退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ある種の映画本とカンヌグランプリ作品への疑問」について

2020-09-26 02:18:23 | Weblog
雨のちくもり。家を出る時に激しく。

小林淳「三船敏郎の映画史」を読む。

かの世界的名優の出演作品と粗筋あるいはちょっとしたエピソードや「感想」など。
これなら「記録」でいいじゃないかと思うことしきり。

なぜ著者の「作品」として出版する必要があるのだろう。
そのあたりが不明。

むしろ彼の素晴らしさを作品に沿ってもっと称えることが重要なのではないか。
どうも「間違った愛情の結果」のような。

もちろん「資料」として役立つことはわかるものの。
この種の映画本の意味がいささか疑問。

衣笠貞之助「地獄門」(’53)を観る。

イーストマンカラーが美しい。
「風」が何事かの「予兆」になっている描写にふむふむ。

ただし本作はいかにも「男だけのロマン」。
勝手に好かれて身替りになるしかなくなる袈裟の京マチ子が哀れ。

長谷川一夫は「現代の目」からすると「ストーカー」に他ならず。
「生涯地獄を味わう」というラストには「男の身勝手」があるのみ。

「第七回カンヌ映画祭グランプリ作品」ではあるけれど。
「映像の美しさ」だけが残るような。

若き日の山形勲の何ともやさしい「夫ぶり」が素敵。
刀根の南美江には途中まで気付かず。

「特定の時代ゆえの評価」かと思った次第。
「夫に尽くす」という「オリエンタリズム」も手伝ったやもしれず。

いささか「西洋への媚び」があるような。
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