パソコンのおかげで一番楽になったのは、コラージュ
を作る作業だ。
以前は、はさみやナイフで切って、糊付けして、失敗
しては、はがし、ふたたび貼り付けと、何度と無く同
じ作業を繰り返した。
それが今は、一瞬にして切り貼り。
しかも、失敗してもすぐに元通り。
色も、自由に変えられるし、透明化とか今までだった
ら絶対出来ない効果も与えられる。
バリエーションは無限大。
こんなに簡単に出来て良いものだろうか、と思わず考
えてしまうパソコンなのだが。
手作りのものと、パソコンのものとを比較すると、明
らかに違うのは、質感。
パソコンは、プリントして初めて「作品」として出来
上がる。
その、紙質が全体の印象に大きく影響する。
実際に切り貼りしたものなら、使ってる素材の質、凹
凸などが微妙に影響しあって全体の質感が決まるのだ
が、パソコンでは、それらの要素がない。
安直と言えば安直なのがパソコンだ。
しかし反面、表層的な戯れには適しているともいえる。
深みが無い、と言われがちであるが、所詮我々が見て
いる(見ることができる出来る)のは表層だけ。
違いは「深み」を発見したい自分がいるかどうか。
そこには本質的な違いは無い(案外、立体的に見える
かどうかだけの問題だったり)。
つまり「深み」を見ることも表層の戯れの、一形態に
過ぎない。
てなことも、文章にすると、もっともらしい理屈にな
るのだが、本当のところは良く分からない秋の夕暮れ
なのである。