マイリビングダイアりぃ

趣味?興味?大好きな人(もの)達について、毎日は無理ですが、更新していきたいと思っています。見に来てくださいね。

「上司に嫌われた男 長谷川半蔵」P2

2024-02-08 | カルチャー 見聞
前回の続きですが、「半蔵さん」は才覚を表し、経済的にも、世界に誇っていいといわれる「人足寄場」を作ったりしているのです。
でも上司「田沼意次」には「贔屓」にされていたのに実直な「松平定信」には「蔑まれ」て、結果的には功績はなかったことの様にされてしまうんですよね。
平蔵さんの立案で、「人足寄場」を作って「罪人等」を働かせて経済が回っていくんです。
  



今でいう「インサイダー」的なことをやってはいたようですが・・



  人足達にも生きて行ける張り合いを与えていたんですね。
ところが・・・「松平定信」が「平蔵」に対して抱いていたのは・・

  
 
 
 




 
「平蔵さん」の「供養塔」が建てられたのは平成6年ということですが・・・「定信」の仕打ちが腹立たしいですね。


 

 
 




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「上司に嫌われた男 長谷川半蔵」(歴史を歩く)より

2024-02-06 | カルチャー 見聞
何時も録ってるTV番組で名前は聴いたことがあるかな?という人の人となりを今回は馴染みのある歴史上の人物との関わりとで知ることができました。ご存じの方もお付き合いくださいませ。
何かで名前を知ったのはきっと時代劇で知ったのかもしれないのですが・・・
「長谷川家」という裕福な家に生まれた(女中さんとの間に生まれた子)そうですが、若い頃は遊び人だったそうです。長谷川家の地は「遠山の金さん家」になってたんですって。
将軍「家治」にもお目見えしてたということです。

「遊び人」でも大出世ですよね。
時代劇で「収賄政治」でよく出てくる「田沼意次」ですが、「家重」の時代に頭角を現していたようですね。
家治の側近になって以来約20年間「幕政」の中心にいたそうです。


教科書で習いましたね
政治的なものにはたけていたようですね。でも賄賂は・・・
この「田沼」と「平蔵」は気があったようですね(このころは上司に嫌われていないのですが・・)

 「平蔵」もしたたか(世渡り上手)なようですね。
この「定信」の部下として「平蔵」は働き出すのですが・・・

  
 
 
以降の「平蔵」の働きに対しての「定信」の「本心」が解ってきます・・
続きは次回に・・・
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懐かしの聖地♪(世界遺産 四季で巡る日本の聖地)より

2024-02-02 | カルチャー 見聞
TV番組「世界遺産」の編集をしていたら、新春スペシャルとして放送された「日本の聖地」に、生まれ育った「奈良県」と、転居してからの方が長くなった「和歌山県」の「世界遺産」でしたので、そうだった~と、その時に知ったことはこうして接する機会を持った時に思い出すんですよね。
ちょっとピックアップで・・お付き合いくださいませ。
「日本一の桜の山」と呼ばれるようになった「吉野山」です。3万本の御神木です。
多くは「赤い葉」を付けた後に「白い花」を咲かせる「白山桜」なのだそうです。
 なぜそう呼ばれるようになったのか・・・が、山を聖地とする「修験道」の総本山「金峯山寺」でわかります。
  一年で一定期間だけ御開帳される、高さ7メートル日本最大の秘仏とされている国宝「金剛蔵王権現」です。三体で「過去 現在 未来」の人々を救うとされています。(さすが映像で見ると色鮮やかですね。実際に見た時は暗くて鮮やかではないブルーが目にとまりましたが・・)
役行者たちが彫ったそうです。以来「桜」が御神木になり、人々が修行や参拝の折に一本一本植えていったそうで、日本一になったのです。
「奈良」にいた頃は桜を見に行っただけで、金峯山寺には「和歌山」に長年住んでから「御開帳」の時に奈良の先輩に誘われて行ったという次第でしたが、大きさと色合いが、凄い~~と感嘆したのを覚えています。
天空の聖地、冬の「高野山」です。
此方には和歌山に着てすぐ位の冬に初めて来ました。雪が積もっているところで車を止めて雪で遊んだのを覚えていますが、寒くて散策もしなかったような・・ドライブで来た感じでした。
その後は何度か来まして、「大門」「金剛峯寺」「根本大塔」「御影堂(三鈷の松があります)」「御社」や、「奥の院」までの有名戦国武将等のお墓を見学しながら参拝しました。「宿坊」の方も散策しました。
 気温は氷点下にもなるそうです。
 聖域の中の聖域「奥の院の森」この奥の「御廟」で、「空海」は生きていると信じられています。
 「御廟」との境を流れる「玉川」の下には各地の水難事故で亡くなられた方を供養する「卒塔婆」がたてられています。
限りなく美しくて厳しい高野山の冬でした。
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ひろみさんちの「羽子板」と・・♪

