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ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ふるえて眠れ

2011年09月12日 | 映画

 

アルドリッチ「ふるえて眠れ」を観る。ここ最近では珍しく自分のDVDで。この映画は同じくアルドリッチの、主演も同じベティ.デイビス「何がジェーンに起こったか?」の続編、のような印象を受けるサスペンス映画である。よりサスペンス色が強いのはこちらの方かも知れない。謎解きの展開の仕方は、どこか火曜サスペンスを思わせる。「何がジェーンに起こったか?」は、ベティ.デイビスの醜悪な姿が狂気とともに倍増して、その怪演振りに圧倒されたが、今回はその点はやや抑え目で、その分分かりやすいサスペンスとして纏まっている。ケレン味もたっぷりで、そんなところが火曜サスペンスを思い起こさせたのかもしれない。

婚約パーティーの時その相手の首が切り落とされると言う殺人事件がおき、犯人が分からないまま数十年、父親の財産を相続した老いた娘は一人その屋敷に暮らしている。そしてその財産を狙う親族。様々な方法で娘を陥れようと画策する。そのせいで現実と狂気の世界の区別が徐々につかなくなってくる娘。そして、あの忌まわしき殺人の犯人は、と物語の内容展開はやはり火曜サスペンスを思わせる。実際観てて、これが原型ではないかと思ったほどだ。ただ、映画としては「何がジェーンに起こったか?」の方が良い。「ふるえて眠れ」はちょっと纏まりすぎて面白みに欠ける。サスペンスがそれほど好きではないということもあるが、「何がジェーンに起こったか?」の狂気の暴走振りは一見の価値がある。映画が絶えずふるえていたのは「何がジェーンに起こったか?」の方だった。

 

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9月11日

2011年09月11日 | Weblog

 

このところ毎日空を見上げては赤とんぼの数を確認しているのだが、相変わらず少ない状態が続いている。この時期、庭の木には必ず五六頭は止まっているのだが、今年はそれも一二頭ほど。単純に例年の三分の一、と言ってしまうのは早計だと思うが、果たしてこの先どうなるか。

就任早々また大臣(宗兄弟に似ている)が辞任した。国民は呆れる一方、とマスコミは嬉しそうに報じるだろうが、そもそも、あの言動は辞任するほどのものなのかと根本的なところでは思う(軽率ではあるが)。どう見ても、マスコミが煽って大問題の如く印象付けているようにしか見えない。日本のマスコミは全てがタブロイド版か、とこの手の報道を見るといつも思う。自民党は自民党で嬉しそうに、これは大問題だと騒いで相変わらずの駄目党振りを発揮している(立場が変われば民主党も同じようなことをするだろうが)。マスコミは、こんな所で騒がず、例えば東電と政治家のズブズブ関係とか(小沢問題もどうでもいいこと)、他に追求すべきことがあるだろうにと思うが、ジャーナリスティックな精神を忘れたマスコミにそれを望むのは酷と言うものである。

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検索上位 続編

2011年09月10日 | Weblog

 

検索上位にくるものはまだあった。「狩野探幽」については書いたが、もう一人上位に来る狩野派の絵師がいた。それは「狩野芳崖」だ。これも画像検索で上位にくるのだが、探幽よりもむしろ芳崖の方が上位だった。探幽に続いて、これまた申し訳ない事実だ。その画像を載せた記事と言うのは狩野派と言うタイトルで書いたもので、芳崖、探幽と確かに登場するが(永徳も登場してるので試しに画像検索すると、上位ではないが矢張り引っかかっていた)、読み返してみても全く面白く無い(大体過去の記事は読み返すのは恥ずかしい)。検索エンジンで自動的にピックアップしての結果なのだろうが、一体何を基準にしてるのだろうか。

映画でももう一つあった。ドン.シーゲルの「中国決死行」という作品だ。こちらの内容は、狩野派の絵師と違ってそれなりに参考にはなるだろうと言うものだ。ドン.シーゲルの、しかもこんなマイナーな作品で上位に来ると言う事実は結構嬉しい。ついでにアルドリッチの映画でそういうのがあれば、これまた結構嬉しいのだが。

