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『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』**原発反対は風評被害につながるか?**<2020.春季号 Vol.106>

2020年07月11日 | 川西自然教室

原発反対は風評被害につながるか?

田中 廉

 原発に反対することは、――福島での風評被害を助長し、『科学的に安全が証明されている』海産物・農産物の販売を阻害し、福島の人を苦しめている――と主張する人が、たまたま近くにいたので、その人への反論です。福島第一原発の汚染水処理(特にトリチウム)について話題になったのでその点について少し詳しく書きました。

 海岸に立地している原発が爆発し、そのとき大量の放射性物質をまき散らしたのだから、多くの国民が原発に強く汚染された地域の農作物、魚類など食べ物について、慎重になるのは当然のことです。

 自分の仕事に誇りを持つ生産者も、汚染された食べ物を売ることはありませんでした。信用を回復するために、生産者は、時間をかけ土壌の改良を行い、海では汚染水の海洋流出が止まり放射性物質の影響が低下し、現在は放射線の測定を行っても健康に問題がないだろうという状態にまで回復した状況だと思います。

 福島は安全性アピ-ルの為に、たぶん非常に丁寧に放射能の測定を行い出荷するでしょうから、もし、ス-パ-で福島産の魚や野菜が売られていたら、私は気にせず買います。

 しかし、今まで政府、企業は不利なデ-タ-は隠し、うそをついてきた過去があるので、政府や行政の数値をそのまま信用できないという人や、できるだけ放射能の影響の少ないものを、特に子供に食べさせたいと思う人がいても自然です。これは個人の自由です。このことにとやかく言うのは失礼です。

 今、風評被害はあるだろうと思います。これには、放射能の測定を行い安全基準以下であることを明記するなどの、時間をかけ丁寧に説明を重ねて解消してゆくものです。「科学的に安全性が立証されているのだから、文句を言うな」というのでは、権威主義的で反発を招くだけです。

 内容についていくつか、指摘したいことがあります。

1.風評被害

 現在、福島の魚は風評被害で全然売れないという状態ではありません。地道な努力で現在は震災前の15%ほどまで回復しています。2017年には福島の漁港でセリが始まり、魚種によっては高い値が付いたそうです。今年2月には全魚種が出荷できるようになりました。

 豊洲市場の水産会社との交渉も進められ、安定的な供給が見込めれば、市場で取り扱いができ、販路も確保できるとこが分かったそうです。2018年より、イオンが東京・埼玉などの8店で「福島鮮魚便」コーナーを設け、昨年は好評なので10店に増やしています。そして今年は、千葉・名古屋・大阪でも特設会場で販売をしています。反応もよく、思っていたような風評被害は無かったようです。

 今後、出荷量は紆余曲折があっても、伸びてゆくだろうというのが現在の状況ではないかと思います。ただ、アルプス処理した放射性物質を含む汚染水を海に流せば、今までの福島の努力は水の泡になります。いくら基準値以下だといっても消費者は納得しないでしょう。

 風評被害とは「根も葉もない噂により経済的な被害を受けること」です。原発汚染水、また、安全とされるトリチウムの危険性について、疑問や意見を述べることは、根も葉もないうわさ話ではありません。多様な選択肢を認め合い、各人が自由にものを言えることは、憲法に保障された権利で民主主義の一番の基礎です。

2.科学的に問題がない?

 これほど誤解を招く言葉はありません。科学に絶対はありません。「科学的に問題がない」から、それに反対するのは無知で「風評をあおる」などというのは、科学を知らない人の言葉です。

 規制値は、現時点で我々が持つ知見と、その値が社会に与える影響を、政治的に配慮して決められています。私たちは、自然界のいろいろな事象のほんの一部しか知りません。今後、研究や経験が積み重なってゆけば、判断の基礎になった知見は変化します。それは、規制が厳しくなることもあれば、ゆるくなることもあります。

 「政治的に配慮」とは、規制によって生じるコスト、技術的問題、実施団体(今回は東電)への経済的負担、水産業などへの影響を考えることです。規制値は、純粋に安全性だけを基に決められているものではありません。「現時点で我々が持つ知見に基づく安全性」と「政治的に配慮」のバランスの上に作られています。

 「科学的なデーターに基づく」と言われる規制値は、たいがいの場合、会社の負担(コスト)が少なくなるよう、また、原発内での作業がしやすいように、緩和される傾向にあります。ですから、決して今の規制値が「科学的」根拠だけで作られているのではないのです。

 それゆえ、政府・企業の言う「科学的に安全」に不信感を持つ人がいても自然なのです。そして、その不信感を主張することは、「科学的に安全である」と主張するのと同じように、根拠があり表現の自由で守られるべきことです。

 政府のやることに監視の目を光らせている人たちがいることで、政府や企業が不正や不合理、非科学的なことをする予防になり、それは国民の利益にもかない、長い目で見ると政府や企業の利益にもなります。すべての人が、お上のいうことを素直に信じているのではないのです。

3.福島第一原発の汚染水処理(特にトリチウム)について

 資源エネルギ-庁によれば、2019年10月末の汚染水の貯蔵量は約117万㎥で、トリチウム量は約856兆ベクレルです。日本のトリチウムの排水基準は60万ベクレル/ℓで、年間の放出管理基準値(総量規制値)は22兆ベクレルです。(この値は、国内で最初に稼働した福島の原発のトリチウムの年間排出量が20兆ベクレルなので、福島原発の排出量が先にあり、それに合わせて基準を決めたと疑われる。)

 政府はアルプス処理水を、基準値以下に薄めて海洋投棄しようとしています。トリチウム以外の放射性物質の総量規制は、全部合わせて2200億ベクレルで、トリチウムの1%です。

 政府は、トリチウムの崩壊電離エネルギ-が非常に微弱であること、人体に取り込まれても速やかに排出され蓄積しないこと、生物濃縮がないことなどを理由に、人体への影響が他の放射性物質と比べ極めて低いと、大量に放出しても問題はないとの判断です。

 問題はいくつかあります。

① 希釈して海洋に放出する案

 トリチウムの総量規制は年間22兆ベクレルしか海洋投棄できないので、今あるアルプス処理水(約856兆ベクレル)をゼロにするには39年ほどかかります。今でも毎年100~150㎥の汚染水が発生しているので、さらに時間がかかるでしょう。

 たぶん、政府・東電は基準値を大幅に緩和してもっと短期間で海洋投棄を行うのではないかと危惧されています。その場合は、今までの規制値や、その基となった科学的根拠はいったい何だったのかという疑問が生じます。

 規制値は安全だと合理的に判断される値に、更に安全係数を掛けて厳しい値に定められます。それを経済的な理由で安易に変更すべきではありません。もし、規制値以下であれば海洋投棄してもよいとなれば、薄める海水は無尽蔵にあるのだから、なんでも海に捨てることができるようになります。
一度特例を認めれば、堤防が決壊して洪水になるように、他の場合でも同じようなことが行われ、海は核のゴミ捨て場になります。

 また、東電が2018年に認めていますが、アルプスの処理能力を超えた汚染水を処理したため、現在のアルプス処理水の80%が、トリチウム以外の本来除去されるべき放射性物質が規制値以上、場合によれば何万倍も高い濃度で存在しています。これも再処理せずに希釈して流せることになります。(一応東電は再浄化するといっています)

