ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

准芸術2

2010年03月13日 | トマソン


昨日のコラージュは「准芸術」の典型的物 件と言えるが、なかなかあれだけの完品 (取り壊されつつある家の壁に貼ってあっ たもの)はそうないのが実際である。つま り、現実は、准なのか超なのかはっきりし ないものが多いのだ。例えば今日の写真( 物置小屋のトタンの壁)。デザイン的意図、 或いは創作のために作ったものではないこ とは明白。結果出来上がってしまったとい う物件であるが、トマソン(超芸術)のよ うな嘗ては何かの機能を持っていたもので もなく、不在のものの記憶でもなく(要す るに何かの痕跡)、かと言って准芸術のよ うに一瞬現れるというインスタレーション 的な要素はなく(質感は近い)、このまま の状態で当分存在し続ける。存在感はトマ ソン的である。となると超と准の中間と言 うことで、芸術か?確かに、この写真を例 えばA-1位に引き伸ばし飾れば「芸術」とし て充分通用しそうでもある。マーク・ロス コ、モンドリアン、ソル.ルイットを足し て三でわればこんな感じになるのではない か(でもないか)。 とまあこんな感じで、街の中には超や准、 そしてその中間の「芸術」が、実は密かに 息づいているのである。
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准芸術.現代美術の旅

2010年03月12日 | 芸術

町を歩いていると、何故ここにこんなもの
が、と思わず足を止めてしまうような物件
にちょくちょく出会う。と、今更言うこと
でもないが、そんな中に、これは現代美術
かと見間違うような物件がいくつかある。
トマソンと同じくそれらは、私に発見する
喜びを与えてくれる。トマソンは超芸術で
あるが、現代美術系は准芸術とでも名付け
よう、芸術を超える前と言う意味で。しか
し、残念なことに、大体それらは消える運
命にある。一瞬その姿を現しなくなるとこ
ろは、現代美術のインスタレーションに近
いものがある。違いは、意図があるかない
かだ。勿論准芸術の方が意図はないわけだ
が、ここはトマソンと共通するところだ。
トマソンは結果出来上がり残る、准芸術は
消える運命、儚さから言えば断然准芸術で
あるが、自分で言うのもなんだが、世の中
の価値観では、どうでもいいものの上位で
あろうと思われる。しかし、こんなものが
面白いのだからしょうがない。というわけ
でこの前発見した准芸術(写真)。遠目で
これはジャクソン・ポロックか、と思い近
づくと、なんとコラージュであった。舟木一
夫らしきブロマイド風の写真が泣かせる。

話は変わるが、NHKの「ぶらタモリ」、期待し
たほど面白くない。偶然の出会いという発
見の楽しみがあまり伝わってこない。シナ
リオ通りという如何にもNHK的作りがライブ
感を奪っているのだ。「タモリ倶楽部」く
らいのユルさがほしいのだが、まあ無理な
話か。
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タイヤ.コラージュ

2010年03月11日 | Weblog


パンクしたタイヤは車屋に預けたのだが、
翌日になってやっと原因が分かった。どう
やらホイールに欠陥があり、密着度が足ら
なかったようである。すき間が出来る部分
をボンドで止めて大丈夫だろうということ
だが、スタッドレスだしもう全部ノーマル
タイヤに履き替えるかと思いはじめている。
しかし流れが悪いときには、履き替えたす
ぐ後に雪が降るなんて事態が待ち構えてい
るから、油断はできない。暫くは、一本だ
けノーマルタイヤの状態でいくとするか。
一応全天候型ということで(バランスが悪
くなり良くないらしいが)。

「cafe tac」の看板は、無垢板で作りなお
すことに決まった。やはり、店の顔ともな
るところに亀裂の入った看板では(しかも
開店して一ヶ月)あんまりだ。あと、店内
に飾ってあるものの配置をいろいろ変更し、
この前作った、国際便のダンボールを元に
制作したコラージュを新たに飾った。位置
は、以前持っていったマン・レイのポスタ
ーの横だ。「Buvard」というフランスで販
促用に作ったインク吸い取り紙も二点ほど
額にいれ飾って、だんだんそれらしい雰囲
気になってきた。
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イルカ食

2010年03月09日 | 食べ物


本場のアカデミー賞も、事前工作が発覚し
たのにも拘わらず、アバターのもと奥さん
の方が受賞。さして興味もないのでどちら
でも良いのだが、今回は、日本に関連した
ドキュメンタリーが受賞したので、そちら
の方がちょっとした話題となっている。こ
んな作品があったのか、と殆どの人は初め
て知ったのではないか。内容はイルカ捕獲
の残虐性を告発したもののようだが、その
ものを見てないので内容に関しての感想は
言えない。これは是非、日本で公開しても
らいたい。ただ、想像するに、例によって
イルカは高等動物だから食べるべきではな
いなどと主張しているのだろう。そしてこ
とさら残虐性を演出して、情緒的なムード
満載で(その手のBGMを上手く使い)見て
る人を感情的になんて可哀想なことをする
のだ、と思わせるのではないだろうか。太
地の人たちが、まるで自分たちが食人種の
如く扱われていると思うような作りになっ
ているのは、わりに簡単に想像できるが果
たしてどうなのだろうか。

