マイリビングダイアりぃ

趣味?興味?大好きな人(もの)達について、毎日は無理ですが、更新していきたいと思っています。見に来てくださいね。

第100回和歌山市吹定演へ・・・

2024-07-04 | カルチャー 見聞
先日の日曜日11年ぶり(とは驚いてる次第ですが・・)「和歌山市吹奏楽団」の定期演奏会に出かけてきました。
何度か出向いてた頃はバイクで行っていたのですが、年齢的にも無理になったり、既往症となってしまったことが発症して行けなかったので、市報を見た時に懐かしい~~し、それに100回定演だというのでで出向きました。
  
 
100回記念で、「福島弘和氏」に作曲委嘱作品の「飛瀧幻想 炎の祭り」は、初披露でして、学生時代に吹奏楽で打楽器をやってたこともあって、幻想的な火祭りの情景を浮かべながら、やはり「打楽器奏者」に目が釘付け状態で、日本の祭りに欠かせない迫力ある連打に感嘆しきりでした。
最後に長年で続けられた御三方に花束が贈られてまして、その中で打楽器の方がお一人おられて頑張ってらっしゃるのにもでしたし、指揮者の「三好さん、神田さん」が長年携わってこられてでした。「神田さん」は学生時代から100回定演のうち97回出演されてるそうです。アンコール曲で「クラリネット」ソロを演奏されて、音の質の違いが分かる(周りの方も流石との声が・・)素晴らしい演奏をされました。
今回動画は禁止でしたので、大昔ですが私が行った時に録って(うまく録れてませんが・・それに一部分が多いです)「YouTube」にUPしたものを添付しますので和歌山市吹の音楽を聴いてみてください。
   
    2011 74回市吹定演 「嵐メドレー」
    2013 78回定演  「世界遺産」
    2013 78回定演 「坂本冬美メドレー」
    2015 81回定演 「千と千尋の神隠しメドレー」
 
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懐かしの奈良の風景{あなたの知らない京都旅}より

2024-05-22 | カルチャー 見聞
何時もの録っている「あなたの知らない・・」が、今回京都ではなくて私の故郷「奈良」というので、どの辺に行かれたんだろうとみだしたら、懐かしの風景や、寺社が紹介されていて・・ちょっとピックアップしましたのでご一緒に・・
「若草山」から撮った順にご紹介します。
  昔、一度登ったったことがありますが随分様変わりしました。夏暑い盆地というのは一目瞭然ですが・・
  奈良と言えば大仏様です。
「東大寺」何度か行きましたが、「南大門」高さ25メートルというのも初めて知った次第です。
  有名な「阿吽」ですね。
 大きいというのを再認しました。  「近鉄奈良駅」前にある「行基様」の像ですが、この方が尽力されたというのも(教科書以来の)再認です。
  日本中の人が何かを寄進されたようです。
  小学校の修学旅行(何十年前だ~~~大昔 県内南部~北部へ)で「邪気除け」のここを潜ったのは朧げに覚えていますね。
帰省した時か?、和歌山からドライブで行ったのかもしれませんが長男が4歳位の頃だったか?ここを潜ったのは覚えてます。そしておにぎりを食べさせてた時に「鹿」がかぶりつこうとしたので、驚いて泣き出しそうになったことがあったのも思い出しました。
そして「明日香」では・・
  「岡寺」です。門には「龍蓋寺」となっています。(これは当時気が付かなかったです)此方は私が数え年の19歳が本厄なので、18歳の時に一人で「厄払い」に来たことがありましたが・・
  「奈良 櫻井」出身の「笑い飯の哲夫さん」が詳しいのです。
  これも知りませんでした「日本初の厄除け霊場」だったんですね。
 「シャクナゲ」が綺麗です。
  本堂に上がってみた時は大きかったというのは覚えているのですが、またまた勉強です三国(インド、中国、日本)の「土」でできているということは知りませんでした。
  
  
日本初の厄除け霊場といわれる「岡寺」のルーツをできました。
今回行かれませんでしたが・・
 日本最古の大仏「飛鳥寺」の飛鳥大仏」(前に雅俊さんが見に行かれたようです)
このお寺の近くに「日本初の仏像」があるのだということなんですが・・
  
