ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

コンサート

2006年10月14日 | 音楽


久しぶりにコンサートに行ってきた。
「アンサンブル金沢」の岩城宏之追悼コンサート。
最近、めったに行くことは無いのだが、たまたま行く
予定の人が行けなくなりその代用で、ということにな
ったのだ。
今は、そんなことでもない限り行くことは無い。
基本的に、長時間椅子に固定されるのが苦痛なので、
ライブよりはCD、というのが最近の傾向なのだ。

で、今回の出し物はモーツァルト。
コンサートでは勿論、CDでもあまり聴いたことが無
い。
自分にとっては未知に近い。
面白かったのは「二つのピアノによる....」。
若手のピアニストによるものだったのだが、その二人
があまりに対照的で。
一人は、背も低くややずんぐり、もう一人はすらっと
してイケメン風。
外見的に差がありすぎる。
映画「アマデウス」の、サリエリとモーツァルトを思
い出してしまった。
そして、弾き方も対照的だった。
サリエリ(ずんぐり)の方は、動作が激しくまるでキ
ース.ジャレットみたいだった。
サリエリからキース.ジャレットに移行。
一方イケメンは、あまり動かず、背筋も伸ばしで、セ
ロニアス.モンクのようだった。
こちらは、モーツァルトからモンクに移行。
音楽そのものより、こんなことで喜んでるのだから困
ったもんだ。
我ながら駄目聴衆だ。
一言、演奏に関しては、サリエリのほうが上手かった
そうである(自分では感知できません)。

今年はモーツァルトの年なので、聴く機会(正確には
聞こえてくる機会)は多い。
で、今回初めてじっくり聴いてみて分かったのは、あ
まり自分の好みではないということ。
全体的には軽快で楽しげな音楽なのだが、刺激される
ところもない、と感じた。
しつこいようだが、これは好みの問題ということで。
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トマトのスパゲティ

2006年10月13日 | Weblog
シーズン最後のこの時期のトマトは、ひびが入ったり
して、そのまま食べるにはちょっとというのが多いの
だが、ソースに使うにはむしろ適している。
柔らかいので、すぐにどろっとなる。
そこで、こちらも終わりに近づいたバジルを使って、
トマトのスパゲティを作ることにした。
スパゲティ.ポモロード。
正確には、スパゲッティーニ.ポモロードか。

以前は、トマトソースは時間をかけて煮込めば煮込む
ほど美味しくなるものと思っていた。
昔のレシピにはそう書いてあったと記憶している。
たまねぎのみじん切りを炒めることから始め、少なく
とも一時間はかけた。
しかも、生のトマトではなくトマトピューレを使い。
その結果、旨かったかというと、時間をかけた割には
どうってことない味だった。
不味くは無いが、旨くも無いというレベル。
しかし、この十何年のイタリアンの隆盛によって状況
は一変した。
続々本場の味が紹介されるようになったからだ。

考えるに、それまでの味は、ホテル辺りの味が基準に
なってたのではないか。
古典的な、洋食的味。
時間だけはかける。
しかし、ちょっと古い。
そこに、本場の風が吹き荒れた。
結果、よりおいしい食べ方が我々にもたらされたとい
うわけだ。

湯で時間と同程度で、にんにく、アンチョビペースト、
そして生のトマトを煮て、仕上げにバジルを六七枚入
れ、皿に盛ったらパルミジャーノを卸す。
その時のトマトの味によって微妙に変わるが、今回の
は充分旨いレベルだった。
満足満足。
それにしてもパルミジャーノ、よく持つもんだ。
かちんかちんの状態で、いつ買ったのかも覚えてない。
恐るべし、パルミジャーノの底力。

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貧者の核

2006年10月12日 | Weblog
以前、「貧者の核」と言えば、細菌兵器とかを指すも
のだったが、これからは「本当の核」がそれに取って
代わるというか、貧者という言葉が取れた時代になっ
てしまうのか、北朝鮮という国もますます「手に負え
ない国」まっしぐらだ。
まともな論理が通用しないから、経済封鎖で窮鼠状態
にするしか方法が無いという状況で、恐れるのは猫を
咬むこと。
やぶれかぶれで暴挙に出る確率はどのくらいなのだろ
うか。
近隣が一番心配するのは、難民がどっと押し寄せると
いう事態だ。
理想は、静かに消えてくれることなのだろうが。

