快晴。やや風が吹く。
上の妹の要望に従い桜を観ることに。
市内にも水のキレイな場所があることをあらためて。
シロサギやカモあるいは魚の姿も確認する。
何枚か写真も撮ったけれど。
周囲の建物を入れないようにする角度のみ。
弁当持参で来ている人々も。
こういう場所があるのはありがたいこと。
小林信彦「テレビの黄金時代」を読む。
かの作家の作品はあれこれ読んだつもりだったのだけれど。
おそらく本作は「初めて」。
「断簡零墨」に読み落としがあったということで。
印象に残るのは井原高忠と渡辺晋の「対立」。
「驕り」のあった後者に前者が「反抗」した結果。
元々は「バンド仲間」だったりしたのに。
さまざまな人間関係がもたらすものよ。
「観察者」としての著者の著述ぶりは今にして思えば相当に「硬い」。
マル激を観る。
昨日はなぜか観るのを忘れ。
「日常生活」についてはほぼ「条件反射」で暮らしているので。
ちょいと違うパターンを過ごすと「当たり前」が抜け落ちる次第。
「老人力」の更新中ということでよろしく。
「ロシア専門家」の河東哲夫の視点にふむふむ。
ウクライナが「犠牲者」であるだけではないという指摘を忘れずに。
かの国を牛耳っているのは「オリガルヒ=財閥=マフィア」で。
ゼレンスキーの「演技」やメディア絡みの関係者が「現実」を「粉飾」していたり。
わが国の「『最高機関』にいる政治家たち」が「国のために死ぬこと」を持ち上げる姿も。
この「アナクロぶり」たるや。
プーチンが実は追い詰められていてある種の「歴史観」にすがっているのかもしれないこと。
政敵を殺してきた人物が「まともな最期」を迎えられるはずもなく。
「気候変動」という「人類平等の危機」が迫っているのにこの始末。
繰り変えすが若者たちはもっと「怒っていい」。
井田探「銀座の次郎長 天下の一大事」(’63)を観る。
監督のダメさを確認するために観た次第。
前作よりさらに劣化しているのは予想通り。
今回のゲストは畠山みどり。
ビルの屋上での祭りにちょっとだけ出る。
坊屋三郎の姿はむしろ「哀しく」。
市川好郎の若き日の姿がなかなか。
中村是好と桂小金治の「オヤジぶり」も今となっては何だか。
井上昭文の存在がわかりにくく。
武智豊子も初井言栄も「魅力」を発揮しようがないままに。
野呂圭介についても同様に。
「小さな親切運動」とやらがかつてあったことは覚えておこう。
いずれ「インチキ臭い」とはいえ。
「アキラの映画」でも「駄作」はあるということで。
「素材」がいかに素晴らしくても「料理」の仕方で「死ぬ」ことを覚えておこう。
上の妹の要望に従い桜を観ることに。
市内にも水のキレイな場所があることをあらためて。
シロサギやカモあるいは魚の姿も確認する。
何枚か写真も撮ったけれど。
周囲の建物を入れないようにする角度のみ。
弁当持参で来ている人々も。
こういう場所があるのはありがたいこと。
小林信彦「テレビの黄金時代」を読む。
かの作家の作品はあれこれ読んだつもりだったのだけれど。
おそらく本作は「初めて」。
「断簡零墨」に読み落としがあったということで。
印象に残るのは井原高忠と渡辺晋の「対立」。
「驕り」のあった後者に前者が「反抗」した結果。
元々は「バンド仲間」だったりしたのに。
さまざまな人間関係がもたらすものよ。
「観察者」としての著者の著述ぶりは今にして思えば相当に「硬い」。
マル激を観る。
昨日はなぜか観るのを忘れ。
「日常生活」についてはほぼ「条件反射」で暮らしているので。
ちょいと違うパターンを過ごすと「当たり前」が抜け落ちる次第。
「老人力」の更新中ということでよろしく。
「ロシア専門家」の河東哲夫の視点にふむふむ。
ウクライナが「犠牲者」であるだけではないという指摘を忘れずに。
かの国を牛耳っているのは「オリガルヒ=財閥=マフィア」で。
ゼレンスキーの「演技」やメディア絡みの関係者が「現実」を「粉飾」していたり。
わが国の「『最高機関』にいる政治家たち」が「国のために死ぬこと」を持ち上げる姿も。
この「アナクロぶり」たるや。
プーチンが実は追い詰められていてある種の「歴史観」にすがっているのかもしれないこと。
政敵を殺してきた人物が「まともな最期」を迎えられるはずもなく。
「気候変動」という「人類平等の危機」が迫っているのにこの始末。
繰り変えすが若者たちはもっと「怒っていい」。
井田探「銀座の次郎長 天下の一大事」(’63)を観る。
監督のダメさを確認するために観た次第。
前作よりさらに劣化しているのは予想通り。
今回のゲストは畠山みどり。
ビルの屋上での祭りにちょっとだけ出る。
坊屋三郎の姿はむしろ「哀しく」。
市川好郎の若き日の姿がなかなか。
中村是好と桂小金治の「オヤジぶり」も今となっては何だか。
井上昭文の存在がわかりにくく。
武智豊子も初井言栄も「魅力」を発揮しようがないままに。
野呂圭介についても同様に。
「小さな親切運動」とやらがかつてあったことは覚えておこう。
いずれ「インチキ臭い」とはいえ。
「アキラの映画」でも「駄作」はあるということで。
「素材」がいかに素晴らしくても「料理」の仕方で「死ぬ」ことを覚えておこう。
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