 「お顔」は5cmくらいです。
此方には「推古天皇の宮殿跡地」もありまして・・
  
  そして、邪馬台国関連で「桜井」へ・・
  「箸墓古墳」は2時間ドラマ等で有名になってますけど・・
 このお姫様の名前は初めて知りました。
   
この感じでは日本のルーツって思えますね~~。
そしてよくお参りした「大神神社」が・・
こちらが「素麺」の発祥地だったんですね~(1300年前
 今はいろんな色があるんですね~大好き「三輪素麺」は毎年必ず母から伝授の「干しエビとシイタケ入りの出汁」をかけて「すり生姜」をトッピングで頂いてます。
故郷再発見でした
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ご存じでしたか?「徳川御三家」の実は・・

2024-05-13 | カルチャー 見聞

今回は番組「歴史探偵」より「そうだったの?」っていう「御三家」のことです。

全く知らなかったのですが、「家光」の叔父さん達って年齢的に同世代だったんですね~~

「家康」はこの三人の事が歳をとってからの子供だったからか可愛がっていたそうです。

「尾張」には特に「名古屋城」を与え清須の街をお城近くに移した・・ということでした。

「義直」は関ヶ原の戦いの後「家康」が59歳の時に生まれたそうです。海上に「御殿」を作ってるんですね~

此方にも御殿を作ってます~

「家光」に対しての威厳のようです。さらに・・

「家康公」の為の専用空間らしいです

そしてわが地域の「紀州徳川家」は・・

「紀州東照宮」です「関西の日光」とも言われているようですが、行ったことなくて・・108段の急な階段(侍坂)を「和歌祭り」で「神輿」を担いで下って行かれる様子がニュースになっています。

「左甚五郎」作の彫刻も流石ですね。

「頼宜さん」は「捕鯨」や「戦術」が好きだったようです。

将軍には「尾張 紀州から・・」という「家康」の遺言もあったようです。

では水戸は?二家はそこそこの「石」を与えられてたようですが、水戸は少し格下だったのですねでも・・

「家光」と、「頼房」は年が近かったせいか、あとの二家は脅威でもあってか、仲が良くて「小石川後楽園」の「腰掛石」に座ってよく話をされていたそうです。

水戸城は「石垣造り」ではなかったようで・・

家光が石垣にしろ・・と「頼房」に勧めても「地層」がいいので今のままでいいといっていたそうです。

「石丁場」もあったようですが・・

この「那珂川」が難所だったようで頓挫したようです。

で、2代水戸藩主の「光圀さん」の時から「御三家」システムができていくのですね。

紀州藩は2人も・・でも「御三家」として始まった水戸藩から「最後の将軍」が出たということですね。できました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ご存じでしたか?家康のルーツと徳川御三家

2024-05-11 | カルチャー 見聞

録画していた2番組で連日「徳川家」の事を知ることができました。「歴史を歩く」からは「家康のルーツ」を知ることができまして・・

「家康」の御先祖様ってイケメンだったようですね。いかにも精悍なかんじで、優秀さを見込まれるというのも分かるような気がします。

 

「夜道怪」と呼ばれていたようですが・・

「神格化」され、「約束は忘れてしまう」という性壁の「家康」のルーツを知りましたが、「泉秀樹さん」がいわれてる「貴種」に成りえて260年余りもの「徳川」の世が続いたのは俗に言われる「鳴くまで待とう・・・」の考え方が結果的に幸いしたのでしょうか??

次回は「徳川御三家」(歴史探偵より)…編です

 

 

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今度は解体です(解体キングダムより)

2024-04-26 | カルチャー 見聞

番組録画を古い方のDVDレコーダーの方で時間帯で予約していたせいで本来の番組ではないものが録画されていたので、そのままにしていて、4月編成になったものを先に見ていたのですが、先日見てみたら、「プロジェクトX」の逆バージョンで「解体キングダム」という番組でして、これも興味津々で見ていましてピックアップで撮ってみましたのでご存じの方も多いかと思いますがご紹介します。

この回は「巨大百貨店を解体せよ」ということで・・・

東京 新宿駅真上の「小田急百貨店」を解体というのと、前半に見た工事現場から真下には何本もの線路と電車が行きかっているところが見えて、工事で何かあったらえらい惨事になるという(プロジェクトXもそうでしたね)のを目の当たりにしてでも番組になってるから多分大丈夫なのだと期待しながら観てみると・・

