نُقُود (ヌクード)
ヨルダンのお金でいやな思い出はない。
少しばかり値切りそこなったかなと思うことはあったが、それもいつだったか思い出せない。
たった一つ、あまりのセコさに今では笑ってしまう運転手がいた。
アンマンからぺトラへ観光タクシーを頼んだ。
ドライバーは「おはよう!」の次に「オレはドライバーだからガイドはしない。何にも聞くなよ」と言った。
そんなドライバーに世界のどこでもであったことがない。
彼はとにかく、事前に指定されている観光地のみを忠実に回り、ぺトラに到着した。
真っ暗な町外れで車を止めて「さあ、ぺトラについたからおりてくれ」と言う。
一体ここはどこ?
バス停や駅ならともかく、繁華街でもないのだ。
ホテルの名前を言って、ここではわからないから連れて行って欲しいと頼むと、別料金だと吹っかけてきた。
あまりのことに頭にきて、私たちは車を降りた。別れはいつでも和やかにしたいものなのに、疲れも忘れてドアをたたきつけるように降りた。
町の中心への方向だけを聞いてさよならを言った。
落ち着いて辺りを見回すと…
私たちの泊まるホテルは、車が止まったところから50メートルほどであった。
一緒に乗り合わせた子のホテルは250メートルぐらいだった。
たった!、たったそれぐらいの距離!
それっぽっちを惜しんだことで、彼はチップももらい損ねているのだ。
損して得取れの見本のような出来事を、ヨルダンでお金と言うと思い出す。[a]
その一言で、また別の印象になりますね。それでも、「え、まっすぐ50m!じゃん!」になりますが(笑)
そう言えばアレキサンドリアのタクシーで「お前はずっと寝てて楽したんだから、相場の倍払え」と言われたことがありました。
意味不明(笑)
ラクダの常套句ですね。「一人分だから~」韓国でタクシーに乗ることがあったら、ラクダを思い出しちゃったりして!(爆)
何にしても、旅の記憶は楽しいものだけにしたいですね。
面倒くさいのなら、ここはセンターだから、ホテルの場所はその辺の人に聞けって言えばいいだけなのに。
タクシーのドライバーの当たり外れによって旅の記憶が変わってしまうのも悲しいですね。
私も友人と韓国でタクシーに乗り、『これは一人分の料金だから2倍払え』と言われたことがあります。
旅行中、韓国の人は皆親切だったのに、唯一の汚点が記憶にしっかり刻まれてしまったことが残念。
何か裏がありそうですね?
お金の問題だけではなく、気分はどうなんでしょうね…
まあ、払う人がいるから、そういうことになってしまっているのかもしれませんね。
私と友人も旅慣れていなければ「お金は払うからとにかく連れて行って】と言ったと思います。こうして記憶に残ってしまう事がいやですね。
入口から遺跡まで30分も歩くんですよ~
歴史の奥深さを、目の当たりにできる(どこまでも遺跡が続いているのがわかるのです)
すばらしい所です。
加算額が欲しいためのことで結局観光客が引いていくことがわからないのが残念ですね。
私もワディラムの入り口近くまで行ってそこからは行くには別料金が必要といわれました。ワディラムのセンターだったようで、おかしな加算に納得できなくて自分でチケットを買いにに行ったらドライバーの言う金額の十分の一くらいだったのです。それまで気分よくチップをはずもうと思っていた気持が急速にしぼみ、残念になった記憶があります。