② トリチウムの生物への影響および生物濃縮について

 政府・東電の説明:「トリチウムは自然界にも広く存在し、生物への影響は微々たるもので危険性はほとんどない。」という説明でした。その根拠は以下の3点です。

  1. トリチウムは自然界に普通に存在し、毎年、宇宙線と大気の反応により大量に作られ、私たちの体内(体重60㎏として)には50ベクレル程度、日本の水には1ベクレル程度存在すること。
  2. トリチウムが出す放射線はベーター(β)線ですが、そのエネルギ-は非常に弱く紙1枚で防ぐことができ、進む距離も非常に短く、その人体に与える影響は、他の核種に比べて桁違いに低いこと。
  3. そのため外部被ばくは無視でき、問題とされるのは内部被ばくです。
    トリチウムは水素の同位体なので水素と同じ働きをします。(厳密には極々少し重い)汚染水ではトリチウム水(HTO=水素原子1個+トリチウム原子1個+酸素原子1個)として存在し、水(H2O=水素原子2個+酸素原子1個)と同じ挙動をします。トリチウム水は体内では通常の水と同じように約10日で排出され、特定の臓器に蓄積されることはなく、また、生物濃縮を起こすことは確認されていない。
  • 反論:環境中のトリチウムは、ほとんどがトリチウム水(HTOと称す)として存在しますが、一定量が有機結合型トリチウム(OBTと称す)になります。OBTは、主として光合成によって形成され、海中では植物プランクトンや藻類により形成され、植物連鎖の中に取り込まれます。
    人間が経口摂取したOBTは、その50%がトリチウム水として短期間で排出されますが、ごく一部のOBTは生物半減期が1年となり長く体内にとどまり続けます。英国プリストル海峡で、二枚貝やカレイに高濃度のトリチウムが蓄積されているという論文が2001年に発表され、それに対し、測定方法などに問題があるとの反論も出されました。
    英国食料基準庁のガイドラインに従い1997年から10年間、毎年調査し続けた結果では、海水のトリチウムが5~50ベクレル/ℓであったのに対し、ヒラメは4000~50000ベクレル/㎏、二枚貝のイガイは2000~40000ベクレル/㎏で、夫々平均3000倍と2300倍の濃縮率でした。
    また、トリチウム水で育てた海藻を二枚貝のイガイに与えた実験では、投与量に比例してトリチウムが蓄積していることが確認されています。以上のように、生物濃縮については、従来とは異なる実験結果もあり、生物濃縮の有無については合意されていないのが実情だと思います。

③ トリチウムの内部被ばく

 一番の問題は、トリチウムは水素と同じ挙動をするために遺伝子の水素原子が、トリチウム原子に置換されることです。トリチウム原子が崩壊しヘリウム原子に変化する時に、それによって原子の結合が切れ、またベーター線により、周囲の遺伝子を傷つけ、癌などのリスクが高まる危険性があると言われています。

 これに対しては、遺伝子は様々な要因でいつも損傷を受けており、「修復酵素」の働きによって修復されており、また、異常な細胞を排除するシステムを人間は持っているので問題がないという人もいます。

④ トリチウムの安全性

 トリチウムそのものの毒性は他の放射性物質に較べて、極めて低いが、福島の汚染水のトリチウムの量は桁違いに多く、総量は最終的には「兆」のレベルではなく、「京」のレベルになるだろうと思われます。

 これを海洋投棄するのは、環境に対する負荷が大きいのではないかと思います。前述の5~50ベクレルの海水で育てたカレイやイガイの生物濃縮のことを考えると、回遊魚でない底魚や貝などでは問題が生じる可能性を排除できません。

 よって、希釈して海洋投棄することには反対です。近畿大学では特殊なフィルター、京都大学では吸着剤を用いてトリチウムを除去することに成功したと報道されています。まだ、実験室段階ですが、研究を続ければ効率的、経済的にトリチウムを除去する実用的な技術が開発される可能性があります。国・東電は、海洋投棄一辺倒でなく、こちらの技術開発にもっと資金を投入し、力を入れるべきだと考えます。

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『みちしるべ』**韓国で思ったこと**<2019. 秋季号 Vol.104>

2020年01月02日 | 川西自然教室

韓国で思ったこと


田中 廉


 2019年11月8日より11日まで、教会(日本聖公会)の「31独立運動100年・信仰の交わりから学ぶ=韓国の旅」に参加し韓国のソウルを訪問した。今回の旅行で三つのことが強く印象に残った。一つは韓国の発展であり、もう一つは教会で見た1枚の写真、最後は西大門刑務所博物館での展示である。

 まず、韓国の発展だが、2018年の韓国の国別名目GDPは10位(日本は3位)、一人当たりGDPは3.3万ドル(日本は3.9万ドル)で28位(日本は26位)である。一人当たりGDPが3万ドルを超えると先進国と言われるので、先進国に属する。一人当たりのGDPが日本とほぼ同じということに少し驚いたが、一流企業の給与は日韓に差はないそうである。買物をしていても物価は日本と大差はないような気がした。只、食事は韓国の方が安かった。現地ガイドの人が安くておいしい店に案内してくれたこともあるのだろうが、夜は腹いっぱい食べても2000円を越えなかった。

 日韓の経済発展の過程はよく似ているように思う。韓国は朝鮮戦争、日本は第二次大戦で壊滅的な被害を受け、ともに資源の無い国だったが驚異的な発展を遂げた。韓国の経済発展の契機になったのは、1960年代中ごろからの日本からの有償・無償の援助と、ベトナム戦争参戦の代償としての米国からの援助と、ベトナム戦争特需と言われている。日本は朝鮮戦争特需で基礎を固め、その後の発展につながった。そして両国共に、色々弊害があったにせよ政府が主導権を持ち、外資の導入に慎重で民族資本を優遇した結果、世界に通用する自国資本のグロ-バル企業が育ち国の発展に寄与した。

 もう一つの教会で見た写真は、韓国聖公会のもっとも古い教会である江華聖堂(教会)の壁にかかっていた、江華聖堂の歴史を伝える写真の一枚である。それは、韓国聖公会が1897年、朝鮮王室海軍士官学校のイギリス人教官の所有する土地と官舎を購入し、布教の拠点としたときの写真で、十数人の海軍士官学校の生徒の訓練風景が映っていた。

 私は今まで、日本に遅れて開国した韓国が、近代化のためどのような努力をしてきたのか知らなかったので、「士官学校もあったのか」と認識を新たにした。帰国し調べると、1910年の日韓併合まで、西洋列強と対等な外交関係を樹立し、殖産興業と富国強兵により近代的な主権国家に生まれ変わるために、必死に努力をしていたことを知った。

 アメリカのワシントンDCをモデルに新しい都市計画を立て、首都の道路を拡張し、公園を作り、1899年には電車が開通した。これはアジアでは京都に次いで2番目で、東京より早いという。1894年には身分制度が廃止され、政府機関の顧問や、電機・鉄道・鉱山・電信などの技術者として約200名の外国人を雇用した。外交面では、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツなどに常設外国公館を置き、万国郵便連合やジュネ-ブ条約にも加盟した。