そんな世界情勢の中、久しぶりのサッカー。
長閑さが、いつにも増して輝く。
相手がインドという、実力的には大分下のチーム。
ひやひやすることなく、のんびり見てられるのだが、
日本チームの問題点が散見されると、それはそれで一
瞬イラッとする。
行くときに行かない、バックパス、余計なパス回し、
しょぼいシュートなどがそれら。
そして、基本中の基本のトラップ、これがあまりに下
手。
全てが昔からの問題点で、なかなか改善されない。
実際、一朝一夕で劇的に変わるものでもない。
一歩一歩やるしかない。
体質的問題点解消の道のりは遠いということだ。

気になるのは、今のチームの華の無さをあげつらう事。
そして、Bチームのごとくいうこと。
スター選手不在は確かに事実だが、それは営業的に問
題だろうが、チームの実力に関わることではない。
それとBチーム、つまり実力的に劣ったチームのごと
く言われることに関しては、嘗てのスター選手(海外
で成功した実力者という意味ではなく、日本ではとい
う意味の)中心のチームが、どれほどのものだったの
かという事実を忘れている。
過去に対する過大評価、美化する陥穽というやつだろ
う。
全てに共通するこの傾向に対しては、常に自覚的でな
くてはならないということだ。

しかし、今の状態の巻は、ちょっと使えない。
嘗ての鈴木化現象に近いものを感じる。

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運動不足

2006年10月10日 | Weblog
昨日、最近やった唯一の運動が、バッティングセンター
であったという事実を書いたが、今日、改めて考えて
みても、ちょっとしょぼさ満開だ。
なんか他にまともなのが無かったか。
5年前なら、コンスタントにテニスなどしていたのだ
が、あれもぷっつりやらなくなった。
15年くらいは続いていたのだが。
ならば、自転車があったのだが、これは頻度がぐっと
低くなってきている。
ロードレーサーがあるのだが、乗る毎に空気を入れな
いといけないくらいにインターバルが空く。
そうこうしてる内に、寒くなってきたし。
すっかり、根性もなくなっている。

まあ、別に義務でもないので無理してやることも無い
のだが、最低限の筋力を保たないと、腰痛とか疲れや
すさとか、あとピリッとしないとか(一時的なものに
過ぎないのだが)結構自覚症状的なものを感じる。
旬の話題だったら、「メタボリックシンドロームに気を
つけろ」ってとこか。

かと言って、トレーニング的運動をやる気にはならない。
どうもあれは、苦行的だ。
たとえばランニング。
嫌いな人間からすれば、苦行以外の何ものでもない。
が、やってる人間からするとそうでもないことも知っ
ている。
結構、あれが快感だったりするのだ。
ランナーズハイとまでいかなくても、ランニングが習
慣化すると、やらないと気持ちが悪くなるのだ。
なんせ、人間は「習慣の束」だから(誰か忘れたが、
哲学者だか思想家の言葉)。
ポイントは、習慣化なのだ。
要するに、そこまでの過程が苦行的で、一旦習慣化す
れば後は極楽?が待っているというわけだ。

と、自分にとっては苦行のランニングの話はどうでも
よかった。
ここで考えなくてはならないのは、運動が習慣化して
ない自分をどうするかということだった。
第一条件は楽しくだ。
本当は、サッカーでもやりたいのだが、まだまだ草サッ
カーを普通にやれる環境にはなっていない。
日本は野球の国だから。
一時、草野球にも燃えていたことがあったが、今は野
球には興味ないし(バッティングセンターは別)、結
局テニス当たりが条件的には一番ということになるか。
水泳なんかも良いとは思うが、これも習慣化までの壁
がね。
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体育の日