2024-01-27 | カルチャー 見聞
マイブログでは写真や動画で「お雛様飾り」や、ひろみさんの手作りの「御人形 屏風」等の関連作品を「ひろみさんちのお雛祭り」というタイトルでコロナ前までは毎年UPさせていただいてましたが、コロナ禍からは一般披露されてなくて残念だったのですが・・
1月中旬に用事で暫くぶりにお宅を訪問する機会があって、その時に節句ごとに何かしら飾られてる玄関に、丁度お正月飾りがされていて、何十年も見ることもなかった「羽子板」が飾られていたので撮らせていただきましたのでご紹介しますね。
   毎年ひろみさんが手作りされているという「羽子板」です。
「お雛飾り」や、「五月節句飾り」も感嘆の声を上げていましたが、ここでも感嘆しきりでした。
     こちらはプロの方に製作して頂いたものだということでしたが、映像か何かで、昔見たことがありましたが、間近で目の保養をさせて頂きました。
奥の「布色紙」は、作年8月の、吉永小百合さん主演映画「こんにちは、母さん」の先行上映会で頂けたという「山田洋次監督」の直筆のものです。(小百合さん生で見たかったな~~知らなかったのです。残念でした)
過去ログ「ひろみさんちのお雛祭り」より、リンクしましたのでご覧くださいませ。
18’3月P1
P2
P3
19’3月のブログより
19’3月より
19’4月UP分
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見れてよかった~「美しい日本に出会う旅」より

2024-01-21 | カルチャー 見聞
録ってあった番組「美しい日本・・」を編集してましたら、実際に「一生に一度見れるか見れないか・・」の光景を、この番組で見ることができましたので、UPしますね。
視聴された方も、また実際に見られ、写真に収めることができた方もお付き合いくださいませ。
まずは期間限定の「兼六園のライトアップ」から・・
金沢城のライトアップも素敵でした。
 放送は昨年末でしたが、冬の初めのこの時期に行ったら「紅葉と雪つり」が両方見れるんですね。
 番組の映像を暗くしてカメラで撮ってるものですから綺麗に色が出てなくてすいません
そして「雨晴海岸」の「気嵐」です。
明け方からこの光景を三脚立てて待ってらした方達も最高の光景ですっておっしゃってました。
日の出をまちながら・・・ 霧が躍るという表現をされてました。
 
もっと映像流してほしかった~~って思いましたが、出かけて写真も撮ることもできない私には映像で見ることができただけで満足しないと・・。
でも映像見ながら、番組で紹介されたグルメも然りで、「富山県」に移住すればよかった~~~とも思いましたね~~
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「英雄たちの選択(紫式部千年の孤独)」より

2024-01-16 | カルチャー 見聞
大河ドラマ「光る君へ」が始まりましたね。
「源氏物語」で有名な「紫式部自身」がこれからどういう逸話でドラマになっていくのかなって興味津々ですが・・
今回の「英雄達の・・」では彼女の葛藤しながらの「選択」を中心に「源氏物語の真実」ということで考察されていましたが・・・
やっぱり源氏物語がきになって・・
「テルグ語」ってあるんですね。初めて知りました。

40か国語以上の「源氏物語」があるんだそうです。
世界最古の「長編小説」を書いた紫式部、
生きにくい世の中で何を主題に物語にすればいいか悩んで・・
石山寺に籠って構想を練っていたそうです。




