マイリビングダイアりぃ

趣味?興味?大好きな人(もの)達について、毎日は無理ですが、更新していきたいと思っています。見に来てくださいね。

UPリメイク2点(手仕事おさめ)

2023-12-31 | 自作品達
2023年がもう数分で行ってしまいます。
今年も拙いブログにお越しくださいましてありがとうございました。
12月中頃から、断捨離を兼ねてまだ使えそうな肥やし化していた衣類をピックアップして今年中に何とか仕上げれるかと3着分を構想しながら少しずつ始めましたが、3点目がこれを足したらできるかも??という段階で今日に至ってしまいまして・・2点目がやっとギリギリ今日出来上がりましたのでご紹介します。
  (写真が少し色つきみたいになってますが、生成り色に近い白になってしまってます)ウエストベルト分をとって解いたまま肥やし化していた昔のウールの周り襞スカート(どんだけ置いてたのかわからないほど前に穿いてたものです)なのですが、虫食いもない日本製ウールだったので残してあったので、トップスの何か作れないかと構想しまして・・
スカート布は輪にしてから・・こんな感じで我流でウールのブラウスをつくることにしました。
  残り布はこれだけです。(後ろ襟を裁てる範囲の布いっぱいの大きさにしました)スカートのプレス襞が何度洗っても、アイロンで伸びないので横ストライプの様な地になってますが、「ウールの白のトップス」ができました。
2点目は・・
  肥やし化していたパジャマ用のズボン2本分を利用してサルエル風のもの、部屋着の上にも穿けるようにと思ってリメイクしてみました。
フリース地裏起毛のチエックの方の股部分を解いてポリエステル地裏起毛の黒の方をカットして、そのまま(2枚重なったまま)チエックの裏股部分に上の方を縫い付けて、両サイドは、チエック表側で縫い代折り返して今度は黒に縫い付けました。
そして黒の台形の裾部を中表に縫って出来上がりです。
試着したら暖かくて、これから先1月~2月に出番があると思います。
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「古都のナンバーワン巡り(あなたの知らない京都旅)よりP2

2023-12-31 | カルチャー 見聞
前回の続きは、「信長の定宿」から・・
本能寺所縁が有名で、何時も本能寺に泊まっていたと思いがちでしたが・・
こちらの「妙覚寺」が「信長の定宿一位」でした。
  
  「斎藤道三」とのつながりからこちらの「妙覚寺」を利用していたようです。
  道三の四男が出家していたのですね。歴史ドラマでよく見ましたが信長は道三に「美濃」を託されていたことがここでもよく理解できました。
  「秀吉」の定宿は「妙顕寺」だそうです。京都の都市計画で、寺町や、土塁などを整備しています。
巨大木像仏像・・・
  御寺泉涌寺の塔頭「戒光寺」に巨大木像仏像です。
 
  
  
  普通は寝かせて仏像をいてんさせますが、立てたまま運ばれたので民衆が見た時に「歩いてらっしゃる」ように見えたそうです。「生きた仏像」と呼ばれてるそうです。
「最も大きな木魚」・・
  
  
  創作木魚も珍しいですね。
人間の元の姿の「木魚」も・・・  こちらでは珍しい「衣」をまとった仏像も  あの「家康」が激怒したという「方広寺」の「梵鐘」です。大きさがナンバーワンです。
  野ざらしにされていた時期もあったようです。
 立派な門が多いですが・・一位は・・
  「東本願寺」さすがの風格ですね。
古い喫茶店は「京大前の進々堂」です
  
 BGMはなしです。一度かけたことのある息子さんは怒られたそうです
  勉強しやすそうですね。
人気メニュー、パンをちぎってカレーをつけて食べます。
「金閣寺」は「相国寺」の塔頭だったんですね。「塔頭の多さ」では・・
  3位は千利休の所縁でもある「大徳寺」
  