 日露戦争勃発の直前に、中立宣言を世界に打電した。が、日本は数万の兵士を朝鮮に派兵し不法占領した。そして日露戦争に勝利した日本は、アメリカ、ヨ-ロッパ列強に朝鮮に対する権利を承認され、1905年に宮殿を兵士で囲み、調印に抵抗する大韓帝国の高宗を脅し保護条約を締結した。そして、1910年には日韓併合となり、日本の植民地となった。日本の植民地支配は、韓国にとっても悪いものではなかったという人が居る。確かに、鉄道が整備され、沢山の学校が設立され、耕地面積が増え、農業生産も増え、人口も平均寿命も延びたなどプラスの面もあり、それを評価してほしいという気持ちはわからぬではない。しかし、この意見には忘れてはならない重要なことが二つ抜けている。

 それは、日本は韓国を植民地にすることにより、韓国が自分の力で、自国を豊かにする機会を奪ったことである。当時の日本と韓国の国力を比べれば、韓国独自では、財源不足等で近代化のスピ-ドは遅かったかもしれないが、時間がかかってもそれを納得する形で成し遂げられたと思う。戦後の韓国の驚異的な発展が、それを成す底力を示している。大韓帝国時代、韓国は近代化のため歩き始めたが、その時、足払いをかけその歩みを止めたのは日本であることを忘れてはいけない。

 もう一つは、そもそも、帝国主義時代の植民地の目的は、武力を背景に他国の領土と主権を奪い、自国のための原材料、労働力、市場の確保、軍事上の安全確保などを目的に行うことであり、その目的達成のための改革だったという事である。鉄道は生産が増えた米を日本に運ぶのにも使用され、学校では徐々に日本語が強要され宮城遥拝など日本に従順な国民を作ることが重要視された。植民地主義は、それによる現地への多少の恩恵はあったにせよ、本質は現地の収奪であり、『悪いこと』であることを認識しなければいけないと思う。戦後、ほとんどの植民地が独立し、旧式の帝国主義が亡んだことが、現地の人たちにとっては耐え難いことであり『悪い』ことであったことを証明している。

 最後は西大門刑務所博物館での展示で、ハングルで辞書を作ろうとした二人の国文学者が獄死したことである。日本は植民地化以降、同化政策をとり韓国・朝鮮人の民族意識を徹底して排除しようとしてきた。それはだんだんエスカレートし、1938年には学校では日本語で授業が行われるようになった。その中で1942年に朝鮮語学会事件と呼ばれる、ハングルを学び普及させようとする民族主義者に対する大規模な弾圧が行われ、上記の国文学者が獄死することとなった。

 日本の植民地政策で一番罪深いのは、「日本化政策」で、韓国の文化・伝統を蔑み、韓国・朝鮮人の民族独立の誇りを奪ったことだと思う。其れがどれだけ韓国・朝鮮の人々に筆舌に尽くしがたい苦しみを与えたかを、日本人はもっと深く考え、敏感になる必要があると思う。


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『みちしるべ』**「川西市政を共に考える会」発足**<2019.夏季 Vol.103>

2019年08月26日 | 川西自然教室
「川西市政を共に考える会」発足
――議会傍聴の感想――

田中 廉
 
 「私達市民は選挙で投票するという行為を通して意思表示をし、議会制民主主義に参加しました。しかし、投票してあとはお任せするだけでは、有権者として不十分ではないでしょうか。政治は暮らしと切り離されないものです。ゴミ、水道・保育所・学校・病院・自然環境など、どれも政治が関わってきます。税金が適切に使われているのかは、私たちの生活に直接かかわる大切なことです。広報や議会報告等だけではわかりづらく、市民の願いや意見を表明する場が少ないです。私たちも市を取り巻く現状や課題を知り、学んでいく努力も必要だと思います。議会でどのように議論され、決まってゆくのか、市民として知る努力も必要だと思います。4年に一度の選挙で後はお任せでなく、私達のくらしに身近な川西市政を共に考え、より良いものとするために、このたび、仮称『川西市政を共に考える会』を立ち上げたいと思います。多くの皆様のご参加をおまちしています。」という呼びかけを行っています。

 活動内容は①議会の傍聴、②学習会、③市長や市議会議員との懇談です。今まで数回議会の傍聴に行きました。昨年傍聴した時は、居眠りする議員や、会議中スマホやパソコンを覗いている議員がいました。今年は議会傍聴の呼びかけを行う中で傍聴する人も増え、議員の緊張感も高まり(たぶん)、昨年のようなたるんだ議員はほとんどいなくなりました。傍聴すると広報などではわからない資料などがもらえ、また、議員の質問などがあり、問題の所在や課題がより分かり易くなります。

 私が、一番「あれ?」と思ったのは川西市民病院建設の入札結果です。傍聴で入手した資料によれば、いずれも大手の6社・グル-プが入札に参加していますが、入札価格が一番低かった大林組(125.4億円)ではなく、14億円も高額で入札した清水建設(139.7億円)が選ばれていました。
 
 審査は総合評価点(1000点)で最高点を獲得した会社が選ばれますが、価格には400点、技術には600点が振り分けられています。価格点は入札価格から算定された客観的なものです。技術点は3項目からなり定性評価(提案審査点)に235点、定量評価(実績評価点)に25点、基礎点に340点が振り分けられています。

 定量評価点と基礎点は各社にほとんど差はなく、定性評価で清水建設は180点、他社の平均は114点と大きな差がついています。定性評価は7項目からなり、それがまた幾つかに細分され個々に点数が配分され、ややこしい仕組みです。

 価格点(入札価格より算定)、技術点合計は各社毎に公表されていますが、技術点の細目は清水建設分のみ公表されていますが、他社分は5社の平均点しか公表されていません。問題は3点あります。

 第一は、大差のついた定性評価の各社の評価が公表されていない事です。議会では、議員の「内容の詳細公表を求める質問」に対し、市当局は落選した業者の評価にかかわることだということで、公表を拒否しています。これはおかしいです。落選した業者にとって、評価を公表され「評判が落ちる」ということで困ることがあるかもしれませんが、技術点合計は公表され、すでに低い評価を付けられているのだから、「いまさら」です。業者が困るよりより、むしろ評価を下した側(市当局)が、自らの評価判断が批判にさらされるのを嫌ったのではないかと邪推したくなります。市当局は業者の『評価』よりも、建築費を負担する市民を大切にすべきです。情報公開は、不正を防ぐ最大の防波堤です。

 第二の問題点は定性評価項目です。診察機能の向上や、取組体制の構築、自由提案、プレゼンテ-ション、コミュニケ-ション力等々、どういう基準で評価がなされたのかわかりにくく、恣意的に点数を付けられるのではないかと思わなくもない項目が多いと思います。

 第三の問題点は点数の配分です。経費節減を呼び掛けている割には、コスト軽視だと思います。質が大切というかもしれませんが、入札に参加した会社はどこも大企業で信用、建設技術に大差があるとは思えません。価格点が半分以下の400点というのは低すぎます。せめて技術点が400点で価格点が600点の方が妥当ではないかと思います。

 退屈なところもある、議会傍聴ですが、行けばそれだけの価値があります。皆さんも気楽に議会傍聴に行きませんか。また、問題点があれば『みちしるべ』に寄稿します。
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『みちしるべ』**闘病記**<2019.春季 Vol.102>

2019年05月24日 | 川西自然教室
闘病記

RT
 
 私は今年1月8日入院、9日に左股関節の手術を受け、1月28日に退院しました。手術は成功し術後2日目から、ほとんど痛みなしで歩けるようになりました。1年少し前にも同じ病院で右股関節の手術を受けましたが、今回と同じで術後2日目より歩けました。医師やリハビリのトレーナーに驚異的だと言われ、「人には何か取り柄がるものだ」と気をよくしていました。両足の痛みがなくなり、今年は山歩きができると夢を膨らませていましたが、強力な伏兵が現れ私の夢はとん挫しました。