「道長」の命令に背くか受け入れるかで悩んだそうですが・・
幼い「若紫」を登場させます。
若紫の身分とは真逆の「恋敵」を登場させて「結婚」させないのです。
幼いころから恋焦がれた「藤壺」(ジュリー源氏のドラマでは八千草薫さん)との間に子までなしますね
「六条御息所(渡辺美佐子さん)」も年上で、生霊になってしまって年齢差を苦に亡くなりました。
一条天皇と彰子さんに親王が生まれて式部は責任を果たしたのです。

「道長」と「式部」は噂(妾等)に上がったようですが、真意はわかってません。
晩年は物語を描き続けるべきなのか・・と悩んだそうです。

仲良く暮らしていた「若紫(紫の上)」もなくなってしまうのです。
凄い長編ですね「式部」自身?かと思わせる「浮舟」を登場させる、有名な「宇治十帖」は3部の後半だそうで、源氏の「子や孫」との事が描かれてるそうです。

 「紫式部」は「孤独の人だった」ということでした。
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「古都のナンバーワン巡り(あなたの知らない京都旅)よりP2

2023-12-31 | カルチャー 見聞
前回の続きは、「信長の定宿」から・・
本能寺所縁が有名で、何時も本能寺に泊まっていたと思いがちでしたが・・
こちらの「妙覚寺」が「信長の定宿一位」でした。
  
  「斎藤道三」とのつながりからこちらの「妙覚寺」を利用していたようです。
  道三の四男が出家していたのですね。歴史ドラマでよく見ましたが信長は道三に「美濃」を託されていたことがここでもよく理解できました。
  「秀吉」の定宿は「妙顕寺」だそうです。京都の都市計画で、寺町や、土塁などを整備しています。
巨大木像仏像・・・
  御寺泉涌寺の塔頭「戒光寺」に巨大木像仏像です。
 
  
  
  普通は寝かせて仏像をいてんさせますが、立てたまま運ばれたので民衆が見た時に「歩いてらっしゃる」ように見えたそうです。「生きた仏像」と呼ばれてるそうです。
「最も大きな木魚」・・
  
  
  創作木魚も珍しいですね。
人間の元の姿の「木魚」も・・・  こちらでは珍しい「衣」をまとった仏像も  あの「家康」が激怒したという「方広寺」の「梵鐘」です。大きさがナンバーワンです。
  野ざらしにされていた時期もあったようです。
 立派な門が多いですが・・一位は・・
  「東本願寺」さすがの風格ですね。
古い喫茶店は「京大前の進々堂」です
  
 BGMはなしです。一度かけたことのある息子さんは怒られたそうです
  勉強しやすそうですね。
人気メニュー、パンをちぎってカレーをつけて食べます。
「金閣寺」は「相国寺」の塔頭だったんですね。「塔頭の多さ」では・・
  3位は千利休の所縁でもある「大徳寺」
  
この像がいちばん「信長」に似ているとか‥と言われてるそうです。
 幕府の庇護を受けなかった地方の大名が建てやすかったことで塔頭が多いということです
2位は・・
   
  「三門」の意味がここでわかりました。
  
 重森三玲さん作庭の庭行って見たいですが・・
  こちらの塔頭では住職さんが一人でお庭を飾られているそうです。
  
  こちらの塔頭は「鬼門」を守られてるんですね。
 塔頭の多さ1位の「妙心寺」です、此方は下宿先の息子の自転車で、塔頭が並ぶ境内を北から南までゆっくり通り抜けた(歩いて家路へと向かう方もいました)ことがあります。
  真田信之の菩提寺ですね。
特別に「賀来千香子さん」が見られて感動されてた「路地庭園」の紅葉・・
   
   
   
 特別参拝期間でしか見れない「庭園」観れてよかった~~ 
  
北から南まで自転車で走っても距離があった「妙心寺」は流石、ダントツで多いですね。
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「古都のナンバーワン巡り」(あなたの知らない京都旅より)

