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マイリビングダイアりぃ

趣味?興味?大好きな人(もの)達について、毎日は無理ですが、更新していきたいと思っています。見に来てくださいね。

滝藤さんのアフリカ旅(珍植物編)

2024-11-28 | カルチャー 見聞
急に寒さがやってきた11月ももうあと少し、2日となってしまいました。
月初めに録ってあった「滝藤賢一さんの紀行番組」を録ってあったのを忘れていて・・・先日見終えたのですが・・
その中からちょっと珍しい植物が紹介されていましたので撮ってみました。
   南アフリカではたくさんの珍植物があるようですね。
「ユーホルビア・・・」は、↑の園芸店のものとは違う感じで、昔育てたことがあって、草丈が長くて、黄色の花を咲かせていたように記憶しているのですが・・アフリカの自生種は独得の生態系ですね。
   変わった植物ですね~この植物も肉眼で見てみたいなって思いました。
 初めて見るものばかり・・・過酷な気象条件の中で、身を守りながら自生してるのですね。
  これもまた独特の植物ですね。
  東ケープで6か所にしかない「ゴクラクチョウカ」、植物園の温室で見ることが多いですが、自生種はやっぱり違いますね。
西ケープへ向かいます・・
   
   雨水によって「種」が落ちて、その種は20年生きることができるという不思議な生命力の植物ですね。
   「ペラルゴニューム・・」ここまでの名前は、難しそうだから、育てたことがないのですが知ってますが・・似ていませんね~ ちょっと忘れたのですが・・風が吹くと?時計回りに回ってるんですよ~~なぜだか解明はされてないようです。
   山火事が起きることでまた生きだすことができるっていうことですね~植物の生業ですね。
   ここでしか見られtない植物だそうです。
「親指姫」可愛い名前です。 
  「石英」はこの地では植物達にとってなくてはならないものです。
   
  地面近くで咲いたり閉じたり・・地について目いっぱい頑張って・・いじらしくなりますね~
  デイジーは日本でもお馴染みですが・・自生種で、一面の花盛り見事ですね~~
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「和歌の浦と源氏物語」座談会へ・・

2024-10-26 | カルチャー 見聞
今日は曇り空の中(少し雨に会いましたが)コロナ禍前に出向いたことがあった「不老橋」近くの「観海閣」以来の「和歌浦」まで乗り継ぎで「片男波健康館」で開催された「和歌の浦と源氏物語 座談会」へ出かけてきました。
観光地化されているので、何組かのご家族やカメラマンさん等が「観光案内図」を見られていたので私も撮ってきましたので、座談会会場まで向かう前に撮ったものをご紹介します。
   バス停に降り立つと観光案内図が目の前に・・昔の写真を見て南側に渡りながら西側の景色(昔はこのあたりまで船が入ってきて右手にある「玉津島神社」に「参詣」されていたようです。(聖武天皇行幸1300年記念祭がこの辺りで明日開催されます)
渡り切って振り返った「不老橋」です。
 「片男波」まで車が通れるように作られた「あしべ橋」です。はるか東側には「紀三井寺」がみえますが・・(うまく撮れてなくて、遠すぎて見えないですねすいません)
では「健康館」へ・・
大河ドラマ「光る君へ」のお陰で「源氏物語」と「和歌の浦」との関係を紐解きながら、有識者による「和歌の聖地誕生の歴史」と、現在につながる「短歌」の文化に触れることができました。
明日27日に「藤原公任役の町田啓太さん」が「和歌の浦誕生千三百年祭」のゲストに来られるというのもあって、パネルディスカッションで「町田氏の公任さんは・・・あまりしっかり見ていないけど、上品すぎるかな?」っておっしゃってました。(あのイケメンですものね~~~きっとそう思われますよね)
その公任さんの和歌の浦訪問を皮切りに和歌の浦が都とつながったのですね。
 公任さん秀でてらっしゃったのですね。「古今和歌集」の序文の注や、自ら編纂した「歌集」にあの有名な「わかの浦に・・」の「山辺赤人」の歌を取り上げてるんだそうです
  「源氏物語」関連でのお話では「紫の上」と、「衣通姫(そとおりひめ)」の「美(絶世の美女)」だということを学びました。
 帰路について「不老橋」を北へ渡る前に撮ったものと、バスを待ってる間にとった「不老橋」です。
そして公共交通機関が充実していないせいでいったんお城前まで行って、乗り換えバスを待つ間に撮ったらいとあっぷがはじまった「和歌山城」を・・
  午後から出かけて、帰宅は6時過ぎちょっとした小旅行並みでしたが久々に和歌山に浸ってきました。
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人類と生命の進化・・・(TV 世界遺産より)