 それは血尿です。術後4日目午後に最初の血尿が出て、その日は普通の尿が出たり血尿が出たりという状態でした。翌日(術後8日目)から3日間はほぼ血尿なしで「ホット」していたら、術後9日目に血尿が再開し、その日はすべての尿が血尿でした。これはおかしいと、血尿の原因をネットで調べたら、「膀胱癌」の可能性が高いと自己判断し、「ゾット」すると同時にその覚悟をしていました。

 血尿は3日間続きましたが、その後3日間は血尿なしで、また再開するという、「ホット」させてはそれが裏切られるという中途半端な状態でした。術後14日目には朝から血尿が再開し、夕方には膀胱内で血液が固まって、尿が出なくなりました。夕方、膀胱洗浄をしてもらい楽になりました。が、夜9時よりまた尿が出なくなり痛み止めを服用しても効果なく、腰と腹の痛みは波のように定期的に襲ってきます。

 「ウー」とうなり声をあげながら痛みの波が通り過ぎるのを我慢しては時計を見て、医者が出勤する朝に早くなることを願っていました。未明にうとうとしていた時に失禁し、その後ちょろちょろと尿が漏れるようになり楽になりました。(尿は65㎖程でしたが、紙パンツの威力はすごいもので尿は外にはもれませんでした)朝には膀胱洗浄し導尿管を入れ、これで一安心と思っていたら、翌日の午前1時に導尿管が詰まり、又七転八倒の地獄の一夜を過ごすことになりました。未明の5時に看護師が膀胱を吸引し、詰まっていた血の塊を吸い取り、尿が流れるようになりウソのように楽になりました。その日の午後、内視鏡検査をした結果、膀胱内の粘膜に赤い箇所がいくつか見られ、ここから出血しているだろうとのこと。幸い膀胱癌ではないのが判明し安堵しました。

 その後も血尿が出たり、出なかったりと日によって症状は安定することなく退院の日になりました。医師にもう少し血尿が収まるまで入院したいと希望しましたが、「特に治療する方法もない。」と言われ1月28日に退院しました。が、退院3日後に血尿により尿管が詰まり、タクシ-で病院に駆けつけました。血尿の原因は9年前、前立腺癌で全摘手術を受けましたが転移している可能性があるとのことで、術後膀胱近くに2ヵ月間ほど放射線照射を行いました。この際に膀胱にも放射線が当たり、今頃になり症状を現したのだろうとのことです。放射線の怖いところは、すぐに組織が破壊されずに時間を経るにつれ症状を表すことで、私の場合は9年目でした。

 今回は手術後、足を動かすことができないので、エコノミー症候群予防のために血液をサラサラにする薬を服用したことも、出血に影響したのかもしれません。問題は放射線による炎症(潰瘍)は非常に治りにくいことで、病院やかかりつけの泌尿器科の医師に今後の対策を尋ねても「放射線による炎症は治りにくいですね。尿が出なくなったらすぐに病院に行き、夜や休日の場合は救急車を呼び、必ず泌尿器科の医師が当直している病院に運んでもらいなさい。専門の医師がいないとそのまま、朝までまたされかも。」と、見放されたようなアドバイスのみ。

 もし出血しても血が固まらないようにと、病院の開いていない夜、土日、休日には血を薄めるために大量の水を飲み、夜中に5~7回もトイレに行くような異常な生活が続きました。私の場合、1ℓの水を一気に飲むと、1時間ほどしてから排尿が始まり、1時間に2回ほどの頻度でトイレに駆け込むことになります。全く、これから先どうなるのかと暗然たる気持ちでした。

 そのうち、かかりつけの泌尿器科の医師より、高気圧酸素治療でよくなった患者がいるとのことで、新しい病院を紹介してもらい、2月5日より週に2~4回治療に通うことになりました。高気圧酸素治療は、2気圧100%酸素で満たされたカプセルに1時間(圧力を上げたり下げたりそれぞれ20分ほどかかるので2時間弱)入るというもので、血液に大量の酸素が取り込まれ、体の隅々まで運ばれ、傷の治りが良くなると言われている治療法です。かつてベッカムが大けがをしたけれど、奇跡の復活をした時もこの治療を受けたそうです。

 酸素は可燃性が非常に強く、わずかな点火源でも発火することがあるため、紙パンツに履き替え100%綿の浴衣を着用し、手にはアース線を取り付ける物々しさです。湿布、義歯などはやけどの心配があり、又衝撃で火花を発する危険性のあるもの(補聴器、時計、磁気製品、ヒップエレキバンなど)も禁止です。着替えると看護師のチェックがあり、カプセルに入ります。

 カプセルは上部が透明のアクリル製なので外に設置された小型のテレビを見ることができ、私はいつも4チャンネルの「チチンプイプイ」を見ていました。堀ちえみさんの舌がん手術の時期で、このニュ-スについては詳しくなりました。

 カプセルは狭く、看護師の話では閉所恐怖症の人には難しいそうです。20分ほどかけ徐々に気圧を上昇、終了時には下降させますが、この時耳が痛くなったり、耳が詰まった状態になります。飛行機搭乗時のときの気圧の変化は0.2気圧ですが治療では1気圧なので痛さはかなり強く、飴をなめ、大あくびをし、鼻をつまんで鼻をかむなどの耳抜きする必要があります。最初の頃、十分な耳抜きが出来ておらず夜、自宅でテレビを見ていてセリフが非常に聞き取りにくい時がありました。この場合でも耳抜きをすれば治りました。20回この治療を受けましたが、回数を重ねるにつれて耳の痛みも徐々に慣れてきます。

 半信半疑で始めた治療ですが、治療開始最初の2週間で4回、血尿がありましたがごく少量で、15日目以降現在まで連続60日以上の間、血尿なしです。これで一件落着と思っていましたが、先週尿検査をしたところ、赤血球が5個認められ潜血もプラス1の結果で、まだまだ膀胱の炎症は完全には治っていないようです。放射線はなかなかしぶといです。

 今もトイレに行くたびに、血尿が出ないか緊張しています。最初血尿が出たときには膀胱癌ではないかと疑ったことを思えば大した苦労でもないので、無理をせず今の状態に合わせた生活をしてゆこうと思っています。
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『みちしるべ』**「外に出よう」その為に足を鍛えよう!**<2018.7.&9.&11. Vol.101>

2019年01月10日 | 川西自然教室

「外に出よう」 その為に足を鍛えよう!