2023-12-29 | カルチャー 見聞
実はこうだったという「古都のナンバーワン巡り」いつもの「あなたの知らない京都旅」で知った意外なベストスリーをご紹介します。
 まずは鳥居から・・
  よく行きましたが「北野天満宮」が第三位だったんですね。あまり高さを感じませんでしたが・・
 こちらへは前を通ったことがありましたが参拝はしたことなかったです2位は「松尾大社」
 境内に「榊」を吊って榊のかれ方でその年の農作物の出来を占う鳥居があるそうです。
  ご存じ「平安神宮の大鳥居」が1位です。
  
  
  
  
  上から目線だった「探幽」が和尚様に座禅をしろと言われ3年間構想したということです。
 書かせていただきますとなったのです。  
  
第一位は「妙心寺」の「雲竜図」でした。
次は「国宝の古い順」です。
  
「浄瑠璃寺」が3位です。
  
 「平等院鳳凰堂」が2位
  
1位は秀吉でおなじみの「醍醐寺 五重塔」
  
カルチャーできました。
今回はここまでで終わります。
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「家康の世界地図」より

2023-12-27 | カルチャー 見聞
録ってあった「家康の世界地図」を見ていましたら知らなかった事ばかりで・家康って「どうする・・」ではなくて晩年は「こうするんだ」という人だったようで・・
  家康が愛用していた「世界地図」です。
この本にも記録されてるようで、家康は「貿易」を進めたかったそうです。 
 この地図ではまだ「北海道」が描かれてません  当時の民族が42種描かれてるようです。
国王も、港も、街も正確に描かれてるようです。
   
  「ブラウ氏」が出版したものとほとんど同じだということでした。
  大河でも登場されてた「按針さん」との交流があったからですね。ここからいろんな国との交易が始まっていきます。
  
  
     
  諸外国とのやり取りが「あちらの国と同じように・・」という、家康の差配が生きてくるのです。
  久能山東照宮にある、家康が使っていた「鉛筆」
   「はかり」のようです。
  「香木」は信長が頂いたという「蘭奢待」とは一味違いますが・・・「銀」を作らせていたというのも初めて知りました。当時は日本で世界の3割を作っていたそうです。
貿易で苦境に・・
  
生糸の値段が跳ね上がり貿易赤字になってしまいます。
  イギリスに「航路」を教えて「競争」をさせるという手を打ちます。
  
  
 交渉条件も悩ましいことばかりです。
  
  
 輸出されてるものすべて凄い調度品ですね。
  
 禁教令が出されて家康の外交が頓挫してしまいます。
亡くなってしまってからは「秀忠の外交政策」で・・
 鎖国体制となってしまうのです。
晩年の家康は精力的に外交を進めていたんですね。できました。



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ご存じでしたか?「ハーフマン」という植物

2023-12-19 | カルチャー 見聞
先日録ってあった「滝藤賢一が行く 南アフリカ珍奇植物紀行」を観ていたのですが、年間雨がほんの数日しか降らない処の一部分では、灼熱の大地と、海の水温の風で「霧」が発生することで唯一水分を補給することができるということでした。
「奇跡の花園」と言われるその一帯は、冬になって花を咲かす(ご当地で付けられた名前がカタカナで長い花ばかりでしたが)珍しい植物が紹介されてまして、めったに見られない花が咲いた時のVTR映像を見ることもできたのですが・・
中でも興味を引いたのが「ナマクアランド」というところに通称「ハーフマン」という植物があって、その植物がなぜ「ハーフマン」と呼ばれているのかを知ることができましたので、番組終盤をピックアップしましたのでお付き合いくださいませ。
「ナマクアナム」という名前から「たくさん生えているところを「ナマクアランド」となっています。
  