昔から建物(建築物や家)に興味があって、男性に生まれてたらきっと携わっていたかと思いますが・・今回は壊していくという未知の世界で・・

いったいこの巨大な建物の解体どういう工程???と興味津々・・

今回の解体は日本が世界に誇る「なべぶた工法」だったのです。

騒音はほとんどないようで・・凄いですね。重機が空中を行きかっていきます。

開いたところに重機を落としこんでいくんですね

蓋部を支えているのがかつての百貨店の柱です。

1階と3階の床に2重の「防水工事」を施して行くのです

手仕事です。職人さん達に「ご苦労様」ってなりますね~

なんとフロアーの防水工事に7か月です

いよいよ大と小の鍋蓋がそろって一緒に下ろすことになりました。

8cmずつ49回を繰り返すようです。

ちょっとのひっかっかりで下の構内に惨事が起こるのです

ここでアクシデントがありました。残念ながら録画できていたのが前の番組の時間帯だったのでここまでだったのです。

きっとうまく「解体」はできたはずなのです・・見たかったのですが残念でした

またまた「プロジェクトX」の逆の挑戦者達に感嘆しました。

 

 

 

 

 

 

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南米大陸の鉄道事情(玉木宏 紀行番組より)

2024-03-24 | カルチャー 見聞
「雲の列車」編ではアルゼンチンの鉄道等でしたが、南米各国では廃線になった路線が多くて・・・
玉木さんも「廃線」場所に行かれて・・

駅はまだ現役のような風情ですね。廃線跡等も郷愁を誘います。

パラグアイの首都アスンシオンにも野ざらしになっている列車がたくさんありました。

昔「薪」で走っていたそうです。(石炭が乏しかったらしいです)、踏切では止まらないといけなかったため人が車前に立って合図で留めていたそうです。
こちらの当時の駅が列車の博物館になっているところの素敵な列車内には・・
バーカウンターがありました。玉木さん「乗って見たかったな~~」っておっしゃってました。

パラグアイ川の貿易利権をめぐって壊滅的な戦争があったのですね。(最初に経済が潤っていたパラグアイが負けてしまって・・)
こちらの駅や廃線場所にも地元の子供達や、SL好きの方達が写真を撮られ、人気スポットになってるようです。


「SL」を走らせたいと願っている元鉄道員の方達と市役所と合同での「SLを走らすプロジェクト」が進んでいるようです。
パラグアイの国旗の中からとったというSLのシンボルマークです。

玉木さんが帰国した3か月後に50mほど動いたそうです。




南米大陸の鉄道を巡ってこられた玉木さん、列車からの景色を満喫したり、生活の手段としての鉄道、チリでの木で組まれたモノレールの支柱に「ヒヤッとした」ことも貴重な経験で、なくてはならない「鉄道」の再発見の旅だったようです。
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アルゼンチンの「雲の列車」と・・・

2024-03-17 | カルチャー 見聞
玉木宏さんの紀行番組の録画を観ていたら驚きの「鉄道」が登場しまして・・ご覧になった方も多いと思いますがUPしますね。
この回では廃線が相次いでいるアルゼンチンですが、この「有名な雲の列車」に乗らないとと来られたる方が多くて満席だったようです。
2千キロ近く離れた町から年配の女性の方が「一度乗ってみたかった」というほどの廃線の一部を利用して観光列車として走らせている「雲の列車」をご紹介します。

高所まで行く列車なので高山病等が起こってしまので「救急車」も並走するそうです。

列車内にも医務室があります。
母娘で有名な観光列車を乗りつくす旅を続けてるそうです。
玉木さんがインタビューされたご家族はお父さんが子供のころ乗ったことがあるので子供たちに経験してほしかった、家族に楽しんでもらいたいとおっしゃってました。子供たちは前の晩寝られなかったとの事・・
標高を上げながらアンデス山脈を登っていく「雲の列車」、この名の由来は1960年代に学生たちが作った↑の鉄道の「ドキュメンタリー映画」のワンシーンにあって、鉄橋の上でSLが吐き出した蒸気が「雲」のようにたなびき、雲の上を走っているように見えたから「雲の列車」と呼ばれるようになったそうです。
「ラ・ポルボリージャ鉄橋」全長223m、高さ63mです。
難工事の末1939年に完成、鉄橋がまたぐ谷間をアンデスからの強風が吹き抜ける雲の列車最大の難所なんです。