2006年10月09日 | Weblog
十日のイメージが強かった「体育の日」も、いつの間
にか日曜とくっ付き、今日九日がその日ということら
しい。
確か、十日は晴天の特異日だったはずだが、取り敢え
ず今日は晴天のようだ。
まずは、めでたしめでたし。
「日本晴れの今日体育の日、全国各地では....」
と長閑なニュースも聞けることでしょう。

で、体育の日ということなので、一番最近の運動がい
つだったかと考えてみた。
この四五年、劇的に減っている状況の中、たまに運動
するとその都度筋肉痛が起こる。
だから、肉体がはっきりそれを記憶(痛みとして)し
ているので、それらがいつっだったのかはすぐ思い出
すことが出来る。
肉体(痛み)の記憶が、海馬を通して、大脳皮質に深
く刻み込まれているのだ(真っ赤な嘘です)。

二週間ほど前の、バッティングセンター。
これが一番最近の運動だった。
一時、ちょくちょく通い、140キロの(表示はそう
なっていたが、実際はどうだか)高速球もパカパカ当
たるようになったこともあったが(大事なのは慣れ)、
止めるとすぐ駄目になるのがバッティングセンター。
今回も、久しぶりなので、110キロの一番打ちやす
い球を選択。
流石に、これくらいだと、真芯には当たる。
しかし、勢いが。
打球の伸びが、イメージと違うのだ。
どうも失速気味だ。
年々この傾向が強くなってきている。
ゲーム数も、以前は4ゲームやらないと済まなかった
が、今は2ゲームで充分。

結局、年か、と呟き、寂しくバッティングセンターを後
にすることになる。
となっては、何のために来たのか分からなくなる。
スコーンと気持ち良く当たればいいんだから、これで
充分。
と、言い聞かせて、そのときはバッティングセンターを
後にした。
大して変わらないか。

いずれにしろ、たまにやるのがこの程度の運動では、
ちょっとしょうがないな、とは思っている今日この頃
だ。
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ヴィスコンティ2

2006年10月08日 | 映画


田舎に移ると、流石に見たいような映画は上映しない
ので、それらからは徐々に遠ざかっていった。
しかし、ちょっと興味のある映画の情報なんかに触れ
ると、やはり刺激される。
東京に、ちょっと小じゃれた映画館が出来た頃の話だ。
シネヴィヴァンとかそういうのが。
総称してなんて言ったか。
ちょっとしたブームだったのだが。
うーん、思い出せない。

で、結局どうしたかというと、わざわざ見に行ったの
だ。
主に、映画を見るためだけに上京。
今では考えられない身の軽さだ。
ホウ.シャオシェンの「悲情城市」
パラジャーノフの「ざくろの色」
ルノワールの「黄金の馬車」
これらが当時見たもの。

そうこうしてる内に、世の中はレンタルヴィデオ時代
に突入。
これが、一番大きかった。
見たかった過去の作品を見られる喜び。
借り方が半端ではなかった。
平均すると、一日一本が一年くらい続いた。
硬軟取り混ぜて、見たいものは一通り見た。
流石に、見たいものがなくなってきた時、運悪くか
良いのか、大型レンタルヴィデオ屋ではない、作家
中心の品揃えの個性的なヴィデオ屋が出現した。

ここで初めて「エリック.ロメール」「ロベール.ブ
レッソン」「ジャン.コクトー」「ロブ.グリエ」など
のフランス映画に触れる。
他にも「ヴィクトル.エリセ」「ピーター.グリーナウ
ェイ」「ヘルツォーク」「テオ.アンゲロプロス」「ル
イス.ブニュエルなどのヨーロッパの監督の作品を見
まくる。
日本人では「小津安二郎」を始め、「溝口健二」「川
島雄三」「加藤泰」「森一生」「三隅研二」など、そ
こにある限りを。
その総数は相当のものだった。
しかし、一番濃い「個人的映画の時代」でもあった。

