Japao(ジャパゥン)
リスボンの博物館に日本とポルトガルのつながりを感じさせる南蛮屏風がある。鉄砲(1543年)やキリスト教(1563年)の伝来などポルトガルと日本の関係は深く、島原の乱の二年後(1639年)年徳川幕府により入港が禁止されるまで交易が続けられた。
南蛮屏風の主題は、桃山時代から江戸時代にかけて我が国に来航した西欧人の風俗。背が高く鼻が長い独特の顔立ちに洋装・・いかにも異人さんという雰囲気。
ところで「南蛮」という言葉。辞書には様々な意味が出ていた。
(1)南方の野蛮人。古く中国で南方の異民族をいやしんで呼んだ語。
(2) 室町時代から江戸時代にタイやルソン、ジャワなどの南洋諸島を指し
た語。また、その地域を経由して渡来したポルトガル人やスペイン人のこと。
(3)南方から渡来した文物や珍奇な物、異国風の物。
(4)南蛮煮の略。
(5)唐辛子、トウモロコシの別称。
(6)歌舞伎、日本舞踊で、右足を出す時に右手を振り上げるような歩き方。
(大辞林)
寒い季節に美味しい鴨南蛮やカレー南蛮はネギを用いることから(玉葱は南蛮渡来の野菜)、また酒のつまみにぴったりの「南蛮漬け」は、油を用いた新しい料理法でありネギや唐辛子を使うからということになるのだろう。
最後に当時の南蛮屏風は宝船のような「招福」の縁起物と見なされ、大変な人気を博していたとか。旧所蔵者には堺や日本海側の回船問屋などの商家が多い。鎖国の後も屏風の制作が減少はしても完全に途絶えることなく続けられていたのは、西洋人の描かれた屏風のテーマがキリスト教ではなく縁起物と認識されていたからだそうである。
(歴史博物館 本館情報資料研究部・大久保純一氏の資料による)
遠いポルトガルの地。遙か海を渡って届いた「幸せを招く屏風」に会うのも、また旅の楽しみである。(さ)
いつもありがとう! Obrigado(オブリガード)!
今日は節分。冬と春の境目の日です。鬼を払い、福を招く・・皆さんの所にも幸せがたくさん届きますように!
そして縁起をかついでクリックをひとつよろしくね。
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リスボンの博物館に日本とポルトガルのつながりを感じさせる南蛮屏風がある。鉄砲(1543年)やキリスト教(1563年)の伝来などポルトガルと日本の関係は深く、島原の乱の二年後(1639年)年徳川幕府により入港が禁止されるまで交易が続けられた。
南蛮屏風の主題は、桃山時代から江戸時代にかけて我が国に来航した西欧人の風俗。背が高く鼻が長い独特の顔立ちに洋装・・いかにも異人さんという雰囲気。
ところで「南蛮」という言葉。辞書には様々な意味が出ていた。
(1)南方の野蛮人。古く中国で南方の異民族をいやしんで呼んだ語。
(2) 室町時代から江戸時代にタイやルソン、ジャワなどの南洋諸島を指し
た語。また、その地域を経由して渡来したポルトガル人やスペイン人のこと。
(3)南方から渡来した文物や珍奇な物、異国風の物。
(4)南蛮煮の略。
(5)唐辛子、トウモロコシの別称。
(6)歌舞伎、日本舞踊で、右足を出す時に右手を振り上げるような歩き方。
(大辞林)
寒い季節に美味しい鴨南蛮やカレー南蛮はネギを用いることから(玉葱は南蛮渡来の野菜)、また酒のつまみにぴったりの「南蛮漬け」は、油を用いた新しい料理法でありネギや唐辛子を使うからということになるのだろう。
最後に当時の南蛮屏風は宝船のような「招福」の縁起物と見なされ、大変な人気を博していたとか。旧所蔵者には堺や日本海側の回船問屋などの商家が多い。鎖国の後も屏風の制作が減少はしても完全に途絶えることなく続けられていたのは、西洋人の描かれた屏風のテーマがキリスト教ではなく縁起物と認識されていたからだそうである。
(歴史博物館 本館情報資料研究部・大久保純一氏の資料による)
遠いポルトガルの地。遙か海を渡って届いた「幸せを招く屏風」に会うのも、また旅の楽しみである。(さ)
いつもありがとう! Obrigado(オブリガード)!
今日は節分。冬と春の境目の日です。鬼を払い、福を招く・・皆さんの所にも幸せがたくさん届きますように!
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過去の日本人が描いた外国人の姿というものに興味があります。奈良にある酔胡面(でしたっけ?)など、奈良時代の人はペルシア人を恐ろしい鬼面として捉えていたんだな~と思うと、おかしくなります。
日本にとって西欧との出会いは画期的な出来事であり、それが「南蛮文化」という一つの文化の時代を作るほど人々に熱く迎えられていたということ。つまり「流行もの」を持つことを望み、持つことが幸運を招くような感覚だったのでは・・と想像しました。日本人の文化の取り入れ方、柔軟ですね。
ところで奈良の酔胡面(多分)は正倉院にあるんでしたっけ?