田中 廉

 「外に出よう」と書いたけれども、今回はその前の足の鍛え方。特にひざ痛の改善について、私がやって効果があったと思う方法をご紹介します。これはNHKの「ガッテン」で紹介されていた方法の変形です。変形というのは「ガッテン」の通りにやっていたと思っていたのですが、後で「ガッテン」の雑誌を買って調べたら少し違っていました。

 我流は風呂の湯船につかり、足を伸ばします。そして左右の足の膝のお皿を右足は右手というふうにそれぞれの側の片手で上下、左右、斜めに各々50回づつ押すのです。皿が固くて動きにくい時は、皿を押したときに動きやすい角度に足をすこし曲げます。だいたい数分で終わります。「ガッテン」流は、足を延ばして座り(別に入浴中とは書かれていないので、居間等でも大丈夫)、両手の親指を片方のお皿のフチにあてて、上下、左右、斜めの合計8カ所を5秒ほど押すのです。痛い場所はコリがあるので重点的に行います。

 何故、この方法で膝痛が改善されるかというと、膝関節の周囲にある「関節包」をほぐすことにより「関節包」が柔軟性を取り戻し、痛覚神経を刺激することが少なくなるからだそうです。しかし、この方法も万能ではなく、長く歩いた後や山で急な坂道を長時間歩いた時など、その後痛みます。しかし、上記のストレッチを行えば、またよくなります。

 膝痛に悩まされている人は、騙されたと思って一度試してください。効果はわりあい短期間で出ます。私の場合は1週間もたたないうちに膝の痛みがなくなりました。

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『みちしるべ』**ウズベキスタンの道路・自動車事情他**<2018.5. Vol.100>

2018年06月26日 | 川西自然教室

ウズベキスタンの道路・自動車事情他

田中廉 

 今年4月、旅行社のパック旅行で7泊8日のウズベキスタン旅行を楽しみました。目的はチュ-リップをはじめとする園芸植物の原種を自然状態で見たかったからです。以下、5日の間に垣間見た町・郊外の様子です。

 ウズベキスタンは旧ソ連邦の共和国でしたが1991年に独立。中央アジアに位置しカスピ海の西側で北はカザフスタン、南はアフガニスタン等と接し、国境を接する国全てが内陸国という二重内陸国(世界に2国しかなくもう1国はリヒテンシュタイン)です。シルクロードのちょうど中間点に位置して栄えた地域で、また、チム-ル帝国の中心だった国です。人口は2800万人で約80%がウズベク系で、ロシア系・タジク系が夫々5%弱で他に朝鮮系・タタール系などが暮らす多民族国家です。

 朝鮮系の人は旅行中2組出会いました。一組は娘さんが大学の医学部に通っているという母親と娘さんで、もう一組は観光地で音楽が流れた時にそれに合わせて踊り始めた中年の女性二人で、よっぽど調子のいい曲なのか我々の現地ガイドさんもそれに合わせて踊っていました。朝鮮系の人たちはもともとロシア沿海地域に住んでいましたが、スタ-リンにより中央アジアに強制移住させられ、中央アジア中心に50万人ほどがいるそうです。(ウズベキスタン20万人、カザフスタン10万人、ロシア10万人他)

1.自動車・道路事情

 自家用車は都市部では90%程がシボレ-です。理由は簡単です。ウズベキスタンでは国内産業保護で国内生産されている車の競合車種の関税が100%と高く、国内生産しているのがシボレ-(もとは韓国の大宇)だけだからです。次はソ連時代の車(Lada)ですが、田舎ではその比率は高くなります。荷物を運ぶのに便利だそうです。フラワーハイキングの起点となった山麓の村では、ほとんどの車がLadaでした。その多くはかなり古い車ですが、時折新しいLadaも走っていて、それなりの人気はあるようです。

 バスは中国製が多く、私たちが乗車していた大型バスも中国製で、車体に「金竜」と書かれていました。現地ガイドの話では、数年後には欧州の会社との合弁会社がバスの国内生産を開始するので、バスの関税は倍以上に跳ね上がるだろうとのことです。トラックはいすゞが現地生産をしており、「ISUZU」マークのトラックはよく見かけました。フラワーハイキングで大型バスが入れない時にステーションワゴンを使用しましたが韓国製でした。昨年はトヨタ車を使用したところ、大き過ぎ入山の許可が出なかったそうです。どちらも中古車として輸入されたそうです。

 タクシ-も都市部では日本並みの頻度で見かけますが、郊外では乗合タクシーが主力です。乗合タクシーはフロントガラスに行き先(たぶん)を手書きしたダンボ-ルが立てかけてあります。それとヒッチハイクも盛んで、タシケント郊外では若い女性を含む多くの人が道路わきに立ち車を止めていました。いくばくかのお金を払い乗せてもらうそうです。サマルカンドで道路わきに立ち手をあげて車を拾っている若者がいましたが、すぐにタクシーを含め色々な車が寄ってきて彼と話をするとすぐに去ってゆきます。たぶん行き先か、料金が折り合わなかったのでしょう。結局10台以上が寄ってきましたが交渉成立とはいかなかったようです。

 乾燥した土地で埃っぽいのでサマルカンドでは早朝、散水車が道路に水をまいていました。長距離バスでは運転手は2名が義務付けられているそうで、私たちのバスも2名が乗車していました。しかし、運転するのは同じ人でもう一人はアシスタントという感じでした。5日間で見かけた日本の乗用車は緑色のプレートのカムリ1台だけでした。プレートが緑色というのは外国企業の車だそうで、多分日本の企業の車なのでしょう。

 日本企業は16社(2014年)で長期滞在の日本人は117名(2013年)です。ウズベキスタンは発展途上国というイメージがあるかもしれませんが、つい最近まで飛行機の生産が行われていました。第二次大戦中、ドイツの攻撃を避ける為100以上の工場がモスクワからウズベキスタンに移されたそうで、それを基礎に技術が維持されていたそうです。が、独立後、技能者は高級を求め海外に移り、少し水準が下がったそうです。

 幹線道路は片側2車線で舗装され、まずまずの状態ですが、田舎道はひどいです。一応舗装されているのですが、補修されていないので凸凹でノロノロ運転で曲芸のように穴を避けながら走ります。中国・韓国が共同で西部の観光都市からサマルカンドまで、高速道路の建設が計画されているそうですが、途中の都市まで完成したが、そこからサマルカンドに向かう工事は今中断しているそうです。

2.素朴な子ども達

 子どもの多い国です。観光地には先生に引率された子供たちが「うじゃうじゃ」と表現したくなるほど大勢います。小学校高学年か中学生程度になると携帯を持った子供も多く、日本人が珍しいのか一緒に写真を撮りたいとジェスチャーでアピールしてきます。OKをするとグループの5~6人がわっと集まってきて、しかも自分の携帯に撮りたいので次々と交替して、なかなか終わりません。

 歳は関係ないようで後期高齢者で白髪であっても人気は同じです。「一緒に写真」は子供だけでなく、おばあさんや若い女性からも頼まれることが多々ありました。私は数人のうら若い女性から声をかけられ、何か一生分の「モテ運」を使い切った感じです。ガイドさんに聞くと「白人は大きくてこわそうだが、日本人は自分たちと同じ程度の背丈で顔も怖くなさそうなので人気がある」との解説でした。そういえばヨーロッパからの観光客も多くいましたが、余り「一緒に写真」の風景はありませんでした。タイからの観光客もいましたが、彼らも良くもてていました。アジア人が良いのでしょう。大人も、子どもも親しみやすい人たちでした。

3.言葉

 中学生らしき若者から2回、英語で話しかけられました。話す内容は2回ともほぼ同じで「英語を喋れますか?」「どこから来ましたか?」「ウズベキスタンを好きですか?」が必ず入っています。「ウズベキスタンの人はフレンドリーで好きです。」と答えると嬉しそうな顔をして「サンキュー」と言って会話は終わります。英語の勉強のために勇気を出して外国人に話しかけたのか、緊張して直立不動で何か微笑ましい姿でした。独立前はソ連邦の一員だったのでロシア語が必須だったのが、今は英語の人気が高まっているそうです。