この像がいちばん「信長」に似ているとか‥と言われてるそうです。
 幕府の庇護を受けなかった地方の大名が建てやすかったことで塔頭が多いということです
2位は・・
   
  「三門」の意味がここでわかりました。
  
 重森三玲さん作庭の庭行って見たいですが・・
  こちらの塔頭では住職さんが一人でお庭を飾られているそうです。
  
  こちらの塔頭は「鬼門」を守られてるんですね。
 塔頭の多さ1位の「妙心寺」です、此方は下宿先の息子の自転車で、塔頭が並ぶ境内を北から南までゆっくり通り抜けた(歩いて家路へと向かう方もいました)ことがあります。
  真田信之の菩提寺ですね。
特別に「賀来千香子さん」が見られて感動されてた「路地庭園」の紅葉・・
   
   
   
 特別参拝期間でしか見れない「庭園」観れてよかった~~ 
  
北から南まで自転車で走っても距離があった「妙心寺」は流石、ダントツで多いですね。
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「古都のナンバーワン巡り」(あなたの知らない京都旅より)

2023-12-29 | カルチャー 見聞
実はこうだったという「古都のナンバーワン巡り」いつもの「あなたの知らない京都旅」で知った意外なベストスリーをご紹介します。
 まずは鳥居から・・
  よく行きましたが「北野天満宮」が第三位だったんですね。あまり高さを感じませんでしたが・・
 こちらへは前を通ったことがありましたが参拝はしたことなかったです2位は「松尾大社」
 境内に「榊」を吊って榊のかれ方でその年の農作物の出来を占う鳥居があるそうです。
  ご存じ「平安神宮の大鳥居」が1位です。
  
  
  
  
  上から目線だった「探幽」が和尚様に座禅をしろと言われ3年間構想したということです。
 書かせていただきますとなったのです。  
  
第一位は「妙心寺」の「雲竜図」でした。
次は「国宝の古い順」です。
  
「浄瑠璃寺」が3位です。
  
 「平等院鳳凰堂」が2位
  
1位は秀吉でおなじみの「醍醐寺 五重塔」
  
カルチャーできました。
今回はここまでで終わります。
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「家康の世界地図」より

2023-12-27 | カルチャー 見聞
録ってあった「家康の世界地図」を見ていましたら知らなかった事ばかりで・家康って「どうする・・」ではなくて晩年は「こうするんだ」という人だったようで・・
  家康が愛用していた「世界地図」です。
この本にも記録されてるようで、家康は「貿易」を進めたかったそうです。 
 この地図ではまだ「北海道」が描かれてません  当時の民族が42種描かれてるようです。
国王も、港も、街も正確に描かれてるようです。
   
  「ブラウ氏」が出版したものとほとんど同じだということでした。
  大河でも登場されてた「按針さん」との交流があったからですね。ここからいろんな国との交易が始まっていきます。
  
  
     
  諸外国とのやり取りが「あちらの国と同じように・・」という、家康の差配が生きてくるのです。
  久能山東照宮にある、家康が使っていた「鉛筆」
   「はかり」のようです。
  「香木」は信長が頂いたという「蘭奢待」とは一味違いますが・・・「銀」を作らせていたというのも初めて知りました。当時は日本で世界の3割を作っていたそうです。
貿易で苦境に・・
  
生糸の値段が跳ね上がり貿易赤字になってしまいます。
  イギリスに「航路」を教えて「競争」をさせるという手を打ちます。
  
  
 交渉条件も悩ましいことばかりです。
  
  
 輸出されてるものすべて凄い調度品ですね。
  
 禁教令が出されて家康の外交が頓挫してしまいます。
亡くなってしまってからは「秀忠の外交政策」で・・
 鎖国体制となってしまうのです。
晩年の家康は精力的に外交を進めていたんですね。できました。