と、何故感じたかと言うと、受賞者の感じ
が、保護活動をする人たちの中にいるやや
狂信的で原理主義的な人たちのタイプに似
ていたからだ。これは、全くの個人的な印
象なので(偏見もあるかもしれない)実際
はどうかは分からないが、取り敢えずそう
感じたのだ。しかし、この手の問題でどう
しても引っかかるのは、知的なものだから
食べてはいけないというその理由。推し進
めると優生学にたどり着くのではと思う。
或いは、自然保護の観点からだと、イルカ
も鯖も同列に論じるべきものだし、どうも
イルカとか鯨になると、犬は食べるべきで
はないというのと同じように、人間からす
ると特別な感情が混ざるので情緒的な反応
が強くなるのではないか。いずれにしろ、
イルカを食べるのは可哀そうだという見方
が多くなれば、自然と食文化も変わってく
るはずで、正義の使者のように活動される
のはかえって反発の方が強くなるのでむし
ろ逆効果ではないか。まあいずれにしろ個
人的には、イルカも鯨も特別食べたいとは
思わないが。
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パンク

2010年03月08日 | Weblog


昨日の夜、霙が雪に変わった中車を出そう
としたら、ハンドルが今ひとつおかしい。
雪が少し積もっていて、ゆっくり動いてい
る状態にもかかわらずあまりにぎこちない
動き、またパンクか。最初からパンクして
たのか動き出してすぐにそうなったかは判
然としないが、そのままゆっくりとUターン。
一ヶ月前パンクしたところと同じタイヤが
またパンクだ。全くトホホな話である。し
かし、どうも問題はパンクではなく、ホイ
ールとタイヤの相性の方にありそうだ。穴
とかそういうことではなく、何故か空気が
抜けてしまうのだから。

で、当然交換しないといけないのだが、昨
日辺りからまた寒くなってきて、外の作業
は今ひとつやる気が起こらない。よって未
だにそのままの状態で放置。せめて暖かけ
ればと思うが、天は味方せず。そう言えば
前回はマイナス5°近くの中、路上でやっ
たんだ。非常に流れがよろしくない。
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霙.看板

2010年03月07日 | Weblog


この時期は三寒四温を地で行く季節なので、
あっという間に春から冬に逆戻り、なんて
ことが普通。今日も霙模様で寒い。同じ気
温でもこういう天気のほうが寒さは倍化す
る、足元からじわじわくる。それにしても
霙という字は、何故雨の下が英なのか。霰
の場合は、なるほど、情景が浮かびやすい
字であるが。

そんな変化の激しい気候のせいか、せっか
く作った「cafe tac」の看板に、早くも亀
裂が入ってしまった。集成材なので、その
つなぎ目が割れてきてしまったのだ。一ヶ
月でこれはないだろう。あんまりである。
そこで専門家に聞いてみると、集成材を使
うと大体こういう事になると言う。それぞ
れの木の質が違うから、雨などに当たり乾
燥するとどうしてもそうなってしまうらし
い。それが分かってれば、少々高くても無
垢の板を使ったのに。しかも、パテで埋め
てもどんどん広がってくるらしい。どう考
えても店の入口の顔とも言うべきものなの
で、この状態で放っとくのはまずいだろう。
無垢板でもう一回作り直しか。
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日本のアカデミー賞

2010年03月06日 | Weblog


昨日、「日本アカデミー賞」の模様を例の
ごとく日本テレビでやっていた。大して興
味はないので、数分だけ見たが、毎回毎回
同じことを感じ同じことを言ってしまう。
つまり、華やかな演出で盛り立てたいのは
分かるが、ここはハリウッドじゃあないん
だから。何だか、ショボさばかりが目立。
別にこれは、本場のアカデミー賞が良いと
言ってるわけではなく、こと華やかさに限っ
ては、という話だ。一生懸命真似てもどこ
か偽物感或いは悲哀が漂うのだ。ノミネー
トされた映画も、これまたどれも見たいと
思わせぬものばかりで(実際見てないから
批判はできないのだが)、自分の中ではど
うでも良い賞の道まっしぐらである。

話は変わるが、昨日の新聞に、今回のオリ
ンピックの日本の派遣人数が載っていた。役
員が111人で、選手が94人だという。選手よ
り役員が多いことにまずびっくりというよ
り腹立たしさを覚える。例によって協会の
お偉方がくっついているからこういうこと
になるらしいが、全く世の中、偉そうな顔
だけして役に立たない(というよりむしろ
邪魔な)人間が多いこと。選手の数30、役
員20くらいが適当なところではないだろうか。
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3.4コラージュ

