退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『老人力』あるいは夢のような過去」について

2016-11-24 02:22:15 | Weblog
くもりときどき晴れ。風が吹き夜にやや冷える。

本は読んだのだけれど途中で再読だと気付く始末。

「知的操作」はあるもののそこに「ワクワク感」はなく。
今のところ「ご縁」がないのだとしておく。

もっともうっかり再読してしまうところをみると案外そうでないのかもしれず。
その一方で単に「自分の興味の幅」が狭くなったせいだとも思えて。

少なくとも「記憶力」が衰えているのは確かなのだろう。
つい先日は「ジーン・ハックマン」を思い出すのに結構苦労した次第。

「フレンチ・コネクション」(’71)「ポセイドン・アドベンチャー」(’72)
「スケアクロウ」(’73)「カンバセーション 盗聴」(’74)

「スーパーマン」(’78)「地獄の七人」(’83)「ミシシッピー・バーニング」(’88)
あるいは「許されざる者」(’92)など出演作品とその姿はハッキリと浮かぶのに。

なぜか固有名詞のみが出て来ない不思議よ。
「老人力」という言葉が思い出される現実がここに。

それとは別に。

仕事場周辺は車が多く人の歩く道の方が狭い。
とりあえず「人間」である者としてはいささか腹立たしい思いがなくもなく。

唐突に思い出したのは「ザ・カー」(’77)。
車に悪魔が乗り移ったという設定でラストでは「奇妙な影」が映される。

原作がスティーヴン・キングの「クリスティーン」(’83)は
「ハロウィン」(’78)や「ザ・フォッグ」(’80)のジョン・カーペンター作品。

「ニューヨーク1997」(’81)や「遊星からの物体X」(’82)
「フィラデルフィア・エクスペリメント」(’84)や「ゼイ・リブ」(’88)などが懐かしい。

ある部分に関する記憶は無駄に思えるほどあるのに
たとえば幼児期のそれはほとんどなかったりもして。

ただしそれらが確かなものかというと実はあやしかったり。
そうしてみると「過去」はほぼ「筋の通った夢」のような。

あらためて「現実」とは何を指すのかと思うことしきり。
「マトリックス」(’99)よろしく「カプセルの中」にいるだけかも。
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