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今年のクリスマスは・・・

2023-12-25 | 食べる
今年も🎄イブと今日の二日間は皆さんそれぞれ楽しまれた事と思います。
私は今年も普段とあまり変わらない二日間でしたが、ちょっと初めてのメニュー作りに挑戦して見まして・・
ちょっとその前に昨日のイブの日のおやつタイムから・・
 先輩から頂き物だけどおすそ分け・・と頂いてた可愛い箱のおかし、丁度賞味期限が24日だったのでイブの日にケーキ代わりにしようと置いてあったものです。
クッキーか何かかなって思っていたのですが、カステラが二切れ入っていまして、頂きだしたら美味しくて(初めてのお味でした)二切れをあっという間に食べてしまって、作った「豆乳ココア」を飲まないままで、冷めてしまってレンチンして飲み終えたという次第でした。
そして・・
いつも「手羽元」は「大根とのポン酢煮」なので、🎄らしくレシピサイトに載ってた初めての簡単「ガーリックチキン」を作ることにして超久々の「揚げ物」です。
ストックの「オイルサーディン」を使って「サラダ豆、グリーンレタス、玉ねぎスライス」とで「レモン果汁、オリーブオイル、ブラクペッパー」で和えてサラダを作りました。これは超久々で、美味しさ再認しました。(ビールにもワインにも合います)
今日のお昼は・・お米を洗ってすぐ作れる大好き「パエリア」ですが、何時もは冷凍のものを買ってきたりするのですが、簡単に作れるレシピが載っていて、「サフラン」がなくても作れるというので初めて作ってみました。
材料(玉ねぎピーマン、カットトマト缶、カレー粉、ニンニク等調味料)があったので作り始めたら、あとは弱火で15分、アサリはなかったので貧弱ですが、大好きな海老を使って、レシピ通り簡単で美味しいものができました。これは、これからも登場させれそうです。
そして今日の夕食は初めての「ナポリ風ピザ」を買ってきたものを何時もの「ウインナーとブロッコリーマヨ炒めチーズ載せ」と、「チーズポテト」さらだはつくりおきの「サラダチキン」に「蒸し黒豆」を添えて頂きました。この「蒸し黒豆」もサラダにもってこいで頂けます。
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15分で貫頭衣をつくれたものの・・(手仕事)

2023-12-23 | 自作品達
今日は前から作ってみようと思っていた「貫頭衣」を出かける前に急遽手縫いで縫ってみて早速着ていったのですが・・・
手縫いの縫い終わりを目地の粗さを考えずにちゃんと始末してなかったので試着して頭を入れた時に片側が少しほどけてしまって・・その部分は解けてしまったところまでのサイズで応急処置で結び目を何重にもしてそのまま着て出かけました。
夕食を食べてから縫い直しやら、縫うところを増やしたり、レシピにあったボタンを付けることやら、着た時の襟空き部分を狭くできないか・・とホックを付けたりしまして、何とか完成しました。
これが、サイトで知ったレシピ(着物幅を2枚つないで端処理をして2枚を作ってから簡単仕上げする)なんですが、昨年末に買ってあったフリース地の生地(これが70×100センチの周りをロックミシンで処理してあったもの2枚)を利用してサイズ丈を変えて作ることにしまして・・
  幅70cmの方を身幅にして着丈が折り返し15センチとってますので85cmということになります。
その上から15cmのところを身幅の端から16cm位内に入ったところまで(ここが肩縫いです)を縫っていたのですが空きが広すぎるので補正したということです。
レシピでは64cmの着丈になっていて脇も5センチ入ったところを下から26センチほど縫っておられます。
私は袖空きを肩から30センチほどのところに生地端から5、6cm縫って落ち着かせたまま、脇はそのまま縫わずに毛布を着ているような感じで開いたままにしています。
 飾り用に釦を縫い付けて、着てからホックで空きを少し狭くできるようにしました。
頭を入れて腕を通して着る「貫頭衣」で、温かくて軽い車の運転にも袖がないのでらくちんな「ココア色とくすんだベージュ色」の羽織ものができました。
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ご存じでしたか?「ハーフマン」という植物