2010年03月05日 | 芸術


例の国際便のポスターだが、厚紙に挟んで
送ってきたので、その厚紙に住所やらいろ
んな情報の用紙がベタベタ貼ってある。そ
の張り具合があまりに良いので、それを使っ
てコラージュを作ってみた(写真)。最初
の状態である意味コラージュなのだが、更
にそこにいろいろ足したわけだが、これが
結構良かった(と自分では思ってるのだが)。
しかしこの切ったり貼ったりの作業、手作
業となると、パソコン上と違い何どもやり
直すことができない。そこが難しいところ
でもあり且つ手作業の良いところでもある。
それにしても、最初の時点での無意識に貼っ
た用紙の微妙に真っ直ぐではない並びとか、
「do not bend」の色と貼り位置とか、何
故絶妙と感じるのか。更にそこに意識的に
加える作業、こういうのも創作活動と世間
では言ってくれるのだろうか。
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3月3日.対バーレーン

2010年03月04日 | サッカー


陽が照って一見暖かそうなので帽子をかぶ
らず外に出たら、空気はけっこう冷えてい
て決して暖かくはなく後悔する、が、すで
に遅し。計12キロほど歩いたが、体が暖ま
るどころか冷えてしまった。特に後半6キロ
は、風もかなり強くきつかった。途中「cafe
tac」でクロックムシュとビールを飲んだが
その効果も続かなかった。

夜は、「日本対バーレーン」戦を見る。俊輔
本田、松井、森本、長谷部と海外組が出場し
て、試合は2-0と久しぶりの勝利であった。
しかし、このレベルの相手だと、勝っただけ
ではとても喜べない。見てるとどうしてもフィ
ジカル的なものが気になる。俊輔は、フィジ
カルでやられる場面も多く、レベルの高い相
手だと決定的な仕事ができないいつもの俊輔
とどうしても重なる。基本的に持ちすぎで、
バーレーン相手だと決定的なパスも出せるが、
それ以上となると潰される映像しか想像でき
ないのだ。あとウッチーも徹底的に狙われそ
うだし、そのための対策なんてありそうにも
思えないしと、なかなか楽観的にはなれない。
ただ、起点になれそうな森本は使って欲しい。
と、すでに諦めたはずなのに、見るとついつ
いいろいろ考えてしまうのだ。


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滑入.パシュート

2010年03月02日 | Weblog


しつこく「パシュート」だが、ドイツチー
ムの準決勝の時、三人目が「滑入」したの
には笑った(リアルタイムで見たかった)。
正式に滑入というのかは分からないが、あ
のゴールの仕方は、競輪で言うところの滑
入に当たるのだ。競輪の場合、ゴール前の
直線で落車すると、大体が勢いでスライディ
ングしながら自転車とともにゴールを突っ
切る(正式の着となる)。パシュートのあ
れを見て競輪を思い出した人も多いことだ
ろう(そうでもないか)。因みに滑入でき
ない場合は、自転車を担いでゴールを切る
ことも可能。その場合は「携入」という。
滅多に見られないがこれは笑える。しかし、
何だか、すっかり「パシュート」のファン
になってしまった。フィギュアの視聴率が
40%を超えたらしいが、私からすれば、何
がそれほど良いのかと思う。これからはパ
シュートの時代なのに(絶対ないな)。
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氷は解けてなお寒し

2010年03月01日 | Weblog


「滝つぼビオトープ」の氷は解けてなお寒
し。この時期は寒暖の差が激しく、常に風
邪っぽいような状態になる、と思っていた
が、最近は年がら年中風邪っぽいので、別
にこの時期に限ったことではなかった。そ
れにしても零度くらいでやけに寒く感じる。

この間、地区の共同作業で行った「綱打ち」
(御柱用の)の時足を酷使したのだが、そ
の時の筋肉痛が未だに残っていて、右の臀
部は何だか肉離れっぽいような違和感に変
わってきている。「綱打ち」だけだったら
問題なかったのだろうが、その後、池のフィ
ルターの掃除をしてさらに散歩がてら「cafe
 tac」まで歩いたのがまずかった。トータ
ル10キロ位歩いて、そして更に更に、店の
テントにカッティングシートを張る手伝い
をして、最初は文字通り手伝いだったのだ
が、後半半分は自分中心で脚立に足をかけ
ての作業となり、結果的には結構な労働と
なってしまったのだ。おかげで、テントに
文字が入って、店の外観は(写真)一気に
それらしくなった(本当を言えば、文字が
ちょっと大きすぎるのだが)。 そんな諸々
の結果としての臀部の違和感、何だか柔に
なったことだけは思い知る。
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