恐る恐る進む「雲の列車」玉木さんは鉄橋の影を覗き込みながら「見下ろしたらヒヤッとします」っておっしゃってました。
「顔を出したら風はすごくて怖いけど列車は全く揺れないくて、頑丈ですね。大自然の中にできたアトラクションのような感じがします。なかなか見られない景色です。この列車に住みたい感じがします。毎日眺めていたい!」とも・・・
標高4220mの「ラ・ポルボリージャ鉄橋駅」に到着です。
乗ってきた「雲の列車」が麓へと戻っていきます。誰もいなくなった駅から見送る「玉木さん」です。
乗ることはかなわない「列車の旅」を番組で感動しながら楽しみました。
そして・・生活に根差した列車たち・・
「トレン パタゴニコ」、「駅まで来た自家用車」、長距離なので「食堂車」も連結しています。
「生活関連物資」から「工事用資材」「家財道具」などを、「ピエドマ」~「サンカルロス デ・バリローチエ」まで826㌔を19時間かけて走ってるそうです。

なんと脱線したようです。厳しい風雪で枕木が痛んでいたからのようです。原野で重機は持ってこれません。鉄道員だけでの復旧が始まりました。


9度目でやっと成功したようです。

なんと3時間遅れで終着駅に到着したようですが、乗客の皆さんは笑顔でした。(鉄道員の情熱と共に走り続ける列車に感動しました。)
そしてパタゴニア地域では・・玉木さんがインタビューされてた時に娘さんが乗ってきたといわれてた「世界の果て鉄道」を・
「フエゴ島」を走る「フエゴ鉄道」(別名 世界の果て鉄道)世界最南端の鉄道として観光客に人気だそうです。
流刑の地だった「フエゴ島」の「囚人達」によってつくられたそうです。
パタゴニアの大草原を走る・・「オールド パタゴニア急行」
愛称「トロチータ」は「小さな汽車」という意味だそうです。

荒野を開拓してきたアルゼンチン、パタゴニアも大きな発展を遂げましたが、国中結んでいた鉄道網もLCCや、長距離バスに乗客を奪われ1990年代国鉄民営化によって数多くの不採算路線が廃止されました。
「雲の列車」は復活を果たしたものでしたが・・廃線に追いやられてない今も頑張ってる路線は応援したくなりますね。
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机上でお花見(冊子 発見上手で・・)

2024-03-13 | カルチャー 見聞
あの原発事故から13年という長い年月、いまだに22900人もの県外生活を強いられてる方がいるという現実、廃炉処理には40年もの時間が必要になるということ等を見聞きすると、当事者の方達の先行きが見通せない状況下での生活がどんなものなのか・・と、普通の生活ができてる私達の有難いことに感謝しないと・・と思うここ数日でした。
そんな、見れる機会も持てない福島の綺麗な「桜」を銀行から送って頂いた冊子で見ることができました。
写真撮りましたのでご一緒にお花見を・・・・
       「花見山」から「吾妻連峰」を望みます。
       日本三大桜の一つ「田村郡三春町(みはるまち)」の「三春滝ザクラ」です。
(桜)がカタカナ表記になっているのは、天然記念物の表記によるものだそうです。「根尾谷薄墨ザクラ(岐阜県)」「山高神代ザクラ(山梨県)」と共に大正11年に天然記念物に指定されたそうです。
大きさは高さ13.5m、地面から1.2mの幹回りが8・1m。三春滝ザクラの樹齢は1000年を超えてるといわれてるそうです。現在も毎年数十センチ成長しているとか・(古く朽ちはてた部分を栄養にして新しい組織が育つという新陳代謝を繰り返しているという訳です)すごい生命力ですね。
  滝桜から4キロほど北にある「福聚寺(ふくじゅうじ)」の推定樹齢450年の紅枝垂桜」これは「滝ザクラ」が原木になっているものの一つだとか・・この三春町一帯にはこうしたしだれ桜が、400本以上あるといわれて、紅枝垂桜は、エドヒガンの変種で、劣性遺伝によって垂れてるとか・・
  蚕農家の方が開墾されて、桜は十種類、桃や、梅等の花木を植えられて、この世の桃源郷と言われる「花見山公園」の桜は、花が咲き始めると主に生け花用に日々切られて出荷されていくそうで、次々に伸びる枝に次々蕾をつけていくということです。
猪苗代湖に繋がる長瀬川にそそいでいる「観音寺川」の川沿いの土手1キロに、ソメイヨシノの桜並木が続きます。
綺麗な桜の机上のお花見ができて感動しました。
こんなきれいな風景が見れる福島へ一日も早く帰郷できるように願っています。
  