基本的な見方「映画は監督のものだ」というのは、こ
のときに確信に変わった。
そして、好きな監督も徐々に変わって、「ヴィスコン
ティ」も初めの頃ほど好きではなくなり、今は「ロベー
ル.ブレッソン」「エリック.ロメール」「小津安二
郎」「森一生」あたりがお気に入りとなっている。

最後に、あのお世話になったヴィデオ屋はどうなった
かというと、あんな品揃いのおかげで当然のこと採算
が取れなくなり、あえなく閉店。
その時こちらは、ほしいヴィデオを安く譲ってもらっ
た。
そして、今現在、レンタル印の40本ほどのヴィデオ
が、マイコレクションとして棚を飾り続けている。

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ヴィスコンティ

2006年10月07日 | 映画


蕎麦屋の主人は、「ルートヴィヒ.神々の黄昏」を、
結局二度見たそうだ。
四時間あまりの作品だから、計八時間。
相当な集中力が必要だ。
年が年なのに、本当よく、だ。

相当昔の作品なのに、ちょくちょく登場するヴィスコ
ンティの「神々...」(長いのでこの表記で)。
何故かというと、それなりの訳が。
この映画、自分にとっては記念碑的な作品だったのだ。

これを見る以前は、所謂普通の映画、たとえば「エイ
リアン」「ロッキー」など話題作を映画館で見て「あ
あ面白かった」などと感想を漏らす一般的映画ファン
であった。
それがある時、多分そういうのが好きな人間が薦めて
いたのだろう、それか新聞かなにかで紹介してたのか
もしれない、兎に角興味を持ち始め、たまたま近くの
映画館でこれを上映することになった。
今でも忘れない、三鷹の名画座的映画館だ(その割に
は正確な名前忘れてる)。
見る気満々だったので、勇んで行った。
そして、結果的にこの作品が、その後の映画の嗜好(志
向)を決定付ける、記念碑的作品として記憶に深く刻
まれることとなったのだ(ちょっと大袈裟)。

映画は娯楽作品だけではない、という事実を知ったそ
の後は、積極的にそういう作品が見たくなる。
今思えば、この段階が一番意欲的で楽しい時期だった。
なんせ、対象が五万とあるのだから。
殆どが未知な世界。
映画に限らず、未知なものを知る喜び、感動の原点。
しかし、それも長くは続かなかった。
東京から離れなくてはならなかったから。

単なる思い出話も、こうやって書くともっともらしく
なるなあ、というわけで、続く。

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カフェ2

2006年10月06日 | Weblog
テラスがあることによって、「交流の場」としてのカ
フェが発展するわけだが、その代表にあげられるのが、
サンジェルマンの「ドゥ.マゴ」「フロール」、モン
パルナスの「ロトンド」「ドーム」などだ。
前者が哲学者の、後者が芸術家の集まるところで有名
なのだが、今入っても往時を偲ばせる雰囲気を保って
いるのは、流石だ。
アールヌーヴォー調のインテリアが当時のまま残され
ているのを間近で見ると、「これがフランスの文化だ」
と自然に感じられる。
「レオナール藤田なんかも常連だったんだよな」と、
普通に想像してしまう。
それくらい、今でもリアリティーがあるのだ。

日本にも、そういったグループの集まるところはあっ
たのだろうが、いかんせん閉鎖的だ。
仲間以外入れない雰囲気がある。
まず、中が見えない重い扉という、大きな境界を越え
て入らないといけない(テラスだと、そもそも扉が存
在していない)。
入ったら入ったで、よそ者が来たという冷たい視線を
一斉に浴びる。
そして、居心地の悪さに早々と引き上げる。
まあ、こんな感じではないだろうか。

その点、フランスのカフェは、仲間でなくてもその場
にいることが出来るという、開かれた雰囲気がある。
隣で、議論が沸騰してようが、関係なくお茶を飲んで
自分だけの世界を楽しむことが出来る。
周りの人間も、お互いに干渉しない。
つまり、変な視線を浴びせることもないというわけだ。
関心があればあったで、そういうグループに参加する
ことも出来る。
だから、エトランジェでも自然に開放感を味わうこと
ができる。