 「ナミビアの先住民 ナマ族」が民族争いで南アフリカに逃れた際に前向きに生きることをせず、自分たちの境遇を憂いたそうで、その人達が神に咎められ植物にされたと伝わっているのです。(人間が植物にされたからハーフマンなんですね)
滝藤さん達は「ハーフマン」の自生地に向かいまして・・
  途中、貴重な南アフリカの植物を盗もうとする人が後を絶たないという話と、「ハーフマン」を盗んだ人を捕まえたという案内人さん(警察官です)の話では「罰金ではなく禁固刑7年」だというお話でした。
  すべて「真北をむいてます」
  花を咲かせようとしています。
  温度を下げてくれて、灼熱の大地に植物が生き残れるのは「貴重な石英」との共生です。
花が咲く花園でも石英がたくさんあって・・自然って素晴らしいですよね。
  3メートルほどの「ハーフマン」500歳ですって!!3センチほどの石との隙間から生命を維持させています。
赤ちゃん「ナマクアナム」も石英に守られてました。
滝藤さんもすごい植物達を見てきて、「過酷で限られたところで生きていくには、努力をしないといけないということだ」と感慨深げでした。
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[あなたの知らない京都旅」(大石内蔵助の葛藤)より

2023-12-15 | カルチャー 見聞
昨日は「忠臣蔵討ち入りの日」でしたが、昨日の雅俊さんの「あなたの・・京都旅」が丁度「内蔵助の葛藤」として、今まで知られていなかった場所や実際にどう葛藤されたのかを知る回だったのと、京都でなかなか行けないところが映されていたので、UPしますね。ご存じの方もお付き合いくださいませ。
  忠臣蔵で有名になった「一力亭」ですが、
 屋号は「万屋」だったのが、有名になってから「万」を分割して「一力」と、替えたということでした。
  「大石内蔵助」の所縁の地を巡る旅、最初は「御寺 泉涌寺」の塔頭「來迎院」から・・
  「弘法大師様」が、井戸もほっておられるというのは過去ログでもご紹介したと思いますが、ここに「大石様」もおられたようです。
  「内蔵助直筆」だそうです。建てられていたんですね。
  「お庭」も造られてたようです
  ご親戚が住職さんだったようです。
  
「本堂」のお地蔵様(らしからぬ像ですよね)に願掛けをされていたようです。(討ち入りではなくてあくまでも浅野家再興を願われてたそうです)
 こちらも所縁の地「岩屋寺」この傍に居宅があったそうです。
  塚がある辺りが住んでおられたところだそうです
  本堂内に生活されてたもの等を展示されてます。
 
  説得に苦労されたそうです。
 未公開なのに丁度放送日が14日なので特別に「御開帳」となりました。「ご本尊」です。いつもここでも再興の祈願をなされていたそうです。
  「伏見の遊郭」へ通われてたのはドラマなどでは目くらましといわれていますが、ストレス解消していたのでは・・ということでした。
  
    こちらでも再興祈願されてたそうです。
こちらへ来られる公家さんに江戸の様子を訊いてらしたそうです。
 「再興ならず・・」で、「討ち入り」を決められたそうです
  決心した後「肖像画」を書かせたときの顔の表情がその時の葛藤を表しているということでした。
 直筆の絵に「翡翠」を書いた上に「吉良」を思わせる「句」も詠まれたとか・・
  討ち入り成功です。
 評判になったのですが・・
  解禁なって、歌舞伎で上演されたのが45年後とは驚きです。
  
 「大石神社」の創建も遅かったのですね。ここへは行って見たかったです。
 「來迎院」の「四十七士」の位牌、「岩屋寺」の四十七士」の木像
 この伝記は実名で書かれているそうで、討ち入り前夜に何を食べたのかも書かれてて、「鴨肉」を「すまし汁」で食べたと書かれてるそうです。
雅俊さんが「スマホ」で実写した「含翠之の庭」の写真で番組が終わりでした。
知らなかった事や、寺社を見れてちょとカルチャーでした。

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エゴ ドキュメント「太平洋戦争開戦 前編」をみて・・

2023-12-12 | カルチャー 見聞
SNSが当たり前になった昨今ですが、先の戦争当時に、人々はどんな思いでいたのかその人々が残した「日記」をもとに「なぜ日本は(開戦)に至ったのか・・」という2年前のTV番組の前編~の何時間ものドキュメントを録ってやっとその「前編」を見終えまして、「戦争関連の映画やドラマ」である程度の事は知っていても、当時のニュースフィルムでも人々の歓喜等を見て当時の人達はどんな思いで・・と観始めたら思いがけないことばかりで・・何枚も撮ってしまってまして・・お付き合いくださいませ。
  