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あなたの知らない京都旅」より(禁断の扉編P2)

2024-03-06 | カルチャー 見聞
前回の続き(禁断の扉)特別公開編P2です。
「盧山寺」が映って十数年前に「京都の病院」に定期的に付き添いで通っていた時、待ち時間に近くを散策していて偶然入って、誰もいなくてひっそりとした境内の奥で狭い道を進んで見つけた「紅葉」がきれいで思わずカメラに撮った光景を(過去ログにも載せてますが・・)思い出しました。
それ以後は秋の紅葉の時期に病院に出向くたびに毎年穴場的な紅葉の光景を撮らせていただいてました。
今回は「大河ドラマ」の影響もあって「紫式部の邸宅址」では・・
「源氏物語」関連の絵等が展示公開されているようです。
そしてここには
「明智光秀」に所縁があるという「禁断の扉」をあけると・・
大事にされてたという仏像が・・

特にこの仏像は携帯できるというので、何時も傍に置かれてお顔(頭)を撫でてらしたという痕跡が見られるそうです。

当時の「比叡山」焼き討ちの時に信長から「盧山寺」も焼くように命じられてた光秀が、「正親町天皇」からの書状で焼かないようにといわれて焼かなかったそうで、自身の行く末を案じながらこちらの寺に預けられたということです。
他にも特別こうかいされているところを・・
辰年だから「龍」が公開されているのですね。

狩野探幽の龍比べです

お若い時と比べたら晩年は繊細かな・・
六波羅蜜寺では・・ご本尊様のとびらはあけれなくて・・
そして教科書でおなじみの・「空也上人」・・
この方「醍醐天皇の第二皇子」と言われているらしいです。
この絵の方は像がつくられる200年ほど前のものだそうです。
生きておられるときのものだと推察されてて絵の方が実写ということですね。カルチャーできました。
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「あなたの知らない京都旅」より(禁断の扉編)

2024-02-29 | カルチャー 見聞
「あなたの知らない・・・」禁断の扉編です。
ご覧になられた方も多いと思いますが・・
今回は、たくさんの寺社を建立されていた「徳川秀忠」が43歳で建立した・・
「知恩院 三門」の上にあった「禁断の扉」を開けて頂いたところから・・
重文が並ぶお堂が造られていたのです。
行って見たいですが・・(3月半ばまで特別公開されてるようです。)
400年前の極彩色そのままだそうです「扉を開けない」ということで劣化しないんですよね。

 修復されていないままなんてすごいですよね。
そして平成から歳月をかけられて修復された「御影堂」の禁断の扉は・・

本堂の「ご本尊」は「法然上人」ですが、カメラはここまででした。そして・・
ご本尊の左手にある三つの「禁断の扉」、「厨子」には・・
右側の厨子には・・
「家康さん」です。
左の厨子には「秀忠さん」。
今まで見てきたイメージと違いますよね。
そして豪華な真ん中の厨子は・・
家康のお母様でした。「知恩院」で葬儀をなさったそうで「菩提寺」になっていたんですね。
歴史番組等でも「母子」は長い間会えなかったということもあって、家康の母に対する思いがこちらの扉を開けることによって理解できるということでした。
なかなか見ることができない扉を開けて頂いて、見聞できてよかったです~~
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「あなたの知らない京都旅」(冬に出会える古都の絶景)より

2024-02-21 | カルチャー 見聞
何時もの「あなたの・・・京都旅」で、貴重な冬の京都の絶景を見ることができました。
ご覧になった方は多いかと思いますがピックアップでご紹介します。
  
  
 さすがに綺麗な写真ですよね~~番組ではこの写真を撮られた写真家「稲田さん」の案内で「雅俊さん」が絶景が見れる寺社を参拝されてました。
 紫式部も見たといわれる「清水寺の舞台」のブルーアワーも感動しながら体現されてました。
  
