ピカビア通信

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自家焙煎のコーヒーについて

2012年07月15日 | 食べ物

 

最近この辺りでも、自家焙煎のコーヒー豆を売る店が新規オープンしている。これは全国的な流れなのだろうか。唯、煎りたてコーヒーは確かに薫り高く美味いと思うが、そこまで気にかける人間がこの田舎にどれほどいるのだろうかという素朴な疑問は、どうしても湧いてしまう。かく言う自分も、今まで豆は通販の安いものを500グラム単位で買うという、所謂味を求めてのタイプではない。自家焙煎を売りにしている所は、豆の出所から始まって、選別煎り方全ての拘わりを前面に押し出し、傍目からするとちょっと鬱陶しささえも感じる店主の哲学を売る店のように見えるのだが、それほどまでにコーヒーというのは人を魅了するのかと、ある意味感心はする。

基本的にフレンチローストのような苦味中心の深煎りしか飲まないので、極論すると豆の種類は何処でもいい。豆の品質については、なるべく粒ぞろいの変な豆が混入していないものという希望はあるが、一時のストレートコーヒー流行りのマンデリンやらガテマラがどうのこうのというのは、もうとっくに捨てた。それはいいのだが、この500グラム単位というのが曲者で、大量に飲むならばそれなりに早く消費して何とか香りも保てるのだが、一日一杯のペースではなかなか減らなく、後半になると、もうコーヒーのいい香りが殆んどしない単なる黒い液体と化す。矢張り豆は、早く消費できる100グラム単位で頻繁に買うというのが良いのでは、と最近思い始めた。勿論、挽いた豆は論外である。

と、そんな話をT君にしたら、ちょうどあまってる豆があるからどうぞと言う。それはニューヨークから仕入れたものでT君が貰ったものらしい。ずっと冷凍してあったということだったので、もう香り無いんじゃいのと思ったが、T君は使わないというので取り敢えず貰ってきた。ニューヨーク直のこのコーヒーを気に入ってると言う人がいるらしいが、その話を聞き、そんなのがブランドになるんだねえ、とこれもある意味感心した。日本に来るまでに明らかに鮮度が落ちるはずなのに。そしてその豆を挽きコーヒーを入れた。挽いてる時点でもう古いと思わせる香りの立ち方だったので、飲むのは単なるそれを確認する作業となってしまった。

香り物は鮮度が命というのが、本日の教訓でありました。

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