  
  開戦前の1940年の日本の様子から始まったのですが、ほんとにこんな感じだったのか?って思いました。
  このころのサーチではほんとに「すき焼き」等の言葉が多いようで「ピアノ」なんてすごく高かったでしょうに・・でも・・
この方はお商売をなさってて、家にあっても・・と買っておられてましたが・・開戦近くになって・・
  こういう言葉が頻繁に出てきます
  
  この教科書で習った「三国同盟」がネックになったんですね。
  町中に(デパートにも)「ドイツ」の「旗」がいっぱいですね。(こんな光景は知りませんでした)そして・・
  「アメリカとの卓球の試合」もされてますね。
  
 いよいよ経済制裁です。
  
  誰もが「戦力の差」は知っていたはずなのに・・
  この「南方」への資源調達のための「進駐」は反感買うでしょうね~
  
 この時点では解決策は見当たらず
  
  こんな状況になっても・・
   
  子育て中の主婦の方は気丈に「お国のため」と子育て日記内に書かれてます。
 「教師」をされてる方は本音を言えるのは日記だけと冷静に記されてます。さらに続きます。
   
  ほんとそう思いますよね。
  国民達も「お国のため」となっていくのでしょうね。
  
  そんないろんな思いが「東条」にもあったようですが・・
そんな時に後に「戦犯」になってしまう「東條内閣」となってしまうのですね。
天皇は「日米交渉」を進めたかったそうで、東條に「陸軍強行派」を抑えさせて、戦争を避けさせ、何とか道を探ろうとしていたということでしたが、鬱屈していた空気を感じていた国民が軍人出身の首相に期待を抱いたということから開戦になったようだとのことでした。
  
  ピアノを買われてた「井上さん」は涙を流したとあります。
  森下さんは冷静です。
 金原さんも喜ばれてますね。
ここまで前編でして、番組で日記を朗読されてる方が「豊川悦司さん、西島秀俊さん、國村凖さん、松重豊さん」等俳優さん達でした。
後編を観だしたのですが・・・ここでも
開戦になってすぐの勝利で喜ばれている方が多かったですが・・
作家さんも、
  「真珠湾攻撃」時の手記も公開されまして
  
 実際に攻撃に向かわれた若い兵士さん達の書き残されたことが紹介されてまして、当時の凄い覚悟など(映画でも表現されてますが)みて複雑な思いでした。
   
   
  
この方は偶然ひねったchannelで方向を見出し雲の上に出て攻撃ができたということでした。
天皇がかかれた「自存自衛」だけで済ませたらよかったのに・・・という「文字」が頭を離れませんでした。
今更ながら「命と国土」を焼き尽くしていってしまう戦争の正体に気づかずに向かっていってしまったということが残念でなりません。</span></span>
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「壮観劇場」(葛飾北斎)より

2023-12-06 | カルチャー 見聞
番組表で偶然見て興味を持ち録ってあった「壮観劇場」を見終えました。
エンドロールの最後の「北斎の天井絵」で幕を閉じましたが、この番組自体は昨年放送されたもののようで、ご覧になられた方もいらっしゃると思いますが、デジタル化されるプロジェクトも始まっているそうですが、思わず撮ってみましたのでご紹介しますね。
  
  
  お馴染みの「北斎」の版画ですが・・
あまり知られてない「肉筆画」が紹介されてまして・・
  
 リクエストをされながら描いた一点物の「肉筆画」ですね
  此方の「北斎」のパトロン的存在だった豪商「高井鴻山さん」の「記念館」にも保存されてるようです。
 「小布施」に長く滞在されていたそうで個人で持っておられる方もいらっしゃいました。
  
  どんな発想で描かれてるんでしょうね~
こちらも素敵です。そして・・
  
  
屋台も創作なさってるんですよね。
  「エンジェル」や、想像の動物等もいますよね
 敢えて「人」より「屋根瓦」を大きく、 二等辺三角形で、緊張感を表してるとか・ こちらは90度顔を傾かせて・・
こんなに小さく富士山が見えるはずはないのに・・という感じで・・「北斎マジック」だそうです。
 海外の人たちにも人気の「北斎」は有名な画家たちにも影響を与えました。
  