  
ご近所の方達が数人(30年以上の方も・・)集まって「早朝参拝」をされていました。(この光景をきっと見られていることでしょう)
そして「三千院」・・
 こちらの冬の早朝の光景は・・
  
稲田さんが撮られた写真で番組で見せて頂けただけでも有難いですよね~。
南禅寺の冬は・・
  
「額縁」になってる冬の早朝の三門素敵ですね~~
全く知らなかった長岡京市の花手水発祥の寺「楊谷寺」は・・ 今年の干支「龍」の形に花が飾られてました。
  
  
綺麗ですね~四季折々で、参拝したくなりますよね~~
 すごく豪華ですね~~
上書院がまた驚きの光景です~
  
紅葉時は瑠璃光院に負けないくらいですよね~~~そして稲葉さんが撮られた冬景色は・・(撮影日が載ってるものは稲田さん撮影のものです) 
 毛氈の赤と雪景色が絶妙です~
地蔵院の冬景色は・・
 青々とした竹が素晴らしいですね~
城南宮は・・
 「梅林」のこんな光景は初めてです~
 お馴染み「貴船神社の冬は・・
朱色と白のコントラストがいいですね~~。
昔行ったことがある京都の北部「美山のかやぶきの里」の冬は・・
 
 花火があがるそうです。(写真は資料からのものでした)
 宇治の平等院の冬は・・
  素晴らしい景観です~~行って見てみたいですよね~
番組最後は「貴船神社」の「奥宮」の冬景色でした
 
稲田さんが午前三時ごろ来て、誰も踏み込んでいない奥宮の雪景色を感激しながら撮られたそうです。私は目の保養をさせて頂けて感激でした~
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連日「和歌山城ホール」で・・・

2024-02-13 | カルチャー 見聞
建国記念日の昨日は、お稽古してきたカルチャー教室の新感覚朗読劇の舞台本番でした。
一幕の「赤猪子物語」と、歌舞伎でもお馴染みの「ヤマトタケル」物語に出演させて頂きました。
「赤猪子・・」では、私の故郷奈良の「初瀬」や、「美和河(三輪川)」「朝倉」「葛城山」という雄略天皇「大長谷若建命(おおはつせわかたけのみこと)」の所縁の地が出てきまして、演じることが決まった時、大和で生まれ育った私も何かのご縁を頂いた感じで、(親戚があったりで、よく遊んだ処だったので)ちょっと思い出も蘇って、感慨深かったです。
その古事記に出てくる「命様」の若い頃と百十三歳の老いた天皇・・・「赤猪子」との出会いの場面と、天皇も老々介護となった時の、老いた赤猪子との再会の場面を舞台上手と下手で、交互にスポットを当てながら、東京出身で、長年和歌山で暮らされた、有吉佐和子さんファンのMさんの米寿記念の舞台と銘打って、中央で素晴らしい語りのナレーションが進む中で、私達がドキドキ状態で演じさせていただきました。(私は城ホールは三度目でしたが、やっぱり上がってしまって、お稽古でその調子で‥と言われていたのにやはり上がりっぱなしで・・声が老いてなかった・・
そして三幕では・・何役かで出ましたが、尾張の国造り役の時の台詞が台本にないものを言ったり、ちょっと言い間違えて、言い直したりで・・失敗ででも、お客様もたくさん来ていただけて、仲間と共に励ましあいながらお稽古を繰り返して、無事にこの本番を終えられたことが嬉しかったです。
そして今日は「和歌山演劇鑑賞会の例会」でして、夕方からまた「和歌山城ホール」へ出かけて夜の部を鑑賞してきました。

今日がお誕生日という「佐藤B作さん」と、「加藤健一さん」の初共演でニールサイモン作の「サンシャインボーイズ」です。
ほんとにベテランのお二人の絶妙な掛け合い、各席は笑いの渦で、2時間半の舞台でしたが、加藤さんは他の出演者との絡み場面でもしゃべり続けでしたし、久々の精巧なプロのコメディを時間を忘れて堪能してきました。
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「上司に嫌われた男 長谷川半蔵」P2

2024-02-08 | カルチャー 見聞
前回の続きですが、「半蔵さん」は才覚を表し、経済的にも、世界に誇っていいといわれる「人足寄場」を作ったりしているのです。
でも上司「田沼意次」には「贔屓」にされていたのに実直な「松平定信」には「蔑まれ」て、結果的には功績はなかったことの様にされてしまうんですよね。
平蔵さんの立案で、「人足寄場」を作って「罪人等」を働かせて経済が回っていくんです。
  



