ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

世界記録

2009年08月22日 | Weblog


夜中に目が覚め(最近多くて困る)、テレビをつける
と、ちょうど「世界陸上」の200をやっていた(実況で
はなく録画)。
世界新を作ったことは知っていたので、どんなものか
と思って見てみた。
流石に、過去のことなので興奮することはない。
しかし、もし、実況で見たらと想像してみたが、果た
して本当に興奮感動するだろうか。
マスコミでは、文句なしに絶対的に感動する出来事の
如く言っているが、本当にそうなのだろうかと、つい
考えてしまった。
現場にいたら、間違いなく興奮するだろうが、それは
場の雰囲気による興奮陶酔で、祭りの場でもありうる
しライブでもありうる一種の集団催眠のようなもので
ある。

スポーツの場合、シンプルであればあるほど肉体性が
強調される。
そうなると強さをより実感として感じられる。
理屈抜きに凄いという感覚だ。
見てる人が、同時に同じ感受性を持つとそれは倍加す
る。
所謂一体感という奴で、それぞれが凄いと思えばその
凄さは実体以上の制御できないものとなる。
これが興奮陶酔を呼ぶのだが、これこそがスポーツ観
戦の魅力とも言えるので、味わった人はこの快感を常
に追体験したくなる(殆ど合法的な麻薬に近い)。
だから、記録というものを作って、感覚も更新できる
ようなシステムにする必要がある。
そして、結局は仮構したものに過ぎないスポーツ競技
は感動製造装置として不変の存在となるのだ。

なんてことを考えて見たら、興奮するわけがない(冷
めてみると絶対楽しめない)。
それより今回初めて見たが、織田裕二がいやに抑え目
なのが気になった。
流石に物真似され自分でも恥ずかしくなったのか。
これはこれで、使う意味もなくなったように思えるの
だが。
あれも一種の芸として存在価値があったのではないか、
松岡修造と同じように(どちらも見たくはないが)。
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