2024-10-20 | カルチャー 見聞
録ってあった「世界遺産」の編集をしながらちょっとカルチャーできたことを・・
ご覧になった方や、ご存じだった方もたくさんいらっしゃるだろうと思いますが、博物館等はもう何十年も出向くことがなくなってしまって「へ~~つ」といってしまったことにお付き合いくださいませ。
   懐かしい「フェイフェイと、トントンちゃん」ですね。トントンちゃんって「人工授精」で生まれたんですってね。
世界遺産になった四川の「保護区」は東京都4つ分の広さなんだそうです。そして・・
   つい先日」「脳トレクイズ」で知った「パンダの左手の指?が7本」というのをこの番組の博物館の取材で再認したという次第です。ちょっと変わった進化の仕方だったのですね。
   骨盤の発達で、周りに筋肉をつけて重い体でも横揺れに強くなったということでした。「水牛」は500㎏くらいで、アジアゾウは「5トン」だそうです。これにもおどろきですが・・
世界陸上の動物最大だと言われている「パラケラテリウム」ほんとにゾウの3倍陸上最大の哺乳類っていうの納得ですね。このとき「原人や旧人」と共に生きていたのですね~。
その原人も・・
   1万5千年前の少年の「ミイラ」が発掘されたのですね。これにも驚きです サル~~「原人」~「旧人」が頭脳の進化もあいまって、世界中に散らばったようです。そして我々のような「新人」と進化していったわけですね。
 この「アルマジロ」は体長3メートルもあったようです。
あの「ナマケモノ」が・・・
   体長60cm~70cmの「ナマケモノ」が6メートル超もあったって信じられない・・頭蓋骨の標本もです。
「世界遺産」は自然の絶景などが多いですが、登録されてる場所に住む動物(今回は哺乳類)の先祖や進化の仕方などを「できました。
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英雄たちの晩年は・・{歴史を歩く 神沢杜口編}

2024-10-12 | カルチャー 見聞
全く知らない方「英雄 神沢杜口さん」なんですが・・UPしますね。
   「与力」っていう当時の職業は、今でいう「高額所得者」ということですね。
  「本」が好きでどこまでも探しに行かれてたのですね~
   色んな事に好奇心を持って学ばれたのでしょうね、まあ200巻ものエッセイ集など書かれているのですから、できる人だったのでしょう。
   
 京都から吉野まで歩き続けられてるんですね。健脚も羨ましいです。
江戸時代って時代劇でもよく出てきますが」「お伊勢参り」と皆さん歩かれていますよね。現在の健康志向も「歩く」ことが一番いいと言われてますが・・
お言葉通り「毎日を平穏無事に過ごすこと」が心身ともに健康でいられるっていうことでしょう。
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英雄たちの晩年は?{鴨長明編}

2024-10-02 | カルチャー 見聞
前回に続いて「鴨長明」さんの老後を・・
   教科書で習ったのは大昔ですが、「方丈記」を書いた人というのは今でも覚えていますね。
下賀茂神社の神官の子というのは初めて知りました。
  裕福で何不自由なく育ったから、逆にそうなっちゃうのでしょうか・・
    
  「糺の森」にある「庵」を写真に撮ってきたこともありますが、「詫び」を感じたのを思い出します。解体してどこででも暮らせるようにしていたとは・・・
  「神官」になりたかったのかも・・ですが、結果「方丈記」を残せたのですから・・とも思いますが・
   この人の性に合っていたともいえるのでは・・
   「方丈記」は晩年(今の65歳くらいでしょうか・・)に書かれているということですね。
   
