ゲロゲロ少年Yから借りたDVD、ロウ.イエの「ふたりの人魚」を見る。ジャン.ジャクー(ジャ.ジャンクーのことをYはいつもそう呼ぶ)より全然いいですからが彼の言い分。まあ、過去、彼の言う通りに思ったことは殆んどないので、それは話半分として聞いている。
映画の舞台は、変容し続ける現代の上海。その片隅で暮らす、ちょっとヤクザな男と、人魚と見立てた女の物語。近代的な都市の中の取り残された中国の小汚い姿をそのまま背景にしていえるところは、確かにジャ.ジャンクーの撮る世界と共通するところだ。しかし、撮り方は根本的に違う。ジャ.ジャンクーは、何処か突き放したように今の姿をむき出しのまま撮るという感じだが、ロウ.イエは、ある人間の視線をそのまま映像にしているという手法をとっている。意図的に粒子の荒いものを使い、ハンディカメラで不安定に揺れるのも、その視線そのものの表れだ。このことは、確かYを感激させていたことだった。しかしこれは、ラース・フォン・トリアーが提唱しているドグマ何とかの手法だったのではないか。手持ちカメラは、その必須条件だったような気がする。
物語は途中から、都市の人魚伝説的様相を呈してくる。嘗て人魚として河に飛び込んでそのまま行方不明になった少女を探し続け、そのそっくりな女を見つけたが、その後...。今の話なのだが、どこかファンタジーを感じさせる。日本映画でもありそうな話だがちょっと違うところは、映される世界は相変わらず小汚い部屋だったり建物だったり河、街の道路というところだ。この類型(日本だといきなり嘘っぽい世界になる)から外れた不調和が、独特な魅力を醸し出している。Yが好きなのは特にこの辺りではないか、と思った。終わり方もY好みだし。
と、それなりに魅力がある映画であるとは思うが、Yが言うほど新しいとは思わない。パッケージを見ると2000年ロッテルダム国際映画祭グランプリ受賞とある。今の上海と思っていたが、十年前のものだった。今現在あの小汚い世界はどうなってるのだろうか、と映画とは関係ないところで(実際はあるのだが)興味が湧いてしまった。