2023-12-19 | カルチャー 見聞
先日録ってあった「滝藤賢一が行く 南アフリカ珍奇植物紀行」を観ていたのですが、年間雨がほんの数日しか降らない処の一部分では、灼熱の大地と、海の水温の風で「霧」が発生することで唯一水分を補給することができるということでした。
「奇跡の花園」と言われるその一帯は、冬になって花を咲かす(ご当地で付けられた名前がカタカナで長い花ばかりでしたが)珍しい植物が紹介されてまして、めったに見られない花が咲いた時のVTR映像を見ることもできたのですが・・
中でも興味を引いたのが「ナマクアランド」というところに通称「ハーフマン」という植物があって、その植物がなぜ「ハーフマン」と呼ばれているのかを知ることができましたので、番組終盤をピックアップしましたのでお付き合いくださいませ。
「ナマクアナム」という名前から「たくさん生えているところを「ナマクアランド」となっています。
  
 「ナミビアの先住民 ナマ族」が民族争いで南アフリカに逃れた際に前向きに生きることをせず、自分たちの境遇を憂いたそうで、その人達が神に咎められ植物にされたと伝わっているのです。(人間が植物にされたからハーフマンなんですね)
滝藤さん達は「ハーフマン」の自生地に向かいまして・・
  途中、貴重な南アフリカの植物を盗もうとする人が後を絶たないという話と、「ハーフマン」を盗んだ人を捕まえたという案内人さん(警察官です)の話では「罰金ではなく禁固刑7年」だというお話でした。
  すべて「真北をむいてます」
  花を咲かせようとしています。
  温度を下げてくれて、灼熱の大地に植物が生き残れるのは「貴重な石英」との共生です。
花が咲く花園でも石英がたくさんあって・・自然って素晴らしいですよね。
  3メートルほどの「ハーフマン」500歳ですって!!3センチほどの石との隙間から生命を維持させています。
赤ちゃん「ナマクアナム」も石英に守られてました。
滝藤さんもすごい植物達を見てきて、「過酷で限られたところで生きていくには、努力をしないといけないということだ」と感慨深げでした。
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四苦八苦で、ジャンスカ完成!!(手仕事)

2023-12-17 | 自作品達
箪笥の肥やし化していた洋服地を利用して先月、2月の舞台用に使用する「短めのモンペ(ニッカポッカ風)」を縫ったのですが、広幅の綿の「ピンクベージュの生地」が・・・
こんなふうに50センチほどの幅ジグザグで長さ5メートルほど残ってしまって、またタンスに眠らす?それとも捨てる?と悩んだ末簡単に作れそうなレシピを探して「ジャンスカ」をつぎはぎで何とか作れそうだと思ったものですから遣りだしたのですが・・
  裁断するのに出来上がりサイズを決めながら継ぎ合わせできるぎりぎりの幅と、一応レシピ通りの長さでかっとしましたが、タックスカート部を決めるのに時間がかかってしまいまして・・
  縫い始めたらそこそこ進んだものの・・
  耳を利用しないと家庭のふち篝ミシンではボボケてきそうな生地だったので、スカートの継ぎ目の方倒しの始末やら、タックを数本入れることにしたのでその計算やらが大変でして、その上継ぎ目のところのタックが上手くいかなくて、裾から20センチほど縫いこんで隠れるように変形タックにして裾幅を狭くできて一石二鳥でしたが、凄く時間かかってしまいました。
 試着したら着丈はOKだったのですが、身頃丈が長すぎる感じで変だったので、また補正で、上身頃丈3㎝を手繰らせるようにしてところどころを縫いこみました。
そしたら当然着丈が丁度だったのがスカート丈が短くなったものですから、またまた裾にあまり布を継いで、袖のカフス風に縫い足して折り返しまつり縫いして出来上がりです。
結局レシピ通りではない、我流のジャンスカに仕上がりました。
残り布は小さな袋ものができそうですが・・もう年末の掃除にでも使い捨てで使おうかと思っています。
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[あなたの知らない京都旅」(大石内蔵助の葛藤)より