と、嘗て初めて行ったパリで、初めて一人でカフェに
入った時に感じたのだが。
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カフェ

2006年10月05日 | Weblog
以前にも登場したが、お気に入りのカフェが松本にあ
る。
目の前にセーヌ川(実際は女鳥羽川、メトバ川という
ちょっと風情のある名前の川)が流れていて、テラス
でまったりには最適のカフェ。
ただ、このカフェの名前があまりに難しい(日本人に
は)。
「Au crieur de vin」
これを見ただけで、すんなり読める人が一体どれほど
いるだろうか。
日本語表記は、オ.クリヨー.ド.ヴァン。
やはり、難しい。
意味は、「ワイン売りへ」なのか「の」なのか、今ひ
とつ分からない。
Auをどういう風に訳せば良いのか(Qさんお願いし
ます)。

そんな、純フレンチスタイルのカフェが、こういう場
所にあること事体が不思議なのだが(こちらとしては
喜ばしい)、地元に根付くかどうかが興味のあるとこ
ろだ。

フランスなんかでは、カフェ文化というものがしっか
り根付いている。
日々の暮らしの中に、カフェで一杯というのが組み込
まれている。
そこは、コミュニケーションの場であり、くつろぎの
場だ。
そして、日本とは大きく違うのがテラスの存在。
このテラスがあるのと無いのでは、カフェの意味合い
も大きく変わる。

内と外の境界線が消滅する場所がテラスだ。
つまり、内であり外であるテラスがあることによって、
カフェそのものが開かれたものになり、自由な交流の
場となる。
日本の場合だと、喫茶店、純喫茶、どれも閉じた空間
というイメージだ。
最近の、アメリカ風のカフェはそういう閉じた感じは
無いが、効率的なだけで、交流のイメージも無い。
で、結局日本の場合は、常連さんがたむろしている喫
茶店、内内だけで仲良し子よしのスナック文化が中心
となる。

だから、まだまだカフェ文化に慣れてない日本人は、
都会のおしゃれな場所にあるカフェを除いて(ここは
ここでテラスに座って演じようとする人間がいる)、
なかなかテラスに座ろうとしない。
他人の視線が気になるのだ。
田舎ほどそういうものが気になるから、当然と言えば
当然なのだが、考えてみれば日本にも、かつてテラス
に相当する場があった。
縁側だ。
縁側文化とカフェ文化。
誰か、本にしてそうな題材だ。
微かに聞いた事あるような気もする。
縁側の消滅とともに、テラスが増えていく。
新たな交流の場の出現。
どうなんだろうね。
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太夫

2006年10月03日 | Weblog
今までずっとこの漢字を「タイユウ」と読んでいた。
あるいは「ダイユウ」。
となると、以前取り上げた「山椒太夫」も、正式には
というか、本当は「サンショウダユウ」だったのか。
これも当然のことながら「サンショウダイユウ」と、
ずっと思っていたのだ。
ああ、恥ずかしい。

こういった普通の(あまり使わないから普通と言えな
いかもしれないが)漢字の読みを、全く違うように記
憶していて思わぬところで恥をかく、ここは、よくあ
ることと処理して、正確な知識が一つ増えたとポジティ
ヴに考えることにしよう。
因みに「山椒太夫」はサンショウダユウ或いはサンセ
ウタイフと読むらしい。

漢字の場合、読みは読みでいろいろあるが、書きもま
た更にいろいろある。
例えば、ゆううつの「うつ」という漢字が書けるか、
となった場合、すらっと書ける人は少ないと思う。
「私は書けるが」。
この場合、言った人間はいくらか自慢が入る。
殆どの人が書けない中、書けると言えば、周りは思わ
ず「へえ、すごい」といった反応をする。
それを前提にした発言、それがこの場合の「書ける」
なのだ、が。