今でいう「インサイダー」的なことをやってはいたようですが・・



  人足達にも生きて行ける張り合いを与えていたんですね。
ところが・・・「松平定信」が「平蔵」に対して抱いていたのは・・

  
 
 
 




 
「平蔵さん」の「供養塔」が建てられたのは平成6年ということですが・・・「定信」の仕打ちが腹立たしいですね。


 

 
 




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「上司に嫌われた男 長谷川半蔵」(歴史を歩く)より

2024-02-06 | カルチャー 見聞
何時も録ってるTV番組で名前は聴いたことがあるかな?という人の人となりを今回は馴染みのある歴史上の人物との関わりとで知ることができました。ご存じの方もお付き合いくださいませ。
何かで名前を知ったのはきっと時代劇で知ったのかもしれないのですが・・・
「長谷川家」という裕福な家に生まれた(女中さんとの間に生まれた子)そうですが、若い頃は遊び人だったそうです。長谷川家の地は「遠山の金さん家」になってたんですって。
将軍「家治」にもお目見えしてたということです。

「遊び人」でも大出世ですよね。
時代劇で「収賄政治」でよく出てくる「田沼意次」ですが、「家重」の時代に頭角を現していたようですね。
家治の側近になって以来約20年間「幕政」の中心にいたそうです。


教科書で習いましたね
政治的なものにはたけていたようですね。でも賄賂は・・・
この「田沼」と「平蔵」は気があったようですね(このころは上司に嫌われていないのですが・・)

 「平蔵」もしたたか(世渡り上手)なようですね。
この「定信」の部下として「平蔵」は働き出すのですが・・・

  
 
 
以降の「平蔵」の働きに対しての「定信」の「本心」が解ってきます・・
続きは次回に・・・
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懐かしの聖地♪(世界遺産 四季で巡る日本の聖地)より

2024-02-02 | カルチャー 見聞
TV番組「世界遺産」の編集をしていたら、新春スペシャルとして放送された「日本の聖地」に、生まれ育った「奈良県」と、転居してからの方が長くなった「和歌山県」の「世界遺産」でしたので、そうだった~と、その時に知ったことはこうして接する機会を持った時に思い出すんですよね。
ちょっとピックアップで・・お付き合いくださいませ。
「日本一の桜の山」と呼ばれるようになった「吉野山」です。3万本の御神木です。
多くは「赤い葉」を付けた後に「白い花」を咲かせる「白山桜」なのだそうです。
 なぜそう呼ばれるようになったのか・・・が、山を聖地とする「修験道」の総本山「金峯山寺」でわかります。
  一年で一定期間だけ御開帳される、高さ7メートル日本最大の秘仏とされている国宝「金剛蔵王権現」です。三体で「過去 現在 未来」の人々を救うとされています。(さすが映像で見ると色鮮やかですね。実際に見た時は暗くて鮮やかではないブルーが目にとまりましたが・・)
役行者たちが彫ったそうです。以来「桜」が御神木になり、人々が修行や参拝の折に一本一本植えていったそうで、日本一になったのです。
「奈良」にいた頃は桜を見に行っただけで、金峯山寺には「和歌山」に長年住んでから「御開帳」の時に奈良の先輩に誘われて行ったという次第でしたが、大きさと色合いが、凄い~~と感嘆したのを覚えています。
天空の聖地、冬の「高野山」です。
此方には和歌山に着てすぐ位の冬に初めて来ました。雪が積もっているところで車を止めて雪で遊んだのを覚えていますが、寒くて散策もしなかったような・・ドライブで来た感じでした。
その後は何度か来まして、「大門」「金剛峯寺」「根本大塔」「御影堂(三鈷の松があります)」「御社」や、「奥の院」までの有名戦国武将等のお墓を見学しながら参拝しました。「宿坊」の方も散策しました。
 気温は氷点下にもなるそうです。
 聖域の中の聖域「奥の院の森」この奥の「御廟」で、「空海」は生きていると信じられています。
 「御廟」との境を流れる「玉川」の下には各地の水難事故で亡くなられた方を供養する「卒塔婆」がたてられています。
限りなく美しくて厳しい高野山の冬でした。
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