2023-12-15 | カルチャー 見聞
昨日は「忠臣蔵討ち入りの日」でしたが、昨日の雅俊さんの「あなたの・・京都旅」が丁度「内蔵助の葛藤」として、今まで知られていなかった場所や実際にどう葛藤されたのかを知る回だったのと、京都でなかなか行けないところが映されていたので、UPしますね。ご存じの方もお付き合いくださいませ。
  忠臣蔵で有名になった「一力亭」ですが、
 屋号は「万屋」だったのが、有名になってから「万」を分割して「一力」と、替えたということでした。
  「大石内蔵助」の所縁の地を巡る旅、最初は「御寺 泉涌寺」の塔頭「來迎院」から・・
  「弘法大師様」が、井戸もほっておられるというのは過去ログでもご紹介したと思いますが、ここに「大石様」もおられたようです。
  「内蔵助直筆」だそうです。建てられていたんですね。
  「お庭」も造られてたようです
  ご親戚が住職さんだったようです。
  
「本堂」のお地蔵様(らしからぬ像ですよね)に願掛けをされていたようです。(討ち入りではなくてあくまでも浅野家再興を願われてたそうです)
 こちらも所縁の地「岩屋寺」この傍に居宅があったそうです。
  塚がある辺りが住んでおられたところだそうです
  本堂内に生活されてたもの等を展示されてます。
 
  説得に苦労されたそうです。
 未公開なのに丁度放送日が14日なので特別に「御開帳」となりました。「ご本尊」です。いつもここでも再興の祈願をなされていたそうです。
  「伏見の遊郭」へ通われてたのはドラマなどでは目くらましといわれていますが、ストレス解消していたのでは・・ということでした。
  
    こちらでも再興祈願されてたそうです。
こちらへ来られる公家さんに江戸の様子を訊いてらしたそうです。
 「再興ならず・・」で、「討ち入り」を決められたそうです
  決心した後「肖像画」を書かせたときの顔の表情がその時の葛藤を表しているということでした。
 直筆の絵に「翡翠」を書いた上に「吉良」を思わせる「句」も詠まれたとか・・
  討ち入り成功です。
 評判になったのですが・・
  解禁なって、歌舞伎で上演されたのが45年後とは驚きです。
  
 「大石神社」の創建も遅かったのですね。ここへは行って見たかったです。
 「來迎院」の「四十七士」の位牌、「岩屋寺」の四十七士」の木像
 この伝記は実名で書かれているそうで、討ち入り前夜に何を食べたのかも書かれてて、「鴨肉」を「すまし汁」で食べたと書かれてるそうです。
雅俊さんが「スマホ」で実写した「含翠之の庭」の写真で番組が終わりでした。
知らなかった事や、寺社を見れてちょとカルチャーでした。

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「熟し柿」が好きで・・・

2023-12-14 | 食べる
先日来地産地消のお店で和歌山の柿が所狭しと売られてはいるのですが、季節柄「みかん」が多めになってきてから柿が売れ残り状態になってきてか、「柔らかい柿」が入っている袋がリーズナブルになっています。
普通の柿を買ってきても冷蔵庫に入れて置いて柔らかくなってきたものから順に食している私、一個がすごく柔らかめで乱暴に扱ったら潰れてしまいそうなものがあったので、(半額でして)買ってきたのです。
それをその日に食そうと思っていたのですが、野菜室を開けたら前に買ってあったものが残っていて一つが熟していたものですからそれを先に食べてしまわないと・・という嬉しい悲鳴で・・
我流焼きそばを作って添えました。
蔕をくねり取り、すこし広げて反対向きにお皿にのせて食後にスイカを食べるように頂くのです。(手や口の周りがよごれてしまうのです 笑)
昔、実家に渋柿の木があってその「渋柿」を祖母が収穫して「もみ殻」に埋め込んでくれて、熟すのを待ってたら「甘くておいしい熟し柿」ができるので、それをお風呂上りに食べてた幼い頃を思い出し、食べてみたくなるのです。
野菜室熟し待ちのものとは、渋柿熟しではないので少し味は違いますが、懐かしみながら頂いています。
この日は後で買ってきたものを食べました。これは自然熟柿ですので野菜室での熟し柿より甘かったです~~
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エゴ ドキュメント「太平洋戦争開戦 前編」をみて・・