書けないより書けたほうが良いのは間違いないが、本
当は、こんな難しい漢字を書けるかどうかより、もっ
と普通の漢字を正確に書けるかのほうが大事(「うつ」
なんて漢字書くケースもないし、本当、見せる以外に
何があると言うのか)。
簡単な漢字で、点があったのか無かったのか、棒はこ
の数でよかったのか、最近しばしばそういう状況に追
い込まれる。
どう考えても、こちらの方が重要だ。
しかし、私の場合、間違いなく増えてるんですね、こ
れが。

追記
漢字ではないが、また記憶違いが発覚。
「ショートカッツ」の時、同じアルトマンの映画を引
き合いに出したのだが、「プレイヤーズ」ではなく「
ザ.プレイヤー」が正解だった。
ったく、もう。
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競馬

2006年10月02日 | Weblog
あまりに大騒ぎなので、つい「ディープインパクト」の
凱旋門賞を見てしまった。
実際は、たまたまNHKで中継してたので、というこ
となのだが。

殆ど興味ないことなので、ちょっと騒ぎすぎなんじゃ
ないのとは思っていた。
こういうものの常で、テレビでやればやるほど、見て
る方は「それに価値がある」と思えてくる。
本来は、人それぞれの価値観によって決まることなの
だが、まるで普遍的な価値が元々あるかのように感じ
てしまう。
特に、スポーツ関係が顕著(その傾向が)だ。
人々の心を一つにするためには最適というわけだ。

かつて、レニ.リーフェンシュタールがナチの映画「民
族の祭典」(オリンピックでのドイツ人を、陶酔的に描
いた)を撮ったが、そんな例を出すまでも無く、ワー
ルドカップだけ見ても、プチナショナリズム的熱狂が
出やすいもの、それがスポーツだ、と言える。
今回の「凱旋門賞」だって、完全に日本代表としての
熱い視線を浴びた。
なんと、5000人もの日本人がロンシャン競馬場に
来たという。
そのおかげで、ディープインパクトの単賞オッズが1.
何倍とか。
日本人以外は、他の倍率が上がって喜んだのではない
だろうか。
ジャパンマネーがフランス人を喜ばす、結果的にはそ
うなったが、それにしてもそこまで熱狂することか、
という疑問は消えない。
仮託する喜びが暴走しないように願うのみか。

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蕎麦2

2006年10月01日 | 食べ物


昨日からの続き。

蕎麦掻が蕎麦切りに発展したのは、主に江戸での話で、
田舎は、多分逆輸入ではないかと思われる。
蕎麦打ちの技術も、そこで洗練されていき、今の形に
なったのではないか。
つまり、手打ち蕎麦の本場は東京で、田舎は蕎麦を栽
培していると言う意味で蕎麦の本場、という風に言え
るのではないか。

では、何故、日本全国蕎麦を作ってるところがありな
がら、信州だけが蕎麦どころ如く言われるのか。
地形的に、蕎麦に適した高原地帯が多いと言う事実も
あるが、小林一茶の句が大きかったのではないか。
「信濃では 月と仏と おらが蕎麦 」
今となるとこれも立派なコピーだ。
完全に宣伝文句だもの。
他にも一茶ではないが
「信州信濃の新蕎麦よりも、わたしゃあなたのそばが
いい」
なんてものもある。
これだけ有名なコピーに接していれば、自ずとイメー
ジが定着するわけだ。

実際、今の蕎麦屋の状況を見ると、評判の良いところ
は、東京のどこそこで修行したとか、一茶庵系であっ
たりと、地元系というのは少ない。
そばつゆに関しても、地元系よりメジャー系の方が洗
練されているしと、味的にもそちらの方が上、と思わ
れる。
ただ、もし、蕎麦は洗練されているものより、素朴な、
喉越しが少々悪くてぼそぼそしていても、蕎麦の香り
が強い方が好き、ということになれば、それはそれで
満足させる店と言うのは田舎には多い。
結局、どういう蕎麦を求めてるのかで結果は変わる。

最後に一般的法則として。
幹線沿いの店と言うのは、どこも似たようなもので、
これだと言う店は少ない。
そして、大きな店で良い店と言うのも少ない。
つまり、漠然と入って当たりとなる確立は、極めて少
ないと言うことだ。
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