまとめたあたりが「動員の秘訣」。
それらについて「淡泊」になりがちな身としては「なるほど」と言っておく。
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