2023-12-12 | カルチャー 見聞
SNSが当たり前になった昨今ですが、先の戦争当時に、人々はどんな思いでいたのかその人々が残した「日記」をもとに「なぜ日本は(開戦)に至ったのか・・」という2年前のTV番組の前編~の何時間ものドキュメントを録ってやっとその「前編」を見終えまして、「戦争関連の映画やドラマ」である程度の事は知っていても、当時のニュースフィルムでも人々の歓喜等を見て当時の人達はどんな思いで・・と観始めたら思いがけないことばかりで・・何枚も撮ってしまってまして・・お付き合いくださいませ。
  
  
  開戦前の1940年の日本の様子から始まったのですが、ほんとにこんな感じだったのか?って思いました。
  このころのサーチではほんとに「すき焼き」等の言葉が多いようで「ピアノ」なんてすごく高かったでしょうに・・でも・・
この方はお商売をなさってて、家にあっても・・と買っておられてましたが・・開戦近くになって・・
  こういう言葉が頻繁に出てきます
  
  この教科書で習った「三国同盟」がネックになったんですね。
  町中に(デパートにも)「ドイツ」の「旗」がいっぱいですね。(こんな光景は知りませんでした)そして・・
  「アメリカとの卓球の試合」もされてますね。
  
 いよいよ経済制裁です。
  
  誰もが「戦力の差」は知っていたはずなのに・・
  この「南方」への資源調達のための「進駐」は反感買うでしょうね~
  
 この時点では解決策は見当たらず
  
  こんな状況になっても・・
   
  子育て中の主婦の方は気丈に「お国のため」と子育て日記内に書かれてます。
 「教師」をされてる方は本音を言えるのは日記だけと冷静に記されてます。さらに続きます。
   
  ほんとそう思いますよね。
  国民達も「お国のため」となっていくのでしょうね。
  
  そんないろんな思いが「東条」にもあったようですが・・
そんな時に後に「戦犯」になってしまう「東條内閣」となってしまうのですね。
天皇は「日米交渉」を進めたかったそうで、東條に「陸軍強行派」を抑えさせて、戦争を避けさせ、何とか道を探ろうとしていたということでしたが、鬱屈していた空気を感じていた国民が軍人出身の首相に期待を抱いたということから開戦になったようだとのことでした。
  
  ピアノを買われてた「井上さん」は涙を流したとあります。
  森下さんは冷静です。
 金原さんも喜ばれてますね。
ここまで前編でして、番組で日記を朗読されてる方が「豊川悦司さん、西島秀俊さん、國村凖さん、松重豊さん」等俳優さん達でした。
後編を観だしたのですが・・・ここでも
開戦になってすぐの勝利で喜ばれている方が多かったですが・・
作家さんも、
  「真珠湾攻撃」時の手記も公開されまして
  
 実際に攻撃に向かわれた若い兵士さん達の書き残されたことが紹介されてまして、当時の凄い覚悟など(映画でも表現されてますが)みて複雑な思いでした。
   
   
  
この方は偶然ひねったchannelで方向を見出し雲の上に出て攻撃ができたということでした。
天皇がかかれた「自存自衛」だけで済ませたらよかったのに・・・という「文字」が頭を離れませんでした。
今更ながら「命と国土」を焼き尽くしていってしまう戦争の正体に気づかずに向かっていってしまったということが残念でなりません。</span></span>
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温かいものと・・(食品ロス)なしで・・