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懐かしの地

2011年09月09日 | Weblog

 

ちょっと前に、法政の大学院ゼミ(建築史)が、古い家の調査をするということで実家(築100年以上)を入念に調べた。ゼミの先生にどういう目的かと聞くと、古い家を生かした、地域のコミュニケーションも含めた新しい形の街づくりを考えてのフィールド調査ということであった。フムフムとそれを聞いて、大学院も市谷にありますか?などとどうでもいい質問をしたのをきっかけに、そう言えば市谷にあるのは知ってるが、電車では見てるが実際どこにあるかは知らないなと、グーグルアースで確かめたくなった。すると、知らなかったことがいろいろ見つかった。

まず、法政大学が靖国神社の直ぐ隣であると言う事実。全く知らなかった。考えて見ると、靖国神社に行ったことは無いし、その前に市谷で降りたことすらあったかどうか。四谷から歩いて市谷駅まで行ったことは一度くらいあったようには思う。他には、三島由紀夫の市谷駐屯地と靖国神社の位置関係とか、市谷に関しては何も知らないと言ったほうが良さそうだった。

で、グーグルアース(ではなくてストリートビュー)は一度見だすと、それをきっかけに「懐かしの地再訪」が始まってしまう。となると手前の四ッ谷駅。「イグナチオ教会」も昔は風情のある教会然とした建物だったが、今やガスタンクのような近代的な面白みの無い建物。土手沿いに進み料亭「福田屋」。ここも歴史を感じさせる良い雰囲気の木造建築だったが、その面影はもうない。「ニューオータニ」は昔のまま。そこを左に下りていくと、清水谷公園が。この近くに「清水谷茶房」という和風喫茶があったが、当然のこと今はない。落ち着いた良い感じの喫茶店だった。「ぜんざい」をよく頼んでいた、ように思う。

もう一度駅に戻る。新道通りの「ルノアール」、相変わらず健在だ。広いので、学生のコンパ後の定番だ。一度ここのトイレで吐いたことがあった。近くの「ボンジュール」というケーキ屋兼喫茶はもうない。この店は夏に蓼科に出張店を出していたので驚いたことがある。更に奥に進む。殆どは知らない店だが、先ほどの「ルノアール」のようにひょっこり同じ知った店が登場する。洋食の「バンビ」もそうだ。いつも繁盛してたが、今でもそれを維持しているようだ。それだけ続くのも凄い。ただ、一度も利用したことは無かった。自分の基準では高かったのだろう。

繁盛店と言って思い出すのは鯛焼きの「わかば」。昔から行列ができる店だった。一本焼きの型を返す動作に見とれつつ並んだものだ。当時は特に甘いものが好きだった。今はどうかと文化放送(今はないのか)方面の路地を辿っていくと、やはり行列が。ずっと行列ができる店のままか。そういう店は他には吉祥寺の「小ざさ」位しか知らない。今であれば、並んでまでして食べるかという当然の疑問が浮かぶが、「わかば」の鯛焼きなら食べたいと思うかもしれない。

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初秋のロードレーサー

2011年09月08日 | Weblog

 

今年初の「ロードレーサー」(最近はロードバイクという呼称の方が一般的)。何だかここ最近は、一年に一回くらいしか乗ってない気がする。幸いパンクもせず持っているが、自然劣化というのもあるから、そろそろ気を付けないと。まずはいつものように埃をふいて、空気入れ。油も指そうかと思ったが、油の場所が思い出せず断念。颯爽と(飽くまでも気分は)飛び出す。

長距離の時はロードレーサーの方が断然楽だ。ただ、マウンテンバイクのようにビーチサンダルで乗れないのが残念だが、どちらにしろ、ヘルメットをかぶりぴちぴちのウエアーで固めた本格的な格好とは無縁の自転車ライフである。まずは定点観察地の川沿いに。ここはマウンテンバイクと違い押しながら歩く。「メガネサナエ」「ミヤマサナエ」がぽつぽついる。しかし、この時期にはわんさかいるはずのアカネ類、要するに赤トンボの仲間が物凄く少ない。周辺の田園地帯も、飛んでる姿が殆ど見えないのだ。いくらなんでも少なすぎではないか。この前の台風が影響してるのか、里に降りる時期が狂ったのか、いずれにしろもう少し様子を見る必要がありそうだ。