  見た目は聖人でも、心のうちは人間らしいということですよね。
人生100年時代、和泉秀樹さんの言われる↑この言葉は共感ですね。
 自身で選んだ道・・・貧しくても穏やかに過ごされたようで何よりですね。
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「英雄達の晩年は?」(歴史を歩くより)伊達政宗編

2024-09-30 | カルチャー 見聞
大河でお馴染みの戦国武将たちの「晩年」は歴史の番組などで知ることも多いのですが、先日観た「伊達政宗」の事はあまり知らなかったので、ちょっとカルチャーでした
まずは「伊達政宗編」で・・
   
   「織田信長」も何度か見聞きしたことがあったのですが、この方もそうだったんですね。それに中年(昔は老年でしょう)ですものねちょっと驚いてしまいました。
   60歳の時に隠居したそうですが・・
   仕事をしていた?とか・・隠居ではないですね。現役だったようです
   「伊達物」をやはり身に着けていたんですね。
   食にはうるさかったようですね。
    悠々自適の様ですが・・一人淋しかったようですね
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「島左近」という軍師を知って・・(泉秀樹の歴史を歩くより)

2024-09-18 | カルチャー 見聞
歴史時代劇で・・(この間見た「天地人」では若林豪さんでしたが)何度か登場した「石田三成に仕えた人 島左近さん」の事を録ってあった番組で知ることができまして、わが故郷の「奈良県」だったというのも解って、あまり描かれることがなかった歴史ドラマでの「大和の国」の事も知ることができました。
   同じ奈良県でも「生駒郡平群町」という地域は行ったことがないところでして・・
   生まれて育ったという「西宮城」は公園になってるようですが、奈良に「西宮城」なんてあったのですね。(大阪の「西宮」にはよく行きましたが・関係ないですね すいません)
  「筒井順慶さん」は「麒麟が来る」で「鶴瓶さんの息子さん 駿河太郎さん」が演じられてましたね。この「筒井」は「奈良」に電車で行くときに乗り換えの「大和西大寺駅」までの「郡山市にある筒井駅」を知ってるというだけですが、この辺りにあったお城「筒井城」に「左近さん」がお若い頃に出士されてたということでちょっと感慨深かったです。
   
この頃のことは大河などでよく出てきましたが・・
 左近さんの肖像画などはなくて、結婚されてた話も何が本当なのかわからないようです。
   順慶さんは「本能寺の変」では「光秀」に加担されなかったようですが・・
   約束してたのに「山崎の合戦」には出陣しなかったのですね。
 でも人徳なのでしょうか「大和」を失わずに済んでますね。
   「順慶さん」は若くして亡くなるんですね。跡継ぎに見切りをつけた「左近さん」はお城を去ります。その後・・
   ここで「三成」に乞われて家臣となるんですね。
   「義」を重んじる考え方に共感しあうって感じですね。
  佐和山城下の「左近さん」が住んでらした家が再現されてるようです。
   左近さんが愛でられてたという・「たぶの木」凄いですよね~~
いよいよ東軍が「恐れをなした」という「関ヶ原」での左近さん・・
   
   
   
   
   
  「佐近さん」の姿を凝視できないという相手方の言葉が勇猛な戦い方をした方だったというのが目に浮かびますね。その佐近さんにたびたび「家康」に対戦する戦法を進言されても「首を縦に振らなかった」三成はとは・・
   
  最終的には生きざまは同じであったということでしょうね。
佐近さんはさらに・・
   先を見据えた「軍師」であったということですね。できました。
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「清盛さん」の逸話・・(歴史探偵より)

