退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

まだまだ「他力本願」であることについて

2011-08-13 01:04:09 | Weblog
晴れ。明日は実家に。

ガザーリー「誤りから救うもの」を途中まで読む。

平安時代のイスラム最大の学者の自伝。
今のところ好ましいところもありそうでないところもあり。

Gyaoで「スーパーナチュラル」というドラマのシーズン1を
「つまんねーなー」と思いつつ続けて観ているうち。

学生時代の友人から電話があり飲む。

引っ越し直前に今の家の電話にかかってくるあたりが「ご縁」。
お互いあまり友人に連絡を取るタイプではないので。

「現場」の処理能力にかけては元々一目置いていたのだが
「仏」と言われた彼の顔にもさすがに疲れが見えた。

彼には「人を寄せ付ける魅力」があり
誰もがついつい頼りたくなるタイプ。

何の遠慮もなく話せる相手との久方ぶりの会話ゆえ
数年もしくは十数年ぶりにもかかわらず話が弾む(記憶があいまいなの)。

昔彼に「羊たちの沈黙」について書いた文章をホメられたことがあって
「世代」を意識するわけではないけれど「何か書け」と言われる。

その「要請」の理由はどうやら「自分」を確認したいということ。
混沌とした「現場」にいるとある種「整理整頓」された「視点」が欲しくなるらしい。

とりあえずどうにか生きてきて(そんな大げさなものでもない)
「区切り」を意識した上で今後を考えたい模様。

「いちおう考えておく」と答えておいたものの
彼の期待に応えられるようなものが出来るかどうか。

それでも。

「期待」という形で「チェック」されるのはうれしいものではある。
そうした「切磋琢磨」の関係がないところには何も生まれないし。

無理筋だと知りつつ
各界のそこそこのメンバーたちが集まる「サロン」が必要だと言っておいた(地元限定でいいの)。

個人的には「オルグ」の「器量」がないので
できればただ参加するだけだとラクでいいんだけどなぁ。
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