その後、諏訪湖畔に移動する。相変わらずアカネ類は少ない。目に付くのは「オニグルミ」にたかった招からざる客の「アメリカシロヒトリ」(たぶん)。葉っぱが食べつくされた木もあった。もう、全部のオニグルミにたかってるのではないか。その数は、万の単位であろう。小さいときは糸で籠のような構造物を作りその中で守られている。それぞれの籠の中には、5ミリほどの幼虫が数百(もっとか)の単位で蠢いている。ある程度まで成長すると、一斉にそこを飛び出し、それぞれが葉っぱを目指し散らばるので、あっという間に木は丸裸にされてしまうのだ。見てるとオニグルミだけが標的にされているようだ。

それにしても、くしゃみが止まらない。今朝は相当寒かったからか。それとも、アメリカシロヒトリの浮遊してきた毛によるアレルギー反応か。水のような鼻水も止まらない。いつも不思議に思うのは、この水のような鼻水がどこから溢れてくるのだろうかということ。こういう状態のときは、それこそ湯水の如く溢れてくるのだ。この鼻水で脱水症状にでもなったらしゃれにならない。そこで、コンビニに行ってスポーツ飲料を買った。

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人物検索

2011年09月06日 | Weblog

 

昨日の続きのような話になるが、映画ではなく人物で検索した場合、上位に来るものがあるかだろうかと探して見ると、これがあるんですね、僅かながら。まずは「松澤宥」氏。知名度は低いが郷土が生んだ孤高の芸術家。地元での知名度も低いが、ローカルではなくむしろ世界的な芸術家。検索でひっかかるそのブログの内容は、昨日の映画よりは参考になると思うが、実際のところどうなのかは分からない。

そしてもう一人は「田中一村」。ブログの解析にちょくちょく「田中一村」で検索されてちょっと不思議に思っていた。一回だけ、地元で行われた「一村展」を取り上げただけなのに何故だろうかと思っていたのだ。人気ブログなら話は分かるが。ただこれは、普通の検索ではなく画像検索で上位に来る。ここが問題なのだ。その画像は、「田中一村」ではなく、自分で作った「なんちゃって田中一村」の画像なのだ。どういうことが起こるかというと、一村の画像を検索した人が、こんな作品あったっけと見に来るわけだ。決して一村を謳ってる訳ではないが、見に来る人はそうは思わない。詐欺にあったような気になるかもしれない。結果、何だか騙してるようで申し訳ないということになるのだ。それにしても、何ゆえこの画像が上位に来るのか。グーグルの不思議はこんなところにもある。

実は、もっと申し訳ないのが「狩野探幽」。これも画像で検索すると上位に来るのだ。同じくなんちゃって狩野探幽だ。如何にも屏風にありそうな素材をコラージュしたのだが、良く見れば全然違うのだが、画像で並ぶと、えっ探幽にこんなのあったっけ、となるのだろう。まあ、探幽に対して失礼な話である。

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映画を検索

2011年09月05日 | 映画

 

未見の映画などを検索し、それを題材にしているブログを見ることは普通によくやる。ネタバレによって面白さが半減するような映画は、その時点で大した映画ではないと判断するので、そういう内容でも全く問題ないのだが、なかなか参考になるブログが見つからないのも事実だ。例えば、小津安二郎の映画を扱っているのは良いが、同列で山田洋次の映画を絶賛しているとなると、その時点でそのブログは信用できなくなる。大体の基準がほしいのだが、どうもその辺りの基準が見えないブログが多いのだ。