2024-09-13 | カルチャー 見聞
「大人の人形劇 平家物語」を録りながら観ているのですが・・今でも平家物語として話は進んで、今週の放送では「鎌倉殿」に嫌われていく原因の上皇の院宣・・で悩む義経のために、「弁慶たち」の機転で「静御前」が傍に侍るんですが、同時にあまり描かれていなかった「頼朝」の命令で「婚姻」を強いられた相手の「郷御前」という方が、嫁いで来られて…良い方で、父君の言われる「自分の事だけ考えて・・嫁いだ相手に最後まで寄り添う」ということを肝に銘じて、「静御前」にも優しく接しられます。
{木曽義仲の周りの女たち(巴御前は別ですが・・)の描かれ方の酷さにはへきへきしましたが・・}
お互いを思いやられながら・・という場面が見れまして、ちょっとほのぼのした回でした。
すいません「清盛さん」のお話に戻りますね。
「清盛さん」の偉業(厳島神社、交易等)はドラマなどでお馴染みですが、ちょっと知らなかったことなどピックアップしますね。
「平治の乱」では最初「源氏」に敗退しますが、その後起死回生で、「海賊」退治をなした時に使った「作」を講じて・・
   「遠矢」という海の上でつかった「作」を「近くに迫ってくる源氏勢」の騎馬戦にどうにか勝てないものかと陸の戦いに応用したのだそうです。
   「清盛」が「六波羅蜜寺」に誘い込み用意周到で勝利します。
 これにより「平氏全盛期」を迎えるのですね。
そんな「清盛さん」は・・
  「にらめっこ(目眸)」で「どくろの妖怪」を退治したとのこと・・
 大河では「松山ケンイチさん」「松平健さん」が清盛を演じられましたね。
   「桓武天皇」の子孫の一族なんですね~~
「声を荒げることはなかった」とありますが「大人の人形劇」でもそんな感じでしたが・・
「理想の上司」的な方だったようですね。TVドラマでは出家された姿の「入道」のイメージが強かったのですが・・
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「藤原道長」のルーツを探る(あなたの知らない{奈良}旅?)より

2024-09-07 | カルチャー 見聞
ここ数日、録画番組で故郷奈良(まほろば)に接することが続いてまして・・(アナザースカイでは堂本剛の故郷案内、プロジェクトXでは,薬師寺東塔の修復の挑戦者の方々)と、そして「あなたの知らない京都・・」での今回の「藤原道長のルーツを探る」から懐かしの寺社や風景(光景)を見ることができました。
今回はカルチャーできたことを中心にご紹介します。
まずは教科書から必ず習った「大化の改新」から・・
  「645年」と覚えた「大化の改新」は一連の事件の後の改革の事で、きっかけとなった「事件(乙巳の変 いっしのへん)」があったのですね。このきっかけになった事件のことは全く知らなくて・・(習ったのかな~~?記憶にないです)
まずは「藤原」と名乗る経緯も含め「始祖 藤原鎌足」の誕生から・・(そういえば 鎌足さんの何代?に当たるのかは覚えていませんが、私の友人のお父さん保存の古びた今にも破れそうな家系図を持っていたのを見せてもらってその名があったのを見て驚いたのを思い出しました)
  「中臣鎌足」が祀られている多武峰の「談山神社」の絵巻(唯一解る絵巻でした)でできました。(談山神社は奈良にいた昔に一度しか行ってなくて、和歌山からのバスツアーで紅葉を見に行きたいと思いながら時がたってしまい叶っていません)
   「鎌足さん」が生まれた時から描かれてまして、「鎌をくわえた狐」が描かれています、その「狐が奉納したといわれる鎌」から幼名が「鎌子」だったようですが・・
「横暴」を重ねる「蘇我氏」関連では・・
  <「蹴鞠の会」で「皇子」が沓を飛ばしてしまった時に「蘇我入鹿」があざ笑うのですね。その時に予てから皇子との接見を希望していた「鎌足」が「沓」を拾って渡したことから親密になっていったようです。
   「かたらい山」で「暗殺」の密談をされたようです。
   この時の「藤の花」から「藤原」を授かったのですね。
   凄いリアルな暗殺場面が描かれてますね(首が飛んでます)
   長子が建立した「談山神社」の「十三重塔」は現存する木造の唯一のものだそうです。
二代目「不比等さん」~4人の子を経て隆盛を極めていくのですね~(道長さんは12代?・・・)
   