本当に鬼のように見えたと思うと面白いですよね。
江戸時代にはオランダ人を紅毛人と称し、西洋人を指す「紅毛碧眼」なんて言葉も生まれたのですから・・
外国人を見る人々の驚きが伝わってきますね!
余談ですが、100年前の日本人の写真を見た時、現代の私たちとあまりにも顔つきがかけ離れていてびっくりしたことがあります。色も黒いし、鼻も横に広いetc.(色が黒いのはフィルムの現像の成果も?)、どちらかというと東南アジアの人のようで。そんな彼らから見たら、西洋人は今の私たちが見るよりも、鼻が高く、異質なものに見えたでしょうね。
しかし、外国人を総体化して見るときには、どこの国でも良いイメージというよりは、悪い、醜いイメージで捉えがちですね。日本人の「出っ歯に眼鏡」もしかり。。。
酔胡面は私もはっきり覚えないのですが、多分正倉院だったと思います。(奈良にはたくさんペルシアの遺物があります。)
確かに日本人の顔も長い年月の間に変遷がありましたよね。昔、古文の時間に平安時代の美人の条件を聞いて驚いたものです。そして、100年前が東南アジア人に近いというのもわかります。初めて出会った日本人、西洋人、それぞれがお互いに異形とおもったでしょうね。
ところで酔胡面。正倉院でした。ヤフーの検索で「伎楽面」を調べたら写真で出てきましたよ。正倉院や東大寺に伝わっている数多くの面はギリシャやインドの仮面劇の影響を受けているんですね。
酔胡面には二種類、実りの象徴の「酔胡王」と伎楽の最後に登場する8人の酔っぱらい「酔胡従」があるそうです。そして「酔胡従」の方は昔、展覧会か何かで
見た記憶がありました。(宝物そのものではなく写真だったかも)
酔胡王は鼻が長くてペルシャ人をこのようにとらえていたのか・・と可笑しくなりました。この王はギリシャ神話ではディオニソスだという説明があり、興味深かったです。
実は日本で最も好きな場所が奈良。次が京都。どちらもかなり通いました。南蛮屏風から正倉院の話題が出て調べながら久しぶりに宝物の写真などを見ることができて嬉しかったです。奈良の大らかな空気を感じました。
外国の方にしてみると日本語の小さなことが疑問に思えるんでしょうね。そして私たちは小さい頃から当たり前のように使っているだけに「どうして?」とあらためて聞かれると意外に「・・・?」なんてこと多い気がします。
相方さんによろしく!
奈良は古代が息づいている感じがしていいですよね。私も京都より奈良派かもしれません。
インド神話とギリシャ神話の比較考察についてのお話、異文化と常に接してきた(支配という意味も含めて)ギリシャ人ならではの見方や受け入れ方なのかなと思いました。ellyさんは、それに関する本をお持ちですか?インド神話は全く知らないのですが、もし解りやすく書いてあるものがありましたら読んでみたいです。よかったらご紹介下さい!
本当に争いの絶えない世の中。異質性を尊重して類似性に着目してほしいですね。
さらささんがおっしゃるように、支配され続けた歴史を含め否定的な意味でも異文化を受け入れていかなければならなかった環境が、ギリシア人の異質なものに対する姿勢を柔軟にしてきたのでしょうね。でも、世界ではそれが出来ない国々や民族がたくさんあるわけですから、やはりギリシア人は偉大なんだと思います。その素地には多神教だった時代の名残もあるのかな?と思います。インド神話とギリシア神話のみを取り上げた本を今具体的に思いつかないのですが、アーリア人の神話を比較したものだったら、有名どころでデュメジルの『神々の構造』だと思います。民俗学的な面より心理学的な要素が強くなりますが、ジョーゼフ・キャンベルも比較神話学の分野でたくさん著作を残しています。日本人ではやはり吉田敦彦さんでしょうか。確か『ギリシャ文化の深層』といった著作があったと記憶します。インド神話ではせりか書房から出ている『ヒンドゥーの神々』が図版がおおくて読みやすいです。あと青土社の神話シリーズはやはり良いです。他にも思いついたらお知らせしますね!それから、さらささんにいろいろ示唆を授かり、今までマニアックかな?と避けてきた神話について書いてみましたので、よろしかったら読んでみてくださいね!さらささんのことも僭越ながら言及させて頂いてます。いつも刺激をありがとうございます!
私の方こそ刺激をいただいています!
ギリシャ神話についてはアテネに住んだことで神々の息吹を感じながら、奥深い神話の入り口にようやく立ったようなものです。でもこうやってellyさんとお話しする中で、比較神話学など少し大きな視点の中で改めて考える機会が出来、とても勉強になっています。
ブログの方でも神話をテーマに取り上げてくださったとのこと!とても楽しみです。じっくり拝見したいので明日、伺いますね。