 フラワーハイキングに出かけるときは、現地ガイド以外に植物の先生(元教師のウズベキスタン人)が同行し、先生の説明を現地ガイドが日本語に訳します。一度、夜に先生の「ウズベキスタンの植物」の講義があったのですが、その中で先生が「ハラショー」と叫んだので、後でガイドさんに先生は何語で話しているのかと聞いたところ、ロシア語とのことでした。専門的なことはロシア語でしゃべる方が話しやすいそうです。たぶん高等教育、特に専門用語の多い科学分野はロシア語で行われていたのでしょう。

 日本では、日本語で書かれた専門書が沢山あり、また専門用語はほぼ漢字で表記しています。考える基礎になる専門書や最新の情報なども翻訳され豊富にあります。母国語で高等教育を受けられ国は多くなく、これは非常に幸せなことです。なぜなら画期的な発見や独創的な発明、アイデアーを出す時に日本語で考えることができます。母国語だから柔軟に、精密に、また、ヒラメキをそのまま生かすことができます。一度英語に翻訳する必要が無いのです。よっぽど英語に堪能な人でない限り、英語で難しいことを考えれば効率は数段堕ちるそうです。こんなことをウズベキスタンでロシア語を聞いて考えました。

4.農業

ウズベキスタンは年間降水量が100~200mmですが地域差が大きく、タシケントでは420mmほどです。昔から綿花の生産が盛ん(アラル海に注ぎ込む川の水を綿花生産に大量に使用した結果、水量が大幅に減りアラル海が非常に小さくなったのは有名な話)ですが、今は穀物や果樹などに軸足を移しています。バスや列車の車窓からはブドウ、アンズ、リンゴの果樹園が多く見られました。特にリンゴは若木の果樹園が多くこれから生産が多くなると思います。

 野菜畑はほとんど見ませんでした。雨は冬と春に降るだけなのでほぼ全ての耕地に灌漑設備が付設されているそうです。乾燥地帯なので隣国との水の争奪戦があり、主要河川の上流であるキルギス、タジキスタンが自国の農業用水確保と発電のために大規模ダムの建設を計画しており問題となっています。ソ連邦の時代は上の方で調整が出来ていたのが独立国同士となり、調整が難しくなったそうです。独立も良いことばかりではないようです。

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『みちしるべ』**「第二名神 神戸まで開通」**<2018.5. Vol.100>

2018年06月26日 | 川西自然教室

「第二名神 神戸まで開通」

平田信活

 2018/03/18の午後3時に第二名神(新名神=初めは第二名神だったのに…)が神戸まで開通した。

 翌日3/19の早朝登山の時、何も感じることがなかった。3/20、21は雨で登山は休み。3/22に登った時のことだ。登り始めはいつもと同じだったが、尾根筋に出ると、「ゴォー」と唸るような響きが聞こえる。「ワッ、何だ」というのが第一印象。そして「アッそうか、第二名神がつながったからや」と分かったのだが、岩場までのゆるやかな尾根道を歩いている7~8分の間ずっとその唸りのような音が止まらない。

 岩場に着くと国道173号線にかかる高速道路の高架橋とトンネルの入り口が見える。3/18以前とは比べ物にならないほどの交通量だ。音がストレートに登ってくる。この時、心に「静けさは奪われた」という言葉が湧き上がってきた。「爆音のない静かな夜を返せ」というスローガンは横田基地公害訴訟のものだが、今までも国道の音は、多少は聞こえていたが、第二名神の音はその何倍もあり、途切れることがない。岩場で味わうあの爽快さは奪われてしまったのだ。

 岩場で奥山のかすみ具合を見たり、開発地にシカがいるか双眼鏡で調べる。その間に、キジやホオジロが囀り、言葉で言い表せない自然の恵みを全身で受けていたのに、あの唸るような音でイライラしてきた。と同時に怒りの感情も湧き上がってきた。もしかして、よほどのことがない限り、騒音の無い静かな岩場はもう戻ってこないのだろう。

 尾根道を下る時もあの唸り声はまとわりついてきた。まっすぐ西に降りていく尾根から外れ、南へ下る尾根に入った。ここは第二名神とストレートな位置関係ではないので大丈夫だろうと思っていたが、あの唸り声はやまない。回り込んできて、国道の音、能勢電の音とミックスされ加上され更にひどいように思われた。低い雲に覆われていたという気象条件にもよるのかもしれないが、結局、枝尾根道のほとんどの場所で聞こえていた。

 大和団地の西南端にある田中廉さんの家ではどうか聞いてみたが、音はしないという。また、東畦野の旧「美の坪」の長谷川さんにも聞いたが、「たくさんトラックが走っているのが見えるが、音は聞こえない。家より上を通っているからではないか」という。更に、一番近いうちの檀家さんにも聞いたら、やはり全然聞こえないということだった。

 翌3/23、やはり尾根に出た途端、あの唸り声が聞こえてきた。岩場で休憩する楽しみが苦しみにかわってきた。また一つ、安らぐ場所が奪われてしまった。下る時、インターに向かう交通量が増えて枝尾根もうるさくなったのではないかと思う。きっとNO₂も変化が出ていることだろう。臨時に緊急調査をしてみてはどうだろうか。

 こんな事を書きながら第2名神を利用したら自己矛盾も甚だしいなー。うぅッー

(2018/03/25)

開通後 後日談

 その後、4/21に三木市の吉川に仕事があり、時間的なこともあり車で行った。初めての第二名神体験をしてしまった。平野のお寺から7~8分で川西インター。高速に入って20分ほどで吉川。インター降りて5分で目的地のお寺。なんと、40分弱で着いてしまった。便利!! ああ自己矛盾。

 ゴールデンウィークの5/4?の夕方だったと思うが、知人の車に乗せてもらって、初めて石道を抜けるアクセス道に猪名川町の方から入った。この道を作らなくても、すぐ近くに2本も立派な道路があるのに、六石山の低いところとはいえ切通しになっている。ああ勿体ない。そして、猪名川本流を渡り、左岸側を南下している。目の前、かなり高いところに光の行列が見えた。なんと、第二名神が渋滞しているのだ。カーナビには第二名神がまだ載っていないのに、渋滞の表示が道もないところに出ている。不思議な画面だ。神戸新聞には第二名神ができたおかげで宝塚トンネルの渋滞回数が減ったと効果をアッピールしていた。

 5/29、ゲンジボタルの調査に行く。工事以前の石道は周りを完全に山で囲まれて、通過する車は一切ない。街の灯りは空からの乱反射だけで、暗闇とカエルの鳴き声の静寂の世界で、予定ルートにあった古い用水路はゲンジボタルの光で埋め尽くされ、同時明滅すると曲がりくねった大きな龍が呼吸をしているように見えた。また、7月になると広い水田に数えきれないヘイケボタルがまるでダイヤモンドダストのように光るのを見たことがある。ところが工事が始まってからは一変し、用水路のゲンジボタルは手つかずの所を除いて0に、ヘイケボタルもめっきり減ってきた。さて、今年は、東西方向にバイパスと下りのぼりの高速道2本。南北方向には猪名川町へ抜けるバイパス1本。強烈な光が川や水田を照らし、車のうなり声がカエルやケリの鳴き声とぶつかり合う。もちろんゲンジボタルは激減。7月のヘイケボタルも難しいだろう。数年前までの暗闇と静寂は奪われてしまった。もう二度と戻ってこない。

