『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』**私が総理大臣になったら**<2008.7. Vol.53>

2008年07月01日 | 単独記事

私が総理大臣になったら

三橋雅子

第1次産業の復活を果たす。

 疲弊した農業はいうまでもなく、枯れかかった森の創生、ガソリン税に圧迫される漁業の復活が日本の生き残る地道な道に繋がる。明日に迫る世界の食糧危機を、労働力の移行で回避し、森を生き返らせて川を、海を守る事が急務である。

 既に第1次産業で、苦しくても、経済的に報われる事が些少であろうと、自然と対峙して奮闘しているけなげな若者たちを励まし、貴重な食糧生産を支えている要員として優遇措置をとる。おのずと、都会の第3次産業でしか、生き延びるすべがないと思い込んでいる若者たちのエネルギーは第1次産業に流入する。将来を見通す程に、やけっぱちにならざるを得ない人生に絶望し、他者を傷つけるしか術を知らない若者たちの居場所は確実に見つかるはず。

 先ず、無一文の若者が労働力と心意気だけを引っさげて真摯に生産に励んでみようとすることを可能にする手立てを講じる。ほとんどがドブに捨てるような公共事業に莫大な財源を投入してきた償いのためには、これくらいの財源は何としても掻き集めなければならない。生産手段の土地や森は人手に渇望しているのだ。

 自然は自分の投入した労力や能力を公平に査定し、結果に反映させてくれる。自分の無知も怠惰も勤勉も、厳しく、しかし正当に評価して、結果を見せつけてくれるのだ。情実も賄賂も通用しない「自業自得」の厳しい現実に脱帽せざるを得ない。しかし自然は厳しくとも、確実に自分の投入した労働の証しを見せてくれる。

 しかも本来、自然はおおらかで、些細なミスやズボラやいい加減さも見過ごして包み込み、怠惰や無知に対しても温かく、そこそこのご褒美は振舞ってくれる。この一番の「自然の敵」である人間をも、差別なく他の動植物と同等に慈しんでくれているではないか。その代わり、無能でいい加減な上司に向けるおべんちゃらは通用しない。厳しい結果は、ほとんど全て自分の怠惰と無能の当然の帰結という事実を見せつけられ、自然の正当な評価を、素直に受け入れざるを得ない現実に直面する。自己とそれを取り巻く現実に向き合わざるを得ないのだ。無責任な匿名による虚の世界のお遊びは歯牙にもかけられない。そこでは、都会の、夢とうつつの境界が定かでない、掴んでいたものが零れ落ちるような、はかなさと不条理の世界は無縁である。しかしこの文明社会の落とし子の、目くるめくような幻惑の世界とも全く無縁の暮らしは寂し過ぎる、という向きには、月1でも無料の夜行バスを原宿、六本木でも、アキバだろうがアカサカサーカスだろうが、はたまた通天閣かミナミかキタか、選り取りみどりの横付けにするくらいの「ご褒美」は自然に倣ってするべきであろう。

 第1次産業の従事者も、将来を見通そうとすれば絶望せぎるを得ない状況に変わりはないが、そこで見えてくる、自然や、自分の労働に対する理不尽な仕打ちは、明らかに政治の無策や不条理としてオテントサマの下に明らかになるから、不満の標的や正すべき相手を見失う事はない。

 ここで鍛えられた若者は、私利私欲がらみの腐敗した政治の罪悪と、何よりそれを許している選挙民の愚かさと不条理に気付き、然るべき人材に自分のかけがいのない主権をゆだねる事に真剣になるであろう。人任せの危うさに気付く筈である。そうでなければ、私が総理大臣になって奮闘しても、世の中良くすることは出来ない。

編者メモ

 「私が総理大臣になったら」なんて、「いったい三橋さんどないしはったん」。冒頭に出たこの一種違和感唐突感のあるタイトルの文章を、そう思いながら読まれた方がおいでではないだろうか。私が何も知らずにここでこの文章を読めばそう思うから、私が思えば皆もそう思うだろうと、いつもの私の勝手な思い込みでそう思ったから、そう思うのである。編者は6月の例会を欠席したのだが、その例会で、私が政権をとったら何をするか、一つ各自でマニフェストを作ってみないか、という話になり、それを“みちしるべ”次号、この号に発表しよう、ということになったらしい。だが約束通りこの号に間に合わせてくれたのは三橋さんだけだったので、冒頭の唐突感をぬぐうためこのメモを付けたのだ。とは言え編者も例会の報告はもらっているから、マニフェストを書くことを知らなかったとは言えない。これは欠席したなんて言い逃れをしている編者のだらしない声でもあるのだ。

コメント
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