で、翻って自分のブログなのだが、グーグルの検索で一ページ目に引っかかる映画がいくつかある。どういう理由でかは分からないが(扱ってるブログが少ないからに決まってるが)、所謂検索上位というのは結構嬉しくなるものである。但し、その映画は、当然のことメジャーな作品ではない。ブレッソンの「たぶん悪魔が」と「湖のランスロ」、そしてロブ=グリエの「グラディーヴァ マラケシュの裸婦」などがそうだ。問題は、この自分のブログがそれらの作品に興味がある人たちに参考になるかという事なのだが、始めに他人のブログは殆ど参考にならないと言ったくせに、その点は全く自信が無い。他人には厳しく自分には甘いわけだが、扱ってる映画そのものが、ストーリーを説明してこの部分感動したなどと素朴に解説できるような映画ではないのでその良さを説明するのも難しく、自ずと読むほうからするとすっきりした内容とは受け取れなくなるのだ。実際、当時のものを読み返すのは恥ずかしさの方が先にたつ。しかし、同じように今一内容が乏しいのもあるが、結構細かく論理的に分析しているブログもたまにあるので、そういうのを見るとちょっと早まったかと思うのも事実である。唯、内容はともかく、小津安二郎と山田洋次を同列にすることだけはしてないという自負はある。

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新作花火

2011年09月04日 | Weblog

 

それにしても今回の台風はしつこい。梅雨のような天気を続けさせ、おまけに末期の豪雨ももたらし、去ったあとにもぐずぐずした天気を置いていきと実に厭味な台風だ。昨日の夜は「新作花火大会」というものがあり、日中はかなりの勢いで雨が降っていて、こんな天気でも挙行するのかと思っていたら(よほどの強風でもない限り挙行するようだ)、開始時間の頃には雨が止んだ。普段だと、昼過ぎくらいから人が出始めるのだが、流石に昨日は人っ子一人通らずで、小降りになりだした5時頃からぽつぽつと出始めた。おかげで市内の渋滞は少なく、普段通りに通行できた。花火開始時点では雨は完全に止んで、ちょうど天気のエアーポケットにでも入ったような静寂の時間だった。こんな天気で人が集まるのかと思ったが、20万人も集まったらしい。本当、花火好きは多い。今回も、「なでしこ」を見ながら音だけを聞いた。例年と違い、いく夏を惜しむような夜ではなかった。

 

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サッカー 陸上 ラグビー

2011年09月03日 | Weblog

 

「日本代表対北朝鮮」、前半を終わった時点で、ハーフナーのヘディングで1-0を予想。結果は、ロスタイム、吉田のヘディングが決まり1-0の勝利。ほぼ予想通りの結果で納得。2-0、3-0でもおかしくない試合だったが、入らない時はこんなもので、昔だったら逆に隙を突かれて0-1なんてことになったが、アジア杯以来きっちり勝つようになった日本は、本当の地力がついてきたのだろう。

TBSでは、相も変わらず大々的に世界陸上をやっている。陸上競技に興味のある人間が実際のところどれほどいるか知らないが、まるで日本全国誰もが興味を持ってるかの如くの報道は、いい加減にせい、と言いたい。世界バレー、水泳でも同じことが言えるし、例えサッカーのWCであってもそうだ。実際、大衆演劇のスターような暑苦しい演技を素でもやる織田裕二を好きな人間というのはいったい誰なのか、というどうでもいい興味しか持てない番組(見てないが)というのはどうしたものか。トップアスリートが記録を小出しにして自分のアスリートとしての価値を維持するとか、世界的に見て全然大したことない日本選手を実力の倍以上に見せる演出とか、いろいろ見所はあるが、個人的には全く興味はない。

そんな中、テレビが殆ど騒がないラグビーのWCが始まる。野球などより遥かに世界的なのだが、気の毒なほど全く盛り上がらない。野球のWBCが名実ともに世界のローカル大会であるのに、まるで世界から注目されている大会の如く大騒ぎするのは偏にマスコミ主導の賜物だが、ラグビーは何故か日陰者のままだ。体格で劣る日本が出場し続けてるのは結構凄いことだと思うが、世界との差がありすぎるというのも人気化しない一因かもしれない。それと、ゲームそのものが直ぐ止まるという、今一つテレビ的でない部分も結構大きいと思う。