(2018/06/01)

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『みちしるべ』**キューバ道路、自動車事情 他**<2018.1.&3. Vol.99>

2018年04月11日 | 川西自然教室

キューバ道路、自動車事情

川西自然教室 田中 廉

 2016年7月に友人とメキシコ・キューバを旅行した。旅行会社の添乗員付きのパック旅行で、面倒な手続きのいらない気楽な旅であった。今回の旅行の動機は、米国の経済封鎖といういじめに負けず、貧しいながら、必死に、けなげに何とか頑張っている頑固者の国、「権力は腐敗する。絶対権力は絶対腐敗する」という格言が当てはまらない希少な国を、カストロの生きているうちに見たかったからである。

 米国の経済封鎖は50年以上にもわたる異常で非常識なもので、国連による「米国のキューバ経済封鎖の解除を求める決議」が1992年以来25年以上、連続で圧倒的多数の賛成で採択され、日本政府も1997年より賛成に回っている。アメリカに従順な日本政府がアメリカの意に反することをするほどだから、それだけでいかに不正義なものかわかるだろう。そして、やっとオバマ大統領がその間違いを認め国交を回復したが、トランプ大統領の気まぐれ政治により又、元の木阿弥に戻りつつある。

 キューバと言えば、車好きにはクラシックカーの天国と言われているらしい。(私は車に関心がないので旅行して初めて知った)1950年代のアメ車が、まだ現役で走っているのだ。何故50年以上も前の車が現役かと言えば、これは米国の経済封鎖のためである。中南米はアメリカの裏庭と言われ、反米政権ができるとすぐに潰してきたが、唯一潰せなかったのがキューバで、目の上のたんこぶのような国なのだ。1959年の革命後、米国資本の国有化(当時の農地の70%以上が米国資本の所有)等により米国と断交し社会主義陣営に入った。ソ連からは石油、キューバからは砂糖というバーター取引で、貧しいなりにも国を運営してきたが、1991年のソ連崩壊によるソ連からの援助停止で、経済的にも非常に苦しい状態。昔も今も車の輸入が非常に困難で、その為いまだにクラシックカ-が現役なのだ。

 色々なハプニングもあり、面白い旅であったが、思い出しながら書きます。

クラシックカー ハバナでの印象では半分ほどがクラシックカー(アメ車)で残りは、エアコンの無い普通車(たぶん多くが旧ソ連製か?)とエアコンの装備された「新車」の印象だった。風を室内に入れる為の三角窓が付いた車も多く懐かしい感じがした。地方に行くと70~80%がクラシックカ-で、一部馬車も利用していた。新車では韓国の車がよく目についた。(中国車も普及しているようだが、私にはわからなかった)日本車はトヨタが2台で、1台は古いもう動かないのではないかと思われるような状態で、もう1台は比較的新しい車、それと日野自動車のトラック1台を「発見」した。帰国後ネットで車好きの人の旅行記を読むとクラシックカーは30%、旧ソ連車(ラ-ダ)20%、普通車50%とのことであった。ココタクシーという原付に後部座席をくっつけたココナツのように丸い車がタクシーとして観光客に人気で、乗ってみたがかなりのスピードで走りスリル満点であった。クラシックカーにも乗車したが、オープンカーで気分は良いが座席は固かった。島内の移動はバスだったが、道路は特に凸凹で傷みがひどいということはなかった。時折、路上で故障車を見かけることがあったが、一日に1~2件程度で車検制度がなく(たぶん)ポンコツに近い車が多い割には少ない気がした。中古車でも車はぜいたく品なので大事に使っているせいかもしれない。アメ車が50年以上もつのはボディーが分厚く長持ちするからとか。観光用の整備されたクラシックカーだけの話かもしれないが、添乗員の話ではエンジンはソ連製他に入れ替わっているらしい。

対日感情 キューバの著明な文学者の表現では「現代の日本に対して我々が抱いているイメージは、おおかた教訓的なものである。すなわち、日本は米帝国主義の犠牲者であり、原子爆弾を2回も投下されたうえに、第二次大戦後に米国に占領され、それにもかかわらず国を再建することができたというイメージだ」とのことで、日本に対し強い親近感を抱いている。革命後ゲバラが日本を訪問した際、広島に行き原爆の惨状にショックを受け、それ以降キューバでは広島、長崎の原爆被害が学校で教えられるようになった。日本のテレビ局が2010年頃キュ-バを訪問し、一番有名な日本人はだれかと聞いたところ、圧倒的に「勝 新太郎」と答えたそうである。これは、キュ-バでは60~70年代「座頭市」が大人気で16作上映され、ハリウッド映画(国交断絶後はアメリカ映画は入ってこない)の穴を埋めたそうである。

カストロとゲバラ キューバと言えばこの二人を抜いて語ることはできない。ゲバラは人民ペソの紙幣に描かれ、記念の博物館、立像もあり、土産物屋でも帽子、バッグ他、ゲバラグッズがたくさん売られている。一方、カストロは奉られるのを嫌うようで、土産物屋の栞、マグネット、ハガキなどの庶民的というか、安いもの以外は一切ない。長期に権力の座にありながら、個人崇拝を排するところがなかなか素敵である。

観光客 外国人観光客は年間300万人(2014年)で人口が1100万人。人口当たりにすると日本(2017年で約2800万人)よりやや多く、観光は大きな外貨獲得手段になっている。国別ではカナダが118万人、次がイギリスの14万人で圧倒的にカナダが多い。カナダへの親近感は強いようで、住居の扉にカナダ国旗が書かれている庶民の家が数件あった。日本からキュ-バに行くルートは、メキシコとカナダ経由が主流である。米国人もかなり来ているようで、メキシコ経由で入国し、入管ではパスポートに判を押す代わりに出入国のカードをもらい処理しているとか。通貨はペソだが外国人用には兌換ペソが、国民には人民ペソが使われ2重価格になっている。

農業 キューバと言えば砂糖だが、サトウキビ畑は思ったほど多くない印象だった。放牧されている土地が多く、また、未耕作地もかなりあった。一部潅水チューブを配置した、よく整備された圃場もあったが少数である。日本も金のかからない(キューバは非常に外貨不足)、農業、水産の技術指導などの援助が出来ればいいと思う。(過去に水産指導は行い感謝されている)

最後にお奨めの土産物 まずラム酒。カクテルに使うのは3年物だが、7年物はストレートで飲むとコクがありうまい。次がコーヒー。ブルーマウンテン産地のジャマイカとおなじカリブ海の島で味も似ているとか。上品な香りでアクは強くない。値段はやや高めである。

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『みちしるべ』**「とりあえず外に出よう」**<2017.3.&5. Vol.97>

2017年06月07日 | 川西自然教室

「とりあえず外に出よう」

 田中 廉

 川西市では今まで「高齢者お出かけ促進事業」で、70歳以上を対象に年に2000円の交通費補助を行っていたが、H29年度よりこれを廃止し、「健幸マイレ-ジ制度」や「公園の健康遊具設置」を充実させるという。

 川西市のHPで調べると「健幸マイレ-ジ制度」に参加するといろいろな特典がある。有料の運動プログラム入会で、会費の金額により1000ptまたは3000pt(入会時のみ)。基準歩数に比べて一定量の歩数が増え、かつ推奨される歩数を達成したら800pt/月。市や地域、民間の運動イベントやスポ-ツ教室に参加すれば1回20pt(月200ptまで)。BMIまたは筋肉量が改善すれば1000pt/3ヶ月毎。健診受診で1000pt/年度。がん検診受診で500pt/年度が付き、H28年度で最大14,000ptの特典(1pt=1円)となる。H28年度の参加募集人員は700名で、希望者が多いと抽選とか。