 当時は今の奈良県全体が「興福寺領」だったようです。
   「政略結婚」もこのころから始めっているんですね。
 「不比等さん」の邸宅だった処に「光明皇后」が建てた「尼寺 法華寺」のご本尊は「皇后」をモデルにしているとか・・
   「興福寺」は氏寺「春日大社」は氏神と、藤原氏の隆盛は凄いです。
   春日大社の「若宮」の「おん祭り」一度見に行きましたが・・
 この大きな「太鼓」は昭和51年までしか使われなかったので、残念ながら見ていません。
   やっとここで「道長さん」関連の「鏡」が登場しました。
春日大社の宮司さんは現在も「光る君」の前半に登場された「花山院」の末裔の方がなられているようですね。
故郷の隣の市「御所市」の地酒が登場しました懐かしの「金剛山」の麓の「くじらの滝」から名づけられているようです。
カルチャーの回でした~~。
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7月の満月「バックムーン」と・・・

2024-07-22 | カルチャー 見聞
ck;">5・6年前までは何回かバイクで見えるところまで行って撮っていた「港まつり花火大会」、21日に開催されてまして・・・引っ越してから高台から観れるといっても写真に撮るには遠すぎて・21日20時半ごろ見えそうなところまで行って見たのですが、やはり高く上がる花火は見えましたがカメラに収めるには遠すぎて・・断念しました。
帰宅前に道行く人の「今日は満月?綺麗ね~~」っていう声が聞こえたので、帰宅してベランダに出てみて撮ってみたのですが・・
デジカメなので上手く撮れてませんが、7月の満月は「バックムーン」(アメリカの農事暦が由来の呼び名で「バック」は雄ジカの意味。 ツノが生え変わる時期であることから、この名前がつけられた)ということを知ってちょっとカルチャーだったのでUPしてみました(全国的に見れてるそうですのでニュースで見られた方もいらっしゃるでしょうし、ちゃんとした映像を見たい方はネットで綺麗に撮れてるものを見てくださいね)
  
上手く撮れてませんが20時57分か~59分の「21日のバックムーン」です。(肉眼で見る方が綺麗ですね)
  20日の夕方買い物に出かける時に見えた久々の夕焼け空をスマホで撮ってみました。
刻一刻変わっていく空の様子は昔よく撮ったものでしたが、空を見上げることも最近はなくなっていたので、やっぱり生活しながらもこんな時間を持てるようにならないと・・・と思いました。
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第100回和歌山市吹定演へ・・・

2024-07-04 | カルチャー 見聞
先日の日曜日11年ぶり(とは驚いてる次第ですが・・)「和歌山市吹奏楽団」の定期演奏会に出かけてきました。
何度か出向いてた頃はバイクで行っていたのですが、年齢的にも無理になったり、既往症となってしまったことが発症して行けなかったので、市報を見た時に懐かしい~~し、それに100回定演だというのでで出向きました。
  
 
100回記念で、「福島弘和氏」に作曲委嘱作品の「飛瀧幻想 炎の祭り」は、初披露でして、学生時代に吹奏楽で打楽器をやってたこともあって、幻想的な火祭りの情景を浮かべながら、やはり「打楽器奏者」に目が釘付け状態で、日本の祭りに欠かせない迫力ある連打に感嘆しきりでした。
最後に長年で続けられた御三方に花束が贈られてまして、その中で打楽器の方がお一人おられて頑張ってらっしゃるのにもでしたし、指揮者の「三好さん、神田さん」が長年携わってこられてでした。「神田さん」は学生時代から100回定演のうち97回出演されてるそうです。アンコール曲で「クラリネット」ソロを演奏されて、音の質の違いが分かる(周りの方も流石との声が・・)素晴らしい演奏をされました。
今回動画は禁止でしたので、大昔ですが私が行った時に録って(うまく録れてませんが・・それに一部分が多いです)「YouTube」にUPしたものを添付しますので和歌山市吹の音楽を聴いてみてください。
   
