先日、今ひとつ覚えの悪い映画好きと、お気に入りの
ピッツェリア「フォルマッジョ」の話になった。
「あそこのピザと比較すると、ここらにあるファミリ
ー系イタリアンのピザなんか食えないですけどね」
(今ひとつ...の彼、以後長いので今と表示)
「確かにね」(私)
「でも、ファミリー系のほうが受けるんですよね」(今)
「特に二十代や若い主婦にね」(私)
「何ででしょう?」(今)
「そりゃあ、違いがわからないんだから」(私)
「明らかに違うんですがね」(今)
「それが、彼女らにしてみれば明らかじゃあないんだ
ね、本格的になりすぎると受けない典型だね」(私)
「値段も問題ですかね」(今)
「そう、味が関係ないんだったら重要なのは量と値段
だろう」(私)
「サラダバーとかないと、ってことですか」(今)
「そうね、それと如何にもイタリアンだよって演出も
ある程度必要だね」(私)
「その点、フォルマッジョはそっけないですからね」
(今)
「あと、彼女らは長時間いたいから、それなりの規模
もあった方が」(私)
「その点フォルマッジョは小さいですからね」(今)
「結局、質に目がいかない限りこの状況は変わらない
ということだ」(私)
「結論はそこですか」(今)
「まあ、全てに通ずることだから」(私)
「でも、それってセンスがないと駄目じゃないですか」
(今)
「That’s right」(私)
「いきなり英語ですか」(今)
「じゃあ、Oui c’est ca」(私)
「今度はフランス語ですか」(今)
「この場合、イタリア語で返すのが正解か?でもイタリ
ア語でなんて言うんだ」(私)
「そういう問題じゃあ...」(今)