2023-12-08 | 食べる
寒い日が続いているので、は暫くやめて「温かい」飲み物があるメニューを考えて・・
「ポトフ」にして温かいスープを多目に作ろうとしたら具材も「小かぶ、ジャガイモ、玉ねぎ、人参、ブロッコリー、小ウインナー」多めになってしまったのに完食です。
結局2人前くらい食べたのに苦しい感じもありませんでした(笑)「夜ヨーグルト(ベビーチーズ入り)」も頂きました。
低カロリーの「パンケーキ」で「ハムレタス、チーズサンド」でグリーンサラダに「ウインナー消費」でトッピング、「温かいスープ」をと、「グリーンレタスの芯の部分利用、ベーコン」とで「コンソメキューブ」消費で、スープを作って頂きました。
「ブロッコリー」消費で何時ものペペロンを「パスタなし」で「ベーコンとエリンギ」を炒めて「アヒージョ風」で頂きました。
「キムチ消費」で、「豚キムチ炒飯」と、「白菜の外の固い部分」を無駄なく千切りにして塩少々して少しおいて絞って、「カニカマ」と酢の物にしまして頂きました。
温かいものは「具だくさん豚汁」です。この日も満腹でした~。
今日の「パンケーキ」はグリーンレタスと作り置き「ささみ酒蒸し、チーズ」で頂きました。
作り置き「ママレード醤油煮 スペアリブ」をレンチンで時短、「蟹カマ」消費で「千切り胡瓜、大根」とでサラダドレッシングがけです。
前回のスープと同じ「レタス芯とベーコンのコンソメスープ」です(火にかけて煮るだけ)この日も「夜ヨーグルト(ベビーチーズ入り)」も・・
美味しく頂けて満足満足です~~。
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「壮観劇場」(葛飾北斎)より

2023-12-06 | カルチャー 見聞
番組表で偶然見て興味を持ち録ってあった「壮観劇場」を見終えました。
エンドロールの最後の「北斎の天井絵」で幕を閉じましたが、この番組自体は昨年放送されたもののようで、ご覧になられた方もいらっしゃると思いますが、デジタル化されるプロジェクトも始まっているそうですが、思わず撮ってみましたのでご紹介しますね。
  
  
  お馴染みの「北斎」の版画ですが・・
あまり知られてない「肉筆画」が紹介されてまして・・
  
 リクエストをされながら描いた一点物の「肉筆画」ですね
  此方の「北斎」のパトロン的存在だった豪商「高井鴻山さん」の「記念館」にも保存されてるようです。
 「小布施」に長く滞在されていたそうで個人で持っておられる方もいらっしゃいました。
  
  どんな発想で描かれてるんでしょうね~
こちらも素敵です。そして・・
  
  
屋台も創作なさってるんですよね。
  「エンジェル」や、想像の動物等もいますよね
 敢えて「人」より「屋根瓦」を大きく、 二等辺三角形で、緊張感を表してるとか・ こちらは90度顔を傾かせて・・
こんなに小さく富士山が見えるはずはないのに・・という感じで・・「北斎マジック」だそうです。
 海外の人たちにも人気の「北斎」は有名な画家たちにも影響を与えました。
  
 音楽家にも影響を与えています。
 百人の中に、日本人唯一で選ばれてます。
  「歌川広重」は「文学的な要素」を入れていますが・・
  一目で分かるように描かれてるから海外でも人気があるということでした。
そしてそしてこちらの「本堂」の「天井」に・・・
これが、亡くなる1年前89歳で完成したという、畳二十一畳(5.5×6.3m)の、170年色あせていない世界で一点の「天井絵」です。
 「貝殻から作った特殊絵具」や、「青色等」の顔料は中国からとりよせ、金箔は(4400枚)使われてるそうです。
「龍」は自分を表した「絶筆」と言われている「富士越龍」です。
天井絵はまさに「壮観」でしたね。
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「森山良子・秋川雅史スペシャルコンサート」へ・・