 音楽家にも影響を与えています。
 百人の中に、日本人唯一で選ばれてます。
  「歌川広重」は「文学的な要素」を入れていますが・・
  一目で分かるように描かれてるから海外でも人気があるということでした。
そしてそしてこちらの「本堂」の「天井」に・・・
これが、亡くなる1年前89歳で完成したという、畳二十一畳(5.5×6.3m)の、170年色あせていない世界で一点の「天井絵」です。
 「貝殻から作った特殊絵具」や、「青色等」の顔料は中国からとりよせ、金箔は(4400枚)使われてるそうです。
「龍」は自分を表した「絶筆」と言われている「富士越龍」です。
天井絵はまさに「壮観」でしたね。
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和歌山演劇鑑賞会「ほんとうのやさしさで」へ・・

2023-11-21 | カルチャー 見聞
今日は演劇鑑賞会例会に出かけてきました。
何時もとはちょっと違う趣向の「朗読と音楽 ほんとうのやさしさで」で、ほんとにやさしい気持ちになれた例会でした。
「朗読」は「日色ともゑさん」音楽はマリオネット」で、初めて見せて頂いた「ポルトガルギター(湯浅さん)」と、「マンドリン(吉田さん 副会長だそうです)」の演奏3人の舞台でした。
詩やエッセイを書かれている「茨木のり子さん」の詩を日色さんが美しい日本語で読み上げられます。
劇団民芸(日色さんは特に)と長年コラボされてるというマリオネットのお二人の演奏朗読に合わせて選曲されてて素晴らしいコラボでした。
一部は「マリオネット」の演奏が続いて(ギターをかじったことのある、今ではコードも忘れてしまった友人と私は)感嘆の素晴らしさで、民芸の大御所(滝沢修さん、北林谷栄さん等)が魅了されたという「ポルトガルギター」の心地よい音色で癒していただきました。
「日色さん」は真っ白な白髪とピッタリの、一部では中は黒で白のスーツをお召しになられて「8年ぶりぐらいですが、こんな白髪になっちゃいました~」って言われて「市民会館もよかったけど、いつの間にこんないホール作られたのですか~~」って笑いをとってらっしゃいました。
そして2部では「故 奈良岡朋子さん」が残された素敵な「最後の詩」を読まれて「この上着は徹子の部屋に出られた時のもので、忘れて旅だったので、唯一私がぴったりだったので頂いたの」とスカートは自分で用意して・・黒で統一されてて、これもまた素敵に着こなされてました。
「萩原朔太郎さん」の詩に「マリオネット」の方達が作られた曲での朗読もあって、終盤はマリオネットの音楽に合わせて「シャボン玉、ふるさと等3曲」を日色さんの歌詞誘導で歌いました。日色さんが「コーラス隊みたいでしたよ~~」って褒めてくださいました。
最後の方の曲は「蘇州夜曲」だったので、なんとなく耳にしたことがある程度だったので歌詞が解らないから誘導して頂いてもハミングでしか歌えませんでしたが・・
でも心癒されて友人と楽しかったね~~って帰途につきました。
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京のモダン建築「あなたの知らない京都旅」よりP2

2023-11-19 | カルチャー 見聞
前回の続き「京のモダン建築」P2です。
ファンの人なら行かれたことがあると思いますが、「マンガミュージアム」です。
  
   
 日本最初の小学校(行政機能も)だったんですね。
  
    「通用門」の方が立派だったんですね。
 モダンで工夫がなされてる階段も。
  和室も設けられていて広くて集会所も兼ねられてたようです。
  行政の機能も兼ねてるということで「貴賓室」もあったんですね。
そして・・行かれた方もおられると思いますが・・「東華菜館」です。
   
 スペインに行ったみたいですよね。
  エレベーターだけの利用はできないそうです。
 各フロアに止まる時は手動でちゃんとタイミングを合わせないと・・
  屋上の「モスク」型の建物は「エレベーター用」の「機械室」だそうです。
今回の「あなたの知らない京都・・」はめったに見れない「モダン建築物」を見れてよかったです。
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