    2011 74回市吹定演 「嵐メドレー」
    2013 78回定演  「世界遺産」
    2013 78回定演 「坂本冬美メドレー」
    2015 81回定演 「千と千尋の神隠しメドレー」
 
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懐かしの奈良の風景{あなたの知らない京都旅}より

2024-05-22 | カルチャー 見聞
何時もの録っている「あなたの知らない・・」が、今回京都ではなくて私の故郷「奈良」というので、どの辺に行かれたんだろうとみだしたら、懐かしの風景や、寺社が紹介されていて・・ちょっとピックアップしましたのでご一緒に・・
「若草山」から撮った順にご紹介します。
  昔、一度登ったったことがありますが随分様変わりしました。夏暑い盆地というのは一目瞭然ですが・・
  奈良と言えば大仏様です。
「東大寺」何度か行きましたが、「南大門」高さ25メートルというのも初めて知った次第です。
  有名な「阿吽」ですね。
 大きいというのを再認しました。  「近鉄奈良駅」前にある「行基様」の像ですが、この方が尽力されたというのも(教科書以来の)再認です。
  日本中の人が何かを寄進されたようです。
  小学校の修学旅行(何十年前だ~~~大昔 県内南部~北部へ)で「邪気除け」のここを潜ったのは朧げに覚えていますね。
帰省した時か?、和歌山からドライブで行ったのかもしれませんが長男が4歳位の頃だったか?ここを潜ったのは覚えてます。そしておにぎりを食べさせてた時に「鹿」がかぶりつこうとしたので、驚いて泣き出しそうになったことがあったのも思い出しました。
そして「明日香」では・・
  「岡寺」です。門には「龍蓋寺」となっています。(これは当時気が付かなかったです)此方は私が数え年の19歳が本厄なので、18歳の時に一人で「厄払い」に来たことがありましたが・・
  「奈良 櫻井」出身の「笑い飯の哲夫さん」が詳しいのです。
  これも知りませんでした「日本初の厄除け霊場」だったんですね。
 「シャクナゲ」が綺麗です。
  本堂に上がってみた時は大きかったというのは覚えているのですが、またまた勉強です三国(インド、中国、日本)の「土」でできているということは知りませんでした。
  
  
日本初の厄除け霊場といわれる「岡寺」のルーツをできました。
今回行かれませんでしたが・・
 日本最古の大仏「飛鳥寺」の飛鳥大仏」(前に雅俊さんが見に行かれたようです)
このお寺の近くに「日本初の仏像」があるのだということなんですが・・
  
 「お顔」は5cmくらいです。
此方には「推古天皇の宮殿跡地」もありまして・・
  
  そして、邪馬台国関連で「桜井」へ・・
  「箸墓古墳」は2時間ドラマ等で有名になってますけど・・
 このお姫様の名前は初めて知りました。
   
この感じでは日本のルーツって思えますね~~。
そしてよくお参りした「大神神社」が・・
こちらが「素麺」の発祥地だったんですね~(1300年前
 今はいろんな色があるんですね~大好き「三輪素麺」は毎年必ず母から伝授の「干しエビとシイタケ入りの出汁」をかけて「すり生姜」をトッピングで頂いてます。
故郷再発見でした
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ご存じでしたか?「徳川御三家」の実は・・

2024-05-13 | カルチャー 見聞

今回は番組「歴史探偵」より「そうだったの?」っていう「御三家」のことです。

全く知らなかったのですが、「家光」の叔父さん達って年齢的に同世代だったんですね~~

「家康」はこの三人の事が歳をとってからの子供だったからか可愛がっていたそうです。

「尾張」には特に「名古屋城」を与え清須の街をお城近くに移した・・ということでした。

「義直」は関ヶ原の戦いの後「家康」が59歳の時に生まれたそうです。海上に「御殿」を作ってるんですね~

此方にも御殿を作ってます~

「家光」に対しての威厳のようです。さらに・・

「家康公」の為の専用空間らしいです

そしてわが地域の「紀州徳川家」は・・

「紀州東照宮」です「関西の日光」とも言われているようですが、行ったことなくて・・108段の急な階段(侍坂)を「和歌祭り」で「神輿」を担いで下って行かれる様子がニュースになっています。