2023-12-03 | お出かけ
今日は、「宝くじ文化公演」のコンサートに出かけてきました。
TVでコンサート場面を何度も見ていますが、生の「森山良子さん」にお目にかかるのは、初めて行った「フェスティバルホール」でのコンサート以来でした。(もう50年位経ってしまってます)
和歌山城ホールからの開演前の色づいた銀杏と「和歌山城」です(慌てて撮ったうえ、逆光で上手く映ってなくてすいません
オープニングは「良子さんと秋川さん」とのデュエットで流石の「美声」で始まり、ホールの事を褒めて頂いたり、一作日からの和歌山県滞在を楽しんだ(とれとれ市場のことも)というお話を面白く話されました。
一部は「秋川さん」のお話と「声量」が半端ない(マイク要らないでしょう・・マイクから離れてらして凄い)歌が続きました「松山千春さんの長い夜」はゆったりとしたアレンジで別の歌に聞こえました。
私の大好きな曲「松田聖子さん、中森明菜さんが歌われてた 瑠璃色の地球」も「秋川さん」ぴったりのアレンジでまた別の曲になってました。
「千の風になって」なんかも、「良子さん」にどれだけブレス伸ばしたんですかって感じで会場からも「ブラボー」の喝采でした。
 良子さんの曲も昔のコンサート時代に聴いた「この広い野原いっぱい」、年齢的に共感できる歌詞で、楽しい曲「Ale Ale Ale」、お馴染み二曲「涙そうそう、さとうきび畑」をギター演奏で、従兄の「かまやつひろしさん作詞作曲」で配信限定シングルの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」等を歌ってくださいました。
アンコールでは、「秋川さん」とのデュエットで、「カンツォーネ」を歌ってくださいました。
周りの知人たちと口々に「凄い凄い和歌山で聴いてる感じしないよね~~別世界~」もうみんな「ブラボー」と、喝采でした。
会場を後にしながら「お二人」も話されてた「宝くじ事業のお陰でコンサート代が安かった」ということに「お安い料金で堪能させてもらって良いのかなって思ってしまうほど最高のコンサートだった」とみんな話されてて、「ウクライナ」への「募金箱」に向かう人がいっぱいでした。
外に出たら・・和歌山城ホールのライトアップと・・
和歌山城のライトアップ、そして今年から始まった「けやき通り」のイルミネーションを見ることができました。
  「御堂筋」のイルミネーションとは比になりませんが・・(JR駅の方に進んだここよりは綺麗なんだとは思いますが・・)
  もう一度お城を撮って・・
市役所隣のビルも撮って、友人はまた「今日のコンサートは今まで見てきた中で一番すごかった~~」と言ったので、「ほんとに秋川さんはピアノだけ、良子さんもギターとピアノだけだもんね~素晴らしい声量と、変わらない歌の上手さよね~~」と言いながら駅に向かいました。
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「アナザースカイ(間宮祥太朗編」より・・

2023-12-01 | メディアより(好きな人達)
録ってあった番組をやっと見ることができまして、見終えた先月の「アナザースカイ(間宮紹祥太朗編)」で、若い頃から行って見たいと思っていた「ウルル」が目的地ということで見入ってましたら、「ウルル」へ行く途中「間宮君」が子供の頃に行ったことがあるという場所に強行したんですが、そこの景勝地を初めて知って感動したものですからご紹介しますね。
シドニーから飛行機で3時間半と車で30分で行ける「ウルル」へなんと陸路で3日かけてもらって旅を楽しむという「間宮君」ですが・・
 幼い頃に世界の有名な場所に祖父母に連れて行ってもらったそうです(羨ましい~~)「ウルル」24ぶりだそうです。
陸路を走り始めて住宅街で「コアラ」を見つけ途中下車です。(スタッフさん大はしゃぎされてました)
  荒野をひたすら走ります。時々動物が歩いてたり・・
途中下車して興味持ってるんですけど時間的に行ける余裕がないのです。
  荒野の真ん中にポツンと・・
  「クーバーペディ」オパールの産出量世界一の街です。
  気温50度にもなるという地では地下に住んでらっしゃるとか(20度に保たれてるんですね)
  
この町から同じ距離走ったら「ウルル」に着くというところで間宮君が「絶対楽勝で行ける」とスタッフに落胆させて左折して・・
  「キングスキャニオン」というところです
  荒涼としてますが・・地球ってすごい
  「ブッシュファイア」という自然現象で「燃えて発芽する」という植物も初めて知りました。
  「間宮君」感無量でしたね。
  旅の終着点「ウルル」にやっと着きました。
19年から登山は禁止され・・
  写真撮影も制限されてるんですね。
   
   
  車の中から間宮君が「カンガルー」を見つけます
天候が悪くて乗れなかったヘリに帰りの飛行機の遅れで乗れることになったので「空」からのウルルです。
  祖父に連れてきてもらったように子供ができたら連れてきてあげたいといってらっしゃいました。
ちょっとカルチャーの「オーストラリア(ウルル)」までの旅でした。
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