 また、「公園の健康遊具設置」は、散歩などの途中でストレッチや体のツボの刺激、筋肉を鍛えるなど気軽に健康づくりを行う遊具を設置するという。たとえば、背伸ばしベンチ、腹筋ベンチ、上体ひねりサ-クル等々。ネットで調べるとかなりの都市が、色々な遊具を公園などに設置している。

 両制度ともに共に結構なことだと思う。個人的には、背伸ばしベンチ、腹筋ベンチ等あれば使ってみたいと思う。ただ、問題はその費用を「高齢者お出かけ促進事業」を廃止することにより、捻出しようとしていることである。問題点は2つある。

 第一の点は、「健幸マイレ-ジ制度」や「公園の健康遊具設置」と、「お出かけ促進制度」は、利用者がオーバ-ラップする部分はあるが、かなりの部分で異なる点である。前者は主として健康で外向きの人が健康を維持し、更に元気になるための制度である。しかし、後者は健康な人はもちろんのこと、補助があるから「使わなければもったいないから出かけよう」という内向きの人を含め、足腰が衰えた人を除く多くの人に公平に、外出を後押しする制度である。「お出かけ促進制度」が廃止されると、後者利用の人々が切り捨てられることになる。

 第2の点は、「健幸マイレ-ジ制度」や「公園の健康遊具設置」は、健康増進の効果がほとんどであるが、「お出かけ促進制度」は、それに加えて経済効果を伴うことである。大阪では「でんとく」という言葉があるようだが(私は和歌山県出身で、大阪の商家の女性と結婚して初めて聞いた)、その意味は「外出するとお金を使うから、出かけない【でん】のが一番経済的で【とく】」である。この言葉を聞いた時は「なるほど、真実をついてる、さすが大阪人。」と感心した。これは外出すれば金を使う、すなわち経済効果があるということである。外出となれば少しはおしゃれもするだろうし、外食、買い物、映画鑑賞など、出費を伴い経済効果は「健幸マイレ-ジ制度」よりずっと大きい。これは、存続の危機に直面している【私の住む大和団地循環バス】も少しは潤う。

 それ以上に外の空気を吸い、色々なものを観たり冷やかしたりして、脳が刺激され、精神的にも良く、ボケの防止にもなる。駅の階段の上り下りなど体を使い、かなりの運動量となる。外出は「健幸マイレ-ジ制度」と同じように、心身ともに健康となり医療費軽減に役立つことが期待できる。

 悪用されているという人もいるが、どんな制度でも抜け穴があり、ずるいことをする人はいる。問題はどれだけ悪用されているかである。悪用率は高いのであろうか? よく話題になる生活保護費不正受給と同じで、TVなどが話題に取り上げやすいので針小棒大に報じるだけで、実際は少ないのではないだろうか。ちなみに厚労省調査でも、生活保護費不正受給は金額で0.5%ほどである。

 ばらまきだという人もいるようだ。そういう面はあるなとは思うが、数値にはできない経済効果と医療費軽減、何より生活が外向きになるという、かけた費用以上のメリットが期待できる。

 以上の理由で、私は「高齢者お出かけ促進事業」の継続を強く求める。

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『みちしるべ』**さよなら原発・さよなら関電 自宅から原発NO!!を示そう**<2017.1. Vol.96>

2017年02月25日 | 川西自然教室

さよなら原発さよなら関電
自宅から原発NO!!を示そう

田中 廉

 私は化学会社で働いていたが、安全管理には厳しい会社であった。安全管理担当のマネ-ジャ-がいて、彼は本社直轄でその権限は非常に強かった。彼の口癖は「事故は必ず起こる。どんなに安全策を講じてもそれは起こる。その確率を少なくすることが私の仕事だ」であった。それほど会社が事故を恐れたのは、化学会社が事故を起こせば、人的被害はもとより、会社にとって致命的な損害を与えるからである。

 世界有数の米国の化学会社であったユニオンカ-バイドは、1984年にインドのボパ-ルで数万人の死者と50万人を超える人が後遺症に苦むという化学工場事故を起し、数年後、他の化学会社の子会社になってしまった。

 事故が起これば大惨事になる。どこよりも完璧な安全対策が取られているはずの原子力発電所が、原発が誕生した1951年から現在まで、1979年スリ-マイル島、1986年チェルノブイリ、そして2011年福島と大事故を3回も起こしている。20年に1度の確率というのは決して低くはない。何重もの安全管理をしても事故は生じるのである。

 福島原発事故の場合、放出された放射性物質の70%以上が北西の風に乗り海の方に流れたが、もし福井県の原発銀座で原発事故が起こり、福島の場合と同じような風向きであれば、我々の水がめである琵琶湖、一庫ダムが放射能に汚染され飲み水が無くなり、広範囲、長期間、関西で人は暮せなくなるだろう。原発の大事故は将来必ず起こる。そしてその被害はかように甚大である。

 2013年8月から川内原発が再開された。2015年8月まで約2年間、日本は原発稼働ゼロで何の不自由もなかった。原発は無くても日本は動くのである。それなのになぜ日本政府は原発を推進し、電力会社は原発にしがみつくのか? 原発は造ってしまうとその後のコストは安く、会社の利益が大きいからである。

 昨年4月、電力自由化になった。国民の多くが原発反対だから新電力に移るかと思っていたが、半年たっても東京電力管内で4.2%、関西電力管内では3.4%の乗り替え率とのことである。乗り換えが進まない理由で一番多いのが「手続きが面倒」(32%)であり、2番目が「料金が安くならない」(31%)とのこと。(三菱総研調べ)

 私は昨年、自宅の電気を関西電力から、大阪ガスに変更した。大阪ガスよりエコな電力会社を探していたのだが、これはと思う会社がなく、とりあえず大阪ガスを選択した。手続きは思ったよりずっと簡単である。インタ-ネットで簡単に申し込めるし、もしネット環境にないのであれば、大阪ガスに電話をすればすぐに申込書が送られてくる。ガス料金が自動振替の場合は、さらに簡単である。手元に電気とガスの「使用量のお知らせ(検針票)」を置き、住所、氏名、電話番号、メ-ルアドレス(ネットで申し込みの場合)、希望プラン(ガスを2年間大阪ガスにするという「ガスセット長期2年契約」がお奨め)に加え、検針票に書かれている「ガスご使用番号」、「関西電力のお客様番号」、と「関西電力の供給地特定番号」を記入し投函(郵送の場合)するだけである。メ-タ-の切り替えは勝手にやってくれるので何もしなくて良い。10分、長くて30分で終了する。電気料金がどれ程になるかはネット、又は電話で毎月の電気料金、又は使用量(大まかでよければ1、2か月の数値でもOK)を伝えればネットでは数秒、郵送では数日で試算してくれる。

 私の場合は夜なべすることもあり年間1万円弱の節約になった。電力会社にとって客が逃げることは非常に大きな痛手である。たとえ使用量が少なくともその人数が多ければ大きな圧力になる。関電前に出かけなくても、自宅から「原発NO」は言える。原発反対の人はその意思を新電力への乗り換えで示そう。きっと効くと思います。

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