「左甚五郎」作の彫刻も流石ですね。

「頼宜さん」は「捕鯨」や「戦術」が好きだったようです。

将軍には「尾張 紀州から・・」という「家康」の遺言もあったようです。

では水戸は?二家はそこそこの「石」を与えられてたようですが、水戸は少し格下だったのですねでも・・

「家光」と、「頼房」は年が近かったせいか、あとの二家は脅威でもあってか、仲が良くて「小石川後楽園」の「腰掛石」に座ってよく話をされていたそうです。

水戸城は「石垣造り」ではなかったようで・・

家光が石垣にしろ・・と「頼房」に勧めても「地層」がいいので今のままでいいといっていたそうです。

「石丁場」もあったようですが・・

この「那珂川」が難所だったようで頓挫したようです。

で、2代水戸藩主の「光圀さん」の時から「御三家」システムができていくのですね。

紀州藩は2人も・・でも「御三家」として始まった水戸藩から「最後の将軍」が出たということですね。できました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ご存じでしたか?家康のルーツと徳川御三家

2024-05-11 | カルチャー 見聞

録画していた2番組で連日「徳川家」の事を知ることができました。「歴史を歩く」からは「家康のルーツ」を知ることができまして・・

「家康」の御先祖様ってイケメンだったようですね。いかにも精悍なかんじで、優秀さを見込まれるというのも分かるような気がします。

 

「夜道怪」と呼ばれていたようですが・・

「神格化」され、「約束は忘れてしまう」という性壁の「家康」のルーツを知りましたが、「泉秀樹さん」がいわれてる「貴種」に成りえて260年余りもの「徳川」の世が続いたのは俗に言われる「鳴くまで待とう・・・」の考え方が結果的に幸いしたのでしょうか??

次回は「徳川御三家」(歴史探偵より)…編です

 

 

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今度は解体です(解体キングダムより)

2024-04-26 | カルチャー 見聞

番組録画を古い方のDVDレコーダーの方で時間帯で予約していたせいで本来の番組ではないものが録画されていたので、そのままにしていて、4月編成になったものを先に見ていたのですが、先日見てみたら、「プロジェクトX」の逆バージョンで「解体キングダム」という番組でして、これも興味津々で見ていましてピックアップで撮ってみましたのでご存じの方も多いかと思いますがご紹介します。

この回は「巨大百貨店を解体せよ」ということで・・・

東京 新宿駅真上の「小田急百貨店」を解体というのと、前半に見た工事現場から真下には何本もの線路と電車が行きかっているところが見えて、工事で何かあったらえらい惨事になるという(プロジェクトXもそうでしたね)のを目の当たりにしてでも番組になってるから多分大丈夫なのだと期待しながら観てみると・・

昔から建物(建築物や家)に興味があって、男性に生まれてたらきっと携わっていたかと思いますが・・今回は壊していくという未知の世界で・・

いったいこの巨大な建物の解体どういう工程???と興味津々・・

今回の解体は日本が世界に誇る「なべぶた工法」だったのです。

騒音はほとんどないようで・・凄いですね。重機が空中を行きかっていきます。

開いたところに重機を落としこんでいくんですね

蓋部を支えているのがかつての百貨店の柱です。

1階と3階の床に2重の「防水工事」を施して行くのです

手仕事です。職人さん達に「ご苦労様」ってなりますね~

なんとフロアーの防水工事に7か月です

いよいよ大と小の鍋蓋がそろって一緒に下ろすことになりました。

8cmずつ49回を繰り返すようです。

ちょっとのひっかっかりで下の構内に惨事が起こるのです

ここでアクシデントがありました。残念ながら録画できていたのが前の番組の時間帯だったのでここまでだったのです。

きっとうまく「解体」はできたはずなのです・・見たかったのですが残念でした

またまた「プロジェクトX」の逆の挑戦者達に感嘆しました。

 

 

 

 

 

 

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