ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

読書.ビュトール

2009年08月25日 | 芸術


以前買った文庫本、フローベールの「感情教育」は直
ぐに読了となったのだが、一緒に買ったミシェル.ビュ
トールの「心変わり」はまだ終了しない。
因みに長さは、「感情教育」が400ページ二巻で「心変
わり」は450ページほど。
断然短いのだが、速度は三分の一位になっている。
つくづく本というのは長さではないと感じる。

現時点で330ページ目辺りだから、あと100ページで終わ
るのだが、これがなかなか一気には行かない。
全てがパリ発ローマ行きの車中での回想、現在の描写、
そして予想されるこれからの話で、その独白を延々と綴
るという、実に変化のない話で、物語としての面白さは
全くない。
流石、ヌーヴォーロマンである。
だから、時間をかけて読んでも、展開がどうだったか、
或いはこれ誰だっけと覚える必要がないので問題ない
のだが(何せ3人の名前を覚えるだけで充分)、10ペー
ジも読むと眠くなってしまうのだ。
疲れているときに、ミニマルミュージック、例えばスティ
ーヴ.ライヒを聴くと直ぐ眠くなるというのと同じパタ
ーンだ。

考えてみれば、ロブ=グリエの小説も、同じような場面
の繰り返しで眠気を誘う。
基本的にわくわくさせる物語ではないところにその理由
はありそうだが、それこそが魅力といえるから困ったも
のである。
眠くはなるが、詰まらないわけではないのだ。
これでしか体験できない世界があるのだ。
ジョイスの「ユリシーズ」は途中で脱落だったが、「心
変わり」はそうならない。
尤も「ユリシーズ」も一巻は読んだので、「心変わり」
の全部以上は読んだことになる。
「ユリシーズ」も一日だけの話だったし、その変化のな
さは共通している。
ということは「ユリシーズ」の場合、登場人物も多く、
引用が多すぎたのが付いていけなかった理由か、と今
になって思う。
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