三が日が過ぎてからのpeko地方、昨日から連日、風が強く、時折霰や霙が降る外に出るのが嫌になる冷たい日が続いています。明日からは気温も上がっていくようですが・・・
さて今回のUPも、故郷でのお出かけ記です。お出かけ記といっても元旦の夕方、次男を最寄駅に迎えに行ってからのその足で「安倍文殊院」へ初詣に向かいました。
「日本三文殊第一霊場 安倍文殊院」表山門をくぐろうとしてるのは我が家の父子です。駐車場が満車状態でやっと止めれて、表山門をくぐり参道を上がると本堂が見えてきましたが・・・その前の手水舎あたりには・・・人人人・・そしてずっとずっとず~~~~~~と右手まで・・・
参拝客の列が長蛇の列(右の写真の左手通路から本堂に上って、紅白の幕の向こう側でお参りします)で、これを待ってたら夕食の支度に間に合わないので、とりあえず次男の「合格お守り」を買って「清明神社」にお参りすることにしました。
「清明堂」へ行く途中の「金閣浮御堂(仲麻呂堂)」です。厄除けの方が七参りされる処です。↑「安倍仲麻呂 望郷の詩碑」
夕昏の「文殊池」に浮かぶ「金閣浮御堂」です。此処から少しのぼって、「松」で作られた「合格門(ひと足先に門をくぐり合格をを「まつ」)」をくぐり更に登り、展望台に上ると西側の真下に「花の広場」に今年の干支「辰(龍)」を模して植えられた花壇と「金閣浮御堂」が・・
展望台は此方で出生された「清明公」が母親の「葛の葉姫」から星占いの手ほどきを受けたと伝えられ、「天文観測」をしたようですね。記念碑はH16年「清明公千回忌」に建立されました。左の写真の「長寿道」という黄色の処の左手が前回UPの「藤原京跡」です。
元日の午後からは此方との二か所でpekoはつかの間「いにしえ人」になったような気分になれたということです。
占いの開祖で有名な安倍清明の「清明堂」です。魔除け方位除けの御利益を頂けます。右は「ウオーナー博士」の報恩塔です。この方の戦争防止の進言や、不幸開戦の後も、古都の文化的価値の説得の成功のお陰で「京都や奈良」が空爆リストからはずされたのだそうです。この方の功績を知って「桜井市」の一市民がコツコツと貯められた自費でS34年に建立されたそうです。此方の院では博士の命日に「法要」が行われているようです。
左は「東古墳」「飛鳥時代 指定史跡 知恵の窟」原始的な巨石を使用して加構された古墳で、羨道の中程に数百年の昔より涸れることなく湧きでている「知恵の水」とよばれる泉があるそうです。祈祷を受けられる方々に授与されているそうです。
中の写真の石碑の右側に洞窟のような人が入っていけるところがあります。此方も「西古墳」と言われていて同じく「飛鳥時代 指定史跡」で、「安倍寺」の創建者「安倍倉梯麻呂」の墓と伝えられ、玄室には「弘法大師」お手作りの「願掛け不動の石仏」が祀られているそうです。
日暮れが近づいてきたので、右の写真の参道を戻ります。本堂でのお参りが出来なかったので、御利益はあるのかどうか・・・
とりあえず、本人は「お守り」を買ったので気が済んだようですが・・・どうか「合格出来ますように」と祈るしかありません。