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晩夏の溜め池

2011年09月02日 | 生き物 自然

 

晩夏の定点観察。山にある溜め池二つだが、前回はほぼ一ヶ月前。定点観察にしては間が空いたが、そこは観光シーズンだと結構人が多いので敬遠してたのだ。まずは、下のほうの溜め池から。トンボもすでに秋バージョンである。それでは赤とんぼ三連発。

ネキトンボ

アキアカネ

ヒメアカネ

 

もう少しすると、ヒメアカネの赤味も強くなることだろう。他には、タカネトンボやオオルリボシヤンマがいつものように飛んでいる。そして二つ目の溜め池に。ここから標高はぐっと上がる。アクオスのCM以来、本当人が来るようになってしまった。今回も平日にも拘らず県外客が五六組来ていた。トンボはほぼ下の池と同じような相だが、下では飛んでばかりのオオルリボシヤンマがここではすでに産卵状態。標高の差がなせる業か。この産卵は今頃から10月始め頃まで続く。

オオルリボシヤンマ産卵

シータテハはまだまだ新鮮。

と思ったら更に上手が。オオシオカラトンボ(多分)は羽化直後の新鮮さ。この時期にまだ羽化するか!

 

最後に、対岸から撮った観光客。皆さんカメラを携え、CMと同じようなアングルを狙っている。

 

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ゲロメッティYのお薦め

2011年09月01日 | Weblog

 

この前ゲロメッティYは、新しいDVDも持ってきた。ホセ.ルイス.ゲリンというスペインの監督の「シルビアのいる街で」という、勿論初めて聞く作品だった。本人は今一つぴんと来なかったらしく感想を聞きたいということだった。無料づいたところに久しぶりの正規のDVD、何だか新鮮な感じがしてしまった。作品を見るのはもう少ししてから。

あと、ガレット以外にも食べ物屋の話もしていた。あるラーメン屋の名前を言って知ってます?と聞くので、嘗て一回入ったことがあると言うと、どうでした?と聞くので、ラーメンも餃子と同じで普通でいい派なので、特別美味くも無く不味くもなくと答えると、餃子は?と更に聞くので、らーめんだけと答えると、餃子が物凄くいいんですと力説する。そこでもう一度、餃子は普通で良いんだけど、と自説を披露する。皮だって、市販の薄いやつで十分だし(手作りのモチモチでもどっちでも)、具は野菜多めの普通豚(ブランドではない方がむしろいい)のひき肉で十分と言い、一体何処がそんなに凄いのか具体的に聞くと、皮が美味いんです、それと焼き方が見事なんですと言った。何でも、綺麗な焼き方で焼きむらが無く、その姿に感動してしまったらしい。餃子で感動するか?と思うのだが、世の中に約一名、餃子に感動した人間がここにいた。機会があったら食べてみるよとYには答えておいた。

そしてもう一つ食べ物屋。それは新しくオープンした地元の蕎麦屋についてだ。昔からの蕎麦屋が最近違う蕎麦屋としてオープンしたのだ。全く知らなかったが、Yは何故だか知って行って来たらしい。そこはメニューに蒸篭とカケと卵とじ入りのカケの三種類しか置いてないそうだ。それしかないのは自信の表れなのか、逆にその他のメニューを出すまでの自身が未だ無いのかのどちらかだろうと推測すると、Yは卵とじをメニューに置いてるのは自信の表れですよと言った。何故卵とじが自信の表れなのかと聞くと、卵とじがカケの中では一番難しいんですよと断言する。いやに確信を持って言うので更に追求するとその理由が判った。杉浦日向子の説が元だったのだ。Yは江戸文化において彼女をお手本にしていたのだった。それはむしろ崇拝と言っていいのかも知れない。何だ、唯の受け売りかと言うと、私は受け売りの総体ですと開き直っていた。その蕎麦屋の麺はかなりの細打ちで、これがまた端正な姿ということであった。

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