退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『昭和オヤジ』の厄介さと映像はダメだが『生きている意味』を問う映画あるいは『誰もが安心して暮らせる環境の確保』が大事なこと」について

2022-12-05 02:42:33 | Weblog
くもり。冷えはそれほどでもなく。

水無田気流「多様な社会はなぜ難しいか」を読む。

答えは簡単で「『昭和オヤジ』が権力を握っているから」。
あるいは与党の政治家にはそれに追随する女子しかいないから。

さらには民間人でもそれは同じく。
彼ら彼女らを排除しないことにはどうしようもなく。

著者の書きぶりはむしろ穏やかすぎるような。
もっとも「ハードな対処」には「バックラッシュ」があるのも確かで。

とはいえわが国の人々はそもそも「一夜にして変貌する人々」でもあり。
敢えて「正しさ」を強引に押し進める部分があるくらいがいいかも。

「黒船」で何事かが変わるなら自らが「黒船」になるくらいの勢いで。
すでに人々は「分断」されて久しいのでむしろそれは可能なのやもしれず。

「今ある現実を覆す」のは確かに難問ではある。
だからこそそれをやろうというのが「本来の知性」であるはず。

少なくとも「ウソやいい加減な対応」を許してはならず。
各地の「劣化」は承知の上で「『まとも』を目指す姿勢」は維持しよう。

イ・ヨンジュ「SEOBOK/ソボク」(’21)を観る。

死にかけている男と死なない男の出会いや如何にというお話。
映像は微妙だけれど「言葉による問い」は響く内容。

ソボクのパク・ゴボムの顔が素敵。
時々「男女の壁を超える姿」を見せるので。

「不死」を可能にするテクノロジーが生まれた中で。
「そこに意味はあるのか」という疑問が生まれて。

ここでも「ジジイ」はいたずらに不死を望み。
「アメリカの関わり方」も忘れずに。

さて。

「他者」を貶めなければ浮かばれない人々が増えているのが現実。
なぜそうせざるを得ないかといえば「他に手段がないから」。

要はそのように「追い詰められている人々」がいるということ。
彼ら彼女らの意見には全く賛同出来ないのだとして。

それをもたらしているものとはいったい何なのか。
その「手当て」がなければ同じ現実が続くだけ。

「現実に対応する能力」が仮にないのだとしても。
「誰もが安心して暮らす」環境は保持しないとどうにも。

そうした「余裕」があってこそ「対話」は初めて可能になる。
とりあえずあらゆる方面で「困っている人々」をどうにかしないと。
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